門入(夜叉ヶ池から根洞(コンドウ)谷)の沢歩き、ほか
2020年9月20日(日)~22日(祝)←山友W氏のメモを入手
☆ 1 私の山友Wさんらの情報に、私なりに地図を作成、昔の話なども含め、徳山のこと書きました
・9/20奥美濃 沢ノ又林道夜叉ヶ池登山口
登山道2本目の支流から根洞谷へ尾根越え 小茂津谷出合泊、途中のワサビは根こそぎ荒らされていました。雑キノコほとんどなし
・9/21根洞谷下降 西谷本流を溯行
ハゲン(励)谷でマイタケ採りの地元民と会う。今年はまだ誰も採った人がいない。マメも出ていないとのこと。金ヶ丸(カネガマル)谷のF1の上あたりで泊
※ F1= 沢の一番下流からの滝(Falls)の順番
・9/22 金ヶ丸谷溯行—
三周ヶ岳のコルに上がり、夜叉ヶ池経由—登山道で下山。夜叉ヶ池までの道は藪で悪い。夜叉ヶ池で17:20 日没確実なので夕食後18:00スタート
ヘッデン残業でP着20:25
Q Wさんらが歩いたコースは、赤い線ですか?
A 根洞谷への尾根越えは、赤い線の最低コルより80mほど東から右手に振り気味に下ります
Q おおきな滝はありましたか?
A 最後3m小滝(簡単右巻き)以外何も無し、最低コルからも下れます。ひとつ上流の枝谷ですが、巻いて降りる滝(2~3m)が2つくらいあるか?
・根洞谷はひたすら川原歩き
・金ヶ丸谷の大ヤブレ谷(徳山の地名ではキュウロク谷)の少し下流に良いテン場多数あり。
1mほどの小滝の上で泊った
・(旧住民)マイタケ採りの人はキュウロクタニとは言っていなかった
・旧魚留滝は腰まで浸かって滝の右を登る。トラロープあり。その先は沢歩きから沢登りモード
・源流35度40分50.8秒,136度17分48.7秒の二又を左に入る。右に曲がり左に曲がり、次の二又を右に取る。最後少し藪で三周ヶ岳の西の最低コルに出る。このコースを外すとゲキ藪に突入と思います
・元気(普通)な人は2泊目のテン場まで一日で行けば十分1泊2日で行けます。我々は余計な遊びと足がとろいので2泊3日でした
※ 青い線(+赤い線の一部)は、2010年にオーナーが当時入っていた山の会で歩いたコース(ホハレ峠→ 門入→ 金ヶ丸谷(泊)→ 三周ヶ岳→ 夜叉ヶ池→ 夜叉ヶ池駐車地)
☆ 2 徳山村史(p914)に夜叉ヶ池探険隊(登山)の記事があったので紹介します
この探険は、青年大牧さんが、総勢19人で本郷(徳山)~戸入~門入(泊)~夜叉壁付近を通って夜叉ヶ池~今庄(泊)~瀬古~塚~本郷の旅を書いています
今庄=瀬古間がバス、他は歩きと思われます、上の地図など参考に、歩いたコース、想像してください
大牧好月 徳山村青年団機関紙黎明 昭和 9(1934)年8月号より
(本文より1/2ほど短く書いています)
8月 6日家を出たのは12時であった。ずんずん西へ進み、上開田、戸入、を過ぎて門入に着いた。「門入は徳山で一番裕福な村だろう」と思った。(宿所は学校)
門入を出たのは4時半、隊員は19名、谷に沿うてだんだん上がった。そのうち谷を渡ること50余回、谷を進んだところに「キンタマヌラシ」〔根洞谷出会いの上下にある下戸立(シモトダテ)か上戸立(カミトダテ)かは不明〕というところがある。其処は字の如く谷を渡るうちで一番深いところである。そこで写真をとり、それより少し登った所に、前日きていた広瀬案内人(坂内村広瀬の人)が美味そうな鱒や雨魚をやいていた。そこで中食をとり少し休み、また登り初めた。だんだん行くうちに谷はなくなり、今度は山にさしかかった。登山道があるかと思えば路らしい路はなく、柴にかかり、木の根に倒れ、その時の痛さと言ったら、言うに言われぬつらさであった。とうとう川上(坂内村川上)の領域に入り、千じんの断崖夜叉壁をとおる所をカメラに撮る
