コメント
1968年10月の時刻表を発掘
(
播州路快速
)
2006-11-26 20:07:04
昔話ですか。確かにJR化後しばらくこの「連結面に段差のある485系編成」も健在でしたが、結構あっけなく消滅しましたね。やっぱりこの車両は『とき』のイメージの方が強いです。
今日も押入れを整理していると(最近家の中が増えすぎてゴミ収集日前日になる度に『減量化』作業中…)、またまたとんでもないブツが出てきました。1968年10月の時刻表、大型時刻表なのに値段は180円ナリ!。ぱらぱらとめくってみると意外と綺麗でそのまま小一時間整理を忘れて読みふけってしまいました。このブログでのネタにと中央本線のページを見てみるととんでもない列車を発見。『急行かわぐち(新宿~河口湖)』。こんな列車あったんですね。新宿から大月まで所要1時間20分。この時代はまだ大月から先の富士急行沿線は『急行』で出かける時代だったのだと時の流れを感じました。今や河口湖には快速電車が直通する時代、川特別快速で1時間30分、そこからフジサン特急で河口湖へ。手軽になったと感じるべきか、味気なくなったと感じるべきか。201系で大月まで乗り通すのは私はあまり苦には感じませんでした。
1973年の時刻表
(
ONDA201
)
2006-11-27 22:22:23
いま、手もとにある一番古い時刻表が1973年のものですが、これにもアルプス+かわぐちがあります。ディーゼルの列車もあり、この場合は八ヶ岳がつながっていて、アルプスも糸魚川まで行っています。複数列車の併結もディーゼルや客レの面白いところでした。キハ58で河口湖へ、行ってみたいものです。
こんばんは
(
うんぱ
)
2006-11-27 23:59:59
当時小学生だった私も博多駅ホームでこいつ(181系改造)と記念写真を撮りました。
当時は鉄道車両をとっても、モノを大事にする日本人の美徳がまだ根付いていたように感じます。
車両の規格の違いには、幼心にビックリしました。
大切に使ってました
(
ONDA201
)
2006-11-28 23:05:12
昔は本当に車両を大切に使ってました。そうせざるを得なかったというのが実際なんでしょうけど。車両も重厚にできていて、無理もきいたのでしょうし。
今の車両はそんなに長くは使えないと思います。
いろいろ
(
wani
)
2006-12-19 02:15:11
クハ481-500、最後に乗ったのは添乗中でした(汗)
お客様をモハへ案内し、宿などへ確認を入れるため電話をかけようと(当時携帯は一般的ではなく、クハにあった車載公衆電話を愛用してました)貫通路のサン板を踏んだ瞬間・・・「ん?段差!?もしかして!!」と思い、デッキの車番みたら500番台!(すんません、501か502かは失念しました)仕事の電話のあと、思わず友人にも電話してしまいました(爆)その直後に廃車となり、今ではなつかしい思い出です。
思い出といえばこいつ、61-11改正初日の下関行き初運用に「なぜか」入ってしまったそーで・・・この日から使用が開始された列車無線で「交直切り替えスイッチがない!」と必死に叫ぶ運転士(の声)を、たまたま友人が聞いていたのも思い出されます。
おいら「だからクハ781-500とかにしときゃよかったのに」
友人「確かに同じ485じゃ区別つかんよなぁ」
・・・その後下関行き特急自体が廃止されてしまったのは、このトラウマなのかしらん?>JR九州さま
いっぽう急行「かわぐち」に充当されていたキハ58。
こちらは有田鉄道移籍後しか目撃&乗車経験はありませんが、中央線沿線住民としてはいろんな意味で大好きな1両です。最初に乗ったのは「青春18きっぷ」でJR線内のみ。藤並駅で連絡改札を逆に入る我々を見て、駅員(まだ当時はいた)も車掌も「なにごと?」って顔をしていたのが今でも印象的です。その後、両運転台のキハ58003は「まるみちゃん」という愛称がつけられ、うちのチャーターで大活躍しました。
貫通部分
(
ONDA201
)
2006-12-19 06:09:41
今から思えば貫通路を渡って見ておけばよかったと思いますが、外からの撮影で手一杯だったようです。
九州島内限定という前提で改造しましたが、後に交直切替対応の追加改造をしていたと思います。
かわぐちのキハ58、やはりそうだったのですね、資料をいろいろ調べたのですが、すぐに出てこなくてそこのところは書かずにいました、補足ありがとうございます。
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今日も押入れを整理していると(最近家の中が増えすぎてゴミ収集日前日になる度に『減量化』作業中…)、またまたとんでもないブツが出てきました。1968年10月の時刻表、大型時刻表なのに値段は180円ナリ!。ぱらぱらとめくってみると意外と綺麗でそのまま小一時間整理を忘れて読みふけってしまいました。このブログでのネタにと中央本線のページを見てみるととんでもない列車を発見。『急行かわぐち(新宿~河口湖)』。こんな列車あったんですね。新宿から大月まで所要1時間20分。この時代はまだ大月から先の富士急行沿線は『急行』で出かける時代だったのだと時の流れを感じました。今や河口湖には快速電車が直通する時代、川特別快速で1時間30分、そこからフジサン特急で河口湖へ。手軽になったと感じるべきか、味気なくなったと感じるべきか。201系で大月まで乗り通すのは私はあまり苦には感じませんでした。
当時は鉄道車両をとっても、モノを大事にする日本人の美徳がまだ根付いていたように感じます。
車両の規格の違いには、幼心にビックリしました。
今の車両はそんなに長くは使えないと思います。
お客様をモハへ案内し、宿などへ確認を入れるため電話をかけようと(当時携帯は一般的ではなく、クハにあった車載公衆電話を愛用してました)貫通路のサン板を踏んだ瞬間・・・「ん?段差!?もしかして!!」と思い、デッキの車番みたら500番台!(すんません、501か502かは失念しました)仕事の電話のあと、思わず友人にも電話してしまいました(爆)その直後に廃車となり、今ではなつかしい思い出です。
思い出といえばこいつ、61-11改正初日の下関行き初運用に「なぜか」入ってしまったそーで・・・この日から使用が開始された列車無線で「交直切り替えスイッチがない!」と必死に叫ぶ運転士(の声)を、たまたま友人が聞いていたのも思い出されます。
おいら「だからクハ781-500とかにしときゃよかったのに」
友人「確かに同じ485じゃ区別つかんよなぁ」
・・・その後下関行き特急自体が廃止されてしまったのは、このトラウマなのかしらん?>JR九州さま
いっぽう急行「かわぐち」に充当されていたキハ58。
こちらは有田鉄道移籍後しか目撃&乗車経験はありませんが、中央線沿線住民としてはいろんな意味で大好きな1両です。最初に乗ったのは「青春18きっぷ」でJR線内のみ。藤並駅で連絡改札を逆に入る我々を見て、駅員(まだ当時はいた)も車掌も「なにごと?」って顔をしていたのが今でも印象的です。その後、両運転台のキハ58003は「まるみちゃん」という愛称がつけられ、うちのチャーターで大活躍しました。
九州島内限定という前提で改造しましたが、後に交直切替対応の追加改造をしていたと思います。
かわぐちのキハ58、やはりそうだったのですね、資料をいろいろ調べたのですが、すぐに出てこなくてそこのところは書かずにいました、補足ありがとうございます。