「ガジ(勝利者) ムスタファ・ケマル」
(1881〜1938)トルコ
トルコ共和国の初代大統領。オスマン帝国の出身であったムスタファは軍人として第一次世界大戦に身を投じた。戦争は敗北が確定、その後も他国が攻めこんでくるのでオスマン帝国は弱体化の一方であった。ムスタファは非力なオスマン帝国皇帝を国外に追放して自身が大統領となった。ムスタファはトルコの近代化を推進していくことになるが、第二次世界大戦前に過労が原因で亡くなる。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E3%82%AC%E3%82%B8%E5%8B%9D%E5%88%A9%E8%80%85%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB より
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(トルコ語: Mustafa Kemal Atatürk、1881年5月19日 - 1938年11月10日)は、オスマン帝国軍の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。
概要
第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国において、トルコ独立戦争とトルコ革命を僚友たちとともに指導してトルコ共和国を樹立。宗教(イスラム教)と政治を分離しなければトルコ共和国の発展はないと考え、新国家の根幹原理として政教分離(世俗主義)を断行。憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、トルコ語表記をアラビア文字からラテンアルファベットへ変更、一夫多妻禁止や女性参政権導入、スルタン制廃止などトルコの近代化を推進し、トルコ大国民議会から「父なるトルコ人」を意味する「アタテュルク」の称号を贈られた。現代トルコの国父[3](建国の父)とも呼ばれる。
*Wikipedia より
「ガジ賞」
ガジ賞(ガジしょう、トルコ語: Gazi Koşusu ガーズィ・コシュスゥ)は、トルコ・イスタンブールのヴェリエフェンディ競馬場で行われる競馬の競走(平地競走)。
トルコ競馬におけるダービー競走であり、英語圏ではガジダービー(Gazi Derby)と称される。
概要
1927年に創設されたトルコ競馬最高峰の競走であり、普段は競馬に関する報道をあまりしない一般メディアでもスポーツニュースとして取り上げられる。
名称
競走名はトルコの国父である初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクを記念したものである。「ガジ(ガーズィ)」は軍人の名誉称号で、1927年の競走創設当時のケマルはまだ「アタテュルク」の姓を持たず、「ガーズィ・ムスタファ・ケマル」と名乗っていた。ケマルはトルコ独立戦争の功績により1921年にトルコ大国民議会からこの称号を贈られていた。
ムスタファ・ケマル・アタテュルクが亡くなった1938年から1969年まではアタテュルク賞(トルコ語: Atatürk Koşusu アタテュルク・コシュスゥ)に改名しており、1970年にガジ賞に名称を復した。この年から優勝馬にはアタテュルクの乗馬像が与えられている。
英語では、名称を直訳すればGazi Raceであるが、主催者であるトルコジョッキークラブの英語版ホームページや『国際セリ名簿基準書』[2]ではガジダービー(Gazi Derby)と記載されている。
*Wikipedia より
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