時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

分裂に向かうEU:復活する国民国家(1)

2016年09月17日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 激動の世界、状況は刻々と変化する。EUの難民問題、そしてBREXITのような人々の目を奪うような変化の裏側に、来たるべき大変化の予兆が感じられる。ヨーロッパは、第二次大戦以降、最悪の政治的危機にあるといってよい。

このブログ・シリーズ「終わりの始まり」というフレーズは、昨年来、一貫して追いかけてきた変化のいわば抽象的表現である。より具体的にはEUというヨーロッパの
諸国家からなる地域連合体がさまざまな原因で破綻し、変質、分裂に向かいつつある過程の象徴的表現である。その後、このフレーズはいつの間にか、メディアなどでも使われるようになった。


EUの破綻が急速に目立ち始めたのは2009年のユーロ危機の頃からであり、その後昨年来のシリア難民の大量流入、域内諸国における極右・反移民政党の台頭、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキアなどでの国境の復活・強化、そしてイギリスのEU離脱まで、一連の大きな変化が続いている。EUそしてユーロの今後に懐疑的な動きは次第に勢力を増している。ヨーロッパの統合の理想へ向けての期待は、日に日に薄れている。EUはどこへ向かうのか。今回はメディアの報じる内容とは、少し異なった観点からその行方を見通してみたい。

イギリスの「離脱」の本質を考える手がかり
 EU設立以来の歴史において最も衝撃的な出来事は、本年2016年6月23日に国民選挙によって決定したイギリスのEUからの離脱であることは改めていうまでもない。最近ではBREXITなる言葉でも語られるようになったこの問題はかなり淵源は深い。

 BREEXITという言葉を聞いたとき、筆者の脳裏に浮かんだのは優れた経済学者アルバート・O・ハーシュマンの提示した「離脱、発言、忠誠」というきわめて斬新なアイディアであった。

 すでに原書刊行後半世紀近い年月を経過し、本ブログの読者の方々にはなじみのない内容だけに、2,3の例を挙げてみよう。あるブランドの商品を長年愛用、購入してきた消費者がいるとする。最近その商品の品質が明らかに劣化したので、考えたあげく、購入を止め、他の商品に乗り換える。この行為は exit「離脱」という。他方、従来の商品に愛着を感じていた消費者が当該商品の製造元に、不満な点を通知し、改善されること希望するという書簡を送ったとしよう。製造元がそれに対応し、品質改善を行えば、消費者は以前から愛用する商品を継続して購入する。この行為はvoice 「発言」といわれる。

 別の例として、企業などの組織の成員が、組織の衰退につながりかねない問題を見いだし、その改善のために内部で、自ら改善案の提示など組織内で努力をする、この行為は voice であり、他方こうした内部的改善に限界を感じ、組織を離れるなどの行為を選ぶならば、exit 「退出、離脱」となる。この場合の「組織」は企業に限らず、国家でも、なにかの団体組織でも差し支えない。

exit とvoice は相互に影響し合う。たとえば、企業に勤める労働者が現状に不満であっても、外の労働市場に仕事の機会が少ない、海外への移住が困難などの状況であれば、現在の仕事にとどまり、その改善を図ろうとする。組織内で自分の発言が受け入れられ、問題の改善がなされれば、労働者が組織にとどまる傾向が増えるかもしれない。

ハーシュマンが提示したこの考えは、経済面と政治・社会面の双方を結びつける可能性を提示しており、きわめて有効な概念だ。しばしば「離脱」は経済理論、「発言」は政治理論になじむとも考えられてきた。しかし、現実の問題に適用しようとすると、それほど簡単ではない。

Albert O. Hirschman, Exit, Voice and Loyalty:Responses to Decline in firms, Organizations, and States, Harvard University Press, 1970 (矢野修一訳『離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応』、ミネルヴァ書房、2005年、なお邦訳は先行して、三浦隆之訳『組織社会の論理構造―退出・告発・ロイヤルティ』ミネルヴァ書房がある)。筆者もこの斬新なアイディアと理論化に魅力を感じ、ハーシュマンの考えをきわめて早い時期に労働経済分野に応用したフリーマン&メドフ「労働組合の 二つの顔」(桑原靖夫訳『日本労働協会雑誌』270, 1971.9)に着目、翻訳紹介を行っている。 

イギリスとEUの関わり
 実はイギリス(連合王国)は、当初からEUに大陸諸国のような完全なコミットをすることを避け、ある距離を置いてきた。EUの歴史を顧みると、今日のEUの礎石となったといわれる1952年の欧州石炭共同体(ECSC)の創設メンバーにイギリスは入っていない。1973年になってデンマーク、アイルランドとともにECに加盟している。その後も、シェンゲン協定などにも加入することなく、EU(ブラッセル)にとってはかなり扱いがたい存在であったともいえる。

EU離脱問題が国民的関心事となったのは2013年キャメロン首相が、2015年の総選挙で政権を維持できれば、EU残留の是非を問う国民投票を17年末までに行うとの方針を表明してからだ。

2015年5月の総選挙では当然EU離脱が争点となったが、キャメロン首相の与党・保守党が単独過半数を獲得した。そして翌年2月にEU離脱の是非を問う国民投票を行うと発表した。その後6月23日国民投票で僅差で「離脱」決定までの経緯は、ご存じの通りである。政治スケジュールの上では、来年早い段階でイギリス政府が離脱の正式申し入れをし、その後2年間の協議を経て、離脱が決まることになっている。

