女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

しのぶの100のお話(8)猫の手クッキーの話。

2011-01-31 | 日記
そのクッキーはある日素敵なお店で売られていました。
猫の手株式会社の主力商品は、「猫の手クッキー」でした。

そのクッキーをわたしはかいました。
ねこのかわいいパッケージにさそわれて、一個100円ほどしましたが、とても安いと思いました。

それはつくっているひとのやさしいまごごろが、たっぷりとこもってはいっていたからです。
だから価値のあるクッキーだったのです。

バターのかおりと一生懸命に生きている人?魂がはいっているのです。
なんと、そのクッキーをたべると、ふしぎなことがおこりました。

福招きの猫のクッキーなのでしょうか?!
すごい素敵な福をまねきました。
たまたまとうりすがりの、福引で一等賞の大当たりを、ひきました。

あたりは、「ダイアの入ったかわいい指輪」でした。
きらきらと、それは美しい代物でした。

私は猫がだいすきでしたが、とてもうれしかったのですが、さて「猫の手クッキー」がどこからやってきたのか?
しらべてみると、「猫の手株式会社」は、架空のところにありました。秘密ですがね。

「猫の手株式会社」は、ほんとうはありえないことなんですが、
かわいい猫たちが、人間の着ぐるみをきて、ひとつずつつくっていましたね。

焼いているときついた自分たちの手のあとが、たまたま猫の手のクッキーになったわけです。
かわいくって、おいしかったのは、猫ちゃんたちの手作りだったからです。
終わり。☆あくまでも、空想の私のお話ですあしからず。
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☆ほんとうは、ちゃんと会社があるのです。かわいいクッキーです。
 パッケージはねこなんですよ。
 (株)エルクアトロギャッツ アリス開運堂 電話050-3785-2504
  岐阜県大垣市笠縫町328-1 ちゃんと素敵な人たちがつくってますよ。
 

しのぶの100のお話(7)さよらなら町の話。

2011-01-30 | 日記
あるおんながいいました。
このまちはもう、あきましたどこかいいところないかなあ。

しりあいのひとがいいました。
ここは、まだいなかですよ。もっと都会があるんですよ。

わたしは、ここはずいぶん都会だとおもっておりました。
どんな町より、便利で素敵なところだとおもっておりました。

しかしです。すてきなまちがあるんだそうです。
同じビルの、モデルがいいました。

「ここは、つまらない、もっと●●のほうがたのしいよ」
それは、たのしいところらしいのです。
ここよりも、都会ですてきなところらしいのです。

モデルの女の人が、すてきなひとでしたので、
やはり、心がたくさん動いて、まよいました。

おんなは、特に思い残すことは、このまちにはありませんでした。
かといって、ほかにいいまちもおもいうかびませんでした。

おんなは、あらかじめあることを、あきらめました。
それは、大切なことなんですが、あきらめました。

それから、女は、ある町にある仕事をさがしました。
100回ほどかよい、みつけました。

そこは、賃金もおんなのおもうとうり、よかったのです。
そうして、いままでのいやなおもいでを、消し去ることができるまちでした。

おわり。

西成警察生活安全課

2011-01-29 | 日記
悩み事があり、相談に行きました。
結構よい方で相談してよかったと思います。

自分でかんがえるより、楽になりましたし、第3者の意見に従おうとおもいました。
割と的確に、教えてもらいましたので、よかったです。

警察に、相談してよかったです。
これからも何かあったら、恥ずかしがらないで、相談にいこうと思います。

前科のない自分ですので、堂々と相談できましたし、日本人としても堂々とできました。
それから、短い人生を楽しく生きたいので、誰にも邪魔されない人生のために、とてもよい、
アル提案をしていただきました。

感謝しております。
自分ではどうしたらいいのか、男の人の気持ちが分かり少しほっとしました。

西成から、フェードアウトしなくてはいけないそうです。
じぶんのしあわせのためにも、係わり合いはもたないほうがいいといわれましたし、
警察には、少し勇気が要りますが、やはりあることにも、あきらめがつきました。

