路傍のshiawase

♪杉山清貴さんを始め色々な音楽、平川大輔さんのCD、ディアラバをまったり…Free!な夏気分でshiawase書いてマス

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同じ日に複数の記事を 書いていることもあります。 あなたのお気に入りと私のお気に入りが 同じだったら、いとうれし。 そんなあなたに幸あれ~☆ そうでない方にも幸あれ~☆

てんぷらが"あがったよ"

2006年12月06日 | Weblog
昨日書いた、女性宅での出来事。
「ごはん食べに来て」ということだったので、
お昼時にお約束した。

Aさんはてんぷらを揚げながら応対してくださった。
なべの中に十分な油が入れられ、
お皿に次々とてんぷらが盛り付けられていく。
「まだノリますか?」というくらい。しまいには
てんぷらにてんぷらを押し付けて何とか乗せている感じだ。

「さー、できました」とテーブルに運ぼうとした時、
何とか乗っていたてんぷら達が、ぼろぼろっ、と落ちた。

「あーーっ!・・・あ、上手い具合にビニールに上がった!
普通はこういうところは見せないものだけど、
私らしいわね。いいわ私食べるから」といいながら、
それらをまたお皿のてんぷらに押し付けた。

Aさんがセーフだと安心したビニールとは、
使ってはいないとはいえ指定ごみ袋だったのだ。
床にごみ袋がパラッと落ちているのも凄い。
そりゃ、直に床に落ちたのではないから(<--てんぷら)きれいだともいえるが、
その落ちていたごみ袋に埃はなかったのか?
他人からすれば、床の上と同じなのだが。
(Aさんの家は控えめに言うと、あまり片付いていなかった)

てんぷらはおいしかった。
例のてんぷらは、Aさんが自分の小鉢のてんつゆの中に入れた。
「これおいしいですね~」というと、
「それは、さっきの(落ちた)てんぷらと同じ具材だけど、
もうないから、これ、食べて」
といって、例のてんぷらを素早く私の小鉢に入れてくださった(涙)。

ごちそうさまでした。

過ぎたるは

2006年12月05日 | Weblog
先日、60歳代の方のお宅に招かれた。
Aさん(女性)は、先月海外旅行へ出かけたそうで、
そこでのお話をしたかったのだろう。別の話題に
水を向けてもいつの間にかあちらでの話になり、長居となった。

「では、そろそろ・・・」と腰を上げると、
ありがたいことに、食材となるものをあちこちから出して
袋に入れてくださった。
しかし、私がへそ曲がりだからか、次々とあれもこれもいわれるうちに、
ありがたいを通り越して苦痛になってきてしまった。
腰を上げてからどれくらい経っただろうか。
"早く帰りたいよぉ"、そんな心細い気持ちにまでなってきた。

「もう、ほんとにこれで十分ですので」
そういっても、テンションが上がるばかり。
いつもこうなのである。この方は。

そのうち、
「これから満員電車に乗るんですよぉー」
といってしまったが、
「ガラガラ(キャリア)、持ってく?」
と、意に介さない。
ガラガラはお断りしたが、両手の大荷物は
非常に重かった。

途中、電話をしようとしたら電池切れだった(涙)。
仕方なく近くのおしゃれなショッピングセンターに
公衆電話を探しに入ったが、大荷物に突き刺さる視線が痛かった。
紙袋の柄がまたインパクト強くて(涙)。

受け取ってほしい気持ちや物の量と
いただいて嬉しい気持ち・持ち帰ることのできる量との
バランスが偏ると、苦しいものだ。

忘年会の誘い

2006年12月05日 | Weblog
友人からメールで忘年会の誘いがあった。
「日時と場所だけ知らされても、メンバーによるよな」という
思いがよぎった。
AかB(地名)。Bが選択肢に入っているということは
他にどんな人たちを誘うのか想像できる。
うーん、話の展開が見える。苦手だ。
また、彼女とは先月も立て続けに外出しているので、
旦那さんへの報告に、いい加減に自分の名前が出るのは
はばかられる気もして、結局断った。
(またあいつか。妻を悪の道に引きずりこむ奴。か
なんか思われても・・・。誘うのは奥さんの方なんだけども)

十分迷った上での返事だったので、
宿題を終えたかのような気分でいると、
またメールが。

「○日か、◇日はどうかな?」

えーーん。
どーすんの? どーすんのよっ。 つづくっ。
(続きません)

Dr.コトー(第8回)

2006年12月01日 | TV
Dr.コトー診療所2006

抗癌剤治療の結果、ゆかり(桜井幸子さん)の転移がなくなっていた。
奇跡が起こったのだ。

前回開腹手術をした時には、検査時に知ることのできなかった転移が
見つかりそのまま閉じてしまった。
本人も病状を知り、最初は取り乱してしまうこともあったが、
だんだん積極的に治療に臨むようになった。

ゆかりは病気になってから毎日幸せを感じながら
生きているということを実感しているようだった。

和田さんがゆかりさんの写真を撮りその表情から、
体調の回復を読み取ったようだった。鋭い。
信じたかったのもしれない。

普段から非常に丁寧に思慮深く話すコトー先生。
気をつけているだけに、一度はゆかりに余命を宣告したことで、
大変なことをしてしまったと責任を感じている。
学んできたとおりにはならず、幸い、
よい方向へと向かったためなのか
複雑な思いでいるようだ。

ゆかりは自分の病と向き合い、家族と周りの人々と
毎日を一生懸命生きることで回復した。

現在東京にいる彩佳の治療にも、
本人の治そうという気持ちだけでなく、
家族や島の人々に囲まれることが、
回復の近道になるのではないか
とも思う。(素人の願いだけれども)
せめて、家族だけにでも知らせてほしい。
彩佳とゆかりの療養生活は、陰と陽、という感じがする。
彩佳のことが気掛かり。