 ドイツやフランスのような大陸諸国は、当初からEUの発展と運営に深くコミットしてきた。イギリスは大陸諸国とは常にある距離を置いてきた歴史的経緯を持つ国だが、「離脱」への道あるいは可能性は潜在的には準備されていたともいえる。この点、たとえばフランスが「離脱」するとなれば、イギリスのようにはとても進まない。まず国内に「大激震」が起きることはすでに指摘されている。

1990年にはERM(欧州為替相場メカニズム)に加入したが、翌年ポンド危機を契機に脱退している。1999年に欧州単一通貨ユーロが導入されたが、イギリスはこのシステムにも加入せず、自国通貨ポンドを維持し、今日まできた。ここで注目しておきたいのは、イギリスはEUの枠組みの維持・遵守に当初から熱心というわけではなかったことである。1999年の単一通貨ユーロも導入しなかった。同年にはアムステルダム条約が発効したが、イギリスとアイルランドは「シェンゲン協定」にも加入していない。シェンゲン協定はアムステルダム条約でEUの枠組みに組み入れられたが、アイルランドとイギリスはシェンゲン協定関連の規定の適用除外を受けている(当時はトニー・ブレア首相)。
 

偶然が左右したEU離脱
 6月23日の国民投票が僅差で「離脱」に決まったことは、その後の対応を困難にすることは以前に記した。Exit とほぼ同じくらいの確率で、voice が選択される可能性もあったからだ。実際、選挙前の下馬評では「残留」派優位とされてきた。このことは、「離脱」後 (After BREXIT) においても、国内に多数の不満を抱える国民が存在することを意味する。実際、ロンドンなどではEUへの「残留」を求める人々のデモが行われている。「離脱」派の人々は、EUからの移民・難民の受け入れを拒否する一方で、貿易面においては従来通りの市場アクセスを求めている。大陸側からすれば、きわめてご都合主義の要求であるとして、対応の硬化も感じられる。

 注目すべきは、若い世代の多くは「残留」を選択したという投票結果にある。Exit を選んだ年齢の高い世代は「古き良き(孤高の)イングランド」をどこかに夢見たのかもしれない。「離脱」派の49%が「英国についての決定は英国で行われるべきだから」との回答を選び、33%は「移民政策」をあげた(Lord Ashcroft Polls, 2016)。「残留」を支持した者は、概して上流階級、富裕層、大学卒など教育水準の高い者、「離脱」を支持した者は労働者階級、教育水準が中等教育終了以下の者が多いといわれる。前者の英国の国家権限についての感想には、後者の移民政策と重なる部分があるかもしれない。言い換えると、移民政策もEU(ブラッセル)の言いなりにはなりたくないと考える人々が当然いることだろう。    

国民国家の復活
 この問題について、筆者はかねてヨーロッパにおける国民国家 nation statesの復活という点に着目してきた。「国民国家」とはなにか。議論し始めると大変長くなってしまうが、簡単にいえば、ある地域、領域の住民、ほとんどは単一の民族を国民として統合することで主権国家として成立させた概念といえる。そして「国民国家」はグローバリゼーションと多文化主義の展開の下で、減衰してゆくと考えられてきた。

EUの成立と拡大の過程で、加盟国間の国境の壁は低くなり、人の移動に制限はなくなり、国家主権は次第にEU(ブラッセル)に集約されるとの構想だった。このいわばEU国家への政治的統合を通して、従来の国民国家は衰退、消滅の道をたどるとされてきた。しかし、EU域内の現実を見ると、統合は一筋縄では実現しない。それどころか、成功を収めることなく、かつての道を逆戻りする公算がきわめて高くなっている。

 すでにBREXITは誤った決定であったとの判断がヨーロッパを含め、世界の主要国の間でかなり一般化している。Ipsos Moriという世論調査機関が行ったイギリス(連合王国)との貿易とBREXITをめぐる理解についての結果をみると、興味深い傾向がみてとれる。

EU加盟国は当然ながらイギリスとの貿易依存度は他の地域の国よりも高いが、EU加盟国の間でのスペイン、ベルギー、スエーデン、ドイツなどはかなり高い比率でBREXITは誤った決定だったと評価している。イタリア、フランス、ポーランドなどはそれほど高くない。EU(ブラッセル)が図抜けて高いネガティブな評価をしていることは当然だろう。アメリカ、インド、オーストラリア、日本などの非加盟国はBREXITを比較的肯定的にみているが、日本、カナダなどは誤った決定とみる比率が比較的高い。

Source: "The start of the break-up," The Economist August 6th 2016

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 イギリス政府はキャメロン首相の辞任により、メイ首相になったが、首相自身が「残留」派であり、「離脱」することなどまったく予想していなかったといわれる。そのため、議会の答弁においても今後いかなる方向へ進むか、ほとんど白紙状態であり、将来展望を持てないでいる。イギリスは混迷状態から抜け出るに多大な時間と労力を必要とするとみられる。

 EUは、今後いかなる道をたどるのだろうか。その前途は問題山積であり、27カ国となった大陸側諸国とイギリスの双方にとって、厳しい道のりとなった。もう少しその行方に目をこらしてみたい。


Reference
John Peet and Anton La Guardia, Unhappy Union: How the euro crisis- and Erucope- can be fixed, London: The Economist 2014. 

続く

 

 

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