国際・国内政治経済とその文化を神道国学で読んで・・

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

認識とは、甲骨龜甲因書の解読より韓国が野蛮国であることの認識が必要である。

2014-10-27 08:58:10 | 神道国学
認識

にん‐しき【認識】
[名](スル) 1 ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。また、そういう心の働き。「―が甘い」「―を新たにする」「―を深める」「対象を―する」 2 《cognition》哲学で、意欲...  
   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上記の「認識」ヲ 甲骨龜甲因書の因書解読  韓国が言う歴史認識の解読
韓国の言う「歴史認識」とは、史記について・整った状態になる。よく整う 治まる ハ 整理すること ハ 処理 ハ 人の死にたりけるに、遺影 葬儀 ハ 支度 今宵しもあらじと思ひつる事どもの― ハ 
食事をする 整理する 処理する それと見定めて許す。承知する。みとめる ハ 知り合っていること ハ 見知っていること ハ 書き記すこと。また、その文字など 著者―  ハ 物事を区別して知る。見分ける。また、その心の 働き・能力。「識者・識別/意識・学識・鑑識・眼識・見識・常識

物事の本質は日本国と韓国「歴史認識」である。
甲骨龜甲因書の因書解読を其の本質の歴史認識として解読すると 韓国の史記として整った状態になる。よく整う 治まる ハ 韓国の言う 史記の整理 処理 人の死にたる 国家の死にたる 遺影 葬儀 ノ 支度 ハ 食事をする 整理する 処理する それと見定めて許す。承知する。みとめる ハ 知り合っていること ハ 見知っていること ハ 書き記すこと。また、その文字など 著者― ハ 
物事を区別して知る。見分ける。また、その心の 働き・能力。「識者・識別/意識・学識・鑑識・眼識・見識・常識

甲骨龜甲因書の解読より、韓国の言う歴史認識とは「韓国の文化」ハングルを日本国に押し付けている野蛮行為と断定できる。歴史認識の因々因の因書解読は明確に韓国の野蛮国が顕かになる。その根幹が「ハング語」にある。即ち、ハングルは昭和20年に終戦を迎えてから普及するハングル語である。
 それまでの韓国の文化は「漢字」文化である。即ち、ハングル語の史記は無いと言っても当然の結果である。
        神祇官 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎嗣子
                     神道国学者 一条力治   印
                                  

したたま・る【認まる】
[動ラ四]整った状態になる。よく整う。治まる。「万の事皆―・りて愚かなる事なくてぞ有りける」〈今昔・一九・一八〉
したた・む【認む】 [動マ下二]「したためる」の文語形。したため【認め】 1 整理すること。処理。「人の死にたりけるに、その後の―など為させむとて」〈今昔・二七・二三〉

2 準備すること。支度。「今宵しもあらじと思ひつる事どもの―、いと程なくきはぎはしきを」〈源・夕霧...

したた・める【認める】 [動マ下一][文]したた・む[マ下二] 1 書き記す。「手紙を―・める」
2 食事をする。「夕餉を―・めに階下へ下りる頃は」〈梶井・冬の日〉
3 整理する。処理する。「万の事ども―・めさせ給ふ」...にん【認】 [音]ニン(呉) [訓]みとめる したためる [学習漢字]6年 1 物事をそれと見きわめる。「認識・認知/確認・誤認・視認」
2 それと見定めて許す。承知する。みとめる。「認可・認定・認容/公認... 

し【識】 ⇒しきしき【識】
2 それと見定めて許す。承知する。みとめる。「また、見識があること。「―不識」
2 知り合っていること。見知っていること。面識。「一面の―もない」
3 書き記すこと。また、その文字など。「著者―」 4 《(梵)vi...しき【識】 [音]シキ(呉) シ(呉)(漢) [訓]しる しるす [学習漢字]5年 〈シキ〉 1 物事を区別して知る。見分ける。また、その心の 働き・能力。「識者・識別/意識・学識・鑑識・眼識・見識・常識・...

甲骨龜甲因書で解読する。
認 ハ 識 二 シタガウ・
その因書は・・・・・・・・
整った状態になる。よく整う。治まる。「万の事皆―・りて愚かなる事なくてぞ有りける」 ハ   
1 整理すること。処理。「人の死にたりけるに、その後の―など為させむとて」  
支度。「今宵しもあらじと思ひつる事どもの―、 ハ  
2 食事をする。3 整理する。処理する ハ 2 それと見定めて許す。承知する。みとめる ハ   
2 それと見定めて許す。承知する。みとめる ハ 2 知り合っていること。見知っていること ハ 
3 書き記すこと。また、その文字など。「著者―」 ハ 
1 物事を区別して知る。見分ける。また、その心の 働き・能力。「識者・識別/意識・学識・鑑識・眼識・見識・常識・
上記の「認識」ヲ 甲骨龜甲因書の因書解読
韓国の言う「歴史認識」とは、史記について・整った状態になる。よく整う。治まる ハ 整理すること ハ 
処理 ハ 人の死にたりけるに、遺影 葬儀 ハ 支度 今宵しもあらじと思ひつる事どもの― ハ 
食事をする 整理する 処理する それと見定めて許す。承知する。みとめる ハ 知り合っていること ハ 見知っていること ハ 書き記すこと。また、その文字など 著者―  ハ 物事を区別して知る。見分ける。また、その心の 働き・能力。「識者・識別/意識・学識・鑑識・眼識・見識・常識

