<一度きりでいいや、の宿>
また必ず来たい宿もあれば、稀にもう二度と来たくない宿もある。
この宿は、今回の一度でいいやと思った。だからできれば書きたくないのが本音なのだが、同好の士のためになるべく冷静に記しておくことにする。
麒麟山(きりんざん)温泉を横目に、さらに奥に進むと満開の一本枝垂れ桜が出迎えてくれた。
新潟水俣病を発生させた、いまは操業していない大工場を廻り込むと、その一軒宿の温泉はあった。
角神(つのがみ)温泉だが、十数年前に広大な敷地の入り口あたりから、携帯で立寄り湯をしたいのだがと話したところ、入浴できるのは宿泊客のみだとけんもほろろ、およそ取り付く島もない口調で断られてジツに感じが悪かったのである。
まあ地方の公共系の宿にこういう手合いが多い。役所でそこそこの地位にいて天下りしてきたようなタイプ。三時チェックインが規則ですのでお待ちくださいと長々と待たされ、そのくせ三時になっても声もかけないまったく気のきかないフロントマンみたいな。
わたしは千湯制覇(数年前にもうとっくに済んでいるが)を目指していたのだが、当時はまだ五百湯あたりではなかっただろうか。千湯すべてを宿泊できるわけもなく、立寄り湯で数を稼いでいたのだ。
滅多にない、あまりの感じ悪い応対に心底から腹を立てそれ以来、角神温泉はずっと避けてきたのだが、安いプランを偶然にみつけて計らずも今回宿泊することにしたのだった。
こんどは宿泊客である、文句はないだろう。
それにしても温泉には罪はない。成分の濃さで汗が噴き出るほどいい温泉で湯ざめしにくい。
本館の露天風呂は川に面してかなりな風情がある。
本館の内風呂。本館の温泉はいずれも循環濾過されている。
わたしの部屋がある別館の温泉は、滞在中に何度も入ったかけ流しの内風呂である。
さて話を戻してまずは、本館のフロントでのことだ。
「・・・さま、本日の夜、当地区では『狐の嫁入り行列』というお祭りがございますが、よろしければ夕刻にホテルからバスが出ますのでご利用いただければと思います」
チェックインを済ませると、フロントの若い新人が言った。その横にベテランらしい笑顔のフロントマンが付き添うように立っていた。そしてもうひとり上背のあるのがいるが、書類でも眺めているのか下を向いていた。
バスか・・・、バスは苦手なんだよね。混んでいなければ十分くらの乗車で済むのだろうか。
「それってどれくらいかかるの?」
「はい、七時ころから九時半くらいまでになります」
バスの所用時間を訊いたのに、祭りの時間が返ってきた。
ひとまず温泉はいって、一杯やってから決めようか。
「そう・・・、すこしだけ考えさせてくれるかな」
「それは困ります! いま決めていただかないと!」
フロントの右手、すこし離れたところにいる、眼つきに剣のある中年男性が猛然と失礼な口調で割り込んだ。
(あっ、こいつだ!)
この、客を客と思わない口のききかたに記憶があった。腹を立てさせられた、あのときの電話を受けた主だ、間違いない。コイツは、一度帝国ホテルかホテルオークラのような名門ホテルか、老舗旅館で一週間でもいい接客のイロハの研修を受けさせたらどうだろうか。
「年に一度しかないお祭りですので、ぜひご覧くださるようお勧めします」
思わずきつい眼つきで見返すわたしに、すかさず、笑顔のベテランフロントマンのほうがとりなすようにフォローしてくれて、これは無碍にもできまいと咄嗟に思って、答えてしまった。
「では、行きます」
お陰でそれから急に忙しくなってしまった。
慌ただしい入浴、お銚子一本きりの夕食をかっこみ、あたふたとお祭りへ。
お祭りから、大挙して帰ってきたときの応対がまた例のヤツ(あとで知ったがなんと支配人である)が横柄に仕切ったものだから、祭りの間ずっと寒さに耐えてきた客たちをうまくさばききれずに、寒い外に並ばせる最悪な始末になってしまった・・・。
この宿の社長は朴訥として口下手だが心から客を思って接客しているのに、社長の信頼厚いナンバーツーの支配人はいったいどうなっているのだろうか。
ただし、それとなく見ていると、リピーターとか富裕な客にはかなり親切だった。接客の差別はおよそ激しく、わかりやすい。
見かけは瀟洒な建物なのだが年季が入り過ぎて、ロビーでも食事会場でも、ひとが歩くだけで床が貧乏ゆすりのような微細動するのがいただけない。
食事は平均レベル以上で満足したが、とにかくわたしは、一回で懲り懲りである。あのナンバーツーの薫陶をしこたま受けたスタッフや、宿の将来に幸多かれと祈るばかりである。
→「つがわ、狐の嫁入り行列」の記事はこちら
また必ず来たい宿もあれば、稀にもう二度と来たくない宿もある。
