第46回 2014年1月14日 「世界の手を包む~香川 手袋~」リサーチャー: 山田優
番組内容
今回は、香川県で作られている「手袋」。香川の手袋産業は明治時代に始まり、今では国内生産高第一位を誇る一大産地に発展した。流行の発信地・パリでも、香川の手袋は大人気。手に吸いつくような抜群のフィット感が評価されている。そのワザを探りに行くのは山田優。縫製技術を駆使した手袋作りから、最新のアイデア手袋、はたまた日本のトップアスリートを支える特殊な手袋まで。香川の手袋の魅力を、たっぷりとお届けする。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201401141930001301000 より
香川県東かがわ市で作られる手袋は「香川手袋」と呼ばれ、国内シェアのなんと90%を誇ります。
一般的なファッション用のみならず、冬は防寒具として、夏はUV対策として、スポーツやフォーマルから消防などの特殊な作業に使われるものまで、幅広く手掛ける産地で、70社を超える手袋メーカが、本当に多種多様な手袋を数多く作っています。
東かがわ市には、平成20(2008)年に手袋産業120年を記念して建てられた「香川のてぶくろ資料館」には、手袋に関する様々な資料が揃っています。
プロ野球選手やサッカー元日本代表ゴールキーパー、世界的に有名なゴルファーやオリンピック銀メダルを獲得したフェンシング選手など、多くの有名選手の手袋が展示されている他、資料価値の高い昭和5年に製造されたファッショナブルな手袋、特殊な手袋、高額の手袋など、思わず見入ってしまう手袋のなど手袋産業に多大な功績を遺した先人達の貴重な資料も展示してあります。
そのお隣の手袋のアウトレット店では、日本手袋工業組合に加盟する、東かがわ市の手袋メーカーを中心に約30社が商品を随時持ち込んで販売しています。
香川のてぶくろ資料館 香川県東かがわ市湊1810-1
1.福田手袋
大正2(1913)年2月創業の「福田手袋」は東かがわ市で最も長い歴史を持つ老舗手袋メーカーです。
国内の大手百貨店や、ヨーロッパを始めとする展示会でも高く評価されています。
「福田手袋」ではこれまで、国内外ブランドの製造を請け負ってきましたが、平成21(2009)年に初の自社ブランド「l’apero(ラペロ)」を立ち上げました。
企画、デザインは勿論、製造に至るまでの全ての工程を香川の本社で行うという、、完全日本製。
手作業にこだわり、各工程を熟練の職人がひとつひとつ丁寧に縫い上げ、機械では再現できない細やかな使い心地をカタチにしています。
「福田手袋」が作る手袋は、指にピッタリのフィット感が特徴です。
手袋を縫っている工房を見せていただきました。
縫製を行う「縫い子さん」は20代から70代と幅広い年齢層の女性の皆さんが活躍しています。
増田寿子さんは15歳でこの世界に入り、手袋を縫い続けて50年。1日50双の手袋を手掛けます。
増田さん達、縫い子さんは「二重環(にじゅうかん)ミシン」をかけていきます。
マチ針も使わなければ、出来上がり線のようなガイドもありません。
手袋の縫い代はどこも正確に、わずか1.5から2㎜です。
仕上げ工程は男性が行います。
「くり金」と呼ばれる仕上げ型に手袋を入れ、蒸気を当ててて、しわを取り、整形をします。
「くり金」は上部が蒸気を当てる場所で、下部が蒸気を当てた後に乾燥させる場所と、2カ所に分かれています。
最後に細かい検品作業をして、ようやく完成です。
「福田手袋」 では、最初から最後まで全ての工程で人の手が加わって、ひとつの製品が仕上がるのです。
福田手袋 香川県東かがわ市引田2883
2.スマートフォン用手袋「ピタクロタッチ」(イチーナ)
香川では、時代のニーズにマッチした製品が次々と開発されています。
手袋をつけたまま操作が出来るスマートフォン用手袋が、今、話題を呼んでいます。
開発したのは、昭和41(1966)年創業の「イチーナ」です。
「イチーナ」が、平成22(2010)年にスマートフォン対応手袋「ピタクロタッチ」を販売するとTV等各メディアに取り上げられ、スマートフォン対応手袋のパイオニアとして業界に旋風を巻き起こしました。
