クリスマスが近づくころ、街はライトアップやイルミネーションの光できらびやかに彩られ、人々の心を浮き立たせる。
港に近い横浜の中心地でも、山下公園に沿って建ち並ぶホテルやマリンタワー、元町ショッピングストリート、そして山手西洋館建物など多くのスポットが競うようにロマンチックな輝きを放つ。
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いまから120年ほど前、未だそのあたりが外国人居留地と呼ばれていた頃のある晩、やはり街は光をまとい輝いていた。
主の生誕ではなくヴィクトリア女王即位60年を祝うためである。
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1897年(明治30年)6月22日火曜日午前8時。
港に停泊中の英国海軍巡洋艦グラフトン号にロイヤルスタンダード旗が高々と掲げられると、それを合図にバンド(山下)からもブラフ(山手)からも次々と花火が打ち上げられた。
バンドは各国の商社が建ち並ぶオフィス街、ブラフはそこに勤める外国人達の住宅地。
彼らの多くを占める英国人達にとって、祖国の女王陛下即位60周年を祝う一日が始まったのである。
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英国領事トループはこの日、横浜・東京の英国人コミュニティを代表してロンドンのバッキンガム宮殿宛てにヴィクトリア女王陛下即位60年を寿ぐ祝電を打った。
神奈川県知事及び各国領事が祝意を示すために領事館を訪れた。
パレードやレース、パーティーなど心躍るイベントが次から次へと用意されており、ビジネスは休業。
横浜正金銀行や商業会議所など英国にかかわりの深い日本の事業所も休みとなり、梅田横浜市長と横浜商業会議所、横浜製茶売込組合、横浜海産乾物商組合等を代表する原善三郎、大谷嘉兵衛らから領事館に祝いの花束が届けられた。
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祝賀の礼拝が105番のクライスト・チャーチで行われた。
10時の開始を待つことなく堂内は既に満席。
前の方にわずかに残された空席はトループ英国総領事、神奈川県知事をはじめ英日の高官や軍人らのための貴賓席で、礼拝が始まる頃にはそれらも埋まり、通路はおろか溢れた人々が建物の外に群れなす有様となった。
やがて聖歌隊、オーケストラ、会衆が一体となって讃美歌を奏でると礼拝が始まり、英国女王、王室、天皇陛下のために祈りがささげられた。
司式を務めるアーウィン牧師は、英国民にとって記念すべき日を寿ぐにあたり、説教に加えて女王を称える詩を朗読した。
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グランドホテル
正午、突然の轟音が港の空気を震わせる。
軍艦八重山を始め、満艦飾の各国軍艦から王礼砲が発射されたのだ。
礼砲射撃の最後の一発が放たれると、次に聞こえてきたのは“God Save the Queen”の麗しき歌声。
居留地の歌姫、モリソン夫人が港に面したグランドホテルのベランダに現れ、その傍らにはオルガンのホワイトフィールド氏をはじめ数名のソリストと大勢の合唱団の姿があった。
その素晴らしい歌声と見事な演出に群集は惜しみない喝采をおくった。
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キルビー氏
同じころ、クリケット・グラウンド(現在の横浜公園)にはフリント・キルビー氏が企画した本日の特別イベント、仮装自転車パレードの参加者たちが詰めかけていた。
国籍を問わず参加できるこの催しのために横浜や東京から集まった自転車愛好家は総勢約150名。
女性の姿がほとんどないのが惜しまれるものの大盛況である。
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神奈川県警察部に先導されてパレード開始。
英日両国旗を掲げた自転車、甲冑に身をかためた戦国武将、武蔵坊弁慶ら歴史上の人物がハイカラな自転車を操る様にバンドを埋める群集は大喜びである。
東京からかけつけた双輪倶楽部は『忠臣蔵』の四十七士の扮装で現れた。
本職の舞台衣装係に用意させたという衣装は刀やひょうたんなどの小道具まで手抜きのない見事なものである。
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午後2時過ぎ、再びバンドに歓声が上がった。
ヨコハマヨットクラブが主催するレースの始まりである。
ヨットレースは居留民に人気のスポーツで、クラブの会員も外国人のみである。
第1から第4レースまで、各々優勝者にはゴールド、2位と3位にはシルバーのカップが授与された。
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クリケット・グラウンドでは運動会が開催された。
