時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

強い意志を持った女性画家:アルテミジア・ジェンティレスキ

2019年03月24日 | 絵のある部屋


一見、眼を背けたくなるような恐ろしい光景だ。二人の女性が、大きな男の首を切り落とそうとしている。とりわけ右側の女性は左手でしっかりと男の頭を押さえ、右手に握り締めた劔で、まさに男の首を切り落とす瞬間である。もう一人の女性は召使いなのだろうか、両手で男の首をしっかりと抑え込んでいる。

描いた画家は?
17世紀美術に詳しい方は、描いた画家はカラヴァッジョではないかと思われるかもしれない。当たらずとも遠からずである。宗教画とは思えないほどのリアリスティックで残酷な描写に、その点を想起されるのだろう。実はカラヴァッジョも同じ主題で制作しているのだが、リアルで残酷な描写という点ではカラヴァッジョを凌ぐほどだ。

種あかしをしよう。描いたのは、17世紀バロックのイタリア人女性画家アルテミシア・ジェンティレスキであり、カラヴァッジョの画風を継承したイタリアン・カラヴァジェスキのひとりである。

未亡人ユディットが、彼女に邪な思いを抱き、執拗に言いよるアッシリアの将軍ホロフェルネスが眠っている間に、召使いの手を借りて、敵将の首を落とすという場面である。ホロフェルネスはユディットの町ベテュリアを焼き滅ぼそうとしていた。旧約聖書にはない話だが、外典からとった主題である。

画題は:
beheding of Holofernes by Judith
Altemisia  Gentileschi
oil on canvas, 100 x 162.5cm, ca.1620
Galleria degli Uffizi, Florence 

アルテミジア・ジェンティレスキ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》1611-12, 100 x 162.5cm, ウフィツィ美術館、フィレンツェ 

17世紀の西洋美術は、日本ではあまり知られていないことが多い。宗教画が多く、主題についての知識がないと、理解が難しいことも影響しているのだろう。しかし、その作品が描かれた背景、画家などに知るほどに、現代画では得難い時代の深み、画家の人柄、過ごした人生のさまざまなど、多くを知ることができ、しばしば離れ難くなる。ブログ筆者もその一人だ。

折しも、英誌The Economist 美術欄が、この作品と画家の過ごした人生のことを取り上げていた。最近はこの画家を主人公とした映画、劇、小説などが制作され、およそ400年近い時空を超えて、現代の出来事に共鳴するのではないかと、多くの関心を集めた。

父も娘も画家だった
アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1652/3)はローマに生まれた。父親オラジオ・ジェンティレスキ(1565-1639)も画家であった。二人ともいく人かの画家の影響を受けつつ、カラヴァッジョの影響を受けたカラヴァジェスキとして今日にもその名が残る。実際には、バロック風の穏やかな作品が多い。

この《ホロフェルネスの首を斬るユディト》のテーマでは、カラヴァッジョも同じ主題で制作しているが、この作品の方がはるかに迫真力がある。バロックおよびルネサンス期に好まれて描かれた主題である。ルーカス・クラーナッハ兄、ルーベンス、ティントレット、レンブラントなども描いている。この主題は女性の力と情熱を示す話として、映画、小説などでさまざまに使われることが多い。制作後、400年近くを経た今日、現代の課題に共鳴する主題として選ばれるのだろう。

当時の女性画家の多くは肖像画、静物画を描くことが多かった。それに対し、ジェンティレスキは男子と同じジャンルで競うつもりだった。そのために時にはあえて殺伐、残酷な主題にも挑戦した。彼女は女性として最初にフローレンスの画家ギルド Accademia delle Arti del Disegno の会員に認められていた。さらに巧みな交渉者でもあり、ミケランジェロの功績を称えるフレスコ画の制作に携わった協力者の5倍の報酬を受けていた。妊娠中でありながら進んで天井画の部分も制作していた。一時は父親
オラジオの作品とされてきたものも見直され、彼女の真作として今日まで残るものはおよそ60点と数十通の書簡がある。

フェミニズムとの強い関連
しかし、彼女の性格を最も如実に示すものは、1612年におけるローマでの裁判所審問記録である。審問内容は彼女が19歳の時、彼女がアゴスチノ・タッシ Agostino Tassi にレイプされたことを供述したものである。タッシ は,彼女の父親(画家)の手伝いをしていたが、娘の才能開花のために遠近画法を教えようと雇った男だった。

この事件はローマで審問にかけられたが、当時の審問は女性にとっては今では想像を絶する屈辱的で拷問のような形で実施されたようだ。それでも彼女は、なされたことは、みんな事実ですと主張し続けた。他方、タッシは起こった事実を否定するように「私は彼女を愛している」と繰り返したらしい。判決ではタッシは無罪と思われたが、短期間ローマから追放された。詳細不明だが、この裁判記録の最後のページは逸失しているようだ。他方、父親オラジオは法王に娘の受けた心身の苦痛に補償を請願していた。当時レイプは女性の権利の蹂躙、侵害ではなく、いわば財産の損傷とされ、その補償が求められていた。この事件は、アルテメシアを現代に共鳴するフェミニストの強力な主唱者として位置づけることになった。

アルテメシアは、しばしば英雄的な女性をカラヴァッジョ風の情熱的で、時に鮮烈な作品として描いた。2018年、ジェンティレスキの《アレクサンドリアの聖キャサリンにおける肖像画》を、昨年ロンドン・ナショナル・ギャラリーが取得した。これによって、同館が保有する2,300点の内、女性による21番目の作品となった。同館の学芸員 Ms. Treves は、ジェンティレスキの位置づけはタッシの暴行の犠牲者というプリズムだけを通して見るべきではないとした。最近の#MeToo時代と言われる状況でもジェンティレスキは、依然として大望を抱いた女性が自分の受けた性的横暴を克服して、今日の地位を築いたという評価になっている。その後、さまざまに論議がなされたが、今日では彼女の人生は性と権力、苦痛と復讐の寓話になっている。それでも今日、彼女は偉大な芸術家でありフェミニストのヒロインになった。

この出来事をめぐって、その後多くの映画、演劇、などが制作された。しかし、およそ400年前の女性に関わる逸話は、今日のフェミニストの考えとは、似て非なるものだとの指摘もある。さらに検討すべき課題でもある。

彼女はその後結婚し、ナポリへ移り、自らの工房を持ち、父親の住むロンドンへ旅したりし、著名な女性画家として生涯を送った。

 

References 

’This soul of a woman’, The Economist March 16th−22nd 2019

ORAZIO AND ARTEMISIA GENTILESCHI, Keith Christiansen and Judith W.Mann
exhibition catalogue “Orazio and Artemisia Gentileschi: Father and Daughter Painters in Baroque Italy,” held at the Museo del Palazzo di Venezia, Rome, October 15, 2001-January 6, 2002: The Metropolitan Museum of Art, New York, February 14-May 14, 2002, The Saint Lousi Art Museum, June 15-September 15, 2002.


 

上記カタログ・カヴァー 

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