心配していた天気は総て杞憂となった。しかし霧は濃く、目近な山はうす暗く風も強く、どこを眺めても池らしい所も見えない。あちらの木やこちらの木に登って眺れども濃霧で見透しも出来ず、案内人も路頭に迷った。時間は刻々と進む、宿望の池は見当たらず、其の時の心細さ、、、一溜息ついた時遥か彼方で「ホーイ」と呼ぶ声、耳を澄ませば、池の見当が付いたことを告げている。心配な思いは何時しか喜びの思いに一変して一目散に走って、木の間を見れば、藍を流した様な広々とした一面の湖水
何という綺麗な池か、本当に蛇神も住むかと、一時は身に寒さを感じた。池の辺りに腰を下ろして時計を見ると、早12時を過ぎている
時は八月の上旬12時と言えば、平地は今、灼熱の盛中であるのに、此処海抜1000米余の高原「ギボシの花」鬼百合の花等名も知らない高山植物が一斉に花をひらいている。私は此の美観に心奪われて、途中の疲れは全く忘れてしまった
池のほとりの夜叉堂にお酒を供える人もあり、又水泳をする人もある
池の東北に聳える山が門入の山、東南の山が坂内村川上の山、一番低いところが越前の山らしい。風も荒いのに木の葉一枚浮いていないことも、考えてみれば不思議である
見るものが一木一石に至るまで皆変わった風景を約2時間眺め、食事等をする、時経て、名残りを蛇神に告げて、今庄に向かって下山の途に就いたのが2時半。山頂の涼風を浴び、坂路をドンドン下り乍ら他国の変わった風景を眺めつつ、重き足を引きずり乍ら今庄に着いたのは夜8時半であった(宿は今庄青年会館「昭和会館」)
翌日、今庄からバスで瀬戸へ行き、(そこから歩いて高倉峠を経て?)塚に着いたのが午後8時少し前だった(そこから徳山(本郷)までは更に7km程あります)
( )内は私の解説又は想像です
☆ 私の解説など
・谷を渡ること50余回→ 門入生まれのIさん(昭和10年生)が若いころ、西谷林道は奥に国有林があるので営林署と門入区共同で道を拓いたと聞いた。探険は昭和9年だから、このころ林道はなく、川をず~と溯っていったことになる
・それにしても昔の人はよく歩いたんですね、沢靴もなかったハズ
・断崖夜叉壁を通ったと書いてあるので、金ヶ丸谷ではなく、根洞谷経由かと思われますが、これについて詳しい方、コメントください
※ 9/28追加
カイドウ、ヒクミの解説から、探険隊が通った道は、根洞谷と金ヶ丸間の尾根道と思われます。そうであれば、キンタマヌラシは「シモトダテ※3」となります
カイドウ(※1)=昔の人達は尾根道を行き来した街道で塩道でもあった
ヒクミ(※2)=金ヶ丸谷とコンドウ(根洞谷)の間にある尾根。低いので山越えは楽である
※1 根洞谷と金ケ丸谷の間の尾根上の標高998mの東927mのことか(1/2.5万地図広野参照)]
※2 〃 標高998の西1003m 〃
※1、※2=美濃徳山の地名(監修:水資源公団徳山ダム建設所)p253より
※3 〃 p250
☆ 3 夜叉ヶ池越え
藤橋村史に夜叉ヶ池越えという記述がありました。☆ 2のコースは、この夜叉ヶ池越えかもしれません(徳山村史には「夜叉ヶ池越え」は見当たらず)
藤橋村史(下)p162
徳山村と越前との間にも東から扇谷越え(櫨原~西谷村温見)、冠山峠(塚~池田町田代)、桧尾峠(塚~池田町楢俣)、高倉峠(塚~今庄町瀬戸)、夜叉ヶ池越え(門入~今庄町岩谷)などの峠道が開かれ、越前文化の移入路で、言語への影響も見られたのであった
☆ 4 参考
2020.9.22 8:43 金ヶ丸谷 Wさん撮影
2010.8.22 8:09 金ヶ丸谷(山友KKさん撮影)
2010.8.22 8:39 金ヶ丸(〃)
2012.9.7 17:29 励谷(オーナー撮影)
☆ 今日の参考など
・山友Sさんから、夜叉ヶ池で泳いだ話を聞いたが、先輩らは泳いでいたんだ
・Wさんのコース、私の山友KYさんらも行っているが、このコースは2泊なんだよね、KYさんに聞くと、道はあるよ、だって!!