英国人に限らず外国人であれば誰でも参加できるとあってこちらも大賑わい。
男子の徒競走、女子のスキップ競争、男女児童ホッピングレースなど各々の入賞者には賞品が贈られ、見物人には楽団演奏と茶菓がふるまわれた。
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夜のとばりが落ちるといよいよ華やかな夜の部の始まりである。
午後9時、イルミネーション点灯。
グランドホテルからジャーディン・マセソン商会に至るまでバンド沿いの各々の建物に施された飾り付けが光に照らされて華やかに浮かびあがり、グランドホテルの正面に停泊する汽船にも色とりどりのランタンが吊るされている。
15番のペニンシュラ アンド オリエンタル スチーム ナビゲーション カンパニーの社屋もランタンと透かし絵、社旗など様々な趣向を凝らした飾り付けが施されていた。
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フランス郵船
7番にあるジェームズ・ドッズ氏の私邸、6番のダンロップ氏の家屋、9番のフランス郵船、8番に建つスタンダードオイル社の建物にもランタンが吊るされ、イルミネーションの文字が輝き、ボートハウスには英国軍艦旗とユニオンジャックの透かし絵がたなびいている。
バンドはまさに満艦飾といったところだが、5番の横浜ユナイテッド・クラブの装飾は群を抜く華やかさである。
海側に建つ柱は緑の葉に包まれ、いくつもの電球でまばゆいばかりに輝くランタンがそこここに吊るされており、「即位60年祝典 1837-1897年」の巨大な透かしが掲げられ、英国王冠に囲まれた巨大な「V. R. (Victoria Regina) 」の文字が堂々たる輝きを放っていた。
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5番のクラブホテル、1番のジャーディン・マセソン商会、10番のマッカーサー商会、2番の香港上海銀行その他の建物も様々な趣向で光り輝いている。
港の夜空に花火が上がり、飾り付けられた船の輪郭が浮かび上がる様の美しさは長く人々の記憶に留められるであろう。
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横断幕や旗がたなびく本町通りと水町通りの賑わいは昼より収まっていたが、66番のクローゼンホテルにはランタンが吊るされ、235番のジャーマンクラブにも提灯が飾られている。
51番のジャパンメイルの事務所の窓には赤白青でV.D.J.の文字が描かれたダイアモンド型の大きな透かしが掲げられており、ブルーアイリスも添えられている。
70番のジャパンガゼットの社屋には国々の国旗を掲げられ、78番のチャータード銀行はランタンと飾りで埋め尽くされているが、それは58番のジョン・ホール氏の建物も同様である。
ライトホテル
40番のライトホテルはロイヤル・モットーを華やかに飾り、居留地のほかの場所同様、女王陛下の在位期間である「1837-1897」をあしらっている。
実に主な通りのすべての店舗、事務所が祝意を表すべく最善を尽くしていることはだれの眼にも明らかであった。
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バンドばかりではない、ブラフの側に目をやると、シャムロックのリースで囲まれた巨大な「God Bless Her!」の文字が輝いている。
居留地で誰一人知らぬ者のない英国人医師ウィーラー氏が97番の自宅に掲げたこの装飾は効果満点。
他の家々も趣向を凝らしたイルミネーションで飾られているが、ウィーラー医師の邸宅はブラフの入口ともいえる斜面に建っているため、ひときわ目立つのである。
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祝賀舞踏会は夜9時より海軍倉庫を会場に催された。
そこは広々としていて、海に面した窓からは夜空に花火の光が次々とはじけるのが見える。
ラウザー英国代理公使による挨拶に続いてグラフトン号軍楽隊が“God Save the Queen”を演奏すると、「女王陛下万歳」の声が一斉に沸き起こった。
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午後11時、バンドをパレードする松明の火が消えると、女王陛下即位60年を寿ぐ英国民の喜びの1日は幕を閉じたのであった。
図版:すべて筆者蔵
・(トップより)グランドホテル 手彩色絵葉書
・同ホテル 手彩色絵葉書
・キルビー氏 肖像写真
・フランス郵船 絵葉書
・ライトホテル 絵葉書
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, June 18, June 26, 1897
・The Japan Weekly Mail, May 7, 1904
・『都新聞』明治30年6月23日
・『東京日日新聞』明治30年6月13、22、23日