白鷺城下残日抄
成瀬巳喜男監督「浮雲」
林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の「浮雲」を見たのは、20年ほども前、広島の名画劇場サロン・シネマにおいてであった。
キネマ旬報ベストワンの特別週間シリーズで、黒澤明の「生きる」との2本立てだった。
「生きる」は、黒澤明の中でも1、2を争う傑作である。その後で見るのでは、「浮雲」がいくら名作の誉れ高くとも、見劣りするのではないかと危惧したのであったが、実際に始まってみると、20分もせぬうちに、私はしびれるような恍惚感に包まれて、映画に没入しているのであった
。
成瀬巳喜男の映画も、森雅之も、実際に見るのは、このときが初めてであった。が、今はうらぶれた中年男、富岡兼吾を演ずる森雅之の哀愁ただよう姿に、私は惹きこまれた。
映画は冒頭、昭和21年初冬と字幕が出て、雪を抱いた山々と狭い湾にかこまれた裏日本の敦賀港が写し出される。その埠頭の板橋をいっぱいに踏んで、引揚船から降りてくる人々のすさまじい姿。その中に、高峰秀子扮する幸田ゆき子の思いつめた顔がある。
次のシーンは、東京の廃墟である。空襲の焼け跡が延々とつづくなかに、ところどころ、類焼をまぬかれた家が建っている。その1つの家の標札を確かめて、ゆき子は声をかける。
玄関に出てきた、富岡の母親らしい女、それから妻らしい女。若い女の顔を見た不審気な表情が、「農林省の使いで来ました」の言葉に初めて和らいで、最後に、髪をぼさぼさにしたドテラ姿の富岡が現われる。
女の顔を見ると、男は着替えて外に出る。焼け跡を歩く2人――。役所はやめたんだよ、と男は言う。
突然、フラッシュ・バックして、光のまぶしい、植物園のようなところが写し出される。そこで初めて出合う2人。
それは戦争中の仏印(ベトナム)で、男は農林省から転じてきた研究者、女は内地から来たばかりのタイピスト。いうまでもなくタイピストは当時、女性の先端を行く華やかな職業であった。
熱帯の、光が散乱する豊かな自然のなかで、楽しげにたわむれる2人。まぶしいばかりの光と自然である。
この映画が、かつてその地で出合い、愛し合った2人の、戦後の物語であることが、ここで了解される。
しかし、女の訪ねて来たことが、男は迷惑げである。
――いつまでも、昔のことを考えたって仕方がないだろう。
――あのときが、あたしのあんたの、花だったのよ。
2人の間で交わされる言葉のうちに、彼らの幸福な時代はすでに終わってしまったものだという無念さがにじむ。
それを決定的にするのが、森雅之が口にする、次の言葉だろう。
――ぼくたちは、あのころ、夢を見ていたのさ。
男は、一場の夢として、あの恋愛は終わったことにしたいのだ。だが女は言う。「日雇い人夫をしてでも、2人で生きよう」と言ったのを真に受けたわけじゃないけど、あのとき、あんなことを言っておいて……。
この映画にあらわれる森雅之は、すでに、すべてが終わったという風貌をしている。一目でインテリとわかるが、その姿は、全身が哀愁にみちている。
私はこれを見ながら、しきりに思ったものだ。
もう終わったんだよ。終わったのだから、これ以上つづけても仕方がないじゃないか。
森雅之演ずる富岡兼一郎は、全身でしきりにそう訴えている。だが、女の方があきらめられないのだ。
いま2人が出合って歩くのは、戦後まもないころ。焼け跡に闇市やマーケットが建ち、人々が立ったまま雑炊をすすり、あの奇妙な帽子をかぶった長身の米兵の姿が眼につくような東京の戦後である。生き残った人間のエネルギーが、そこでは、恐ろしいばかりに煮えたぎっている。だが男はすでに、魂がぬけた人のようだ。
煮え切らぬ男に対して、ひとりで生きてゆく女は、次第に堕落して、米兵のオンリーになったり、パンパンめいたことをしたりと転変してゆく。
デコちゃんは本来、荒廃した女を演ずるようなタイプではなかった。にもかかわらず、この映画の中では、したたかに生きて皮肉な観察眼を持つようになってしまった女を、かなりリアルに演じている。彼女は、すっかりリアリストに変じているものの、かつての男に抱いた夢ばかりは断ち切ることができないのである。
男もまた、新たに始めた事業がうまく行かない様子だ。着ているものが次第にみじめなものになってくる。
映画で、この森雅之と対照的に生きるのが、山形勲の演ずる、ゆき子の親戚の男、伊庭杉夫である。かつて、ゆき子の貞操を奪った男。戦後はブローカーから身を起こし、やがて新興宗教の教祖におさまって、ぼろ儲けをして生きてゆく、欲望の塊りのような男。