                 神道国学者 一条力治 印




武は・北面の武士から古文書に遺されている。

2014-09-30 08:59:38 | 政治経済と憲法九条
武は・北面の武士から古文書に遺されている。

支那では「北方騎馬軍団」として軍事力が示されている。総称して甲骨龜甲因書の史記は「倭寇」の騎馬軍団として因書は史記を記録している。

 織田信長が「天下布武」と戦国の政治的な指針を示している。ここから「布武」仕営が始まり、その武士集団が織田信長により武士が集められる。そこに武士とは、豊臣秀吉は百姓から「武士」に出世をしています。そこで面白いのは「足軽」身分がありますが、これらの集団は「兵力」と位置付けられる。しかし、この足軽兵力は「武士」が統率している。名将の武士・ほとんどが武田信玄・上杉謙信・これらは朝廷から官位を与えられた「武士」である。それを織田信長が朝廷に代わり「天下布武」と布告した。

 日本国の武士の史記は、足軽を除き、北面の武士と称しての塚原朴伝・剣道の創りとなる。このように武士とは「一人称」である。そこで武力とは武士一人の能力を示している。従って、武士の武力は日本国の国学には存在しない。武力とは「軍事力」では絶対的にないのである。

 戦争に対して武力による抑止力は存在しないのである。抑止力とは「軍事力」による軍事的な抑止力である。

憲法九条と・武力革命の言葉と漢字は誰が ・ ?

2014-09-30 08:46:30 | 政治経済と憲法九条
佐賀の乱をいうなら、西南の役といえよ。

ついでにいえば、会津若松城の戦いではない、会津藩と官軍の戦いだよ。

百万言を費やしても、「武力革命」は「武士の革命」じゃないんだよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「武力革命」は「武士の革命」じゃないんだよ。

処が「武力」は「武士の力」だよな。武力革命・軍事力を用いなかったのかね。竹やりですか。

西南の役・西南戦争だよね。「役」とは役場ですかね。この役は戦争だ。

会津藩は軍事力を持たなかったのかね。会津藩は「会津藩隊」を以て軍事力とした。

何万語を並べても、「武力革命」は「軍事力革命」である。尖閣諸島も中国は外道の一国一党

の悪党国家の軍事力の行使の戦略を立てている。軍事力の無い尖閣諸島の和議は存在しない。

武力を神道国学甲骨龜甲因書で解読すると、

2014-09-19 05:56:55 | 政治経済と憲法九条
  ぶ‐りょく【武力】 軍隊の力。兵力。「―を行使する」「―革命」
「武」は仕営である。武の基本は「一人称」の辭氣である。辭氣とは、人間関係で「氣の伝達」である。
従って「武力」とは一人称の武士の力・宮本武蔵・柳生但馬守・塚原朴伝等々を言う。イギリスでは「騎士」と顕されている。
即ち、武士は・・・・・・・・
 ぶ‐りょく【武力】 軍隊の力。兵力。「―を行使する」「―革命」ではないのである。軍隊の「力」でもなく、兵力でもないのである。
敗戦国の日本人は「武」「武力」も日本語で解読できなくなっている。それが現在の日本国の政治経済を攪乱する結果に成って要るのである。
 軍隊の力・兵力を行使する。日本人は「ヤクザ戸乙」の辭氣により、「武」を軍隊の力と妄想する。「武」を兵力と妄想して読んでいるのである。
 そこで憲法九条・・・・・・・・
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
      国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
   ----------------------------------------
 ここで「武力による威嚇又は武力の行使は、云々として放棄する。
即ち、武力とは「一人称」武士の力であるから、国権の発動たる戦争と、戦争は絶対に起きないのである。但し、武士の一騎打ち・宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の闘いがある。それは戦争とは言わないのが日本人である。

 武力け・武・は一人称で、絶対に軍事力ではないのである。「武」は仕営であるから「自衛隊」である。明くまでも戦争をする軍隊は日本国憲法には示されていないのである。
 集団的自衛権・これは国防権であり、国際法により認められた国家の絶対的な権利である。国防権は侵略戦争を禁じている法制度である。

 もっとも日本共産党も社会民主党も共産主義の社会主義者であるから、その政治経済論で「武」「武力」を其の思想体系で妄想して憲法九条を解読することなく、「解釈」しているのである。
 神道国学では解釈とは「小説」を読むがごとくと相伝して要る。現在の辞書でも明快な意味の解読はなされていない。