・今年は予定がたくさんあるので、来年「根洞谷往復」挑戦してみます
2020年9月20日(日)~22日(祝)←山友W氏のメモを入手
☆ 1 私の山友Wさんらの情報に、私なりに地図を作成、昔の話なども含め、徳山のこと書きました
・9/20奥美濃 沢ノ又林道夜叉ヶ池登山口
登山道2本目の支流から根洞谷へ尾根越え 小茂津谷出合泊、途中のワサビは根こそぎ荒らされていました。雑キノコほとんどなし
・9/21根洞谷下降 西谷本流を溯行
ハゲン(励)谷でマイタケ採りの地元民と会う。今年はまだ誰も採った人がいない。マメも出ていないとのこと。金ヶ丸(カネガマル)谷のF1の上あたりで泊
※ F1= 沢の一番下流からの滝(Falls)の順番
・9/22 金ヶ丸谷溯行—
三周ヶ岳のコルに上がり、夜叉ヶ池経由—登山道で下山。夜叉ヶ池までの道は藪で悪い。夜叉ヶ池で17:20 日没確実なので夕食後18:00スタート
ヘッデン残業でP着20:25
Q Wさんらが歩いたコースは、赤い線ですか?
A 根洞谷への尾根越えは、赤い線の最低コルより80mほど東から右手に振り気味に下ります
Q おおきな滝はありましたか?
A 最後3m小滝(簡単右巻き)以外何も無し、最低コルからも下れます。ひとつ上流の枝谷ですが、巻いて降りる滝(2~3m)が2つくらいあるか?
・根洞谷はひたすら川原歩き
・金ヶ丸谷の大ヤブレ谷(徳山の地名ではキュウロク谷)の少し下流に良いテン場多数あり。
1mほどの小滝の上で泊った
・(旧住民)マイタケ採りの人はキュウロクタニとは言っていなかった
・旧魚留滝は腰まで浸かって滝の右を登る。トラロープあり。その先は沢歩きから沢登りモード
・源流35度40分50.8秒,136度17分48.7秒の二又を左に入る。右に曲がり左に曲がり、次の二又を右に取る。最後少し藪で三周ヶ岳の西の最低コルに出る。このコースを外すとゲキ藪に突入と思います
・元気(普通)な人は2泊目のテン場まで一日で行けば十分1泊2日で行けます。我々は余計な遊びと足がとろいので2泊3日でした
※ 青い線(+赤い線の一部)は、2010年にオーナーが当時入っていた山の会で歩いたコース(ホハレ峠→ 門入→ 金ヶ丸谷(泊)→ 三周ヶ岳→ 夜叉ヶ池→ 夜叉ヶ池駐車地)
☆ 2 徳山村史(p914)に夜叉ヶ池探険隊(登山)の記事があったので紹介します
この探険は、青年大牧さんが、総勢19人で本郷(徳山)~戸入~門入(泊)~夜叉壁付近を通って夜叉ヶ池~今庄(泊)~瀬古~塚~本郷の旅を書いています
今庄=瀬古間がバス、他は歩きと思われます、上の地図など参考に、歩いたコース、想像してください
大牧好月 徳山村青年団機関紙黎明 昭和 9(1934)年8月号より
(本文より1/2ほど短く書いています)
8月 6日家を出たのは12時であった。ずんずん西へ進み、上開田、戸入、を過ぎて門入に着いた。「門入は徳山で一番裕福な村だろう」と思った。(宿所は学校)
門入を出たのは4時半、隊員は19名、谷に沿うてだんだん上がった。そのうち谷を渡ること50余回、谷を進んだところに「キンタマヌラシ」〔根洞谷出会いの上下にある下戸立(シモトダテ)か上戸立(カミトダテ)かは不明〕というところがある。其処は字の如く谷を渡るうちで一番深いところである。そこで写真をとり、それより少し登った所に、前日きていた広瀬案内人(坂内村広瀬の人)が美味そうな鱒や雨魚をやいていた。そこで中食をとり少し休み、また登り初めた。だんだん行くうちに谷はなくなり、今度は山にさしかかった。登山道があるかと思えば路らしい路はなく、柴にかかり、木の根に倒れ、その時の痛さと言ったら、言うに言われぬつらさであった。とうとう川上(坂内村川上)の領域に入り、千じんの断崖夜叉壁をとおる所をカメラに撮る
心配していた天気は総て杞憂となった。しかし霧は濃く、目近な山はうす暗く風も強く、どこを眺めても池らしい所も見えない。あちらの木やこちらの木に登って眺れども濃霧で見透しも出来ず、案内人も路頭に迷った。時間は刻々と進む、宿望の池は見当たらず、其の時の心細さ、、、一溜息ついた時遥か彼方で「ホーイ」と呼ぶ声、耳を澄ませば、池の見当が付いたことを告げている。心配な思いは何時しか喜びの思いに一変して一目散に走って、木の間を見れば、藍を流した様な広々とした一面の湖水
