3月3日
超短編(28) 白比丘尼
どさっと卒塔婆をひとかかえほどヒロチャンがなげだした。
下のお寺の墓地からぬいてきたものだ。
「ツヨシちゃんチには細引きが売るほどあるよな。明日はここにもってきてよ。こ
の卒塔婆で秘密基地つくろうぜ」
八〇年も前のことだ。ぼくらが、第二次大戦が終結をむかえる夏、八月のことだった。外塔婆は細長い木の板。梵字や戒名などがかかれている。墓地にさしてあった。今のように金属でお墓の脇に卒塔婆立てなどはなかった。火葬ではなく土葬。
雨が激しく降るとシャレコウベが露出したりしてとても気味の悪い場所だった。卒塔婆をほそびきでつないだ。木簡のような状態につないだ卒塔婆を外壁とした。つなぎめのすきまには周囲の木の枝を切ってうめこんだ。かぜがふきこまなくなった。剛はただみているたけだった。剛だけが小学生。ヒロチャンや一雄、ソウジの兄弟。一郎さんたちは高等小学校の二年生。みんなが手際よく建築作業に従事して基地を作り上げるのを見ていた。
「あと四五本ぬいてくるから。それでソリをつくろうぜ」
元気にいうとヒロチャンはすばやく山をくだっていった。
卒塔婆を横に五本ほどとなぎ頭にロープをからませ手綱とした。それを握って山の急斜
面を滑り降りる。剛にはこわくて真似ることもできない遊戯だった。
「このガキャ‼」
突然、声がした。寺男のオッチャンが不意に剛の前に現れた。
なにがなんだか、わからないまま剛は逃げた。
ほかの仲間はソリに乗って麓ににげのびていった。男は鎌を振り上げておいかけてくる。ぼくは、なにもしていない。していない。ただみていただけだ。
「卒塔婆に、なんてことをしくさる。仏様の罰があたるぞ」
振り上げられた鎌は大きな刈り払い鎌のようにみえた。
悪魔が収穫に使うあの恐ろしい鎌にみえた。剛ははしった。捕まればころされる。あれは寺男なんかではない。悪魔だ。
ぼくはなにもしていないのに、ころされる。
「なにもしていない。なにもしていない。ぼくは……」
剛は薄暗い森の中をはしりつづけた。どうして、ぼくだけが追いかけられるのだ。森はい
っそう暗くなり、きがつけば夜になっていた。寺男はもう追いかけてこない。剛は道に迷っ
た。もともと道などない森閑とした森の中を逃げ回っているうちに遠くまできてしまった。
走りすぎたので、疲労と空腹でその場にへたりみ、ねこんでしまった。
「おにいちゃん」少女の声がする。
「おにいちゃん、起きてよ」
囲炉裏には火がもえている。老人がすわっている。
少女は剛より年下。「お手玉しょう」剛には姉が三人。女兄弟ばかりなので、お手玉はとくいだった。
「オジイ。この子お手玉、あたいより上手だよ」
「あたいおとなになったらお兄ちゃんのおよめさんになりたい。まいにちお手玉して、遊ぼ
う」
夜が明けるとあるかないかわからないような細い獣道を少女は剛の手を引いて里まで連
れ出してくれた。
剛は大学の学食で知り合った下級生と結婚した。B出版社に内定していたのに両親の不
意の病で帰郷することなってしまった。三人の女兄弟は結婚して家にはいなかった。ところが、これがたいへんな事態を引き起こした。
ふいの帰郷なので職もなくとりあえず学習塾をはじめた。敵国の英語を教えている、と老婆たちが反応した。敗戦から三〇数年。東京オリンピックもすんでいた。妻がパワハラにあった。当時はそんなことばはなかった。
『村八分だ』。親や、息子、男兄弟と身内が戦死している家族があった。
剛はさからはなかった。ただただ、無抵抗をつらぬいた。
ぼくはなにも悪いことはしていない。なにもしていない。
若いお母さんたちは応援してくれた。塾生は数百人にたった。
この街の人口は減るいっぽうだ。
せつかくけんめいに教えて優秀な人材を育成しても、みんな東京に去っていく。これでいいのだろう。
静かな田舎町で波風をたてず朽ちていく。そうした運命だったのだ。
剛の世からこばまれる人生を美しい妻は支えつづけてくれた。
わかわかしく健康な妻は病気ひとつせず剛わ励ましつづけた。
そして。今朝。
九〇歳になった剛の寝床に、白いシーツの上に深紅のお手玉がひとつおいてあたった。
水茎も鮮やかな仮名文字。
懐紙には「またおてだまであそびたいわ」
妻がいつになっても年をとらず、わかわかしい美貌をたもっていることを世間では嫉妬しはじめていた。
昔、秘密基地をつくった里山の奥『真名子』の八重姫伝説に剛は思い至った。
『八百比丘尼堂』がある。
どうして気づかなかったのだ。
妻はあのときの少女。
ずっとぼくを献身的にささえつづけていたのだ。
八百年ぶりに帰還した八重姫だったのだ。
あまりにも趣味が高潔なのを揶揄すると、
「わたしは前世はお姫さまだったのよ」
と笑って誤魔化してたのがリアルにひびいてきた。
それにしてもこれから八百年も彼女は生きつづける。
どんな男とむすばれるだろうと思うと、すこし妬ける。
おれは、姫になにもしてやれなかった。
それが剛の今わの際の意識だった。口元には「ありがとう」いう言葉が刻まれていた。
注 『八百比丘尼堂』については、検索してください。実際に栃木の真名子に存在しています。
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
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超短編(28) 白比丘尼
どさっと卒塔婆をひとかかえほどヒロチャンがなげだした。
