「大帝 アクバル」
(1542〜1605)ムガル(パキスタン)
北インドのムガル帝国を全盛期に導いた三代皇帝。征服した領土を12の州に分けて統治権を与えて中央集権的な統治を導入した。イスラム教とヒンドゥー教の融和政策を推進して多民族国家の統一を成し遂げた。同盟関係を断る部族は容赦なく攻めて3万人近くの農民を虐殺したこともあった。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E5%A4%A7%E5%B8%9D%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%AB より
アクバル(ペルシア語: جلال الدین محمد اکبر اعظم, Jalāl'ud-Dīn Muhammad Akbar Azam, 1542年10月25日 - 1605年10月27日)は、北インド、ムガル帝国の第3代君主(在位:1556年 - 1605年)。アクバル1世(Akbar I)、アクバル大帝(اکبر کبیر , Akbar-e kabīr)とも呼ばれる。
アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、中央アジアからの流入者であった祖父バーブルの立てたムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させた。そのため、マウリヤ朝のアショーカ王に並び称されることもあり、大帝の称号を与えられている。
アクバルは、先述のアショーカ王やスール朝のシェール・シャーとともに最も成功した君主であり、インドの最も偉大な王であり融和の象徴として、現在のインドでも人気が高い。
*Wikipedia より
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