何という綺麗な池か、本当に蛇神も住むかと、一時は身に寒さを感じた。池の辺りに腰を下ろして時計を見ると、早12時を過ぎている
時は八月の上旬12時と言えば、平地は今、灼熱の盛中であるのに、此処海抜1000米余の高原「ギボシの花」鬼百合の花等名も知らない高山植物が一斉に花をひらいている。私は此の美観に心奪われて、途中の疲れは全く忘れてしまった
池のほとりの夜叉堂にお酒を供える人もあり、又水泳をする人もある
池の東北に聳える山が門入の山、東南の山が坂内村川上の山、一番低いところが越前の山らしい。風も荒いのに木の葉一枚浮いていないことも、考えてみれば不思議である
見るものが一木一石に至るまで皆変わった風景を約2時間眺め、食事等をする、時経て、名残りを蛇神に告げて、今庄に向かって下山の途に就いたのが2時半。山頂の涼風を浴び、坂路をドンドン下り乍ら他国の変わった風景を眺めつつ、重き足を引きずり乍ら今庄に着いたのは夜8時半であった(宿は今庄青年会館「昭和会館」)
翌日、今庄からバスで瀬戸へ行き、(そこから歩いて高倉峠を経て?)塚に着いたのが午後8時少し前だった(そこから徳山(本郷)までは更に7km程あります)
( )内は私の解説又は想像です
☆ 私の解説など
・谷を渡ること50余回→ 門入生まれのIさん(昭和10年生)が若いころ、西谷林道は奥に国有林があるので営林署と門入区共同で道を拓いたと聞いた。探険は昭和9年だから、このころ林道はなく、川をず~と溯っていったことになる
・それにしても昔の人はよく歩いたんですね、沢靴もなかったハズ
・断崖夜叉壁を通ったと書いてあるので、金ヶ丸谷ではなく、根洞谷経由かと思われますが、これについて詳しい方、コメントください
※ 9/28追加
カイドウ、ヒクミの解説から、探険隊が通った道は、根洞谷と金ヶ丸間の尾根道と思われます。そうであれば、キンタマヌラシは「シモトダテ※3」となります
カイドウ(※1)=昔の人達は尾根道を行き来した街道で塩道でもあった
ヒクミ(※2)=金ヶ丸谷とコンドウ(根洞谷)の間にある尾根。低いので山越えは楽である
※1 根洞谷と金ケ丸谷の間の尾根上の標高998mの東927mのことか(1/2.5万地図広野参照)]
※2 〃 標高998の西1003m 〃
※1、※2=美濃徳山の地名(監修:水資源公団徳山ダム建設所)p253より
※3 〃 p250
☆ 3 夜叉ヶ池越え
藤橋村史に夜叉ヶ池越えという記述がありました。☆ 2のコースは、この夜叉ヶ池越えかもしれません(徳山村史には「夜叉ヶ池越え」は見当たらず)
藤橋村史(下)p162
徳山村と越前との間にも東から扇谷越え(櫨原~西谷村温見)、冠山峠(塚~池田町田代)、桧尾峠(塚~池田町楢俣)、高倉峠(塚~今庄町瀬戸)、夜叉ヶ池越え(門入~今庄町岩谷)などの峠道が開かれ、越前文化の移入路で、言語への影響も見られたのであった
☆ 4 参考
2020.9.22 8:43 金ヶ丸谷 Wさん撮影
2010.8.22 8:09 金ヶ丸谷(山友KKさん撮影)
2010.8.22 8:39 金ヶ丸(〃)
2012.9.7 17:29 励谷(オーナー撮影)
☆ 今日の参考など
・山友Sさんから、夜叉ヶ池で泳いだ話を聞いたが、先輩らは泳いでいたんだ
・Wさんのコース、私の山友KYさんらも行っているが、このコースは2泊なんだよね、KYさんに聞くと、道はあるよ、だって!!
・今年は予定がたくさんあるので、来年「根洞谷往復」挑戦してみます
後で気が付きましたが徳山で良くお会いするRV-R
にお乗りのWさんあの時は髭がすごくてわかりませんでしたが、何回も門入にてお会いしています。
何年か前金丸下降地点にてテント泊のWさんに会いその後Wさんは励谷へ私は金丸へ釣りに入り大雨が降り
濁流の中半分泳いで帰ってきましたのが最初の出会いと思います。
私も5~6年前まで毎週ホハレから門入経由で洞根、金丸、励谷、日帰りで釣りに入ってましたそのころにWさんとお会いしています。
※弘法穴発見の話も誰かのプログにて拝見しました。