9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11 について  <円の支配者> リチャード・ヴェルナー 著 その4

2017年04月16日 | 日記
とあるスナックで

小林
もう二度と公になることはない、日銀職員と銀行の日銀担当の人の話をもっと聞いてみましょう。 P-205

1980年代の信用統制は非常に効果的だった。日銀職員によれば、銀行は設定された枠を超えることはけっしてなかった。そんなことがあれば、即座に罰がくだったからだ。「もし銀行が上限を超えたら、次の回の枠が引き下げられる。しかし、そのようなことは実際には聞いたことがない。起こらなかったからである。窓口指導はきわめて厳格に遵守された」(日銀職員)。もっと重大な驚くべき出来事は、1980年代に、銀行は割り当てられた貸出枠を絶対に使い残さなかったことだ(日銀担2)。「銀行はつねに貸出枠上限まで貸した。割り当て枠は、銀行によって完全に費消されるものと想定されていた。もし、それを下回ったら、われわれの割り当て枠は競争相手にくらべて減らされてしまう。だから完全に使い切ったのだ。それは、食べないといけないお弁当のようなものだ」(日銀担2)

日銀は窓口指導の枠を上回ったときだけでなく、下回ったときにも罰を与えた。銀行が2四半期以上、割り当てられた貸出増額分を消化しない場合にも、その後の貸出枠が減額された。「そのためにわたしは枠を削減したことがある。一度だけなら見逃したが、2四半期もやったら割り当ては減らした」(日銀職員5)。将来の貸出枠を増やしたい銀行側としては、ペナルティを避けるとともに、つねに窓口指導の割当額を100パーセント使い切る「体力」をしめさなければならなかった。「銀行が上限に達せず、枠を残した場合は、次回の枠が削減される。これは、バブル期には問題だった・・・・上限(貸出増加枠)はかなり高かった。だから、銀行はそれを達成するために必死だった。銀行はつねに枠の達成に努力した」((日銀職員5)。

窓口指導はきわめて効果的だった。われわれの手元には、窓口指導の割り当ての重要性に気づいていたと見られる民間の調査研究所のデータがあるが、これにはすべての窓口指導の貸出割当額が銀行業態別に集められている。図12・1は、四つの業態の銀行(都市銀行 信託銀行 地方銀行 長期信用銀行)の窓口指導の貸出割当額総額をしめしている。ごらんになればおわかりのように、窓口指導の割当総額とこれら数百の金融機関の実際の貸出総額はほぼ一致している。実際の貸出額は、窓口指導の変動にしたがって動いている。この驚くべきグラフを見るとつい忘れてしまいそうになるが、もちろん、この二つのデータが明らかになるまでには三ヶ月のずれがある。窓口指導は各四半期が始まる前に各銀行に通知される。実際の貸出総額はその四半期が終わらなければわからない。表12・1は割当額と実際の貸出額を並べてみたものだ。言うまでもなく、この状況は、窓口指導が廃止されたとされる1982年もまったく変わっていない。

1980年以来、インパクトローンについても窓口指導がおこなわれた。円だけでなく、外貨建ての貸出である。・・・・。  
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9.11について  <円の支配者> リチャード・ヴェルナー 著 その3

2017年04月15日 | 日記
とあるスナックで

小林
それにしても、日銀の<窓口指導>とは、すごかったんですね。これでは自由主義の経済とは言えないんじゃないんですか。


コー
まさしく、そうなんだな。この原型は、戦争中にできたらしいな。だから戦後、最も効率よく成長できたんだと思う。

そして海外の企業や銀行を脅かし、食い始めたということだ。

戦前は軍事力で追いつけ追い越せで、戦後は経済力で追いつけ追い越せで。そして(300人委員会)側は、どちらも潰しにかかったということだな。

理屈なんてどうでもいい、なにしろアメリカの要求を飲め。さもなくば報復措置、対抗法案を議会に出す、と本気で脅しにかかってきたからね。本気だから脅しになるんだな。
今のトランプ政権のシリアや北朝鮮に対する態度とまったく同じだった。恫喝してきたね、あん時は。

