ハドソン川とニューヨーク市中心部
黒色線は航空機の想定飛行経路(筆者加筆)
始点はラガーディア空港
到達点はニューヨーク市ハドソン川フェリーターミナル付近
先日は一冊4.5キログラムの書籍を話題としたが、今日は約70トンの航空機のお話。
半年ほど前から本ブログに掲載しているアメリカ、ニューヨーク市のハドソン川についての記事に、雑誌社などから2,3の問い合わせがあったが、なぜ同じような質問がなされたのか分からずにいた。ハドソン川の問題については、上記の記事以外にも何度かブログに記しているが、筆者の関心はこのアメリカを代表する川の歴史的・自然環境的側面にあり、今回取り上げる航空機事故のその後の推移については考えたこともなかった。
9月4日、新聞の折り込み広告を見て、なるほどと思った。2009年1月15日、酷寒のニューヨークで起きた「ハドソン川の奇跡」といわれる航空機事故に関連している。文字通り奇跡としか思えなかったハドソン川への航空機の不時着、そして155人の乗客全員が生存、帰還しえたという驚くべき出来事。ここまでは、当時日本でもかなり詳細に報道された。
このいわば奇跡の表側の事実については、当時オン・サイトでスリルにあふれた出来事がメディアで報道され、率先して乗客の救済に当たった機長や乗務員、さらに当時現場付近を航行中であったフェリーや民間船舶の懸命な支援活動が報じられた。この出来事は、たとえてみると、東京の隅田川に大型の航空機が突如として下降、着水するような、通常では想像も出来ない光景だった。その内容から、アメリカの歴史に残り、長く語り継がれることは疑いなかった。
広告*は、この出来事の主役であった事故機の機長サレンバーガー氏の個人的問題を中心に、これまでほとんど報道されることのなかった奇跡的事件の後日談が映画化され、日本でも近く上映されることを告げていた。
このブログでもたまたま、筆者の昔の個人的思い出などもあって、多少長く記したことがあった。この事件が起きる前には、同じ飛行経路を乗客としてノース・キャロライナまで、今はお亡くなりになったO先生(上智大)に同行、当時注目を集めていたミニ・ミルの調査に出かけたこともあった。
この「ハドソン川の奇跡」の裏で、国民的英雄となったサレンバーガー機長をめぐる、もうひとつの事実の展開があったということは知らなかった。この出来事の表と裏をクリント・イーストウッド監督が映画化したのだった。全米のヒーローとなったサレンバーガー機長の役を演じるのは、「ダ・ヴィンチ・コード」などで2度のアカデミー賞主演男優賞に輝くトム・ハンクスという最高の配役だ。これはどうしても見てみたい。
映画では、この想像を絶する環境で乗客全員を救った機長は、なぜ過失責任を問われることになったのかが語られるようだ。このブログでも、表の事実はかなり詳細に取り上げた。ハドソン川のこの地域は、事件が起きるまではあまり意識していなかったが、気づいてみると、これまでの自分の人生で格別の思い出があるところだった。
改めて、マンハッタン島、ニュージャージ州に挟まれたハドソン川の事故機の着水地点を地図で見てみた。サレンバーガー機長操縦の航空機はニューヨークのラ・ガーディア La Guardia Airport を離陸した直後、二つのエンジンの双方に一羽2.5から8.2キロに近い大型の鳥カナダ・ガンが飛び込んでしまい、エンジンがまったく機能しなくなってしまった。いわゆる「バードストライク」という事故だ。機長としては、なんとか航空機が空中で操縦対応が出来る短い時間に不時着の場所を決定しなければならないという厳しい場面に追い込まれた。
