香川県高松市東植田町の公渕池は、文久3年(1863)に完成した、ため池です。高松藩最後の普請になるそうです。
公渕池という名前の由来は、屋島での源平の合戦に敗れた平家の公達が、ここまで逃げ延びてきたがが、疲れ果てていたため、ここにあった淵が都の自分の家であると思って、そこに身を投じたという言い伝えが残っていて、その後、この公淵に土手が造られて池になってからは、公淵池と呼ばれているそうです。四国には、結構源平がらみの逸話がそこかしこに残っているようです。
公渕池という名前の由来は、屋島での源平の合戦に敗れた平家の公達が、ここまで逃げ延びてきたがが、疲れ果てていたため、ここにあった淵が都の自分の家であると思って、そこに身を投じたという言い伝えが残っていて、その後、この公淵に土手が造られて池になってからは、公淵池と呼ばれているそうです。四国には、結構源平がらみの逸話がそこかしこに残っているようです。
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