P-201

結果はすべて一致した。窓口指導のすべての面で、どの証人も同じ内容のことを語っている。日銀と銀行の関係者がそろって、窓口指導は1980年代も中断なく、少なくとも1991年6月まで行われていた、と述べている。形式も1980年代以前とまったく同じだった。日銀が経済全体に対する銀行貸出総額の伸び率を決定し、それを若い日銀職員が表計算ソフトで計算して、それぞれの業態の銀行(都市銀行 信託銀行 地方銀行)に分割し、さらにそれを各銀行(富士銀行 三和銀行など)に配分する。これらの貸出増加額の割り当ては、四半期ごとに全国の銀行に通知される。四半期ごとの割り当てはさらに月あたりの増額に分割されて、日銀に監視される。
「四半期が近づくと、それまでに銀行がどの程度貸出を増やしたかが次第にあきらかとになる。だから、たとえば三月末のような四半期末になると、銀行の担当者がやってきて、こちら日銀側の担当者に、上限を超えそうだから貸出枠を高くしてほしいといった話をすることになる。あるいは、日銀側が(貸出を減らすように)というかもしれない。こうして、四半期が近づくと、ここでは盛んに話し合いがおこなわれる。彼らは報告の提出に来る。われわれがそれを求めるからだ。われわれは毎月、彼らに貸出増加額を尋ねる。もし彼らが上限を超えてしまったようなら、(少し抑えるように)と指示する」

銀行も他の戦時経済状態の産業と同じくコストや収益にはこだわらず、市場シェアの拡大を目標にしていたから、カルテルなしにほうっておかれれば、破滅的な「過当競争」を繰り広げただろう。窓口指導は日銀運営のカルテルとしての機能を果たし、信用市場全体を銀行間に分割して、整然とした序列を維持させるのに役立った。「日銀は(横並び意識)を利用し、銀行を思いどおりにあやつった」(日銀担4談)。おかげで、信用総量をコントロールする日本銀行の力が強化されたばかりではなく、銀行側にとっても信用統制は魅力的だった。市場シェア志向の銀行としては、カルテルはむしろ救いだった。「窓口指導がなければ、われわれは(切腹)するまで競争しただろう。それもよくない」(日銀担5)だから銀行はつねに窓口指導で割り当てられた枠いっぱいを貸し出した。このことは、日銀が信用創造量を正確に決定することができ、したがって国の経済活動もきちんとコントロールできるということでもあった。

カルテルの取り決めは次のようにおこなわれた。「貸出増加枠は、過去の貸出実績額に常に比例して設定された。大銀行は多く、中小(銀行)は少ない。これは銀行の序列を変えないためである。したがって、銀行がどう競争しても序列はまったく変わらない・・・・自由競争なんてなかった」(日銀職員5,6)。増加枠は銀行のランキングに沿って決められた。「そのために、日銀は次のような方法を用いた。貸出規模が同程度の大手四都銀(住友 富士 三菱 三和)の貸出額がまず決定される。もし、これらの銀行の枠が100とされれば、他の銀行の額も自動的に決まる。第一勧銀は120であり、三井と東海は80となる。だから、秩序は保たれる」(日銀担4)それから長期信用銀行やその他のタイプの銀行の分がそれぞれ決まる。「日本興業銀行が100、長期信用銀行が50、日本信託銀行が30というところだろうか」(日銀担4)。しかし、日銀には、一部銀行に有利に割当額を自由に増減できる大きな裁量権があった。そこで、実際の貸出増額分は銀行の業態によって、また個々の銀行によって違っていた。ほかの銀行の貸出額は増加したのに、一部の銀行では増加しないということもあった。

窓口指導という非公式のコントロールは、たとえば、名古屋のある地方銀行が日銀の「天下り」行員を解雇したときのように、銀行が別のかたちの「不祥事」を起こした際の制裁措置としても用いられた。制裁は、貸出割当枠の削減というかたちでおこなわれる。(日銀職員1)。「これはよく起こることである」(日銀職員5)。このような制裁に関する決定は、特定の民間銀行を担当し、そのために強力な裁量権をもっている日銀職員が下す(日銀職員5)。

