ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

小江戸「川越」&「清華堂浮世絵展」へ

2025-03-24 16:02:10 | 2023年10月より横浜での日々

  弥生の月もあと僅か、いよいよ桜の季節にバトンタッチ、マンションの乙女椿や白木蓮も花開いた。急な寒さの後の暖かな今年最後のの休日に、娘が「ドライブでも」と誘ってくれた。「行きたいところは?」「う~ん、なんか川越って江戸の風情が残っている町らしいから」と漠然とした答えの私に「川越かあ」と言いながら車を走らせてくれた。運転は出来ないが「助手席の女」大好きな私。くっきりと晴れ上がった空と、初夏を思わせる雲のさまを眺めながら助手席に身をゆだねるだけで心地よい。

【川越】川越藩の城下町。江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ、物流の要として繁栄を極め、「小江戸」と称されていた。その面影を今も残す街づくりが行われ、都内から1時間で行ける観光地となっている。

  かなり混むよ」と聞いたので早めに家を出た。幸い駐車場もゆっくり余り人影もなく、ぶらぶら街中を歩いてみた。一言でいえば私が今迄住んでいた近くの「太宰府天満宮」の参道と同じ感じ。道幅ははるかに広く、車もゆっくりとではあるが入って来る。「お菓子横丁」だのなんだのとの名称の街筋があり、とにかく食べ物の店・お土産の店などなど。蔵や記念館もあるにはあるが、やっぱり観光地だなあ。11時過ぎると観光客がどっと増えてきた。名物と言われる食べ物を食べながら左右を見回し、店を覗きといういわゆる観光客スタイル。外国からの人達も多い

 路地の奥には、お稲荷さんも。ここはハート形に愛の願いを書いて奉納とかで、若い人たちのお詣りが多いらしい。帰りに寄るつもりだったが駐車場も満員で素通りした「氷川神社」は魚の鯛の形のお守りが有名だとか。何処の地でも「人をよぶ」工夫がなされている。「日本は観光で生きていく国」を目指すと、国を導く方達が仰っているから。観光で生きる・・・それだけでいいのかなと、昭和生まれの私は???の気持ちをぬぐえないのだが。余計な老婆心なのだろう。

これ以上人にぶつかるような混み方は嫌だなと早めにランチ「川越なら鰻でしょ」と江戸から続く老舗に。幸い入店出来たが、あと少し遅れると「行列」の一員にならないといけない。ネットなどで話題に上がっているお店は若いお人達が行列を作っている。鰻料理は美味しかった。お昼にはちょっと高いお値段ではあったが、まあ、いいでしょ。たまの行楽だから。味は関東風で塩気・醤油がきついのかなと思ったけど、そうでもなく、程よい味だった。女性の旅?は【美味しい物】に巡り合うことも楽しみの一つである。どこかに出かけたら、奮発しても美味しい物・ご当地名物などを賞味したいと思っている。

 一通り見たら「もういいかな」という感じで、早めに引き上げることにした。やはり「作られた町」感じが強い。仕方のないことだろうが。形を残すというだけでもそれなりの価値はあるのだから。

さて、午後の時間がかなりある。「どうしようか」

都内に戻り【静嘉堂文庫】に寄ることにした。【歌舞伎を描く浮世絵展】というテーマの展示会。

 

最終日も近いし、休日とあってここも大混雑。それでもじっくり観たいので、かなりの時間を要した。古文書を読みデーターベース化するようなことが専門の娘が、私が見落とす落款のことなど教えてくれた。面白かったが、やはり疲れた。最近は読書やこういう展示を見ることは、以前と違って後に疲れが残る。無理して目を使っているからだとは解っているが。それでも演劇やこういう類のものに接することは、私の喜びなので、翌日は余り目を使わないようにと気を付けても、観ることにしている。「見たて絵」というのが面白かった。舞台で演じる役者ではなく、演じたことのない役や役者同士の顔合わせを「見たて細工」みたいに浮世絵の画家が想像で描き出した絵。全体にすり色の赤色の鮮やかさが目に付く。今大河ドラマで一躍有名にバッタ【蔦屋重三郎】が版元のもあった。花開く江戸時代の文化は、殿上人や公家・武家などではなく、市井の人達によって創られ、いわゆる【下々(しもじも)の人達】も楽しめた。そこには今までの時代にはない、躍動感や熱っぽさがあるように感じられる。それが江戸時代の面白さだろう。