「ピタクロタッチ」は、指先に特殊繊維を編み込み、しなやかな肌触りとフィット感で、素手のような高い操作性を実現。
しかも東洋紡の吸湿発熱繊維【eks】を使用しているので、薄くても温かい手袋です。
「ThinKniT(シンクニット)」は、イチーナによるライフスタイルニットブランドです。
インテリアからファッションまで、素材とニットの特性を生かした美しいプロダクトを作っています。
イチーナ 香川県東かがわ市三本松1023-5
3.松岡手袋
明治20年頃から手袋製造が始まった香川では現在、様々な種類の手袋が作られています。
プロゴルファーの古閑美保選手やサッカー日本代表だった川口能活選手のグローブも香川製です。
昭和32(1957)年創業の「松岡手袋」はスポーツグローブの製造会社です。
「松岡手袋」のグローブは、人の手の自然なカタチを得るためにミリ単位の曲線と動きを研究して、「ErgoGrip」(エルゴグリップ)という手袋を開発しました。
両手を合わせて110〜120程のパーツを縫い合わせ、素手に近い状態のグローブを作り出しています。
手のひらも曲がる部分に合わせて、細かくパーツ分けして繋いでいます。
「ErgoGrip」の特徴は、指の関節で縫製している点です。
指の側面に縦の縫い目がないので、握った時の違和感がなくキレイに握ることが出来ます。
わずか1ミリの誤差も許されない縫製と、商品としての完成度を最大限にチェックする品質管理で、スポーツに携わる全ての人達のパフォーマンスが向上出来るように、こだわりのクラフトマン・シップで成長を目指しています。
松岡手袋 香川県東かがわ市引田1884-10
4.フェンシング用グローブ「Scherma(スケルマ)」(細川勝弘さん・かずゑさん御夫妻)
東京五輪〈東京2020〉で史上初の金メダルを獲得したフェンシング男子エペ団体の日本代表メンバーのグローブは、香川県東かがわ市の職人が手掛けたものです。
細川勝弘さんとかずゑさん夫妻は、国内では珍しいフェンシング用のグローブを作っています。
ご主人が設計とパーツの裁断を行い、奥様が縫製を担っています。
ブランド名は、イタリア語でフェンシングを意味する「Scherma(スケルマ)」です。
2008年北京五輪で日本フェンシング史上初の個人銀メダルを取った太田雄貴選手や、2012年ロンドン五輪で日本史上初団体銀メダルを獲得した日本代表選手は勿論、世界のトップアスリートから子供まで、今や「フェンシング界で知らない人はいない」と言われるのが、「Scherma(スケルマ)」のグローブです。
元々、細川さんは、この地域にある大手手袋メーカーの下請けの仕事をしていました。
そんな中、高校時代からフェンシングをされていた娘さんから、国体に出るためのグローブを作って欲しいとリクエストされました。
見様見真似で工房にあった黒の生地で手早く作ったところ、競技用でしかもかっこいい黒のグローブは今までになかったため、話題をさらったそうです。
その後も、フェンシング選手でありながら指導者でもあった娘さんのご主人からも熱いリクエストが続き、競技用のグローブを作ることになったのです。
始めは地元の高校や全国の中でも数校のチームのみの注文を受けていましたが、今では高校だと47都道府県、ほぼ全ての県において導入されており、ジュニアから世界で戦うトップアスリートまで、フェンシング選手の中で「Scherma(スケルマ)」のグローブを知らない人はいません。
細川さんのグローブを使用している地元高校の市ヶ谷監督は「細川さんのグローブは手に馴染む」とおっしゃいます。
立体構造と緻密な縫製が、細いグリップを握りしめるのに適しているのです。
また、握りしめた指先がズレないようための「滑り止め」や、力のかかる部分への「補強パーツ」などのパーツ毎の素材選び、相手の剣が指の股から入ってくるようなケースにも備えたりなど、細川さんのグローブは実に細かいところまで配慮されています。
女の子用には可愛い裏をつける工夫もしています。
