〈リバイバル・アーカイブス〉2023.9.4~9.18
原本:2019年12月1日
記事を追加更新しました。 12.01.アブラコウモリH →
11月23日、富田林市教育委員会文化財課及び中央公民館講座富田林百景+協賛でまち歩きイベント「絵図で歩く富田林寺内町」が開催された。当日はポカポカ陽気の晴天で応募者33名が参加者された。午前2班・午後2班に分かれて、市指定文化財、江戸後期の絵地図を参考に、現在の景観と比較しながら、約2時間かけて通常の町めぐりと少し違った感じで寺内町めぐりを行った。なお、富田林市指定文化財第1号「富田林寺内町絵図」の実物が11月1日~令和2年1月13日まで、寺内町センターで展示されております。また、小生が参加した午前・午後の町あるきの一部を紹介します。 2019.11.23 撮影
じないまち交流館で午前・午後、参加者に担当者が挨拶と町めぐりの概要を説明。
午前・午後2班に分かれて、じないまち交流館を出発。
三昧口出入口(墓道):宝暦三年(1753)絵図。現在本町地蔵。
飴屋口:宝暦三年(1753)絵図、土塁の外側、土居・悪水の表記。現在、溝は暗渠で土塁は宅地化。
巡礼街道出入口、道標の位置移動。現在、北口地蔵。
一里山口、東高野街道出入口、高札場と一里塚の跡の確認(1班、2班が交差)。
悪水放場。段丘面からの谷を利用して生活用水や雨水の下水道として利用。
越井家煉瓦塀(イギリス積み)
奥谷家横の用心堀、岩永橋。城の門筋防火水路現在暗渠化、防火用水。
あて曲げ。城の門筋と南会所町の交差点。道路が1m以上ずれている。
興正寺別院前。北側堺町路は東高野街道・巡礼街道・富田林市街道の合流地点。
じないまち展望広場。崖は比高10m程の河岸段丘崖。
山中田坂。富田林街道出口(千早街道、観心寺道)。高低差10m程、石川の石で石垣。
石川河川敷から見た、亀ケ阪口。
悪水放場
水車跡、悪水と井路(農業用水)の合流地点。水車で使用したであろう(大石うす)を使用した石垣。
向田坂口。東高野街道・巡礼街道の出入口。天保八年(1837)の絵図では、出入口に四つの門が有り、現在、向田坂口の門のみ、南大伴町の円照寺(廃寺)に移設され現存している。
仲村家住宅。大阪府指定文化財。
富田林市指定文化財第1号「富田林寺内町絵図」の実物が11月1日~令和2年1月13日まで、寺内町センターで展示されております。
その内の一部を紹介します。
2019.11.23 kusu
富田林村絵図の公開は2020年1月13日まで、寺内町センターにて展示されています。
なお、富田林市指定文化財第一号 富田林寺内町絵図(7鋪(しき)一括)が一括して展示公開されるのは、今回が初めてとなります。
実物の色合いや質感をぜひご自分の目でご確認ください。
場所:寺内町センター - 魅力発信・観光ポータルサイト - 富田林市役所 ...
〈ご案内〉
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〈町めぐり資料〉
当日の行程表
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幕末の復元地図
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等高線・水路・街道図
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絵図の解説
展示でも詳しい解説がされています。
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7枚の絵図の比較表
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現在展示中の富田林寺内町絵図 冨田林市指定文化財 第一号(7枚とも)
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あわせて、明治・大正期の富田林村の絵図も展示されています。
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富田林村全体を描いた一番古い絵図
部分を描いた絵図はもっと古い時代のものが現存しています。
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絵図の翻字
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明治二十年(1887)の実測地図 地番まで書かれています。
新しくできた郵便局、警察署、郡役所、戸長役場などが描かれています。
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大正十四年(1925)の富田林町全図
富田林村は明治二十二年(1889)にとなりの毛人谷(えびたに)村と合併し、明治二十九年(1896)に富田林町に昇格しました。
近鉄 富田林駅(当時 大阪鉄道)に多くの引き込み線が描かれています。
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2019年12月1日 HN:アブラコウモリH
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