わたしは、中部地方の小さなで生まれ、そこで育ちました。
●●といわれる、民で父は仕事がなく、母も仕事がなく私は、
父のたまにある、日雇いの仕事で、パンをたべたりしてました。
母は裏の畑の雑草からたべれるものを、探して私にたべさせてくれました。
やせていたのは、もちろんのことです。
それでもいきてきました。
食べるものは、あんまりいいものをたべなかったおかげで、
いまでも、好きなものは、あまりありません。
たまに、思い出すのは、お母さんが誕生日に買ってくれた。
フリージィアの甘い香りは、うれしかったです。
キャラメルと、おいてあったときは、本当に幸せでしたね。
4畳半ひとまで、3人家族でもしあわせでした。
今は、それよりも一間ぐらい広いのですが、しあわせではありません。
だから、朝鮮人を母にもつ人と結婚をして、20年後に死に別れをしました。
それから、「破壊の丑松」のように、過去のある人間として生きてきました。
死んでいくことも、正しい道と思いましたが、意気地のない自分で毒も、のめませんでした。
凍死することを考えて、寒い外で夜中中すごしましたが、生きてしまいました。
もう生きていくのにも疲れたからいいます。
わたしは、●っ●です。
ほんとうに、卑しい穢れた血がながれている、●っです。ハーフではないのです。
日本の地区の、●●といわれる人間です。
しかし、生きてこれたのは、これらのことを書くためなのでしょうか?
馬鹿にされても、死ねない自分がなさけないです。
死に切れない自分がなさけないです。
民よりも、苦しい思いをする人々がいるのでしょうか?!
●●といわれる、民で父は仕事がなく、母も仕事がなく私は、
父のたまにある、日雇いの仕事で、パンをたべたりしてました。
母は裏の畑の雑草からたべれるものを、探して私にたべさせてくれました。
やせていたのは、もちろんのことです。
それでもいきてきました。
食べるものは、あんまりいいものをたべなかったおかげで、
いまでも、好きなものは、あまりありません。
たまに、思い出すのは、お母さんが誕生日に買ってくれた。
フリージィアの甘い香りは、うれしかったです。
キャラメルと、おいてあったときは、本当に幸せでしたね。
4畳半ひとまで、3人家族でもしあわせでした。
今は、それよりも一間ぐらい広いのですが、しあわせではありません。
だから、朝鮮人を母にもつ人と結婚をして、20年後に死に別れをしました。
それから、「破壊の丑松」のように、過去のある人間として生きてきました。
死んでいくことも、正しい道と思いましたが、意気地のない自分で毒も、のめませんでした。
凍死することを考えて、寒い外で夜中中すごしましたが、生きてしまいました。
もう生きていくのにも疲れたからいいます。
わたしは、●っ●です。
ほんとうに、卑しい穢れた血がながれている、●っです。ハーフではないのです。
日本の地区の、●●といわれる人間です。
しかし、生きてこれたのは、これらのことを書くためなのでしょうか?
馬鹿にされても、死ねない自分がなさけないです。
死に切れない自分がなさけないです。
民よりも、苦しい思いをする人々がいるのでしょうか?!