阪神淡路大震災13年目だそうです。少し前のことのようにおもいます。尼崎の友人の家はひびは入って傾いてはいたが、倒壊は免れていました。
彼は、地震のすぐ後、共産党の事務所にいって驚いたのは、みんな自分も被災者なのに、続々と集まっててきぱきと救援に向かっていった、まったく当たり前のように。
何年かたったあとにそのときの感動を語ってくれました。
自分も被災者だけれども、親を亡くしたけれども、不眠不休で救援に没頭していた民医連の医者の話も聞きました。
通常、いいことはいえる、本当に困難になったときにその人間の真価が問われることになる。
1月17日は家の奥さんの誕生日でもあります。ケーキを作って貢ぎものといたしました。
彼は、地震のすぐ後、共産党の事務所にいって驚いたのは、みんな自分も被災者なのに、続々と集まっててきぱきと救援に向かっていった、まったく当たり前のように。
何年かたったあとにそのときの感動を語ってくれました。
自分も被災者だけれども、親を亡くしたけれども、不眠不休で救援に没頭していた民医連の医者の話も聞きました。
通常、いいことはいえる、本当に困難になったときにその人間の真価が問われることになる。
1月17日は家の奥さんの誕生日でもあります。ケーキを作って貢ぎものといたしました。