高天神の名の由来?
2020年1月31日(金)
0125で紹介した「高天神」、その名がどこからきたのか調べてみた
先に私の結論です=天神さんのあった尾根の最高点だから、高い(てっぺん)天神さんで「高天神」と推測します
① 春日村香六(粕川左岸)に天神神社がある。その神社は昔(粕川右岸の)倉の谷にあったものを移したと伝えられている、そして、同社のあった倉の谷は、天神跡、天神の滝と称している、とある
春日村史下巻p630
下巻付属の「春日村山岳・谷概要図」
また、付属の地図には倉の谷上流に天神谷という名も載っている
② 百山百渓谷(1)1984年5月3日の記録に高天神の名が出ている。書いた人はHさん、その本のP6、P9にそのHさんとSさんが二人で写っている写真がある。多分であるがそのSさんが書いた本にサンノーの高、ドウの天井とか、高、天井は、山のてっぺん的な意味を持つと書いてあったよう
そうであれば、天神さんのあった尾根の最高点(三角点はない)を高天神と呼んだと想像しても可笑しくはない
③ 岐阜の山旅100コースという本では、・・この尾根の最高点の名前が高天神ということが「わっぱ」(多分OSKの機関紙のこと)誌上に示された、とある。この本の発行は2002年2月、わっぱの発行が何時かわからないので、どちら(百渓orわっぱ)が先に名づけたかはわからない
誰かその名の由来を知っている人、教えてください
☆ その他
下巻付属の図に船着場が?
鎗ヶ先の上に船着場とある。地元の長老によると鎗ヶ先の横のくぼんだところを(船を担いで)山向こう(粕川から揖斐川へ?)へ船を持っていったという伝説があるそう。地元では鎗ヶ先といわず、テガダケ(天がだけ)と呼ぶと長老は云った
☆ 高天神の名の由来は、この長老、振興事務所職員、春日モリモリの湯でいつも話す地元の人は知らなかった
☆ おまけ
昔の農耕風景、聞いた長老の作です
2020年1月31日(金)
0125で紹介した「高天神」、その名がどこからきたのか調べてみた
先に私の結論です=天神さんのあった尾根の最高点だから、高い(てっぺん)天神さんで「高天神」と推測します
① 春日村香六(粕川左岸)に天神神社がある。その神社は昔(粕川右岸の)倉の谷にあったものを移したと伝えられている、そして、同社のあった倉の谷は、天神跡、天神の滝と称している、とある
春日村史下巻p630
下巻付属の「春日村山岳・谷概要図」
また、付属の地図には倉の谷上流に天神谷という名も載っている
② 百山百渓谷(1)1984年5月3日の記録に高天神の名が出ている。書いた人はHさん、その本のP6、P9にそのHさんとSさんが二人で写っている写真がある。多分であるがそのSさんが書いた本にサンノーの高、ドウの天井とか、高、天井は、山のてっぺん的な意味を持つと書いてあったよう
そうであれば、天神さんのあった尾根の最高点(三角点はない)を高天神と呼んだと想像しても可笑しくはない
③ 岐阜の山旅100コースという本では、・・この尾根の最高点の名前が高天神ということが「わっぱ」(多分OSKの機関紙のこと)誌上に示された、とある。この本の発行は2002年2月、わっぱの発行が何時かわからないので、どちら(百渓orわっぱ)が先に名づけたかはわからない
誰かその名の由来を知っている人、教えてください
☆ その他
下巻付属の図に船着場が?
鎗ヶ先の上に船着場とある。地元の長老によると鎗ヶ先の横のくぼんだところを(船を担いで)山向こう(粕川から揖斐川へ?)へ船を持っていったという伝説があるそう。地元では鎗ヶ先といわず、テガダケ(天がだけ)と呼ぶと長老は云った
☆ 高天神の名の由来は、この長老、振興事務所職員、春日モリモリの湯でいつも話す地元の人は知らなかった
☆ おまけ
昔の農耕風景、聞いた長老の作です
reiさんのブログでお名前拝見してきました。
始めまして
ジオンと言います。
HPは
ジオンと山歩記
http://www.ogaki-tv.ne.jp/~koike/ です。
すみません。
高天神の由来は知りません。m(_ _)m
前から、気になっていましたが
あまり、、食指のわかない山でした。
先日reiさんのブログを見て、良さそうな雰囲気の山でしたので、逆ルートで登って来ました
川合の橋は流されて、無いと聞いてましたので
reiさんのルートで行きましたが
橋はあったのですね。(;´・ω・)
百山百渓のHさんはお会いした事があり、
何度か山にも連れて行ってもらいました。
そして各務原から来たという4人は
多分、Oさん達のグループと、、、
これからOさんにメールしてみます。
同じ山岳会の人です。