2024年10月6日 富田林市本町16-28 富田林市立中央公民館
10:00 秋の講座で「ええとこ富田林~富田林の民話を知る・学ぶ・歩く」という講座が開催されました。
富田林市には91の民話があります。全4回で紙芝居や朗読で富田林の民話をご紹介し、民話に登場する地域をまち歩きします。講座は館内2回、館外(まち歩き)2回、に別れて開催されますが、今回は第1回目の館内講座「富田林地区の民話」ご紹介です。
朗読は富田林民話かたりべ会で行ない、その解説と別の日のまち歩きは富田林百景が担当しました。
お話されているのは、富田林民話かたりべ会 会長の冨永清子さん。
本日は富田林寺内町地区およびその周辺の村々の民話を4つ、語りや紙芝居などでご紹介しました。
最初は「めおといちょう」新堂 光盛寺(語り) *住所は旧住居表示です。
いちょうの木が大きくなって屋根に掛かるので、和尚さんと弥助が立ち話で木を切ったらどうかの話をしていました。その晩、「どうか木を切らないで」とイチョウの木に顔を伏せて泣いている女性が現れます。弥助さんと村の衆がそれを見て、木の精と察し、切らないようにお寺に頼みに行きました。次の年の秋、ことさらみごとな黄葉と銀杏がたわわに実りました。
民話では「めおといちょう」として、雄株・雌株のいちょうの話が伝わります。民話では切られずに済みましたが、現在は1本しかない。雌株ですが、銀杏が成りません。昔は成っていたそうですが、近所のご婦人にお話を聞くと昔イチョウの枝を短く切るまでは、銀杏が採れたとの事。解説は富田林百景のメンバー。
「城山の石像」 毛人谷(えびたに)リレー語り 3人の方が語り継いでいかれます。
城山公園(毛人谷城跡、現富田林モータースクールあたり)にあった楠木正成と家来の富田七郎・八郎の石像のお話。
富田林の西山に『毛人谷城』という大楠公さんの重要なお城がおましたんや。そこを地元の富田七郎・八郎兄弟が守っていましたんや。そんで昭和の時代(戦前)になってこの辺を「城山公園」にして富田兄弟の遺徳をしのんで大楠公さんとともに立派な石像を建てはったんですわ。地元の青年や小学校の生徒さんたちが何日も何日もかかって作ったコンクリートの石像でんねん。ところがや、戦後になって城山公園は荒れ放題。いつの間にやら公園も石像もなくなってしまいましてん。』
今の富田林モータースクールあたりは、戦前は城山公園があり、楠木正成と家来の富田七郎・八郎の石像があったようです。そこは鎌倉末期に楠木正成が毛人谷城を築いたところと云われています。毛人谷城は大楠公の支城群のひとつで、羽曳野丘陵の東端に築かれ周りの中野城、篝(かがり)山城、龍泉寺城などへの「のろし伝達」や兵力の移動のなど大切な役割を担っていました。
「こんにゃく橋」新堂・北大伴(紙芝居)
新堂村と北大伴村の石川に板だけの木橋が掛かっていました。板の木橋なので渡るとグラングランするので村の人は「こんにゃく橋」と呼ぶようになりました。そのねきに仲の良い兄弟がいました。ある日、西山の奥の悪い鬼が来て、大暴れしました。兄弟は富田林の酒をたくさん置くと、鬼は酒を飲み干して、橋の上で寝てしまいました。そこで兄弟は橋の上でシコを踏むと、ビックリした鬼はドボーンと川に落ちて、堺の海まで流され、二度と戻ってくることはありませんでした。
悪い鬼を兄弟がやっつける民話です。原作は鬼でなくキツネが出てきます。民話は口伝ですので、少しずつ内容が時代とともに変わることがあるようです。民話は現在進行形の物語ですね。
江戸時代はこういう木橋が普通でした。江戸時代後期の富田林村絵図においても、板を重ねたような木橋が描かれています。大水が出ると大切な板が流されてしまうので、板を外して保管するか、橋脚と板を縄で結わえていたようです。
「碁の上手なきつね」 毛人谷 西方寺 プロジェクター
西方寺の与九郎狐。じいさんに化けて住職と碁を打ったのがばれて村人の罠に掛かかります。
碁の上手な狐が「与九郎」という老人に化けて、西方寺の住職らと毎夜、寺で碁を打っていました。ある日「きつね」であることがばれてしまい、負かされた留吉と与八はとても腹をたて罠を仕掛け、それにかかり死んでしまいました。
可哀そうに思った住職は、祠を建てて冥福を祈りました。
西方寺境内に与九郎稲荷が祀られています。きつねは富田林の民話によく出てきて人をばかします。現在富田林ではきつねは全く見かけませんが、たぬきは彼方おちかた)の奥の谷や嶽山にいるようです。
今でも「きつねにつままれる」という言葉はよく使いますね。
受講者は多く、30名ほぼ満席でした。民話は語り継がなければ消滅します。多くの方に富田林の民話を知っていただきたいと思います。
〈館内講座〉
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〈関連まち巡り〉
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