古来より、清水寺への参詣路として二つ代表的なものがあります。ひとつは松原通から鴨川を渡り緩やかな坂道を登る清水道。もう一つは八坂神社を抜け、南門門前の下河原通りから二年坂、産寧坂を経て清水寺へ参る道です。
現在、観光客で溢れているのは、後述の二年坂・産寧坂の石畳の道です。道の両側には土産物屋などのお店が軒を連ね、毎日大量の観光客が行き交っています。
昭和47(1972)年、京都市は当時としては先駆的なものになる京都市市街地景観条例を定め、都市景観の保全を図ることになりました。そんな中、最初の「特別保全修景地区」として産寧坂地区が指定を受けたのでした。
現在の町並みは、明治末以降のもので、江戸時代の頃と比べると二階の高さが高くなっているそうです。江戸時代の頃の風景を描いた絵では、坂の東側が雑木林、西側は傾斜を利用した清水焼の登り窯が描かれていて、坂下に家並みがあって二階に虫籠窓をもつ町家だったようです。
散策した際に、撮った写真を以下に掲載しておきます。平日にも関わらず、観光客で賑わっていました。
現在、観光客で溢れているのは、後述の二年坂・産寧坂の石畳の道です。道の両側には土産物屋などのお店が軒を連ね、毎日大量の観光客が行き交っています。
昭和47(1972)年、京都市は当時としては先駆的なものになる京都市市街地景観条例を定め、都市景観の保全を図ることになりました。そんな中、最初の「特別保全修景地区」として産寧坂地区が指定を受けたのでした。
現在の町並みは、明治末以降のもので、江戸時代の頃と比べると二階の高さが高くなっているそうです。江戸時代の頃の風景を描いた絵では、坂の東側が雑木林、西側は傾斜を利用した清水焼の登り窯が描かれていて、坂下に家並みがあって二階に虫籠窓をもつ町家だったようです。
散策した際に、撮った写真を以下に掲載しておきます。平日にも関わらず、観光客で賑わっていました。