〈リバイバル・アーカイブス〉2023.11.27~12.11
原本:2022年11月29日
2022年11月23日 11:06 南河内郡河南町弘川 竜地山弘川寺
河南町の南東部、葛城山の西麓に位置する谷あいの地に、弘川寺はあります。真言宗醍醐派の準別格本山です。
ちょうど紅葉のピークに当たり、多くの参拝者が訪れています。
落葉をひろう方、写真に収める方。
もみじ葉流る...弘川の里。
天智天皇4年(665)、役行者によって創建されたと伝えられ、天武天皇5年(676)にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたといいます。
平安前期の弘仁3年(812)空海によって中興され、文治4年(1188)には空寂上人が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、天皇の回復により、その功によって奥の院として善成寺(後の弘川寺)を建て寺号の勅額を賜わったといいます。
翌、文治5年(1189)には空寂を慕って西行法師がこの寺を訪れ、この地でわずか1年で文治6年(1190)2月16日(新暦3月31日)没しています。 1年で亡くなった無念さがこの真っ赤な紅葉に表れているようです。しかしこの1年は彼にとって充実した日々であったようです。
本坊横の庭園
色変わりのもみじと真っ赤に色付いたもみじで深みのある色彩です。うまく時期が合えばこんな感じ。
早ければ落葉がないし、遅ければ色が単一で、落葉がシワシワ。±4日くらいの差。
別世界のような色合い。
大きな杉の木が目立つ本堂付近。
本堂まわりも色付きました。
本堂からは尾根伝いに登って行きます。
本堂からの坂を登っていくと、順に西行堂→似雲墳・西行墳、歌碑があります。
そしてさらに尾根沿いを進んでいくと、西行桜山。ここには西行庵や似雲庵があります。
手のひらのような枝分かれの真ん中に実が落ちたのか、それが黄葉。
西行墳
西行法師は諸国を行脚遍歴したあと、桜の花の盛りの満月の夜、弟子慈円らに看取られて、ここ弘川寺で73歳の生涯を閉じました。
西行歌碑
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
ここから上は周遊路・西行桜山。
尾根道を登って行く周遊路で、北側の谷筋に桜やもみじのの紅葉が見られます。
特に周遊路は景色にも変化があり、歩く人の目を楽しませてくれます。
気力で登ってきた人の声が「わぁ、きれい!」。登ってきた甲斐がありました。
さらに周遊路を登って行くと杉が植林されていました。
すこし登ると景色が開けて、大阪平野が望めます。
もう少しすると葉っぱも色付く南天。「難を転じて福となす。」
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写真撮影:2022年11月23日
2022年11月29日 (HN:アブラコウモリH )
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