第206回 2018年11月6日 「ピーンと張って 優雅に曲がる~大分 竹細工~」リサーチャー: 財前直見
番組内容
和傘の形をした照明器具。名づけて“和傘行灯(あんどん)”。大分県中津市は江戸時代から竹を使った和傘作りが盛んだったが平成になってその伝統が途絶えた。和傘作りを復活させた仕掛け人が現代人の目を引くようにと開発したのが和傘行灯。いま人気を呼んでいる。また同じ大分の豊後高田市では竹を使ったアクセサリーを作る女性作家がいる。その工程は自ら竹林に入り竹を選ぶことから始まる。イヤリング作りの繊細な技を紹介する
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201811061930001301000 より
日本一の真竹の生産量を誇る大分県は古くから竹工芸が盛んな地でした。
1.「和傘あんどん」(和傘工房 朱夏)
大分県第三の都市「中津市」は、黒田官兵衛が築城し、細川忠興が完成させた中津城で有名な城下町です。
中津では良質な竹が採れ、江戸時代から竹細工が盛んでした。
「中津和傘」が誕生したのは、文化9(1812)年頃です。
藩は財政難のため、特産品を奨励する政策を開始。
中津では、竹、和紙、油、柿渋などといった傘の材料が調達出来る環境が整っていたため、和傘の製作が始まりました。
最盛期の昭和初めには約70軒もの和傘屋がありましたが、洋傘の普及により次第にその数は減少し、平成15(2003)年には、とうとう九州唯一だった和傘屋も廃業してしまいました。
「和傘工房 朱夏(しゅか)」は、一旦途絶えてしまった町のシンボル「和傘」の伝統を復活させようと中津にUターンした今吉次郎さんが有志と共に平成17(2005)年に立ち上げた工房です。
番傘や蛇の目傘だけでなく、雨傘としても使える日傘を制作し、「軽量でオシャレ」と女性を中心に人気を集めています。
その他にも、祭り用の傘や舞台で使う踊り傘なども制作しています。
和傘には「傘に神様が宿る」ということから祭りなどの神事にも使われ、特に中津市では860年続いている伝統行事
「鶴市花傘鉾祭りつるいちはなかさぼこまつり」が毎年8月に行われていますが、この時に使う祭り傘の修理や補修なども「和傘工房 朱夏」のスタッフが引き受けています。
そして特に注目を浴びているのが、あんどんやランプシェードといった照明製品です。
和傘工房 朱夏 大分県中津市 鷹匠町901−1
2.MIKAI BAMBOO(竹藝家・麻生あかりさん)
兵庫県出身の麻生さんは、「手に職をつけたい、歴史ある技術をゼロから学んでみたい」と、大分県立竹工芸訓練センターに入学し、卒業後は豊後高田市に移住して、平成28(2016)年に世界初の竹のアクセサリーブランドである「MIKAI BAMBOO」を立ち上げました。
「MIKAI BAMBOO(ミカヰバンブー)」は「竹の新しい世界(未開)を開いていきたい」という想いから名付けられたそうです。
景行天皇が九州熊襲征伐の帰りに別府に立ち寄った際に、お供の膳伴(台所方)が、良質の竹の多いことを発見して、メゴ(茶碗かご)を作ったことが始まりと伝えられています。
麻生さんも卒業された「大分県立竹工芸訓練センター」の前身「大分県傷痍軍人職業再教育所」は昭和14年に設立され、今日においても日本で唯一の竹工芸の専門訓練校として、多くの技術者を輩出し続けています。
昭和54年には、「別府竹細工」は通産省(現・経済産業省)から「伝統的工芸品」の指定を受けました。
イメージする作品を作るため、自ら竹を切り、ひごをとる麻生さんの目標は「まだ誰も見たことのない竹ジュエリーを作ること」だそうです。
イタリアのミラノサローネに出展したり、パリでのワークショップなど海外で積極的に活動しています。
平成29(2017)年には、高級車ブランドのレクサスが全国から優れた匠を募る「Lexus New Takumi Project」に「Chiasma(キアズマ)」が選出されました。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Oita/Take より
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