3つの車両が並んだこの駅は明治31年(1898)1月30日に高野鉄道(南海高野線の前身)が大小路駅(現在の堺東駅)~ 〇〇駅間を開業した時の最初の駅で、終着駅でした。
駅のプラットホームの屋根の柱には、古い線路が使われています。
現在は終日無人駅となっています。
駅ができて121年が経過、染井吉野の老木もとりあえず健在です。
ホームの真ん中に桜やつつじが植えられているのは、珍しくないですか?
旧のプラットホームの跡が見えます。
駅を間違う人が多いようでです。似た名前の駅ですから...
ホームは一見相対式2面2線に見えますが、実はなんば行き側の2番ホームは島式で、3番ホームがあります。
現在は工事車両の留め置き用に使われていますが、かつては折り返し洗車のホームとしても使われていたようです。
今は旅客用には使われていない3番ホームともう1線、待避線があります。工事車両はディーゼル車のようです。
駅の北側の線路。
左側の車止めの先には、かつて富士車両という南海電車を造っていた工場がありました。ここがその引込線の跡になります。
昭和44年(1944)~昭和61年(1986)まで工場があり、南海電車を始め大阪市の路面電車や旧国鉄の客車などを製造していました。今はハーモニータウン(狭山自由丘と堺市東区南野田)という住宅地になっています。
さて、この駅どこでしょう?
〈解答は画面をクリックしてください〉
かつては富士車両の工場に至る引き込み線であった線路の車止め。横をなんば行の電車が走ります。
桜の特急「りんかん」
狭山駅から大阪狭山市駅間は、狭山池が築造される前に河川であった氾濫原跡を通るため、盛り土がされています。
その土手には満開の染井吉野。
駅前を通るのは下高野街道。
四天王寺さんから南下、狭山駅の前を通り、今熊地区のおわり坂で西高野街道に合流し、紀見峠を経て高野山に向かう道。
池尻地区の街道沿いに祠には2体のお地蔵さまが仲良くおられました。
撮影日:2019年5月3日、7月14日
事前に写真を撮って、館内学習で作りました。
2019年7月30日 ( 2019年度富田林百景+ 板谷 武史&林 保夫 )
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