 それにしても展示の浮世絵にある、歌舞伎の外題を見ていると、今は上演されなくなったものが、沢山あるなあと改めて思う。国立劇場が「掘り起こし狂言」として新たに手を入れ上演することがある。が、今国立劇場は「立往生」状態。文化の継承の大切さを、国を導く人たちは感じていないのだろうか。世界が混沌とした状態であってもそういうものは、きちんと残すべき大切なものだと心から思う。 

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【蔦重】ブーム到来?

2025-02-23 14:47:47 | 2023年10月より横浜での日々

 買い物に出たついでに書店に寄った。目が悪くなって以来、余り読書が出来ないのだが、それでも本屋とか文房具には興味はあるので時間があれば覗く。あ、やっぱり!目につくところに「蔦重」関係の本がしっかり並んでいる。大河ドラマの「前宣」にも力が入っていたようで、滑り出し上々のようである。主役の蔦重には人気の流星くん、熱演真っ最中。吉原の色合いも鮮やか、それでいて哀しい雰囲気が良く出ているし、戦い・戦いの歴史に幕を下ろし、封建時代とは言えども支配下にある筈の町民の力が台頭して、今までない文化が花開いた江戸時代に、一番関心がある私にとっては、楽しみなドラマである。

木挽き広場にはお雛様が。もうすぐ弥生の月になる)

 2月の歌舞伎座は「猿若祭」勘九郎・七之助はじめ【中村屋一門】の舞台。昼の部の【きらら浮世伝】時流に乗っての蔦屋重三郎が主人公の芝居なので、これだけはどうしても見たくて出かけた。【夜の部】は少し体調不安定だったので用心のため割愛、残念だけど。

 さて、その「きらら浮世伝」主人公は蔦屋重兵衛、大河ドラマで夢の実現に向かって疾走中のあの【蔦重】である。猿之助歌舞伎の「ヤマトタケル」などの脚本・演出でも知られる横内健介さんが32 年前に書いた脚本は今も斬新で(手は入れただろうが)、江戸の庶民の手による絢爛たる文化の華開こうとしていた時代、蔦重の「新しい物を創り出そう」とする熱意が、勘九郎の身体を借りて躍動した。男っぽさ、熱っぽさ、口跡の良さ、加えて舞台装置も良く、新しい【世話物(町人もの)】としても、満足した舞台だった。七之助の遊女お篠は美しく哀しく、歌六・芝翫・萬次郎・錦之助さんなど達者な役者さんが脇を固め、隼人・米吉・鶴松・橋之助・福之助などが色を添えた。

蔦重が手掛けた「吉原細見」などが質素倹約という幕府の改革(幕府は財政困難に陥っていたのだ)に合わず、華美で危険だと、以後浮世絵や戯れ本などが「奢侈禁止令」によって、しめつけられ、蔦重は財産の半分を没収、洒落本の書き手は「手鎖り」の刑を受けることもあった。歌舞伎も然り・・・だが、そんな窮屈な規則に臆することなく、蔦重の版元としての活動は歌麿・馬琴・写楽などをはじめとして、沢山の浮世絵作家や読み本作者を世に送り出した。西鶴や近松、俳諧の芭蕉なども江戸の人。

