女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

互いを思いやる心。

2011-11-11 | 日記
有名な話がある。
まずしいおとことおんながいた。

プレゼントを、かんがえていた、かのじょはながいかみがじまんのうつくしいひとに、
金の櫛を、そしてかれには、その彼女は長い髪を売って金の時計を、そんなはなしではなかったのか?!

贈り物とは、たがいをおもいやるこころであるとわかるのだが。
彼女は、髪の毛を切ってしまい、お金を都合してみじかくなってしまったのだが、女の命である髪をうってまで、彼のプレゼントを買った。

現代にはそんないい話はないが、たまにすごくいいはなしをきく。
白血病の骨髄移植の、骨髄提供とかを、これはかなりきついことらしい。

自分の骨髄を上げるということは、ずごくたいへんなことみたいで、ふつうはできない。
それから、もっとすごいのは、親の生肝移植だ。こんなことができるのは、おやだけだとおもう。

自分の体を、きりきざんで、いのちをたすけるのは、すごいことだ。
私に、最後にできることは、おそらく献体であるとおもう。

社会に世話になった分、おもいっきりしらべて、学生の実験にしてほしい。
私のような人間が、役に立つにはそれぐらいしかないのは、悲しいが。

生きてお役にたつには、いまかんがえているのは、ひとつはある。
まずは、応急手当の普及員更新で、助すかるいのちを、市民として救いたい。

まあそれぐらいで、お金がないので、中古のミシンをどこかで手に入れて、ぞうきんぐらいは、
つくりたい。そんなことでも、人を想うやる心になるなら、これでいいと思う。

ほしいのは、感謝の気持ちで、報酬ではないのだ。
「たすかった、ありがとう!?」というお礼なのだ。

家庭科では、ミシンはだいすきだったから、なにかつくって、ひつようなひとにあげたい。
もちろんエコだから、いらなくなった布でぬうことだけど。

母は、びんぼうだけど、てぬいをして、ふとんがわをかえたり、はんてんをぬったり、
手編みセーターをつくってくれた。

わたしはへたくそな、パジャマを作りわらわれたけど、それでも部屋着で満足していた。
へたくそでも、雑巾ぐらいは、縫えるだろうから何とかしたい。

互いを思いやるプレゼントは、陸ガメを上げたこと。
そのひとがさみしいなら、自分より大切にしてくれるなら、よろこんでくれるなら、
花子ちゃんは、いいところに、いったと思っている、何せ愛嬌のある子だから、
かわいがられているはずだ。わたしもだいすきだ。そのひとがよろこぶなら、無理ができた。

ほんとうは、はなちゃんは、おむつをして、石のように抱いて寝ていた女の子だ。
かわいかった。すごくかしこいので、いまでも、ひとのこころのやすらぎをあたえているとおもう。

「はなこちゃん、そのひとを、よろこばせておくれ?!」そういつもねがっている。
南向きの部屋は、暖かく幸せに生きている。そして大切な生きがいになっている。

よかったとおもっている。
わたしは、かわりに、文鳥と、金魚をかっているが、それなりにまあなごんでいる。

しゃしんをみると、はなこはしあわせだろうとおもって、そしてそのひとを、なぐさめなついているみたいで、ほんとうによかったとおもう、一つは役に立つプレゼントだったとおもうのだが。