新型コロナウイルス感染症が、連休が終わった5月8日から、感染症法上の「5類」に引き下げられた。振り返ると、2020年1月に国内で初めて患者が確認され、4月には緊急事態宣言が日本全国に発出された。その後3年余りの年月が過ぎた。コロナウイルスが日本のみならず世界全域に与えた衝撃と変化についての論評はすでにさまざまな形で出回っているが、総合的な評価にはもう少しの時が必要だろう。
さて、このブログにも閉幕の時が近づいている。開設以来、20年近くになるが、その間、暗黙の内にも考えてきたいくつかの課題があった。そのひとつは、ラ・トゥールやジャック・カロ、レンブラント、フェルメールなどの17世紀ヨーロッパの画家、さらに現代の異色の画家L.S.ラウリーなどの作品を通して、人々が感じる「美しさ beautifulness とは、誰がいかに定めるのか」という問題に納得できる答を見出すことであった。
さて、このブログにも閉幕の時が近づいている。開設以来、20年近くになるが、その間、暗黙の内にも考えてきたいくつかの課題があった。そのひとつは、ラ・トゥールやジャック・カロ、レンブラント、フェルメールなどの17世紀ヨーロッパの画家、さらに現代の異色の画家L.S.ラウリーなどの作品を通して、人々が感じる「美しさ beautifulness とは、誰がいかに定めるのか」という問題に納得できる答を見出すことであった。
「額縁の中から」飛び出して
特に、画家が活動した時代と「同時代の人々」 contemporaries、そしてそれとは異なる時代である「現代に生きる人々」の間に存在する作品の認識、美意識の違いに多大な関心を抱いてきた。関連して、ブログ筆者は絵画作品の評価を、人々が目の前にする作品の次元(「額縁の中の世界」)にとらわれることなく、それが生み出された社会的・文化的環境への広がりの中で行うことに大きな関心を抱いてきた。美術に限らず、永らく専門としてきた経済の分野でも、できうる限り自分の目で確認することを人生観の一部としてきた筆者は、しばしば美術史家などが視野の外に排除してきた、作品が生まれた社会的背景などの諸要因を極力、鑑賞、評価の次元に取り込むことに意義を感じてきた。
ブログも開設以来20年近くを経過し、ようやく最低限の検討素材を蓄積、提示できるようになってきたかなと思えるようになった。幸いブログ読者の間から、本ブログが手がかりになって、やっと当該画家の全体像、そして画家が生きた社会のありようが見えてきたような気がすると感想を述べられる方々が増えてきた。諸般の事情でメモ程度しかブログには記すことができない状況を考えると、筆者にとっては大きな喜びである。そこで、ゴールデンウィークの間に多少考えたことを思考整理の意味で、記してみたい。
ラ・トゥール忘却の謎
ブログ開設当初から記してきたが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールについては、多くの謎がつきまとってきた。そのひとつは、1652年の画家の死後、20世紀初頭、1915年におけるドイツ人美術史家ヘルマン・フォスによる再発見まで、画家の存在は長らく忘れ去られてきたことである。ロレーヌのパン屋の息子から身を起こし、フランス王の王室画家にまで上りつめ、当時は熱心な愛好者、収集家がいた画家であったにもかかわらず、なぜかくも長い間忘却されてきたのか。これについては、次のようないくつかの説が提示されているが、いずれも推測の域を出ない。
1)ラ・トゥールが画家としての活動の拠点としたロレーヌには美術家、美術品などを継承、後世に伝える風土が希薄だった。度重なる戦争、悪疫、飢饉などによって、美術品などの作品が地域に保存、蓄積されることが困難を極めた。
2)ラ・トゥールが得意としたテネブリズムは1630−1640年のパリでは、衰退していた。代わって、バロックの華麗な古典主義が人気を得ていた。
3)ジョルジュの死後、画家であった息子エティエンヌは、自らの才能を見切り、貴族としての道を選択するようになった。その間、著名な画家であった父親との関係、出自などを表面に出さないように努めたのかもしれない。
これらの諸説についてブログ筆者は、美術作品と時代の関連について、別の仮説を考えていた。ラ・トゥールが忘却されていたかに見えたのは、ひとつには画家の作品に込められた「美」の内容が、その後の時代の求めた美の内容、しばしば流行、好みなどの風潮に合致しなかったことではないか。「時代の眼」を重視してきたのはそのためである。この点を突き詰めると、美の本質とは何かという問題に行きつく。
美の本質について
ひとつの極にあるのは、哲学者カントに代表されるように、美しさは作品を観る人に関係なく作品自体に存在するとする考えである。確かに美術作品の中には、誰が見ても 客観的に美しいと感じるものもある。その美しさは観る人の立場や思考、趣味などに依存しない。しかし、どの程度に美しいと感じるかという問題は避け難く残る。
他方、同じ哲学者でもデビッド・ヒュームのように、何が美しいか、または私たちが美しいと考えるものは主観的なものであると考えている人たちもいる 。これによれば美しさは見る人によって異なることになる。言い換えると、美しさには順位や程度が存在することでもある。
17世紀ヨーロッパの絵画の世界を見ても、今日まで作品、経歴などが十分確認されている画家はむしろ少ない。しばしば参照される画家、美術評論家のフロマンタン*による1875年のオランダ・ベルギーの絵画を訪ねての紀行文でも、言及されている画家の軽重には近年の評価とは異なる点も多々あり、時代による画家の位置づけにも作品の発見、学術研究の進展などを反映し、往時とは差異も生まれている。ラ・トゥールが画家として多くの時を過ごしたロレーヌのような地域では、作品の長期にわたる安定した継承、鑑賞に耐える風土はほとんど存在せず、作品の市場も画家とその作品を個人的に知るフランスやロレーヌの王侯貴族、収集家など限られた人脈の範囲にとどまっていた。ラ・トゥールの場合は幸い20世紀初頭に再発見されたが、同時代であっても全く忘れ去られてしまった画家も多いことを指摘しておきたい。
*フロマンタン(高橋裕子訳)『オランダ・ベルギー絵画紀行:昔日の巨匠たち』上・下(岩波文庫、1992年)
*フロマンタン(高橋裕子訳)『オランダ・ベルギー絵画紀行:昔日の巨匠たち』上・下(岩波文庫、1992年)
続く