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もんく [とある南端港街の住人になった人]

花を視覚的に収穫する農業的な植栽

次に松田活断層ハウスへ行くのは6月8日以降の予定。



今バラを育てていて、やっと何本か発根したところ。正直言って、最初から鉢に植って咲いているのを買えば良かった気がする。🤣


ところで、そんなことをしていると他人の家の植物がどんなふうに植っているかが気になって見ているが、上手く花を咲かせている家であっても良いように見えないのがほとんど。なぜこんなに良く感じないのだろうと考えるが、どうやら建物、植物どうしが対話・会話していない感じがする。


先日、活断層ハウスの近所で庭を見せてもらってわかったのは、一般の家の植栽は庭造りというより農業に近いということ。つまり上手く花を咲かせるのは花という作物を(視覚的に)収穫している行為であって、庭という環境全体を作ってはいない。自分の母もそうだったが花という点オブジェクトの外側が禿山なのだ。つまりキャベツやキュウリを育てているのと同じ発想。


そう思って見ると道路脇の自治体所有の緑地に季節毎に花が植えられているけれど、あれも全くそれと似たものになっている。冬になるとパンジーを植えているあそこ。パンジーは盛んに花をつけていても面白く何とも感じない。色のある石ころでも敷き詰めておけば十分と思っていつも見ているがあれも農業的だ。


話はちょっと飛ぶけれど、パリの通りが魅力的に見え、東京がそうでない理由ということの説明はよく建物のサイズと道路の広さとの比率、そしてデザイン的統一感で説明される。でも、もしかするとそれだけじゃなくてそこにある建物などの物が会話しているかどうかによるのではないかという気がする。東京の巨匠建築物が並ぶあそこは日本で最も魅力ある通りかもしれないけれど、やはり農業的な作りのように感じられる。(並ぶ欅の木とはどうにかあれだけど、目の前の歩道橋とはね・・・と昔思った)

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