土屋龍一郎のブログ

土屋龍一郎のブログです。

「セプテンバ-11」

2006-01-14 04:30:51 | Weblog
 「セプテンバ-11」を、ビデオで見た。
 最近贔屓にしているレンタルビデオ屋さんでレジの女の子に「5本借りるとスペシャル割引価格にります」と、言われて陳列棚に戻り、そういうことならば、ということで借りたのがこの作品だ。

 いま、なぜ?と、聞くのならば、
 では、あの事件は終わったのか?と聞き返したい。
 私は実はあのときマンハッタン島にいた。仲間の必死の努力で9月16日の誕生日までになんとか帰国することができた。しかし日本に近づくにつれて、長野に近づくにつれてあの恐怖と緊張感が緩んでしまって、「世界」「戦争」ということに対して恐ろしく啓発された一人の人間から、ある普通の日本人に戻ってゆくのを感じていた。以降、折に触れてあの記憶と体験を忘れまいと目に入る資料やら書籍を手にしてきた。それが今日でもまだ続いているのだ。

 さて、2002年にフランスで企画されたこのフィルムは11人の映画監督が、11分9秒づつ撮った作品を繋げてある。
 この映画を見ると世界各国の監督によってこんなにもあの事件の捉え方が違うのか、とびっくりさせられる。短い限られた時間の中で「あの日あの時」を表現してゆく。聾唖の女性とそのボランティアの男性に起きる事件では、いきなり耳の不自由な人の世界へ投げ込まれて圧倒されてしまいめまいがしたほどだ。映像的に工夫があるいくつかの作品のうち、ショーン・ペン氏の作品の美しさと悲しさは秀逸である。エッジの研がれた刃先で色を切り取っては油絵的に重ねた感じだ。メディアの騒々しさと悲しさを大胆に描いたテヘランの爆破を描いた作品では、あの時、NYのテレビで見た日本のマスコミの醜さを思い出して胸焼けがしたほどだ。今村昌平氏の作品は世界の人が求める日本映画的構成になっていた。「聖戦なんて・・・・」という最後の一言は入れない選択もあったと思う。「お国のため」の第二次世界大戦をモチーフにしている。

 重たい気持ちで見終わった今、21世紀最初の年に世界の歴史を変えたあの事件を思い出して、今年の9月11日にもNYへ行っていたいという気持ちが強く起きている。