UTRECHT CARAVAGGIO AND EUROPE, exhibition catalogue cover
『令和』*の時代を迎えて、世の中はなにかと騒がしい。しかし、今後この時代が、後世いかなる時代イメージを伴って認識されるかは、まったくわからない。しかし、長い時間を挟むことではっきり見えてくることがある。
このブログで何度もとりあげた16世紀ローマを主たる舞台に鮮烈な印象を後世に刻み込んだ画家カラヴァッジョ(1571-1610)とその画壇への影響力も、その例である。雑事が重なり、今年3月までユトレヒト中央美術館で開催されていたカラヴァジェスティ展(カラヴァッジョの画風・スタイルなどの後継者)の分厚いカタログを読了するには大変時間がかかってしまった。
新たな知見
ユトレヒト・カラヴァジェスティに関する特別展に限っても、これまで1952, 1986/87, 2009年に行われており、今回が4回目になる。ブログ筆者も全てを見たわけではないが、嬉しいことは毎回、新たな知見が得られることだ。この間、特に今世紀に入って、これらの画家についての研究が着実に進んだことを示している。今回もいくつかの指摘に目を開かれた。
検討される地域はイタリア、スペイン、フランス、フランダースに及んでいるが、柱になっているのは、三人のユトレヒト・カラヴァジェスティ、Hendrick ter Brugghen (1952-1629)、Gerald van Honthorst(1592-1656) およびDirve van Baburen (c.1592/93-1624) である。
カラヴァジェスティの生まれた時代環境
17世紀までのイタリア・ローマは、世界のいたるところから文化、芸術の極致を求めて集まる中心地であったが、現代世界は多様化・分散化していて、そうした場所は見当たらない。17世紀初め、とりわけ1600-1630年は2700人近い画家たちがローマに画家として登録しており、そのうち572人は外国人でほぼ同地域に居住し、若い画家たちの中には、住居を共にしていたものもかなりあったようだ。彼らの中で若い画家たちはカラヴァッジョのリアリズムの画風を拡大しようとの集まりもあったようだ(International Caravaggio movement)。ローマは文字通りヨーロッパの文化センターであった。観光客と日本人のやらなくなった仕事を求めてくる外国人が目立つ今日の日本とは大きく異なった状況だ。
何れにしても、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの謎の遍歴仮説もかなりその道が見えてきたようだ。
ユトレヒトの大きな役割
カラヴァッジョ亡き後のカラヴァジェスティもその知名度、作品評価などによって、かなりの数に上るが、上記の三人はやはり中心的存在である。今回の企画では、年譜に沿いながら、ユトレヒトからローマへ行き、再び故郷へ立ち戻って活動した三人のカラヴァジェスティの位置づけ、その後の伝播、作品の交流・分散などがテーマとして明確に示されている。本ブログで興味の赴くままに断片を記してきたユトレヒト・カラヴァジェスティの全体像が一段と確立されている過程が整理されている。
今回の展示では、ホントホルストの《聖ペテロの磔刑》1616年作が、この画家がローマで活動していた最初の証明として挙げられている。
ホントホルスト《聖ペテロの磔刑》1616年
The Crucifixion of St Peter, 1616 pen on paper, brown wash, 178x265 mm, Nasjonalmuseet for kunst, architlktur of design, Oslo
さらにヘンドリック・テル・ブルッヘンの《受胎告知》1629年作 Diest, が、彼の死去の年の作品として展示されている。この作品は見たことがなかった。バビュレンはこれより前の1624年に世を去っている。そして、ホントホルストは次第に以前の古典的スタイルへと回帰している。
テル・ブルッヘン《受胎告知》1629年
Hendrick ter Brugghen, The Annunciation, 1629, Canvas, 216.5 x 176.5cm, Signed and dated, Dtadsmuseum De Hofstadt, Diest
今回のユトレヒト展には78点が出展されたが、1点を除き全て1600年から1630年の時期に制作されており、この時期がユトレヒト・カラヴァジズムの盛期であったことを暗示している。展示カラヴァッジョの作品および16人の同時代の画家たちは、全てローマへ行った第一世代であった。展示にはデ・リベラ Jusepe de Ribera (1591-1652)とマンフレディ Bartolomeo Manfredi (1582-1622)の作品も展示されていたことは、彼らがバビュレンとテル・ブルッヘン を含めて、当時の画家の世界でいかなる位置を占めていたかを知るにきわめて興味ふかい。
機会が許せば、多くの興味ふかい論点も記したいが、その時間は次第に限られてきたようだ。
REFERENCE
'Utrecht, Caravaggio and Europe' by Brend Ebert and elizabeth M. Heim
ティールームの話題
* 10連休の影響で遅れて配送されてきた英誌 The Economist April 27th-March 3rd, 2019 は「君主制の免疫」Sovereign immunity と題し、日本の天皇退位と新皇室の誕生を例に、世界における君主制の変遷を追っている。多くの国では君主制は過去のページの残渣の様に見える。一部の国で君主制が栄えている背景の一つは、民主制の困難さのゆえにあると論評している。20世紀初め160か国あった君主制は今日40か国程度にすぎないと記している。BREXITに悩むイギリスが君主制を維持していることは、日本との対比において興味ふかい。「午後のティールーム」では話題として、ちょっと議論を呼びそうだ。