しかし富岡は、決して伊庭のように生きることはできないだろう。
年の暮れに、男と女は、伊香保の温泉に出かけてゆく。場合によっては、榛名山に登って、その火口から飛び込んでもよいとさえ、2人ともそれぞれに思っていた。深い絶望をたたえた男。「もう今は、昔どおりの激しさに戻れるでなし」――男のつぶやく投げやりな台詞がすべてを語る。
それなのに現実の男は、ゆき子の目の前で、そこで知り合った若い女(岡田茉梨子)とたちまち深くなってしまうような男なのである。
私はふたたび思う。2人とも、人生はもう終わっているのだ。それなのにどうして、まだ生きるのだ。もういいじゃないか。
二人は、あの仏印のことさえ、もう夢にも見なくなった、とさえ語る。
映画の中で、2人は実によく歩く。電車の線路の脇を、街はずれの道を、温泉の海岸を――。それは二人のどうしようもない内面を象徴している。
――僕という男は、藻屑なんだよ。人間の屑なんだよ。頼むから、僕を1人にしてくれないか。
そんな男を、自分だけいい子になって、と女は責める。
すでに終わってしまった男女の、それでも切れることのできない絶望的な日々を、映画は丹念に描く。
物語の最後になって、様相ががらりと変わる。それまで事業で苦杯を嘗めてきた男が、妻にも死なれた後、役所に戻ることになる。といってもそれは、九州の彼方、はるかに遠い屋久島の営林署につとめて、つまり世の中から絶縁して、1人で余生を過ごす、というものだった。
だが女はついてゆく。遠い都落ちが語られる。
長い長い汽車の旅。さいはての鹿児島から、3日に1度しか出ぬという船。それから1昼夜、波路に揺られて、やっとたどり着けるという地の果て、海の果て、国境の島、ひと月のうち35日が雨という、年がら年中雨が降り込め、濃霧のたちこめる島――それが屋久島だ。まだ沖縄が返還されていないころの物語である。
鹿児島で女は発病する。ようやく島に渡ったものの、男が山中に出かけた留守の間に、女は喀血して死ぬ。そうして不思議なことに、女が病気になってはじめて、男は心から女にやさしくなって、女のために必死になるのだ。死んだ女のために、男はそっと口紅をつけてやる。
不勉強にも、私は林芙美子の原作を読んでいないのである。たいていの場合、感動的な小説が映画化されると、がっかりするものである。しかしながら、この映画は、原作がどうであろうと、立派に自立している。むしろ原作には、人間の欲望と執着がもっとリアルに描かれているのではなかろうか。
それを映画は、徹頭徹尾、男をすでに終わった人間として描いた。
この映画は、女の執着がなかったら、伊香保温泉あたりで終わっているはずである。「あれからは、蛇足だったね」と男がみずから言うように。
それが終わらなかったのは、女性作家のつよい願望だったのではあるまいか。どこまでも執着して、最後は心からやさしくなった男のもとで死ぬ――。
あなたの側で死ねば、本望だわ、という女の願望が、地の果てにおいてかなえられたのである。
しかし男の方はどうなのか。
映画を見ながら、私はしきりに考えた。
夏の甲子園で観衆を沸かせた球児がいる。だが彼らのうち、プロに行って活躍する者は、ほんのひと握りである。たいていに球児は、どこかで己れの才能の限界を思い知らされる。彼らのほとんどは、その後の長い人生を、失敗した人生として生きなければならないのである。
彼らが、甲子園の栄光は、おまけであったと割り切ることが出来れば、それはそれでいいのだが、多くの球児たちは、あのときの灼熱した時間、人生の凝縮された短い時間を、自分の人生の頂点として忘れることは出来ないだろう。彼らにとって、十八歳の夏が人生のピークなのだ。
とすれば、その後の長い何10年間かを、ふつうの人として生きるのは、想像以上に苦しいのではないだろうか。彼らの人生は、すでに終わっているのだから。
森雅之の演ずる富岡兼吾は、そのような、人生の白熱した時期を終えてしまった人の、深い絶望と虚無をたたえている。彼にはすでに生きる目標も、確固たる人生の指針も、何も残されていないのだ。彼はただ、無為のうちに生きる。
「浮雲」は、女の一途な執念が、そんな何も残っていない男を、どこまでも引きずり込んでゆく物語である。男はただ茫然と、そのむなしい役割を演じている。そして最後にこうつぶやくのである。
とうとう、ここまで来てしまったね。
――人生とは、いったい何だろう。
成瀬巳喜男監督「浮雲」
吉野 光彦
