時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

貴族の処世術(2);ロレーヌ公国の下層貴族

2012年01月24日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚



 

貴族になることは
 前回述べた通り、17
世紀近世初期のヨーロッパ小国の貴族とは、いかなる規範、信条あるいは人生観を持って生きていたのか。彼らはなにを基準として、君主から貴族に任じられたのだろうか。貴族になることはどんな意味を持っていたのだろうか。彼らに求められた条件、責務はなんであったのだろうか。これらは大変興味深い問題なのだが、問題の性質上、直接にその核心に迫ることは難しい。

 貴族制度全体あるいは著名な大貴族に関する研究は多数あるのだが、小国の下層貴族を対象にして、これらの問題に正面から取り組んだ仕事や作品は数少ない。しかし、さまざまな領域の研究者の努力で、今に残る断片的記録から、その輪郭を推測することはできそうである。ここでは、前回紹介したジョルジュ・ド・ラ・トゥールとほぼ同時代に、ロレーヌ公国の下級貴族であった一族の来歴についてのLippの研究を手がかりに、この問題の輪郭を考えてみたい。

 このブログで何度も記してきたように、17世紀ロレーヌ公国は西にフランス、東に神聖ローマ帝国という大国に挟まれた小さな国であった。この国の為政者はさまざまな手段で自国の独立・権益を守ることにあらゆる手立てを尽くした。他方、フランス、神聖ローマ帝国は、いわば緩衝地帯にあるこの小国を、なんとか利用あるいは自らの手中にと、多様な策略を弄してきた。他方、ロレーヌのような小国は、この時代のヨーロッパには多数存在し、それぞれに存亡をかけて、懸命に努力してきた。

 

 前回、肖像画で紹介した貴族シャルル・イグナス・ド・マウエ(1687-1732)は、17世紀末から18世紀前半、ロレーヌ公に使えた下級貴族である。彼が生きた時代は、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールよりは少し時代が下る。しかし、実はマウエ家は、ラ・トゥールよりもかなり前の代からロレーヌ公の下で貴族に任じられていた。話は、この家系でシャルルの祖先に当たるジャック・マウエが、貴族階級入りをした時期に遡る。16世紀末のことである。


貴族の誕生
 

 マウエ家の当主ジャック・マウエが貴族に任じられたのは1599年1月であった。彼はすでに70歳近い高齢で、メッス司教区、バロアに近い小さな村の地主だった。貴族への任命はいかなる理由で決定されたのだろうか。

 

 貴族になることは、君主であるロレーヌ公に対して、大きな忠誠と義務を負うことではあったが、名誉なことでもあった。貴族の勅許状 letters patentと共に、「紋章」coat of arms が授与された。紋章学 heraldry は、この時代の家柄、家系などを知るには、図像学 イコノグラフィとともに欠かせない学問なのだが、ここで詳細を記すことはできない。いずれにせよ、ジャック・マウエは、シャルルIII世の軍務官のひとりとしてロレーヌ公に仕えることになった。それと同時に、ひとたび戦争などがある場合には、軍費調達などの一端を担うことにもなっていた。ただ、シャルルIII世が勅許状でジャック・マウエに付与した内容は、単なる紋章以上のものであった。
 

 勅許状にはマウエ家が(他の貴族が付与されているのと同様に)、ロレーヌ公へのほとんどの租税公課の支払いから免除される特権が付与されることが記されていた。これらの特権は、当時すでに内容が関係者には共通に理解されていたものと思われ、一般的な表現で特権付与が記載されている。 

この租税免除の特権については、1620年ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生地ヴィック・シュル・セイユから、ロレーヌ公の領地である妻ネールの生地リュネヴィルに移住を申請した時に、ロレーヌ公アンリII世宛に特権供与の請願書を提出したことなどでご記憶の方もあるだろう。当時ジョルジュは27歳であった。この請願書には自分が貴族の娘と結婚したこと、画業は高貴な仕事であることなどが記されている。今日残る記録上で、ジョルジュが貴族の称号を肩書きに記しているのは、1634年フランス王ルイ13世への忠誠宣言書に署名した時である。画家は41歳と推定される。

 

  そればかりでなく、シャルルIII世はジャック・マウエと嫡子に、封建的な制度にまつわるさまざまな特権(たとえば、領民からの税の取り立て)、騎士への命令・指揮権、公国の領地、城砦、塔、領地などの使用、狩猟権、借地権、さまざまな司法的・行政的判断、貴族としてふさわしい権威の行使などを、直ちに認める権利を付与している。これらの特権の行使はジャック・マウエにとって、何にもまして大きな意味を持ったようだ。

 それを具体的に示すものとして、ひとつの例を挙げてみよう。勅許状が届けられて3ヶ月後の1599年4月28日には、ジャックは近隣のMars-la-Tourでいくつかの土地と村落を1300フランで購入している。さらに、7月には大量のブドウ酒や穀物の購入などを行っている。これらはすべて勅許状が一般的な表現で貴族に付与したとされるさまざまな特権の範囲に含まれるとされていた。いったい、どうしてこれほどの特権が、ロレーヌ公国の政治の中心から離れた地域の小村で、しかも高齢の一地主に付与されたのだろうか。謎は深まり、なにやらミステリーを解くような面白さが深まってくる(続く)。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 貴族の処世術(1):ロレー... | トップ | 貴族の処世術(3):ロレー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚」カテゴリの最新記事