町民による文化の華、そしてこのエネルギーは、やがて武士の世界の動乱を巻き起こし、新しい時代の奔流は雪崩を打って、明治維新へと向かっていく。

 歌舞伎座に行った2,3日後だったか、作者の横内さんがラジオに出演。六角精児さんの番組のゲストして。たまたま耳にしたのだが、【きらら浮世伝】初演の時の話など、面白かった。18代勘三郎さんが32歳の時、横内さんが26歳の時、セゾン劇場での上演だったとかで、その時の台本の読み合わせで、勘三郎さん(当時勘九郎)が言葉として発すると「自分の台詞がこんなに生きてこんな風になるのか」と戦慄さえ覚えたとのこと。それ程に勘九郎さんは【熱い役者】だったということだ。常に新しい物を求めてあくなき挑戦をした勘三郎という役者と蔦重の熱い想いは、相通じるものがあるように思う。勘三郎さんは57歳という若さで、役者としての熱い一生を駆け抜けて行った。蔦重は確か40代でこの世を去った。江戸時代の平均寿命かもしれないが、若すぎることは確か。今の時代は90歳、いや100歳までも可能な時代となったが・・・さて、長寿が良いことか否か。夫は常に「人間としての尊厳を失ってまで生きたくない。長生きするのは嫌だ」と話していたが。人の生死は神か仏に任せるしかない。沖縄言葉で言うなら「なんくるないさ」命のあるままに、同じ生きるなら楽しく穏やかに、人生を全うしたいものだ。平凡な私には、駆け抜けていった人のような才気も才能もないのだから。

 優秀な人は若い時から頭角を現すのだろうか?横内さんは全国高校演劇大会で2位となり、その後早稲田大を経て劇団を立ち上げ、脚本・演出などで20代から数々の賞も貰っている。六角さんとはその厚木高校時代からの演劇仲間だったとか。そんな話も面白かった。

 満開の枝垂れ梅、ちらちらと舞ってベランダに小さな花弁が落ちて来る。梅は桜のように儚く散らず、しっかりと最後まで枝に留まることが多いのだが、春近しの強風には抗えないのだろう。

2月が間もなく終わる。

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故郷からの贈り物

2025-02-10 14:53:57 | 2023年10月より横浜での日々

2月9日

 マンションのベランダ外にある一本だけの枝垂れ梅が殆ど満開となった。毎朝メジロが密を求めて来てくれるのをガラス戸越しに眺めるのが、ささやかな楽しみだ。

 真っ青な空に淡いピンクの小さな梅の花と、早春を思わせる明るい陽光に心を癒される。が、外に出ると風は肌を刺す。太宰府は道真公の『飛梅』以来、梅の花は各家の庭にある・・・我が家にも白梅と紅梅の枝垂れ梅が一本ずつあり、梅の頃にはつがいの目白が訪れた。庭で採れた八朔を輪切りにして、石灯篭の上に置いておくのが、この季節の慣わしとなった。なんと可愛いこと!

ここマンションでは、昨日までは1羽だったが、今日は恋人?2羽で仲良く梅の密を吸っている。独り暮らしの時間が癒される。

(これは太宰府時代の目白くん、カメラ目線で決めてくれた)

白梅の実は美味しい梅酒となった。今日本列島は寒気に覆われ、北の方は、私には想像を絶する豪雪の光景がテレビの画面に映る。ぽかぽか【日向の猫】状態のここ横浜、申し訳ない限りである。

 今は他人の持ち家となり、私達の時のガレージだけでは足りず、庭は更地になり車の収納場所となっているとか。現代では各家に2,3台の車があるのも珍しくないから、仕方のないことではあるけど。広くはないけど和風な庭を好み、愛した亡き夫に「ごめんなさい」とつぶやく。私が謝ることではないのだが。

 もう他人の物になったのだから、どう使われようと何を思う権利もないのだけど。庭師さんがいつも褒めてくれていた松も、紅葉も、羅漢槇やつつじ・ツバキ・山茶花・蝋梅なども全てなくなってしまったわけだ。早春を思わせる窓外の梅の花や、無邪気に梅の枝で遊ぶメジロに、つい感傷的になってしまう私だった。

そんな時に先日、太宰府の友人から届いた贈り物。段ボールいっぱいに詰められたのは、ドッジボールみたいな大きさの【晩白柚】八朔や新種のミカンなど。友人は観世音寺の裏に広い「家庭菜園」を持って、季節の野菜を夫婦で育てることを楽しみの一つとしている。ご主人のご両親の時代にはお米の田んぼだったそうだ。今はその半分に季節の野菜を。半分はコスモスが一面に咲く。コスモスの頃には沢山の花を束にして下さるので、沖縄時代の壺屋焼きの紹興酒の大きな甕を、投げ入れようの壺として、コスモスと投げ入れとして玄関先に置いた。そんな風情が好きだった。