迷いはふっきれましたし、たぶん強い意志があらわせることができてよかったです。
自分の幸せのために、やるべきことを教えてくれた警察係官に、少し感謝です。

女一人では、何にもかんがえられないですね。
はっきりとした決断のできない、自分がなさけないです。

警察の人々にお礼が言いたいです。

やっと決心がつきました。
もつべきものは、少しの勇気ですね。

これからも、警察公共機関すべてに、相談したいと思います。
いやなことを、我慢してもしょうがないですから。

今日は、たすかりました。
西成警察の、皆さんありがとうございました。

しのぶの100のお話(6)お花のリースの話。

2011-01-29 | 日記
アル教室で本当にあった話です。
手芸教室ですが、お花のリース一日コースを、私は申し込みました。

どうしても、お部屋もげんかんにも、リースをがざりたかったので、
申し込んで、素敵な作品をつくりたかったわけです。

先生は、こころよくひきうけてくれて、きれいなお花のリースをつくりました。
先生はある注意を、わたしにいいました。

「このお花のリースは簡単にできますが、ひとつ注意してほしことがあります」
わたしは、お眼眼をまっすぐに見開いて、興味深げにきいておりました。

注意とは、お花のリースは、完成時にある魔法をかけるんです。
生命をふきこむのです。

きれいなこころの、リースになるように、魔法をかけるのです。
だから、いちにち、愛する人のこと、うれしかった思い出をこめてつくらなくてはなりません。

万が一、隣の人の悪口をかんがえたり、人の不幸をかんがえたりすると、
最後のまほうがかからなく、なります。

つまり、人を愛する誠実な人のみ作れるお花のリースでした。
けがれたこころのひとでは、完成できないのです。

最後の、まほうは、そのリースをみたひとが、みんな、幸せな気分に、
なることができる、魔法だったのです。

わたしは、一つ一つ楽しいことを考えながらつくりました。
そうして、完成しました。

このリースは、幸せのリースとなずけました。

ある日不思議なことが起こりました。
このリースをみたひとが、それは不思議にひどい病気がきえてしまったのです。

玄関で、その人は、ドアにかかるリースをたのしそうにみていたそうです。
やはり、効果はありました。

あなたのまちにもありますよ。

「魔法のリース」を作る教室がね。

おわり。

しのぶの100のお話(5)ブスの話。

2011-01-28 | 日記
愛する人を呼ぶときみなさんは、どう呼びますか?
たとえばわたしならば、××ちゃんとかよびますが。

ところがです。
ある男は、お父さんのまねをして、反対に、大好きな、
あいするひとを、こともあろうか、ブスといったんです。

よくいえば、反対の心理とかいうらしいのですが、
この男は、日本語の理解がまちがってしまったらしく、
美しいが、ブスになるわけなんです。

おそらくです。
子供のころから、おかあさんが、とてもきれいなひとで、
おとうさんが、いつもおかあさんは、ブスだといっていたからです。

解釈としては、ブス=美人なわけです。
それだから、彼はもてないうえに、好きな人には張り倒されるわ。

美人は、変な顔を、するので恋愛に発展したことが何のです。
好きな人に、ブスなんてこれは、へんなはなしですが、
美人=ブスですから、ほめているつもりなんです。

たぶん、お父さんは、謙遜してお母さんをブスといっていたからです。
おかあさんは、ある町のミス何とかというしるしまであるのにです。

だから、彼はほめことばのつもりでいっていました。

ある日そんな彼にも、恋人ができたんです。
それは、とてもとても、うつくしいひとでした。ブスではないびじんです。

彼女は言いました。
「はじめていわれたので、新鮮で冗談かと思った」らしいのです。

美人の彼女は、けなされたことがないので、彼を新鮮な人と思い、愛したそうです。

みなさん、美人は、おおいにけなしてください。
きっと、興味を引きます。なぜなら、うつくしいほめことばは、なれすぎて、
彼女の、好奇心をひかないからです。

さっそく、実行してみてくださいね。
おわり。

しのぶの100のお話(4)空の話。

2011-01-28 | 日記
私は、いつも悲しいときにそらをみあげます。
いつも見る空は、星が出る前の暗闇になる前の空がすきなんです。

ブルーブラックのインクをちりばめて、しきつめたようなそらがすきです。
まるで、夢の世界のように、冬の空気がながれるそらがすきなんです。

中学のときです。
音楽室で、友達とそらをみていました。

「へんなひかりが、ほらみてみて?!」
わたしは、ぼっとひかりのほうをみていました。