当時の航路を見ると、この航空機US1549便は、当日の午後3時25分ラガーディア空港を離陸した直後に事故に遭遇し、エンジンがすべて停止、機長は空港には戻ることができないと判断した。地図で見れば素人目には、少し前に離陸したばかりのラガーディア空港が距離的には最短に思われるが、おそらく急旋回などの危険な操縦は失速などを引き起こし、リスクが多いと思ったのだろう。機長が選んだのは、緩やかに旋回してハドソン川に下流に向かって不時着するという選択だった。筆者はかつてこの川の歴史に興味を抱き、友人と共に遡行した経験があった。ニューヨーク市の北方に多少川幅が広い地域があるが、概してはるか上流のシャンプレイン湖近くまでは、航空機の大きさと比較すると、川幅は狭い。今、地図上でみると、ロングアイランドの岸辺近くの方が安全のような印象も持った。しかし、機長は不時着して重い機体が水面に浮いている間に、乗客を安全に救出できる場所はどこかということまで考えていたようだ。後になって分かったが、機長に残された時間はわずか208秒だった。
機長が選んだ地点はハドソン川の河口に近いオランド・トンネル Holland Tunnel(1927年完成)に近い場所だ。筆者は一時期、このトンネルを通って、マンハッタンとニュージャージ州のエセックス・フェルズにある友人の家に週末、滞在していたことがあり、ニューヨークに出た時は、帰途マンハッタンのバス停からこのトンネルを何度も通ったなつかしい所でもある。9.11同時多発テロで消滅してしまったワールド・トレード・センターにほど近い。その少し上流 Lower West Side と呼ばれる地域にはリンカン・トンネル(1937-52年完成)という4本の川底を通るトンネルがある。さらに上流のワシントン・ハイツ Washington Heights と呼ばれる地域には、対岸のフォート・リーFort Lee にかけて、巨大なジョージ・ワシントン・ブリッジが架けられている。この空中高くそびえる橋への激突などは絶対避けねばならない。この橋から下流は川底トンネルでニューヨークとニュージャージが結ばれていて障害となる橋はない。しかし、下流に行くほど大小の船舶の往来が激しくなる。
サレンバーガー機長は地上の状況にも通じていた。旋回した航空機は巨大なジョージ・ワシントン・ブリッジを巧みに避け、かつてのヤンキーズ・スタディアムを左下方に見ながら、ハドソン川へと高度を低めてフィフス・アヴェニューに通じるフェリー乗り場の前に見事に着水した。実際にこのあたりをボートなどで通行してみると、河口に向かって多数のフェリーや各種の船が頻繁に往来している。それらに衝突でもしたら、航空機ばかりか当該船舶の乗客にも被害が及ぶことになる。その川面を数百メートルもバランスを失うことなくグランド・ゼロで滑走させ、救援の最も期待できるフェリー乗り場の前に着水停止させたという神業的な着水を成功させた。管制官にハドソン川に着水すると連絡したのは3時27分、3分後の3時30分には川面に着水、停止していた。35分ころから救援活動がはじまった。機長は上空から救援を手助けしてもらえそうなフェリーなどを期待しながら、障害物を避け、このきわめて難しい操縦をやってのけた。
その後、期待したとおり、フェリーが乗客・乗務員の救出に当たったなど、アメリカらしい人道的な対応を多くの人たちが率先して支援したことで、歴史に残る感動的な出来事となった。
機長は、刻々迫る最終期限の制約の下、文字通り沈着冷静に約79トンの航空機を時速240キロで見事に着水させ、ひとりの死傷者も出さなかった。切迫した時間に、機長は冷静沈着な判断力と長年培った高度な操縦技術でこの難事切り抜けた。しかし、世の中には前代未聞なことであっただけに、口数少ない機長の決断内容と対応に予期せぬ追求などがあり、過失責任を問われるまでにいたった。サレンバーガー機長は、こうした社会の理不尽になにを考えていたのだろうか。
サレンバーガー機長について、これまで語られることのなかった奇跡の裏面を映画化しようと思い立ったイーストウッド監督の非凡さはいうまでもないが、なによりも知りたいのは急迫した環境で下した機長の決断にいたる過程を映画で追体験してみたい。
映画『ハドソン川の奇跡』の公式サイト:
http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/
* The Asahi Shimbun Globe, September 2016 No.185