林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の「浮雲」を見たのは、20年ほども前、広島の名画劇場サロン・シネマにおいてであった。
キネマ旬報ベストワンの特別週間シリーズで、黒澤明の「生きる」との2本立てだった。
「生きる」は、黒澤明の中でも1、2を争う傑作である。その後で見るのでは、「浮雲」がいくら名作の誉れ高くとも、見劣りするのではないかと危惧したのであったが、実際に始まってみると、20分もせぬうちに、私はしびれるような恍惚感に包まれて、映画に没入しているのであった
。
成瀬巳喜男の映画も、森雅之も、実際に見るのは、このときが初めてであった。が、今はうらぶれた中年男、富岡兼吾を演ずる森雅之の哀愁ただよう姿に、私は惹きこまれた。
映画は冒頭、昭和21年初冬と字幕が出て、雪を抱いた山々と狭い湾にかこまれた裏日本の敦賀港が写し出される。その埠頭の板橋をいっぱいに踏んで、引揚船から降りてくる人々のすさまじい姿。その中に、高峰秀子扮する幸田ゆき子の思いつめた顔がある。
次のシーンは、東京の廃墟である。空襲の焼け跡が延々とつづくなかに、ところどころ、類焼をまぬかれた家が建っている。その1つの家の標札を確かめて、ゆき子は声をかける。
玄関に出てきた、富岡の母親らしい女、それから妻らしい女。若い女の顔を見た不審気な表情が、「農林省の使いで来ました」の言葉に初めて和らいで、最後に、髪をぼさぼさにしたドテラ姿の富岡が現われる。
女の顔を見ると、男は着替えて外に出る。焼け跡を歩く2人――。役所はやめたんだよ、と男は言う。
突然、フラッシュ・バックして、光のまぶしい、植物園のようなところが写し出される。そこで初めて出合う2人。
それは戦争中の仏印(ベトナム)で、男は農林省から転じてきた研究者、女は内地から来たばかりのタイピスト。いうまでもなくタイピストは当時、女性の先端を行く華やかな職業であった。
熱帯の、光が散乱する豊かな自然のなかで、楽しげにたわむれる2人。まぶしいばかりの光と自然である。
この映画が、かつてその地で出合い、愛し合った2人の、戦後の物語であることが、ここで了解される。
しかし、女の訪ねて来たことが、男は迷惑げである。
――いつまでも、昔のことを考えたって仕方がないだろう。
――あのときが、あたしのあんたの、花だったのよ。
2人の間で交わされる言葉のうちに、彼らの幸福な時代はすでに終わってしまったものだという無念さがにじむ。
それを決定的にするのが、森雅之が口にする、次の言葉だろう。
――ぼくたちは、あのころ、夢を見ていたのさ。
男は、一場の夢として、あの恋愛は終わったことにしたいのだ。だが女は言う。「日雇い人夫をしてでも、2人で生きよう」と言ったのを真に受けたわけじゃないけど、あのとき、あんなことを言っておいて……。
この映画にあらわれる森雅之は、すでに、すべてが終わったという風貌をしている。一目でインテリとわかるが、その姿は、全身が哀愁にみちている。
私はこれを見ながら、しきりに思ったものだ。
もう終わったんだよ。終わったのだから、これ以上つづけても仕方がないじゃないか。
森雅之演ずる富岡兼一郎は、全身でしきりにそう訴えている。だが、女の方があきらめられないのだ。
いま2人が出合って歩くのは、戦後まもないころ。焼け跡に闇市やマーケットが建ち、人々が立ったまま雑炊をすすり、あの奇妙な帽子をかぶった長身の米兵の姿が眼につくような東京の戦後である。生き残った人間のエネルギーが、そこでは、恐ろしいばかりに煮えたぎっている。だが男はすでに、魂がぬけた人のようだ。
煮え切らぬ男に対して、ひとりで生きてゆく女は、次第に堕落して、米兵のオンリーになったり、パンパンめいたことをしたりと転変してゆく。
デコちゃんは本来、荒廃した女を演ずるようなタイプではなかった。にもかかわらず、この映画の中では、したたかに生きて皮肉な観察眼を持つようになってしまった女を、かなりリアルに演じている。彼女は、すっかりリアリストに変じているものの、かつての男に抱いた夢ばかりは断ち切ることができないのである。
男もまた、新たに始めた事業がうまく行かない様子だ。着ているものが次第にみじめなものになってくる。
映画で、この森雅之と対照的に生きるのが、山形勲の演ずる、ゆき子の親戚の男、伊庭杉夫である。かつて、ゆき子の貞操を奪った男。戦後はブローカーから身を起こし、やがて新興宗教の教祖におさまって、ぼろ儲けをして生きてゆく、欲望の塊りのような男。