 彼女の家庭菜園でジャガイモを掘ったり、青豆を収穫したり、ラッキョウも我が家用・・にと植えてくれた。四王寺山を見上げながらす、晩白柚の樹木の下で、夫の炒れた珈琲を飲みながら、お菓子をつまみながら、柔和なYサンのご主人様も一緒に「お茶タイム」を楽しんだものだった、頬をかすめる涼風の心地よさが蘇って来る。晩白柚はちいさな実の頃から「これ、僕のだ」なんて冗談言って、ピースマークを書いていた夫の悪戯っぽい顔、昨年もだが、夫亡きあとも、ご主人が「これはTさんのだから」と届けて下さる。仏壇に供えきれない大きな晩白柚。『あなた、Yサンのご主人様からですよ。味わって下さいね』と供えた。いろんな良き隣人・友人達に恵まれたことに改めて有難うと心から思う。

 ガラス戸の外では、まだメジロ君達が仲良く、梅の小枝を飛び回っている。そろそろ3時を過ぎる。向かいの棟の陰にお日様は隠れて、薄い夕暮れ色が忍び寄って来る。洗濯物を入れなくちゃあ。緩い早春の時間の中で、今日も一日が終わる。

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2月に入る。穏やかな小春日和なり。

2025-02-01 15:22:21 | 2023年10月より横浜での日々

2月1日。ガラス戸越しの陽光が眩しい。ベランダ前に一本あるピンクの枝垂れ梅が5輪花を開いた。先程目白がやっていたので「嬉しい!と眺めていたら、ムクドリかな茶色の・・・がやってきたので、目白くんは慌てて退散した。

1月はちょっと体調不良だったが、それでも新・国立劇場で【初春歌舞伎 ・英山権現誓助剣】を福岡から遠征の歌舞伎仲間と観ることが出来た。歌舞伎座他は体調的に無理かなという感じだったので割愛。2月・3月は又遠征組の友人達と観に行くことになるだろう。とりあえず【歌舞伎観たまま感じたまま】ブログに観劇記録UPして、今日は穏やかな日和を家で楽しんでいる。というか、昨日【帯状疱疹ワクチン二回目接種】したので、少し熱もあって・・・帯状疱疹のワクチンは一回が2万円。二回で4万円、医療補助なし、自己負担。東京都は都が半額を負担してくれるそうだ。2万円でいいということだ。太宰府市は5千円の補助とか。地方自治体の経済状態でそれぞれ違うそうだ。でも夫が帯状疱疹の後遺症で悩まされ「機会があったら打つべき」と言っていたので、健康のためにと接種した次第である。

2月は【中村屋猿若祭】3月は仮名手本忠臣蔵】の通し狂言公演。「通し」というのはお芝居を最初から最後まで上演するということ。長い物語の中の人気の場面などを切り取って上演することが、普通は多いので【通し】で観ることが出来るとストーリーも流れもよく分かる。江戸時代、芝居小屋は夜の明けた頃から太陽が沈むころまで、天然の明かりで上演していた。だから芝居を観ながら食べる「幕ノ内」弁当や「助六」などがそのまま今も使われている。カラオケなどでお得意なことを「十八番」というが、これは七代目團十郎が、初代から3代目までのお得意な芸を十八選んた…ことが語源となっているようだ。歌舞伎の世界から俗語となって世間で使われるようになった言葉は多い。それだけ江戸の人達には歌舞伎は馴染みの深い楽しみだったということだろう。

今年は歌舞伎座で「歌舞伎三代狂言」を全て「通し狂言」として上演するとのことで歌舞伎好事家の間で話題になっている。「菅原伝授手習鑑」筑紫に流された道真公の物語)・「義経千本桜」(庶民に愛された源義経・源平にまつわる話)いずれも当時の江戸庶民に愛された、喜怒哀楽をちりばめた歴史物語である。

