シュメール語から、漢字象形文字、直接シュメール語から甲骨龜甲因書に深化する。
一 丶 丿 乀 乙 基本法則で、聖徳太子「法興六「乙个可句何元」」語部制度の辭氣
一 丶 丿 乀 乙 乚 亅 乁 ╱➚ 乂 二 亠 儿 八 冂 冖 冫 几 凵 刀 刂 匸 十 卜 卜 卩 厂 厶 匚 口 囗 土 士 宀 小 尸 屮 巛 工 已 己 巳 巾 干 幺 广 廴 弋 彐 彐 彡 彳 忄 扌 才 氵 犭 辶 阝 㣺 戸 手 ・助辞
カタカナ 全てが「甲骨龜甲因書」の構成である。
シュメール語から支那「夏時代ニ里頭」宮城でほぼ完成している。
アイウエオ カキクケコ サシスセソ タチツテト ナニヌネノ
ハヒフヘホ マミムメモ ヤ ユ ヨ ラリルレロ ワ ヲ
上記が甲骨龜甲因書の元型である。
この文字を読むのに、朝廷語部制度の語りが絶対的に必要になる。
その理由は神道国学「概論」で示します。
ここに、この問題を提起したのは「古代シュメール語」に、完全に甲骨龜甲因書の前進的文字を、筆者として観て、確認が出来たのである。
その一部の「古代クメール語」と甲骨龜甲因書の類似の表現を「写真添付」します。
比較対象をして見たら、甲骨龜甲因書と古代クメール語の相関関係が理解されると思います。
神祇官 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎嗣子
神道国学者 一条力治 印
詳細な読み方・漢字の書き方・音読の語部制度については「神祇官」朝廷語部制度で解説しています。
甲骨龜甲因書の因書解読の方法、法とは「漢字の書き順」により、甲骨龜甲因書を解読する。
古代の「慧慈」が倭の国に居住を求めることをせず、当時の朝鮮半島の文化の低い「独島」野蛮国には国家の主体的な国語の必要性を、現在の韓国語の漸進であるクメール語から韓国語へと、変遷した言語となるクメール語が上記のクメール文字と推理できる。それほど慧慈は朝鮮半島の文化の高揚に心がけられたのである。其の身元は北方騎馬民族倭属の一族で純粋に天皇属族の慧慈であった。
慧慈が用いて「ハングル語」を朝鮮半島の文化として定着させようとしたのが「オシテ文字」と想定できる。
即ち、ハングル語と、オシテ文字は二列二連伏字の法則による同意の文字体が確認できるからである。
ここに記載されている「オシテ文字」には整合性が認められない。それはオシテ文字に「あいうえお」仮名が付されている実態である。全く相いれない表示になっている。◎あ・・文字の同意性が認められますか。?
処が「あ・ア」同意性が有ると観えませんか。慧慈が日本を去る時に、日本に有る一部の文字を朝鮮半島へ持ち帰り、朝鮮半島で新たな文化を創氣すると言い残して日本を去ったのである。(平安時代)・現在の日本国には「慧慈」の本質を知らない人々が多いい。史実は「慧慈」は朝廷人であったのです。従って、「神祇官」学問の相伝として遺されているのである。その根底から「オシテ文字」と「ハングル語」の対比を国学的に検証お試みているのである。
そして、誰がオシテ文字に「仮名」を伏したのか、非常に不自然である。それは「オシテ文字」と「梵字」が二列二連伏字の法則として整合性が認められるのである。
そこで、この二つの書体。オシテ文字と梵字である。双方ともに「シュメール語」とはほど遠い現代に近い書体になっているのである。従って「シュメール語」の深化に非常に近い、間違いが無く「シュメール語」深化が認められるのは・カナ「アイウエオ」の書体である。
即ち、梵字とオシテ文字は「シュメール語」から相当に変化しているとは考えられない。深化していると認められない「文字書体」である。
そうして「オシテ文字」と「梵字」を甲骨龜甲因書の「アイウエオ」を対比してみると、甲骨龜甲因書の方が古代の「シュメール語」より深化したと考えられる。従って「オシテ文字」と「梵字」は「アイウエオ」甲骨龜甲因書より相当の後年代であると、対比すれば言えると思うのである。
基本の形・・参照すると「オ」のカタカナ、と整合されます。「オ」・・甲骨龜甲因書・・「一 Ⅰ ノ・」同でしょう、「オ」が書けます。
カタカナ・が、シュメール語と一致して「オ」創氣創造しているのです。支那の「象形文字」とは完全に異なっています
神祇官 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎嗣子
神道国学者 一条力治 印
掲載 神代文字一覧
1.アイヌ文字・アイノ文字(北海道異体文字)2.アジチ文字3.アソヤマ文字4.アナイチ文字5.アヒル文字
6.アヒル草文字7.阿波文字8.イスキリス文字9.出雲(岩窟)文字10.伊予文字(秀真(ほつま)文字)
11.イムベ文字12.カスガ文字13.カタカムナ図象(カミツ)文字14.越文字15.サンカ文字16.モリツネ文字
17.惟足(コレタリ)文字18.タネマキ文字19.桃木文字20.対馬文字
現在まで、「神代文字」と称される文字。「古代文字」と称される文字。
これ等の「神代文字」一覧に観られる文字は、ほとんどが「神道国学甲骨龜甲因書」の因書解読できる「カナ」文字で整理されている。従って、「神代文字」で文書、論文が書けると思うけれども、支那漢字と同類で、漢字を言葉に代えて用いる方法と類似している。
しかし、日本語の「神道国学甲骨龜甲因書」を用いれば、「カナ」が「発音性・言葉」をつかさどる。漢字の部分では支那「漢文」の読み書きができる。
日本国に於いて、日本語の根幹が「シュメール語」に成っているが、と書くと、「日本書紀」は何だったのかと言う疑問が湧くのである。筆者は、その通りであると思っている。しかし、神道国学の甲骨龜甲因書を解読すると、古事記の「辭氣」が伝わってくる。古事記を「辞」とすれば、その氣は何処になるかと言う探索の興味が湧くのである。そこで「古事記」より前の日本国の歴史が有るのだらうか、思慮してしまうのである。そこで、「藤原系図」を観て見よう。書き出しの「筆頭名」が「房前」で有る。「房」一族の因書。その前と読んで・・・「房前」と言う。この文字と文書が付良く解らなかった時代が良く小学五年から現在まで続いたのである。
さして「房前房前房前」と頭の中が上下左右の精神状態。抜け出せることが容易ではない。
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