下のお寺の墓地からぬいてきたものだ。
「ツヨシちゃんチには細引きが売るほどあるよな。明日はここにもってきてよ。こ
の卒塔婆で秘密基地つくろうぜ」
八〇年も前のことだ。ぼくらが、第二次大戦が終結をむかえる夏、八月のことだった。外塔婆は細長い木の板。梵字や戒名などがかかれている。墓地にさしてあった。今のように金属でお墓の脇に卒塔婆立てなどはなかった。火葬ではなく土葬。
雨が激しく降るとシャレコウベが露出したりしてとても気味の悪い場所だった。卒塔婆をほそびきでつないだ。木簡のような状態につないだ卒塔婆を外壁とした。つなぎめのすきまには周囲の木の枝を切ってうめこんだ。かぜがふきこまなくなった。剛はただみているたけだった。剛だけが小学生。ヒロチャンや一雄、ソウジの兄弟。一郎さんたちは高等小学校の二年生。みんなが手際よく建築作業に従事して基地を作り上げるのを見ていた。
「あと四五本ぬいてくるから。それでソリをつくろうぜ」
元気にいうとヒロチャンはすばやく山をくだっていった。
卒塔婆を横に五本ほどとなぎ頭にロープをからませ手綱とした。それを握って山の急斜
面を滑り降りる。剛にはこわくて真似ることもできない遊戯だった。
「このガキャ‼」
突然、声がした。寺男のオッチャンが不意に剛の前に現れた。
なにがなんだか、わからないまま剛は逃げた。
ほかの仲間はソリに乗って麓ににげのびていった。男は鎌を振り上げておいかけてくる。ぼくは、なにもしていない。していない。ただみていただけだ。
「卒塔婆に、なんてことをしくさる。仏様の罰があたるぞ」
振り上げられた鎌は大きな刈り払い鎌のようにみえた。
悪魔が収穫に使うあの恐ろしい鎌にみえた。剛ははしった。捕まればころされる。あれは寺男なんかではない。悪魔だ。
ぼくはなにもしていないのに、ころされる。
「なにもしていない。なにもしていない。ぼくは……」
剛は薄暗い森の中をはしりつづけた。どうして、ぼくだけが追いかけられるのだ。森はい
っそう暗くなり、きがつけば夜になっていた。寺男はもう追いかけてこない。剛は道に迷っ
た。もともと道などない森閑とした森の中を逃げ回っているうちに遠くまできてしまった。
走りすぎたので、疲労と空腹でその場にへたりみ、ねこんでしまった。
「おにいちゃん」少女の声がする。
「おにいちゃん、起きてよ」
囲炉裏には火がもえている。老人がすわっている。
少女は剛より年下。「お手玉しょう」剛には姉が三人。女兄弟ばかりなので、お手玉はとくいだった。
「オジイ。この子お手玉、あたいより上手だよ」
「あたいおとなになったらお兄ちゃんのおよめさんになりたい。まいにちお手玉して、遊ぼ
う」
夜が明けるとあるかないかわからないような細い獣道を少女は剛の手を引いて里まで連
れ出してくれた。
剛は大学の学食で知り合った下級生と結婚した。B出版社に内定していたのに両親の不
意の病で帰郷することなってしまった。三人の女兄弟は結婚して家にはいなかった。ところが、これがたいへんな事態を引き起こした。
ふいの帰郷なので職もなくとりあえず学習塾をはじめた。敵国の英語を教えている、と老婆たちが反応した。敗戦から三〇数年。東京オリンピックもすんでいた。妻がパワハラにあった。当時はそんなことばはなかった。
『村八分だ』。親や、息子、男兄弟と身内が戦死している家族があった。
剛はさからはなかった。ただただ、無抵抗をつらぬいた。
ぼくはなにも悪いことはしていない。なにもしていない。
若いお母さんたちは応援してくれた。塾生は数百人にたった。
この街の人口は減るいっぽうだ。
せつかくけんめいに教えて優秀な人材を育成しても、みんな東京に去っていく。これでいいのだろう。
静かな田舎町で波風をたてず朽ちていく。そうした運命だったのだ。
剛の世からこばまれる人生を美しい妻は支えつづけてくれた。
わかわかしく健康な妻は病気ひとつせず剛わ励ましつづけた。
そして。今朝。
九〇歳になった剛の寝床に、白いシーツの上に深紅のお手玉がひとつおいてあたった。
水茎も鮮やかな仮名文字。
懐紙には「またおてだまであそびたいわ」
妻がいつになっても年をとらず、わかわかしい美貌をたもっていることを世間では嫉妬しはじめていた。
昔、秘密基地をつくった里山の奥『真名子』の八重姫伝説に剛は思い至った。
『八百比丘尼堂』がある。
どうして気づかなかったのだ。
妻はあのときの少女。
ずっとぼくを献身的にささえつづけていたのだ。
八百年ぶりに帰還した八重姫だったのだ。
あまりにも趣味が高潔なのを揶揄すると、
「わたしは前世はお姫さまだったのよ」
と笑って誤魔化してたのがリアルにひびいてきた。
それにしてもこれから八百年も彼女は生きつづける。
どんな男とむすばれるだろうと思うと、すこし妬ける。
おれは、姫になにもしてやれなかった。
それが剛の今わの際の意識だった。口元には「ありがとう」いう言葉が刻まれていた。
注 『八百比丘尼堂』については、検索してください。実際に栃木の真名子に存在しています。
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
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あったかくなったり、寒くなったり、季節の変わり目ですね。若いときのように体が動かないなと思うこのごろです。この小説、興味深く拝読させていただきました。宝蔵寺わきの小道はわたしにとっても意味あるところになりました。