きれいなまぶしい光は、まるでぼうしのように、かがやいていました。
その光は、中学生の私にとっては、初めてのもので、やはり不思議なものでした。

ちいさな図書館で、見つけた本にはこうかいてありました。
「宇宙外生物の乗る円盤型宇宙船」と。

しかしです。うちゅうせんにはみえなかったのです。
つばひろのぼうしが、たまたまそらにとんでゆき、光にてらされて、それが円盤なら、
すごいことなんですが。

わたしには、そのときの空が中学生のじぶんにとって、すんだこころでいたから、
かみさまが見せてくれた素敵な、夢のぼうしだったのではないかと。

いまでも、ブルーブラックのそらをみるたびに、ためいきがでます。
私は、中学生のときよりも、ずっと心がきたなくよごれてしまったのです。

神さまは、もう二度とわたしに、あのすごい帽子はみせてはくれなくなりました。
けがれて、いけないこころになったじぶんには、あのすごい帽子は、みえないのです。

友達も同じではないかと、最近つくづくおもうのです。

おわり。

しのぶの100のお話(3)貧乏人の誕生日の話。

2011-01-28 | 日記
アル貧乏人のこどもが、もうすぐ誕生日です。
お母さんは、お金がないのでどうしょうかとかんがえていました。

「ちーちゃんの誕生日どうしようかしら」
つぎはぎの服のお母さんは、本当に悩みました。

食べるのさえ困る状態です。
お父さんは働かない人で苦労続きの生活でした。

お母さんは、かんがえました。
「ちーちゃん、生まれてきてくれたのにごめんね」

4畳半一間の小さなアパートがお母さんと娘のすまいでした。
おふろもなく、本当に風が吹き抜ける部屋でした。

パンを買うお金もないし、どうしようかとお母さんは、迷っていました。
そうだ。「こんなときにためておいた秘密のへそくりで、あれを買おう?!」

おかあさんは、一輪の小さなフリージィアの黄色のお花と、キャラメルをちゃぶ台におきました。
「ちーちゃん、お誕生日おめでとう?!」

ちーちゃんは、それはうれしかったことです。
お花は、かわいくて甘い香りがしました。

それから、貧乏人のちーちゃんは、お花がだいすきになりました。
もちろん、キャラメルもだいすきなのです。

なによりも、やさしいこころのおかあさんが、だいすきなのです。
ちーちゃんは、いまではすこしだけ、ちいさなはこで、お花をつくってます。

まいとし、春には、玄関いっぱいに美しい草花をさかしています。
そうして、お母さんの好きなかわいい花をせっせと、そだてています。

びんぼうでよかったのです。
美しい花と、おかあさんの優しい心に、出会えたしそののちに、お花がだいすきになりました。

ちーちゃんは、花やで、黄色のフリィジアの花をみるたびに、
お母さんの優しい笑顔が、いつもでてくるのでした。

亡き母にささげます(おわり)

しのぶの100のお話(2)名古屋の話。

2011-01-27 | 日記
猫がいいました。
「みゃあみゃあ」いいよるところがあるんですって。

猫がこたえました。
「なにいっとるのー、おみゃあさん、」

中部地方のなまりでしょうか、これが不思議に人間界のなまりに、
猫までが、なまっていました。

なごやは、いっぺんよりゃせ?!
やっとかめだなも。

など、などわかりますか。
猫が、なまるんです。

標準語(東京弁)をしゃべるのは、東京の猫です。
名古屋の猫は、名古屋弁で、”みゃあみゃあ”言うわけなんですがね。

日本の小さな国で、名古屋の猫はみゃあ、みゃあという。
しかし、東京の猫は、にゃんというのかというと、わかりません。

ぜんたいに、なごやのねこは、猫らしいなまりなのですが、
落ち着いてきいておると、猫はこういいました。

「私は、なまってなんかいないよ。たださあ。ご主人様のことばをまねているのさ。
 だから、東京に行ったら、標準語にもどるだけさ」

さて、猫はほんとうに、なまりなどないのでしょうか?!
あります。猫にはふたとうりあるのです。

人間の言葉の分かるへんなやつと、ひたすら猫語だけをしゃべるやつ。
そのうちに、賢い猫が名古屋弁などを、まねするんですわ。

じゃあ。名古屋弁でしゃべるねこは、かしこいのか?!
う~~~~~~~~~~ん。

たまたま、猫の鳴き声に名古屋弁がにているからなので、はっきりわかりませんが、
たしかに、人間のマネのできる猫がいるのは確かなんです。

でもわたしは、なごやにすんでいましたが、なまりはありません。
いいえ、名古屋ことばが、わたしにとっては、標準語ですから。

顔と同じで、見えないところで差別はしないのです。
なまりとは、初めてほかの土地にすんでわかるのですが、わたしは、
生まれたところが、標準語として、考えるへんなやつなのです。

