【人生をひらく東洋思想からの伝言】
第27回目
「徳は孤ならず 必ず隣あり」(論語)
(とくはこならず かならずとなりあり)
意味合いとしては、
「誠実な姿勢と言動、人を思いやる心と行動、これら徳を積むことを心掛けている人は、
孤立することなく、必ずよき理解者が助けてくれる」
という意味として 日本人にも親しまれている言葉かもしれません。
この言葉に、はじめ触れたのは大学生の時でした。
通学時に「中国古典一日一言」という本を読んで、なんとなく頭でわかったようなつもりでしたが、
今思うと何も本質はわかっていませんでした。自分自身は、もともと人間関係はさほど得意ではなく、
どうしたら人間関係がより自然にとれるようになるのかと、話し方教室に通ったこともありますし、
コミュニケーション講座などはたくさん受講してきました。
ある意味では、自分が人生で求めたことは、いずれ人に教えるようになると、言われたことがありましたが、
後になってそのようになってきたので、人生は本当に不思議ですね。
「徳」という言葉は、東洋思想においてもよく出てくる言葉ですが、
なかなか本質を実感するにはかなり時間がかかりました。
どうしても、物事や人と会うと、すぐに自分の都合を優先して、「損」か「得」かという判断をしがちですが、
そうやって色眼鏡で見ているときは、全くそのご縁を活かしきれていませんでした。
そんなこともあり、人生がなかなかうまくいかない時期も長かったですし、
多くの人に不義理をしてしまったり、傷つけてしまったり、ご迷惑をおかけしたりしたこもとありました。
今振り返ると、沢山の反省する機会を通じて、懺悔し、今少しづつ 気づきを深めているところです。
現時点でも、「徳」の本質をわかったというわけではありませんが、
少しづつその実感を増やしているところです。
今の実感としては、自分自身の持っている感性や才能を活かして、
目の前の人が求めていることに真摯に向き合い、お役に立てることをして、
お互いに共感し合いながら、調和していくような流れが生まれることが、
結果的に「徳」になっていくのかと感じます。
そこに褒めてもらいたいとか、認めてもらいたいなどの気持ちが入ると、
何かずれていってしまうことがあります。そのあたりも自覚して、
まず出来ることから始めていきたいと思います。
参考 『生命の言葉 令和四年 弥生三月』(東京都神社庁より)