長等山園城寺
三井寺の名でよく知られている。
比叡山延暦寺の三代円珍の時代に宗旨の対立から山を下り、この地に門を構えた。
以来、天台宗は山門(延暦寺)と寺門(園城寺)に二分され、山門寺門の争いとして歴史を賑わせてきた。
平家興亡の時代に山門と寺門が果たした複雑な関係はよく知られたところである。
花の寺として知られており、春には桜をはじめとする様々な花が開花し、広い境内は参詣する善男、善女人らで埋めつくされる。
秋の紅葉の時期になると、その境内は花の三井寺とはまたひと味違う落ちついた風情を見せ、境内は人で賑わう。
金堂は入母屋造り檜皮葺きで、桃山建築の代表的な建物といわれ、国宝指定を受けている。
秀吉の死後、その遺志を受けて高台院が慶長4年(1599)に建てた。
鐘楼の鐘は、天下の三銘鐘(形の平等院、銘の神護寺、音の園城寺)の一つで、「三井の晩鐘」としても知られている。
三井の晩鐘は近江八景一つとされ、安藤広重の浮世絵で江戸時代に広く世間に知れわたった。
今では大津市のみならず、滋賀県の大きな観光資源の一つとなっている。
平等院や神護寺の鐘は撞くことが叶わないが、三井の晩鐘は定めらた志納金さえ納めれば誰でもこれを撞くことができる。
私もその音色を確かめたくて撞いてみた。
そしてつくづくと思った。
…鐘の音色というものは、撞いて味わうものではなく、やはり遠くで聞いて初めてその値うちがわかるの だ…、
というごく当たり前のことを、である。
この鐘は弁慶の引きづり鐘を模して慶長7年に鋳造されたといわれ、形も重さもほぼ等しい。
その弁慶の引きづり鐘は、割れ目が入り、現在は撞かれることはなく、別の堂に保存されている。
晩鐘で知られる三井寺であるが、この寺は西国十四番札所の観音霊場でもある。
観音堂は霊場巡りをする参詣人で年中そ賑わいを見せている。
観音堂の境内から見下ろす琵琶湖の景観は見事である。
晩鐘の音色は、やはりこの観音堂の見事な景観の中で弁慶の力餅を味いつつ耳を傾けるものなのであろう。
いで入るや波間の月を三井寺の
鐘のひびきにあくるみずうみ
(観音御詠歌)