どうか、このしぶとい、強いおんなを、ご容赦くださいね。
おわり。

しのぶの100のお話(1)おにぎりの話。

2011-01-27 | 日記
ある日あるとき、私はこの世をはかなんだ、浮浪者をみました。
「僕はしごともないし、いまさむくって、たべるものもないんだ」

わたしは、彼に小銭をあげて教会にいくように、案内図を渡しました。
彼はわらをもすがる思いで、小銭をにぎりしめて、教会にいったのです。

「こんにちは、おなかがすいて、ご飯をたべさせてください」
牧師先生は、
「それは、それはおなかがすいていそうですね。おにぎりをつくります。たくさんたべてください」

牧師婦人は、その男に暖かい、寝袋と、ジャンバーをわたしました。
「よく、きてくださいました。どうか今日はこの洋服でがまんしてください。」

おにぎりを10個も、食べて男は満足して、こういいました。
「牧師先生、恩返しをしたいのですが、どうしたらいいのですか?!」

「いいんですよ。あなたが元気でいてくれたら、もし望むなら困った人々をつれてきてほしいのです。」
男は、仲間たちを教会に招いて、たくさんのおにぎりをいただいたのです。

それから、男は牧師先生の一番出子になり、信徒になりました。
男が、始めてきたときの風貌は、まるで貧乏神と死神をひきつれているようでした。

荷物の重さより、心の重さをひきずりながら、あと少しで死神にあの世へ案内させるところでした。
牧師先生は、「いのります。死神さん、この男からはなれなさい。この人は、私をたすけるひとです。」と
ずっと、お祈りしたんです。

男は、今では、教会の一番出子ですから、はりきって、いきています。
貧乏神は、まだついていますが、それとは仲良くやっているようです。

死ぬ前にたべたいものは、男にとってはごちそうではありません。
たくさんのあいのこもった。

「おにぎり10個」が最後の晩餐になると、信じて疑わないのでした。

おわり。

天国って、面白いの?!(11)

2011-01-26 | 日記
私は、本当に不細工な人間でした。
しかもです、おまけに馬鹿でかい身長で恋などとは、縁遠い容姿です。

どうして、恋ができるのでしょうか?
ブスなうえに、デブなのです。

整形?!
無理です。やせるのは何とかなりそうですが、顔がいけない。

そのときある考えがひらめきました。
ブスの私の容姿が、見違えるほど美しくみえる方法がね。

馬鹿な話なんですが、ブスである自分を見せないで恋する方法でした。
美しい友人に頼んでみました。

その友達は、「ミス七夕」にも選ばれた美人です。
私の1000倍はうつくしいひとでした。

猫はその友人の写真をもらい、おくることにしたんです。
ミス七夕は、それは美しい女性でした。みんな一目ぼれする女の子でした。

この写真なら、惚れるわ。けれどいつかはばれてしまうのでしょう。
みにくい、ブス、デブの人間のわたしがね。

猫は、その友人になりすまして、会いに行くつもりでした。
ミス七夕は、女優で言うなら、色の白いお眼眼のパッチリした日本美人の菅野みほでした。

ちょうど、”ごろごろ”と噂のあったかわいい女性でした。
私が、ミス七夕に成りすますのは、簡単でした。

友人と二人で、あいにいくのです。
つまりです。友達にわたしの役をさせて、私は、ミス七夕に入れ替わるのですが、
なんせ、馬鹿なわたしは、こんがらかり分からなくなりました。

まあ、現在(70歳)の私の話ゆえに、おかしくきいてほしいのですが、おばあちゃんのわたしは、
いまでも、鮮明におぼえております。たしかに、恋をしていたのです。

猫として、ブスとして、いろんなわたしでね。
ところで、私は、今でも、不細工な人間の容姿で、おばあちゃん界の変人としていきているんです。

70才というのはうそで、80歳ぐらいかもしれませんね。
おばあちゃんの夢のおはなしなのでございますわ。

ところで、てんごくのあなた、きいてますか?!

こんなくだらないお話を、きいてますか?

私は、いまでもあなたがすきです、だいすきです。

天国ってさあ。おもしろいんですか?!

だって、いちどでも、私にあいにこないんですからね。

天国って、私の席もあいてますか?
そこで、わたしもちゃんとすわり、あなたとまた、天国であそびたいです。

そのときは、キキとララのラブレターをまた書いてくださいね。

わたしは、どうするのかしらね。

そうだなあ。毎日あなたにまとわりついて、いつも甘える猫にもどりますね。

にゃん子にかえるだけですから。

おわり。