 現在、神道国学辞書としては「久保天髄」和漢辞書が遺されているが、甲骨龜甲因書では辞書としては遺されていないが、その辭氣の解読文法は顕かに遺されている。
 この神道国学甲骨龜甲因書の学問的に完成させられたのが「聖徳太子」である。
即ち、シュメール語から、漢字象形文字、直接シュメール語から甲骨龜甲因書に深化する。

   一  丶 丿 乀 乙   基本法則で、聖徳太子「法興六「乙个可句何元」」語部制度の辭氣

上記の甲骨龜甲因書の因書解読から「武」「武士」の甲骨龜甲因書の著書編纂と因書の解読が行われているのである。

         筆者 古典国学者 「神道国学者」
                 神祇官・朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎獅子 編纂書である。


日本国憲法 第九条の解読「古典国学」による、解読文が国防権を示しつづけている。

2014-07-19 10:37:01 | 政治経済と憲法九条
日本国憲法 第九条の解読「古典国学」による、
前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
日本国憲法第九条の解読は、究極的に「武」「武力」に最大の解読される条文がある。
「武」・・・古典国学辞書・武は、仕営に着く。甲骨龜甲因書の解読では、武士は、資格の士と因書で解読する。
  即ち、武は「営舎」であり一定の資格を有する者を「士」「武士」と解読される。
武力は其れを以って「威嚇」とは為らない。武士は一人称で、集団的「武」「武士」は組織的な威嚇は完全にできない。従って、国際紛争の解決する手段には、全く「武士」「武」は手段としても出来ない。
 処が、憲法前文「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」明確に記載されている。
 武は・仕営の武人であり、武士道である。この場合、国家ではなく「藩主」の仕営する武人であるから、通常、藩主を守護する者、一人称の武人である。朝廷に於いては「内侍」である。SPに置き換えても其の因々因の因書解読には同一性を持つ相互関係、共有制を開示していると解読される。
この古典国学の甲骨龜甲因書の因書解読は、国際的には絶対専守防衛論に落ち着くのである。
そこで集団的自衛権、その国家的な権利は、「普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と言う国際国家関係で国家主権が確立されている。
その帰結は、顕かに日本国の憲法は集団的自衛権を内示して、国家主権として国防権を堅持するようにと日本国憲法は示し続けているのである。

現在の「武」の因書は・・・・・・・・
 武 wǔ(1) 足取り,歩み 步武 見習う. (2) 武力的な,軍事的な,(【反】文) 动武 戦争を仕掛ける. (3) 武術・闘技の(【反】文) 武林 武術界. (4) 勇ましい,猛烈な,(【反】文)
 この「武」の意味は、古典国学者の弟子であった「藤井徳佐衛門」が明治期に、本来の日本語である「武」を捏造して創作して、上記の意味に置き換える。何故、それが可能であったかは、福沢餘吉が古典国学者と談義の約束が出来ていたが、当主が第二次長州征伐で「浅野藩藤井徳佐衛門」に惨殺されて不可能になる。
 従って、藤井徳佐衛門の独演会になり、上記の「武」の意味に置き換えたのである。完全に日本語を戦争へと追いやるための辭氣として用いられるようになる。
但し、「武」の意味の当たる辭氣は「 武は・仕営の武人であり、武士道である。朝廷に在っては北面の武士・それ以外に在っては、、国家ではなく「藩主」の仕営する武人であるから、通常、藩主を守護する者、一人称の武人である。朝廷に於いては「内侍」である。SPに置き換えても其の因々因の因書解読には同一性を持つ相互関係、共有制を開示していると解読される。」
 藤井徳佐衛門は当時の支那思想を極めて有効に用いていた。その手法は「遁甲」の上手の「ヤクザ戸乙」の辭氣を用いて「武」の辭氣、意味を改竄して辞書に記載したのである。
 応仁乱以後の武人とは、大内軍とか細川軍とかは、戦略戦争を試みている。時に軍は武人、武士集団の軍と理解されている。しかし、武士、武人が即、軍と示されてはいない。武士、武人の前に大内軍、細川軍、必ず名士がある。そこで初めて軍が形成されている。そして、これを軍事力と後世では名付けられる。
 即ち、武力とは、武人、武士が集団的に群集して軍隊となると古典国学では解されている。
即ち、自衛隊は軍隊ではない。個別的自衛権・集団的自衛権、共の組織の長である内閣総理大臣が戦力として命令を出さない限り、日本国には軍事的行動は発揮できない。
 個別的自衛権・集団的自衛権・共に死語である。全く国際法では無防備を示して要る。しかし、防衛権として捉えると個別的であらうと集団的であらうと、一括して防衛権は法的に成立する。

筆者 古典国学者・国学は日本国の全ての法律の根源を為しているのである。
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・