四半期ごとの会合のほかに、毎月、「ヒアリング」が行われ、銀行の日銀担が日本銀行にやってきて、預金量の変化、貸出、株式や債券への投資計画の状況などについて説明した。「窓口指導はきわめて詳細なものだった」(日銀職員5)。日銀はどの業種に資金が流れたかを知っているばかりでなく、主要企業名まで把握していた。ある銀行の日銀担の言葉によれば、日銀は「お金が何の目的でどこに行ったか」を知ることに関心があった(日銀担)。
「日銀はどの産業部にも、短期、長期、の貸出はどれだけで、借り手の規模はどの程度、不動産業種の貸出量はどれくらいかといった質問をした。場合によっては、彼らは松下電器といった大手顧客の名前も聞いてきた」(日銀担4)。貸出の情報は産業別に区分され、さらに(一億円以上の)大手の借り手については名前と額まで明らかにされた。そしてそのすべてについて、日銀側担当者は細かく監督した。「月齢会合で重要な質問は、不良債権額や暴力団関係者への貸出額等であった」(日銀職員5)。




小林
すさまじい統制、権限ですね、日銀は。
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9.11について  <この事実を忘れてはいけない 2001年9月11日>

2017年04月15日 | 日記
とあるスナックで

小林
久しぶりに、この動画を見ましたが、この事実は絶対に絶対に風化させてはいけないですよね。


コー
まったくその通りだね。日本の建築家や学者はこの問題に真剣に取り組んで欲しいな。

現在、現役で働いている人は立場上難しいかもしれないが、定年退職した人は、この問題に真剣に向き合って欲しいな。いままで日本でビルを建築してきた人たちに、ビルがあの程度の火災で、あんなに見事に崩れ落ちることが、あり得るのかという事を。


ビルが崩れるのにかかった時間が、同じ高さのところから、ボーリングの玉を落とした時間と同じ時間だったということがあり得るのか。

ビルが崩壊するときに、内側に向かってあんなに見事に崩れ落ちるものなのかという事を。



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9.11について  今日も 上原ひとみ

2017年04月13日 | 日記
とあるスナックで

ママ
小林さん、今日もコーさん、ひとみ、ひとみ、て言ってるのよ、さっきから。


コー
いやー、いいね。まいったね。動画は、2010年8月4日のこれとこっちがよかたね、初心者には。

でも音楽に解説なんて必要ないんだと思うな。よかった、たのしかった。それで十分だと思う。

ほかの動画で、いっしょにやっているジャズの大御所たちも、やっぱりよかったね。

なんか自然の<風の音>や、<波の音>のような、しっとりとした、自然な感じがするんだな。いいね。

そして彼女は、ジャズ、クラシック、シャンソン、などのジャンルにとらわれない<彼女自身の即興音楽>をやっているという、感じなのかな。

ここを見ると、世界中で演奏してるんだね。

そして、世界中の人から愛されているのが、わかるね。

それにしても彼女、ラーメンが好きなんだね。
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9.11について  いい桜の花だった

2017年04月12日 | 日記
とあるスナックで

ママ
小林さん今日、コーさんとても機嫌がいいのよ。久しぶりに桜の花見に行ってきたんだってよ。


コー
そうなんだよ、いやー、よかったね。きのうの雨で散ったかと思ったけど、大丈夫だったんだ。いろんな種類の桜が同時に咲いていたね。毎年こんなに一緒に咲くのかな?時々通っている川の脇の道なんだけど、まったく別世界だね、一斉に咲くと。俺はまったく木や花の名前は分からないけど、4,5種類はあったと思うな、桜の種類が。

それときのう、偶然にこの動画を見て、びっくりしたんだ。音楽が好きな人はとっくに知っていたと思うんだけど、いやー驚いたね。
こんな子がいたんだね、日本に。

いやー、感動したね、久ぶりに。
いい演奏、音楽、これはいいね。黒人、白人、黄色人、関係ないね。みんな心が通じ合うね。


ママ
あれ、コーさんジャズ分かるの。こないだここで(矢切の渡し)を歌ってたけど、ちょっと音程が狂っていたわよ。

小林
だからママ、感動するって、理解しなくてもできるんだよ。むしろ理解なんか考えないほうがいいんだと思うよ。

コー
桜の花を見て、いいなと感じるのは、理屈をわかって感じてるわけじゃないだろ。理屈なんて関係ないんだと思うよ。

ママ
なるほどね、でもコーさん、こんど(矢切りの渡し)を歌うときは、もうちょっとうまく歌ってね。


コー
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