おはようございます。
きょうは、『進学レーダー』vol.4(みくに出版)に連載させていただいた、
イラストコラム最終回のご紹介です。
今回は、錯視。錯覚の視覚版です。トリックアートでおなじみですね。
学生時代、私はデザイン理論とデザイン史を専攻していたのですが、デザイン理論のほうで、この錯視を使った課題を何枚も作りました。といっても「補色対比」くらいで、当時は、やっていてもおもしろくありませんでした。
ただ、太陽を30秒みつめたあと、目をつぶったとき、見える残像を絵に描く、という課題は、目を酷使するものではありましたが、おもしろかったです。いまでも、目を閉じて、この残像は何色で何の残像かな-、と遊ぶときがあります。
2年前、千葉大学の一川誠先生の『錯覚学』『大人の時間はなぜ短いか』の新書を知り、過去からつながってきた「見える」という事柄についてのふしぎだなと思う気持ちに、スイッチがはいりました。
一昨年は、京都大学霊長類研究所で松沢哲郎先生に取材をさせていただいた際、予想外にも、チンパンジーと人の「見え方」の違いに、興味をもちました。この取材がなかったら、きちんと視覚に興味をもつことも、なかったかもしれません。ずっと昔にでも、やっていたことは、忘れたり諦めたりせずに、追ってみるといいこと?があるものですね~。
これらの方々や本との出会いで、自分の興味がひとつのことにつながった感もあり、せっかくの最終回なので、がんばってみました。一川先生、取材へのご協力、ありがとうございました。また、中村哲之さんの『動物の錯視』という本も出ています。人間と動物では錯視もちがってくるようです。ハトなどの動物で錯視の研究をされている本で、興味深かったです。
イラストコラムは最終回ですが、連載「私学のひとびと」はまだ続く予定です(と、思います)。
どうぞよろしくお願いいたします。
きょうは、『進学レーダー』vol.4(みくに出版)に連載させていただいた、
イラストコラム最終回のご紹介です。
今回は、錯視。錯覚の視覚版です。トリックアートでおなじみですね。
学生時代、私はデザイン理論とデザイン史を専攻していたのですが、デザイン理論のほうで、この錯視を使った課題を何枚も作りました。といっても「補色対比」くらいで、当時は、やっていてもおもしろくありませんでした。
ただ、太陽を30秒みつめたあと、目をつぶったとき、見える残像を絵に描く、という課題は、目を酷使するものではありましたが、おもしろかったです。いまでも、目を閉じて、この残像は何色で何の残像かな-、と遊ぶときがあります。
2年前、千葉大学の一川誠先生の『錯覚学』『大人の時間はなぜ短いか』の新書を知り、過去からつながってきた「見える」という事柄についてのふしぎだなと思う気持ちに、スイッチがはいりました。
一昨年は、京都大学霊長類研究所で松沢哲郎先生に取材をさせていただいた際、予想外にも、チンパンジーと人の「見え方」の違いに、興味をもちました。この取材がなかったら、きちんと視覚に興味をもつことも、なかったかもしれません。ずっと昔にでも、やっていたことは、忘れたり諦めたりせずに、追ってみるといいこと?があるものですね~。
これらの方々や本との出会いで、自分の興味がひとつのことにつながった感もあり、せっかくの最終回なので、がんばってみました。一川先生、取材へのご協力、ありがとうございました。また、中村哲之さんの『動物の錯視』という本も出ています。人間と動物では錯視もちがってくるようです。ハトなどの動物で錯視の研究をされている本で、興味深かったです。
イラストコラムは最終回ですが、連載「私学のひとびと」はまだ続く予定です(と、思います)。
どうぞよろしくお願いいたします。