マナー本
2007-06-15 | 随想
ラジオのDJが次のような投稿を読んでいた。
「御呼ばれがあったので、マナー本を買って勉強したが
杓子定規に立居振舞をいちいち細かく書いてあり、
閉口した。
本当に大切なのは礼をつくす心であって、それがあれば
このような本を鵜呑みにする必要はないのではないか」
半分当たってて、半分間違っていると思った。
確かに一番大切なのは礼をつくす心だが、
その心ってのは目に見えなくて伝わりづらいものだから、
それを形に表わそうとしたものが作法であると思う。
たとえその人がどんなに礼をつくしたつもりでも
立居振舞が相手に不快感を与えたのでは意味がない。
そういう振舞をとことん削っていったものが
作法ではないか。
(私は作法については全く習ったことがないので
もしかするともっと積極的な意味もあるのかもしれないが)
”心があれば形はどうだって良い”というのは
”形に気を配るほど心が無い”とも
取られても仕方が無いのではないだろうか。
とかなんとかいいつつ、
無礼千万に方便し放題のアホウな管理人によって
このBlogは作られているのだ。
「御呼ばれがあったので、マナー本を買って勉強したが
杓子定規に立居振舞をいちいち細かく書いてあり、
閉口した。
本当に大切なのは礼をつくす心であって、それがあれば
このような本を鵜呑みにする必要はないのではないか」
半分当たってて、半分間違っていると思った。
確かに一番大切なのは礼をつくす心だが、
その心ってのは目に見えなくて伝わりづらいものだから、
それを形に表わそうとしたものが作法であると思う。
たとえその人がどんなに礼をつくしたつもりでも
立居振舞が相手に不快感を与えたのでは意味がない。
そういう振舞をとことん削っていったものが
作法ではないか。
(私は作法については全く習ったことがないので
もしかするともっと積極的な意味もあるのかもしれないが)
”心があれば形はどうだって良い”というのは
”形に気を配るほど心が無い”とも
取られても仕方が無いのではないだろうか。
とかなんとかいいつつ、
無礼千万に方便し放題のアホウな管理人によって
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