『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

高い存在に導かれるイメージの体験

2020年12月23日 | 神戸シュタイナーハウス
もうすぐクリスマス。
クリスマスツリーの意味や、夏と冬の違い、
冬にはキリスト(でイメージしにくければ、たとえば「愛」)が
地球に戻ってくる、というようなことを、
『クリスマスの秘密 (地球とキリスト)』という本で読みました。

それを読んだ後、
神戸シュタイナーハウスの大人クラスでは、
冬の間、私たちと共にいてくださる高い存在が語りかける、
内なる声に従うイメージのペアワークをしてみました。

2人組になって、前の人は目をつぶり、
後ろの人は前の人の背中に両手を置き、
やさしく誘導していきます。

前の人は、背中の手が導くとおりに歩きます。
部屋は広いけど、机という障害物もあり、
すれ違うにはちょっと狭い通路もあり。

さあ、どうなりますか。

手の導きに集中するあまり歩みが止まりそうになる人、
早合点して自分でぐんぐん歩く人、
机にぶつかりそうになって、
肩をつかんで引き戻される人…。

歩きながら、
後ろから導いてくれる存在に従うことについて、
いろいろと感じていました。

後ろから誘導する人は、見守ってくれる存在の象徴。
守護霊や守護天使と呼びますか? 
ちゃんと全体が見えていて、導いてくれる。
歩く人がぶつかりそうになると、
肩を掴んで引き戻してくれる。

前で歩いていく人は自分。
目を閉じているから前が(=行動の結果が)見えなくて、
踏み出すのはコワイ。

でも「歩くんだ」という意志があれば、
そして、自分を導いてくれる存在に意識を向けていれば、
ぶつからずにちゃんと歩いていける。

1回ずつの予定でしたが、気持ちよくて、
組み合わせを変えて3回×前・後=計6回もやってしまいました(^^)。

信頼できる存在が、
自分を安全に歩ませようとするやさしい導きに従う時間は、
とてもとても気持ちいい時間でした。

歩いた後で、
「高い存在は、人間が誘導どおりに歩いていかない時には、
引き戻してくれるのかな? 
それとも、合図はくれるけど、力づくでは止めないのかな?」
というような話になりました。

人間には自由が許されているから、
あえて、ぶつかる自由を選ぶこともあるよね?
どう思います?

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2020-12-23 19:57:54
本来ならそれが親の役割というものではないでしょうか
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Unknown (オキツ)
2020-12-24 11:57:08
ただ親は人間なので、よく間違うんです(^^;)。
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Unknown (ZIP)
2020-12-24 17:27:19
ならば「間違える」とはどういうことか考えるべきです。
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Unknown (オキツ)
2020-12-27 01:14:49
間違えるのは、人間だけに許された自由、かな。次へのヒント、と言ってもいい。
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