「Scherma(スケルマ)」は奥さんと娘さんの3人で切り盛りしており、奥さんは「今やっと花ひらいた」とおっしゃっていました。
細川さんも「家内と作ったグローブが世界に出ていき、涙がでるほど嬉しい」とコメントしていました。
Scherma 香川県東かがわ市松原1275-3
5.CACAZAN(出石手袋・出石尚仁さん)
「CACAZAN(カカザン)」は、出石手袋のファクトリーブランドです。
「出石手袋」は、現代表の出石尚仁さんのお母様の内職から始まりました。
そのうちお父様も内職を手伝い始め、出石さんが高校を卒業する頃には、20人以上を雇用するまで規模を拡大。
出石さんも手袋メーカーへ就職した後、家業を継ぎました。
バブル景気の折には、スキー手袋を一カ月で3000双も製造していました。
ところがバブル崩壊後、多くのメーカーは製造拠点を海外に移っていくと、メーカーの下請が中心だった香川の手袋産業は斜陽を迎えます。
現代表の出石尚仁さんご自身が磨いてきた技術を最大限に活かしたものづくりをすべく、オリジナルブランドの立ち上げという新しい分野への挑戦を決意します。
試行錯誤していた頃、一応の形となっていたワークグローブをヤフオクで試験販売したところ、オートバイ用のグローブを作ってくれないかという問い合わせが入ります。
日本人の手の大きさやスタイルに合わせてモディファイしたグローブが出来上がり、一般販売を開始しました。
これが、「CACAZAN(カカザン)」ブランドの最初のヒット商品であり定番商品となったバイク用グローブだったのです。
「CACAZAN」は、孫悟空が花果山の石から生まれ出たという西遊記の物語に由来する名です。CACAZANは、「石から出る」という出石の苗字に掛け、孫悟空のように広い世界で大活躍するというイメージに繋がります。
「CACAZAN(カカザン)」のドライビンググローブは、素材選定にも非常にこだわりがあります。
掌側は、ステアリングを握った際に違和感がなく「吸い付くような感覚であってベタつきがなくさらっとしている」革を追求しています。
手との一体感を求めて「立体縫製」をしています。
縫製は全て職人が手作業で一点ずつ手掛けていきます。
革の重なり具合が微妙に異なる縫い代を指先で探り、均一な深さと幅を保ちながら、きれいなステッチを施していきます。
掌側に補強の皮を追加することで、より耐久性を高めています。
仕上げは、専用アイロンで指の間のマタシワを伸ばすなど、装着する際の違和感をなくしていきます。
出石さんは「人のために作るので、作りがいがある」とおっしゃっていました。
出石手袋 香川県さぬき市 大川町富田中2024-1
香川は温暖で降雨量の少ない気候から古くから、農業がさかんな地域でした。明治時代、香川某寺の副住職が大阪に駆け落ちし、見知らぬ土地で生計を立てる手段として手袋づくりを始めます。事業拡大のために、地元香川から親族を呼びよせ技術を伝達したことがきっかけとなり、農家の収入安定の手段の一つとして、件の副住職の親族と地元の名主が協力して手袋工場を立ち上げたことが、香川が手袋産地となるきっかけでした。一時は手袋の大量生産地として栄えますが、現在では技術があり日本品質であることは当たり前として作り手の個性が商品に反映されたものづくりを手掛けています。明治時代に大内郡松原村(現東かがわ市)で僧侶をしていた両児舜礼(ふたごしゅんれい)は、近所に住んでいた三好タケノと大阪へ駆け落ちし、そこで生計を立てるために「手靴(てぐつ)」と呼ばれた指無し手袋の縫製を始めました。その後、従兄弟の棚次辰吉(たなつぐたつきち)を大阪へ招き、本格的な手袋製造を始めましたが、舜礼はその年に病死してしまいます。しかし後を継いだ辰吉が事業を継続。その後、特産品だった砂糖・塩生産業が輸入品に押されて衰退した松原村に辰吉が手袋製造の技術を持ち帰ったことから、この地で手袋製造が始まりました。長い歴史のある手袋作りにはこんなドラマチックな話が秘められていたんですね。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Kagawa/LeatherGloves より