この宿は、今回の一度でいいやと思った。だからできれば書きたくないのが本音なのだが、同好の士のためになるべく冷静に記しておくことにする。
麒麟山(きりんざん)温泉を横目に、さらに奥に進むと満開の一本枝垂れ桜が出迎えてくれた。
新潟水俣病を発生させた、いまは操業していない大工場を廻り込むと、その一軒宿の温泉はあった。
角神(つのがみ)温泉だが、十数年前に広大な敷地の入り口あたりから、携帯で立寄り湯をしたいのだがと話したところ、入浴できるのは宿泊客のみだとけんもほろろ、およそ取り付く島もない口調で断られてジツに感じが悪かったのである。
まあ地方の公共系の宿にこういう手合いが多い。役所でそこそこの地位にいて天下りしてきたようなタイプ。三時チェックインが規則ですのでお待ちくださいと長々と待たされ、そのくせ三時になっても声もかけないまったく気のきかないフロントマンみたいな。
わたしは千湯制覇(数年前にもうとっくに済んでいるが)を目指していたのだが、当時はまだ五百湯あたりではなかっただろうか。千湯すべてを宿泊できるわけもなく、立寄り湯で数を稼いでいたのだ。
滅多にない、あまりの感じ悪い応対に心底から腹を立てそれ以来、角神温泉はずっと避けてきたのだが、安いプランを偶然にみつけて計らずも今回宿泊することにしたのだった。
こんどは宿泊客である、文句はないだろう。
それにしても温泉には罪はない。成分の濃さで汗が噴き出るほどいい温泉で湯ざめしにくい。
本館の露天風呂は川に面してかなりな風情がある。
本館の内風呂。本館の温泉はいずれも循環濾過されている。
わたしの部屋がある別館の温泉は、滞在中に何度も入ったかけ流しの内風呂である。
さて話を戻してまずは、本館のフロントでのことだ。
「・・・さま、本日の夜、当地区では『狐の嫁入り行列』というお祭りがございますが、よろしければ夕刻にホテルからバスが出ますのでご利用いただければと思います」
チェックインを済ませると、フロントの若い新人が言った。その横にベテランらしい笑顔のフロントマンが付き添うように立っていた。そしてもうひとり上背のあるのがいるが、書類でも眺めているのか下を向いていた。
バスか・・・、バスは苦手なんだよね。混んでいなければ十分くらの乗車で済むのだろうか。
「それってどれくらいかかるの?」
「はい、七時ころから九時半くらいまでになります」
バスの所用時間を訊いたのに、祭りの時間が返ってきた。
ひとまず温泉はいって、一杯やってから決めようか。
「そう・・・、すこしだけ考えさせてくれるかな」
「それは困ります! いま決めていただかないと!」
フロントの右手、すこし離れたところにいる、眼つきに剣のある中年男性が猛然と失礼な口調で割り込んだ。
(あっ、こいつだ!)
この、客を客と思わない口のききかたに記憶があった。腹を立てさせられた、あのときの電話を受けた主だ、間違いない。コイツは、一度帝国ホテルかホテルオークラのような名門ホテルか、老舗旅館で一週間でもいい接客のイロハの研修を受けさせたらどうだろうか。
「年に一度しかないお祭りですので、ぜひご覧くださるようお勧めします」
思わずきつい眼つきで見返すわたしに、すかさず、笑顔のベテランフロントマンのほうがとりなすようにフォローしてくれて、これは無碍にもできまいと咄嗟に思って、答えてしまった。
「では、行きます」
お陰でそれから急に忙しくなってしまった。
慌ただしい入浴、お銚子一本きりの夕食をかっこみ、あたふたとお祭りへ。
お祭りから、大挙して帰ってきたときの応対がまた例のヤツ(あとで知ったがなんと支配人である)が横柄に仕切ったものだから、祭りの間ずっと寒さに耐えてきた客たちをうまくさばききれずに、寒い外に並ばせる最悪な始末になってしまった・・・。
この宿の社長は朴訥として口下手だが心から客を思って接客しているのに、社長の信頼厚いナンバーツーの支配人はいったいどうなっているのだろうか。
ただし、それとなく見ていると、リピーターとか富裕な客にはかなり親切だった。接客の差別はおよそ激しく、わかりやすい。
見かけは瀟洒な建物なのだが年季が入り過ぎて、ロビーでも食事会場でも、ひとが歩くだけで床が貧乏ゆすりのような微細動するのがいただけない。
食事は平均レベル以上で満足したが、とにかくわたしは、一回で懲り懲りである。あのナンバーツーの薫陶をしこたま受けたスタッフや、宿の将来に幸多かれと祈るばかりである。
→「つがわ、狐の嫁入り行列」の記事はこちら
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