松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆広域連合の可能性(東三河)

2015-03-25 | 地方自治法と地方自治のはざまで

 豊橋市や新城市などで構成する東三河広域連合がこの4月から動き出す。

 交通網や情報通信網が発達等で、住民の行動や社会的活動が、既存の自治体の範囲では収まらなくなってきた。規模が小さすぎて、手に余るようなケースも増えてきたのである。それに対して、自治体そのものの規模を大きして対応しようと考えたのが平成の大合併であるが、地方自治の原点であるコミュニティを守り、育てていくには、今度は、規模を大きすぎて、結局、地域に血が回らなくなってしまった。そこで、既存の自治体を基盤に、テーマに応じて、広域的に対応させる共同処理が改めて評価されるようになってきた。

 広域連合は、それまでの一部事務組合による共同による事務処理を乗り越える仕組みとして生まれてきた。一部事務組合と広域連合の違いは、一部事務組合が、それぞれの市町村からの事務を寄せ集めて共同処理するものであるのに対して、広域連合は、構成する市町村からの独立性を高めた制度としてつくられている点である。地方自治法では、住民による直接請求制度や直接公選によって、議会・長を選出できるようにもなっている。

 共同処理方式の評価は、高いものではない。みんなの力を寄せ集めるのが狙いであるが、みんなで決めるために、逆に時間がかかり、結局、現状維持、何もできない組織にとどまってしまうからである。いいものを寄せ集める難しさである。

 ちなみに刑法を勉強していたころ、小野清一郎の道義的責任論と牧野英一の性格責任論を止揚した(いいところを寄せ集めた)団藤先生の人格的責任論を素晴らしいと思ったが、社会に出てみると、いいところを寄せ集めるつもりが、実際は、悪いところを寄せ集める結果になってしまう現実をいくつか見て、牧野先生の理論を理解できるようになったことを思い出す、閑話休題。

 さて、広域連合も、下手をすると、何もできない組織になってしまう恐れもある。なぜならば、それぞれの自治体にとって、荷が重い事務を広域連合に委ねるという側面もあるからである。きちんとした経営理念と着実な実行体制がないと、基礎自治体から遠くなった分、住民サービスは、逆に薄く、非効率なものになってしまうからである。

 ただ、この東三河広域連合を理論的にリードする新城市長の穂積さんは、広域連合をこれまでの「事務連合」にとどめず、「政策連合」たるべしと考えている。実際、東三河広域連合の議論の途中でも、広域連合長や議員の公選を強く主張されていたと聞いているので、大いに期待したいと思う。

  穂積さんにお会いしたとき、まだ町長さんになる前のころに書いたという広域連合の論文を見せてもらったことがある。私自身は、広域連合をやや斜めに見ていたので、一市民であった穂積さんが、広域連合に新たな自治の可能性をみいだし、その可能性を熱く論じているのが、新鮮だったことを覚えている(何年後かにそれを実現する実行力もすごい)。

 広域連合については、穂積さんはある種の連邦制と言っておられるがなるほど分かりやすい。それぞれの自治体を残しながら、東三河一体として行動する点が、連邦制に通じるのだろう。私は、連邦制よりもEUをイメージしている。いうまでもなくEUは、国境が隣接、国をまたがって流れるライン川が一体性の原点になっているが、東三河広域連合も、豊川の上流域から下流域を一体とするのが同じだからである。

 EUと考えると、その戦略も分かりやすい。EUというと、何度も戦争を繰り返したヨーロッパが、二度の戦争をしないという崇高な理念のもとにつくられたという点が強調されるが、別の側面では、したたかな共同体でもある。経済統合・域内の自由貿易によって、日米の経済論理に対抗する仕組みである。EUの先進的でかつ野心的・挑戦的な政策は、守旧的な日米の経済戦略に対抗するEUの生き残りをかけた戦略選択といえるが、この東三河広域連合の展望もそこから見えてくるように思うからである。

 

 

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