しかし富岡は、決して伊庭のように生きることはできないだろう。
年の暮れに、男と女は、伊香保の温泉に出かけてゆく。場合によっては、榛名山に登って、その火口から飛び込んでもよいとさえ、2人ともそれぞれに思っていた。深い絶望をたたえた男。「もう今は、昔どおりの激しさに戻れるでなし」――男のつぶやく投げやりな台詞がすべてを語る。
それなのに現実の男は、ゆき子の目の前で、そこで知り合った若い女(岡田茉梨子)とたちまち深くなってしまうような男なのである。
私はふたたび思う。2人とも、人生はもう終わっているのだ。それなのにどうして、まだ生きるのだ。もういいじゃないか。
二人は、あの仏印のことさえ、もう夢にも見なくなった、とさえ語る。
映画の中で、2人は実によく歩く。電車の線路の脇を、街はずれの道を、温泉の海岸を――。それは二人のどうしようもない内面を象徴している。
――僕という男は、藻屑なんだよ。人間の屑なんだよ。頼むから、僕を1人にしてくれないか。
そんな男を、自分だけいい子になって、と女は責める。
すでに終わってしまった男女の、それでも切れることのできない絶望的な日々を、映画は丹念に描く。
物語の最後になって、様相ががらりと変わる。それまで事業で苦杯を嘗めてきた男が、妻にも死なれた後、役所に戻ることになる。といってもそれは、九州の彼方、はるかに遠い屋久島の営林署につとめて、つまり世の中から絶縁して、1人で余生を過ごす、というものだった。
だが女はついてゆく。遠い都落ちが語られる。
長い長い汽車の旅。さいはての鹿児島から、3日に1度しか出ぬという船。それから1昼夜、波路に揺られて、やっとたどり着けるという地の果て、海の果て、国境の島、ひと月のうち35日が雨という、年がら年中雨が降り込め、濃霧のたちこめる島――それが屋久島だ。まだ沖縄が返還されていないころの物語である。
鹿児島で女は発病する。ようやく島に渡ったものの、男が山中に出かけた留守の間に、女は喀血して死ぬ。そうして不思議なことに、女が病気になってはじめて、男は心から女にやさしくなって、女のために必死になるのだ。死んだ女のために、男はそっと口紅をつけてやる。
不勉強にも、私は林芙美子の原作を読んでいないのである。たいていの場合、感動的な小説が映画化されると、がっかりするものである。しかしながら、この映画は、原作がどうであろうと、立派に自立している。むしろ原作には、人間の欲望と執着がもっとリアルに描かれているのではなかろうか。
それを映画は、徹頭徹尾、男をすでに終わった人間として描いた。
この映画は、女の執着がなかったら、伊香保温泉あたりで終わっているはずである。「あれからは、蛇足だったね」と男がみずから言うように。
それが終わらなかったのは、女性作家のつよい願望だったのではあるまいか。どこまでも執着して、最後は心からやさしくなった男のもとで死ぬ――。
あなたの側で死ねば、本望だわ、という女の願望が、地の果てにおいてかなえられたのである。
しかし男の方はどうなのか。
映画を見ながら、私はしきりに考えた。
夏の甲子園で観衆を沸かせた球児がいる。だが彼らのうち、プロに行って活躍する者は、ほんのひと握りである。たいていに球児は、どこかで己れの才能の限界を思い知らされる。彼らのほとんどは、その後の長い人生を、失敗した人生として生きなければならないのである。
彼らが、甲子園の栄光は、おまけであったと割り切ることが出来れば、それはそれでいいのだが、多くの球児たちは、あのときの灼熱した時間、人生の凝縮された短い時間を、自分の人生の頂点として忘れることは出来ないだろう。彼らにとって、十八歳の夏が人生のピークなのだ。
とすれば、その後の長い何10年間かを、ふつうの人として生きるのは、想像以上に苦しいのではないだろうか。彼らの人生は、すでに終わっているのだから。
森雅之の演ずる富岡兼吾は、そのような、人生の白熱した時期を終えてしまった人の、深い絶望と虚無をたたえている。彼にはすでに生きる目標も、確固たる人生の指針も、何も残されていないのだ。彼はただ、無為のうちに生きる。
「浮雲」は、女の一途な執念が、そんな何も残っていない男を、どこまでも引きずり込んでゆく物語である。男はただ茫然と、そのむなしい役割を演じている。そして最後にこうつぶやくのである。
とうとう、ここまで来てしまったね。
――人生とは、いったい何だろう。
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