松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆渥美東洋先生・大学時代の思い出(三浦半島)

2014-02-08 | 1.研究活動
 刑事訴訟法の渥美東洋先生が亡くなった。

 大学入試で幸いにも、早稲田大学の政治経済学部と中央大学の法学部が受かり、どちらに進むのか、少し迷った。当時の知識では、新聞記者か弁護士かの選択で、新聞記者には向いていないだろうと考えて、中央大学に入った。

 大学では、渥美先生の刑事訴訟法のゼミに入った。ゼミ試験があったと思う。当時の学生にとっては、渥美先生はずいぶんおじさんに見えたが、調べてみると、まだ30代半ばだった。しかもその年で、すでに教授だった。

 とにかくものすごく頭のいい人で、ゼミでも、おそらく言っていることの半分も理解できなかったのだろう。カミソリのようで、しかも喧嘩腰の物言いは、怖い人という印象だった。教室で学生との喧嘩もよくあった。私は専門なので苦労しなかったが、単位認定がものすごく厳しかったようで(刑訴は必修だったと思う)、3年で落とし、4年の再履修でも落とすという人が、ボロボロいたらしい。卒業できなくて、就職を棒に振った人がたくさんいたという。

 その刑訴理論は独特だった。当時は東大の平野竜一先生の平野刑訴が通説だった。当事者主義に基づくきれいな刑訴理論だったが、渥美刑訴は、その平野説を厳しく批判するものだった。長野のゼミ合宿では、私は捜査の原理にあたる部分を報告したが、今考えると、渥美先生のもっとも得意の部分を報告したことになる。特に厳しい指摘を受けなかったが、あまりに稚拙なので、批判するまでもないと思ったのだろう。

 渥美刑訴は、そのくどい文章とともに、独特の用語が特徴である。例えば無罪の推定という言葉があるが、これは無罪の仮定といった。たしかに考えてみれば、推定ではなく仮定である。司法試験は、通説・判例を踏まえるというのがお約束で、これはある意味、こうした社会の約束を守れる人を選ぶ試験であるが、それを渥美理論で書いては、受からないであろう。

 刑事訴訟法から出発した私は、徐々に哲学の香り満載の刑法理論に惹かれていき(原因において自由な行為の研究など)、刑事訴訟法への興味は失っていった。さらに社会に出ると、コップの中の争いのような法律学の窮屈さが、気になるようになった。枠自体が違うという場面に遭遇するようになったからである。徐々に政治学のダイナミックさに惹かれるようになった。そこで、今は、法律学と政治学をつなぐ位置で、社会を考えている。

 大学教員になってみると、渥美先生は、私など到底足元にも及ばない大きな山のような存在であることがよく分かった。しかし、すそ野がしっかりしてこそ、山があるということで、学生たちを「市民」として育てることが、私の役割だと思っている。

 この日、わが三浦半島でも雪が降った。
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