弥生の月もあと僅か、いよいよ桜の季節にバトンタッチ、マンションの乙女椿や白木蓮も花開いた。急な寒さの後の暖かな今年最後のの休日に、娘が「ドライブでも」と誘ってくれた。「行きたいところは?」「う~ん、なんか川越って江戸の風情が残っている町らしいから」と漠然とした答えの私に「川越かあ」と言いながら車を走らせてくれた。運転は出来ないが「助手席の女」大好きな私。くっきりと晴れ上がった空と、初夏を思わせる雲のさまを眺めながら助手席に身をゆだねるだけで心地よい。
【川越】川越藩の城下町。江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ、物流の要として繁栄を極め、「小江戸」と称されていた。その面影を今も残す街づくりが行われ、都内から1時間で行ける観光地となっている。
かなり混むよ」と聞いたので早めに家を出た。幸い駐車場もゆっくり余り人影もなく、ぶらぶら街中を歩いてみた。一言でいえば私が今迄住んでいた近くの「太宰府天満宮」の参道と同じ感じ。道幅ははるかに広く、車もゆっくりとではあるが入って来る。「お菓子横丁」だのなんだのとの名称の街筋があり、とにかく食べ物の店・お土産の店などなど。蔵や記念館もあるにはあるが、やっぱり観光地だなあ。11時過ぎると観光客がどっと増えてきた。名物と言われる食べ物を食べながら左右を見回し、店を覗きといういわゆる観光客スタイル。外国からの人達も多い
路地の奥には、お稲荷さんも。ここはハート形に愛の願いを書いて奉納とかで、若い人たちのお詣りが多いらしい。帰りに寄るつもりだったが駐車場も満員で素通りした「氷川神社」は魚の鯛の形のお守りが有名だとか。何処の地でも「人をよぶ」工夫がなされている。「日本は観光で生きていく国」を目指すと、国を導く方達が仰っているから。観光で生きる・・・それだけでいいのかなと、昭和生まれの私は???の気持ちをぬぐえないのだが。余計な老婆心なのだろう。
これ以上人にぶつかるような混み方は嫌だなと早めにランチ「川越なら鰻でしょ」と江戸から続く老舗に。幸い入店出来たが、あと少し遅れると「行列」の一員にならないといけない。ネットなどで話題に上がっているお店は若いお人達が行列を作っている。鰻料理は美味しかった。お昼にはちょっと高いお値段ではあったが、まあ、いいでしょ。たまの行楽だから。味は関東風で塩気・醤油がきついのかなと思ったけど、そうでもなく、程よい味だった。女性の旅?は【美味しい物】に巡り合うことも楽しみの一つである。どこかに出かけたら、奮発しても美味しい物・ご当地名物などを賞味したいと思っている。
一通り見たら「もういいかな」という感じで、早めに引き上げることにした。やはり「作られた町」感じが強い。仕方のないことだろうが。形を残すというだけでもそれなりの価値はあるのだから。
さて、午後の時間がかなりある。「どうしようか」
都内に戻り【静嘉堂文庫】に寄ることにした。【歌舞伎を描く浮世絵展】というテーマの展示会。
最終日も近いし、休日とあってここも大混雑。それでもじっくり観たいので、かなりの時間を要した。古文書を読みデーターベース化するようなことが専門の娘が、私が見落とす落款のことなど教えてくれた。面白かったが、やはり疲れた。最近は読書やこういう展示を見ることは、以前と違って後に疲れが残る。無理して目を使っているからだとは解っているが。それでも演劇やこういう類のものに接することは、私の喜びなので、翌日は余り目を使わないようにと気を付けても、観ることにしている。「見たて絵」というのが面白かった。舞台で演じる役者ではなく、演じたことのない役や役者同士の顔合わせを「見たて細工」みたいに浮世絵の画家が想像で描き出した絵。全体にすり色の赤色の鮮やかさが目に付く。今大河ドラマで一躍有名にバッタ【蔦屋重三郎】が版元のもあった。花開く江戸時代の文化は、殿上人や公家・武家などではなく、市井の人達によって創られ、いわゆる【下々(しもじも)の人達】も楽しめた。そこには今までの時代にはない、躍動感や熱っぽさがあるように感じられる。それが江戸時代の面白さだろう。
それにしても展示の浮世絵にある、歌舞伎の外題を見ていると、今は上演されなくなったものが、沢山あるなあと改めて思う。国立劇場が「掘り起こし狂言」として新たに手を入れ上演することがある。が、今国立劇場は「立往生」状態。文化の継承の大切さを、国を導く人たちは感じていないのだろうか。世界が混沌とした状態であってもそういうものは、きちんと残すべき大切なものだと心から思う。