東京こころ

心のこえ

みんな違ってそれでいい

2012-01-05 | Weblog
私はあの日は、弁護士会館で会議をしていて、
電車は当然止まりましたから、渋谷まで歩いて帰ってきたのですが、
ちょうど夜になっていて、渋谷の歩道橋の上から駅を見たのですが、
すごい数の人たちが本当に整然と並んでいるんですよ。
その光景を見たときに何だかぞっとしましたね。
こんな時でも暴動がおきない、穏やかだということについて、
みなさん評価されますが、
裏を言えば、自分の身を自分で守ろうとしない、
誰かが助けてくれるのをじっと待っている様子でもあります。
何が起きてもパニックにならず従順であるということは、
権力にも従順であることですから。 

( 編集部  同調圧力という言葉も使われますね。 )

伊藤  震災事故からしばらく経つと、
みんなと同じ行動をとることが、
「安心で安全だ」という発想にもつながっていきましたね。
福島で、子どもたちの中でもマスクをすると、
女の子はかわいくないとか、
男の子は放射能がこわいというと、弱虫だといじめられる。
親御さんたちが、お弁当持参や除染について申し入れをすると、
「神経質でうるさい親」という扱いを受ける。
国や県や校長先生が、
この値以下は安全と言っているのだから大丈夫です、
ということらしいのですが。
放射性物質による健康被害については、
一人ひとりの体調や免疫力によって違うはずですから、
「みんなに安全かもしれないけれど、
僕には危険だと思うから」というスタンスで正しいのです。
 主体的な自立した個人として行動する、
「個としての自立」は、憲法の基本的なスタンスです。
それをみんなが自覚していないので、
さまざまな精神的プレッシャーなども感じるのだと思います。
一人ひとりの自分の安心感というのは違うわけですから、
「私はこの値でも放射能の危険性を感じる」として行動することは、
何らとがめられることではありません

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