魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

「英文要旨」の日本語訳

2014-09-20 23:43:59 | 自著の紹介
 「英文要旨」の日本語訳

 本書は、世界中の、川端康成の生涯と文学に関心をもつ人々を対象として書かれた。
 川端康成は、1899年から1972年まで、72年の生涯を生きた。だから今や、彼の静謐な自裁から42年の歳月が経過したことになる。しかし今日、〈魔界〉というテーマから検証するとき、川端作品は、これまで以上に、いっそう重要な意味をもつ。
 第二次世界大戦の後、彼の作品は突然に深まり、〈美〉の妖しい光を放つようになった。 私は、ちょうどこのとき、川端が〈魔界〉の門をくぐったのだと考える。
 のちの1968年、ノーベル文学賞を受賞したとき、川端は「美しい日本の私」と題した講演を行った。この講演において彼は、日本の、伝統的な〈美〉の精神と魂について語った。
 しかし、この中で最も重要なのは、禅の一休の「仏界入り易く 魔界入り難し」という言葉を引用した部分であろう。そして、この〈魔界〉とは、真の芸術家の、運命的・必然的な魔の世界を意味するのだ。
 川端はつづけた。「究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願ひ、恐れの、祈りに似通ふ思ひが、表にあらはれ、あるひは裏にひそむのは、運命の必然でありませう」と。
 これらの言葉は、川端自身の決意と、彼自身がすでに〈魔界〉に入っていること、そして彼の作品がこの永遠の理念によって書かれている事実を語っている。この時点において、彼はまさに〈魔界〉の住人だったのである。
 では、川端文学における〈魔界〉とは、いったい何だろう?
 「みづうみ」(1954)において、この小説の主人公・銀平は、しょぼくれた中年男である。彼は今、職がない。しかし彼はいつも、美しい少女や若い女性のあとを追いかける。彼は〈美〉の探求者なのだ。そして時たま、稀(まれ)に、そうした女性と恍惚とした瞬間を持つが、そこから彼は逃亡する。彼はこの世の永遠のバガボンド(漂泊者)であり、そうして世界の底へと沈んでゆく。
 銀平は、父親をとても早くに失ったので、子供の頃から、いつも〈寂しさ〉を感じつづけてきた。そしてしばしば、自分の脚が猿の脚に似ていて〈醜い〉、という劣等感に悩まされている。彼にはまた、自分の行為が道徳に反しているという〈悪〉の悔恨がある。しかもなお、彼は常に、地獄の底から、聖なる世界の美少女に〈憧憬〉しつづけている。
 これが、川端康成の〈魔界〉作品の基本的構造である。
 「住吉」連作(1948-71)、「千羽鶴」(1949-54)、「山の音」(1949-54)、「眠れる美女」(1960-61)、「片腕」(1963)、「たんぽぽ」(1964-68)は、〈魔界〉を内蔵する作品群だ。
 本書を通じて、私は川端文学の個々の作品を解明し、川端内面の精神世界・魂の世界の、生涯の軌跡を解明しようとした。
 私は読者に、川端の〈孤児〉としての宿命、伊藤初代との悲しい初恋、肉親や女性や友人との邂逅と別離、戦争の深い傷痕(きずあと)、源氏物語を初めとする日本の伝統的な文化や〈美〉を深く自覚していたことを、知っていただきたいと願う。また、川端の、前衛的な手法への挑戦を知っていただきたいと思う。
 最後に私は、読者が川端作品の豊かな〈魔界〉の世界を楽しんでくださることを願っている。


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