そして先陣を切って上演されるのは【仮名手本忠臣蔵】客の入りが悪い時は「忠臣蔵」を出せばいい、救いの神と言われる演目である。通しで上演されるのは12年ぶりだとか。

 江戸時代は天然の明かりで芝居は上演された。夜が明け太陽が明るくあたりを照らす頃に芝居を開け、夕陽が沈むころに幕が降りる。役者も客も一日仕事の芝居見物であった。

 四国に金毘羅歌舞伎「金丸座」は当時の芝居小屋の機構をそのままに残し、江戸時代に鯛鵜スリップしたような気分で楽しむことが出来る。何回か足を運んだが・・・夫やサークル仲間と何回か足を運んだが、もう、訪れることはあるまい。素晴らしい想い出となっている。

2月・・・如月。>旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)をさらに着る月であるから

衣更着(きさらぎ)」

草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」日本語は味がある、風流だなと思う。日本語を大事にしなければ。最近のなんでも省略語を耳や目にすると奥深い日本語の持つ良さを今更ながら感じる。

 

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あの人は今・・・

2025-01-25 11:37:07 | 2023年10月より横浜での日々

 昔(私は昭和生まれだから”昔”という言葉を使うにはピッタリかも)TVで【あの人は今・・・】という番組があった。芸能界から姿を消した売れっ子タレントや、社会的に有名だった人の”その後”を追求した番組である。

 私がこのブログを始めてからもう20年になる。(それ以前のは引っ越し失敗して消失)その間にコメントを寄せて下さる人が少なくなった。(私が新規にネットサーフィンをしないせいもあるが)

 福祉関係でお互いに知恵を交換し合った人、山好きで絵心のある人、詩人の雰囲気の人、博多弁に物凄く詳しく「博多弁辞典」を作ってしまった人…などなど、友人達の紹介で知り合った【ネット仲間】の人達。ブログを通しての、とても良いお付き合いだが、今日までに何人もの人が姿を消した。夫や親達の介護で。あるいは本人が入院して。事情は分からないままにブログもなくなっていた人。私のネット仲間は数少なく、でも親しくずっとネット上での付き合いが続いていた人達。夫の後輩の、山と俳句とお酒を愛したOさんは、毎日ブログを更新されていた。毎日・・なんてとても、とても出来ない、感心するばかりだった。そのOさんが、昨年6月からブログの掲載が無くなった。6/10『夏暖簾』と出したエッセイが最後である。お酒が好きだとのことだから、もしかして突然のご病気か、それとも…最悪のことも頭に浮かぶ。夫のエッセイに触発されて、文章を書き始めたと仰ってた。今はどうしていらっしゃるのか・・・。行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・】方丈記(鴨長明) 人生は移り変わるもの、消えるもの、新たにあらわれるもの・・・ふと無常を感じる朝だった。

 これから新しい方のブログを訪問して、足跡を残すことは、もう私はしないつもりなので、数は少なくなったが密度の濃い「ネット仲間」を大事にして、もう暫くとりとめもないことを綴っていこうかなと、改めて思ったことである。いつも一緒に旅や温泉や観劇をしていた夫が亡くなり、旅紀行などを掲載することはもうないだろうが、終の棲家となったこの横浜郊外で、見聞きしたことなどをささやかに綴っていきたいと思う。

 「大寒」も過ぎ、これから暫くは真冬の寒さとなる…はずだが、雪の多い東北などとは違って、横浜は日々明るい好きった冬空が高く広がり、頬を打つ風や空気は冷たいけど、陽射しは眩しほどにガラス戸越しに差し込んで来る。

それでもちょっと買い物に出かける小径は冬枯れの雑木が、枝を高く伸ばしている。黄褐色の落ち葉が樹木の足元に広がる。冬景色。その中から水仙が!春はもう出番を待っている。

  冬枯れの小径。この小径を通って、日常のお買い物などに行く。枝に小さな芽生えを見るのは、まだまだ先だろう。、が寒くても、冷たくても、春は出番を待ちながら、密かに準備を始めているのだ。

袖ひちてむすびし水のこほれるを
                  春立つけふの風やとくらむ    紀貫之

 

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