魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

川端康成の初恋 運命のひと 伊藤初代 10年後の再会(5)

2014-08-12 16:13:11 | 論文 川端康成
川端康成の初恋 運命のひと 伊藤初代 10年後の再会(5)

康成の文芸時評

 この「レストラン・洛陽」に対して、川端康成は、『文藝春秋』の「文芸時評」(9月)で、次のように批評を書いた。

   窪川いね子氏の「レストラン・洛陽」(文藝春秋)を批評するに当つて、私は新しく別のペンを持ち出して来たい。がさつな文章を、つつましい光のひそんだ文章に改めたい。そのやうに――この作品は、とりわけ作者のしつかりとした落ちつきは、  私に尊敬の念を起させたのである。

   これは、レストラン女給生活の真実である。彼女等の内から見た真実である。カフエやバアの女給達の姿は、咲きくづれた大輪の花のやうに、近頃の文壇の作品に、けばけばしく現れ出した。余りに外面的に、従つて猟奇的な対象として――だが、一群の彼女等がこの作品の中の彼女等のやうに、ほんたうの姿を見せたことはないであらう。

 真実はいつも真実である。――  そのやうな言葉をこれは思ひ出させる。透徹した客観と、女性的なものとが、このやうに物柔かに融け合つて、作品を構成したことは、全く、珍らしい。ここに描かれた彼女等の生活の流れは、余りにわびしい。しかしそのわびしさを、ぢつと支へた作者の筆致から、われわれは作者の作家的な大胆な落ちつきと、  心のこまやかさを、同時に感じる。

   本誌に出た作品だから、詳しい説明は略するが――文壇はこの作者によって、1個の真実を加へたと云へよう。つつましくて、同時に大胆で、冷くて、同時に温い――。

 ほとんど絶讃である。若い作者の汚れのない筆つきに、康成は素直に感動したのであろう。
 一時、初代を追ってカフェに出入りした康成にとって、うらぶれたカフェの内側の女たちを描いたこの作品は、他人事とは思えなかったろう。しかし、いかに炯眼(けいがん)の康成でも、この作品の夏江が、初代の一時期を活写したものであるとは、夢にも思わなかったであろう。
 この時評の3年後、「父母への手紙」第1信で、康成は次のように書く。


康成の愛のかたち

   ついでに、私がどういふ女を愛するかも申し上げませうか。平和な家庭に育つた少女のほのぼのしさは、涙こぼれるありがたさで見惚れはしますけれども、私は愛する気にはなれないのです。とどのつまり、私には異国人なのでありませう。

 肉親と離れたがためにふしあはせに育ち、しかも自らはふしあはせだと思ふことを嫌ひ、そのふしあはせと戦つて勝つて来たけれども、その勝利のために反つて、これからの限りない転落の坂が目の前にあり、それを自らの勝気が恐れることを知らない、ざつとさういつた少女の持つ危険に私は惹きつけられるのです。
 さういふ少女を子供心に帰すことによつて、自分もまた子供心に帰らうといふのが、私の恋のやうであります。

 この、肉親と離れて不幸な境涯に育ち、これまではその不幸と戦って勝ってきた、そのためにかえって、「これからの限りない転落の坂が目の前にあ」ることに気づかぬ少女の危険こそ、康成を初代に釘づけにする魅力であった。康成は、初代の転落をほとんど予測していた、といっても過言ではない。

 はたして、別れて10年後に、かつての少女は、人生の深い谷底に転落した経験をもって、その姿をあらわした。
 彼女は、見えもなく、転落の結果、自分が今どんな惨状にあるかを隠すことなく語った。
 しかし、「夫の病を4年間看護し、そして死なれた」という彼女の話の内実が、カフェ・聚楽の女部屋に、連夜、泥酔して転がっていた、というものであったとは、神ならぬ身の康成の、思いも及ばぬところであったのだ。
 ただ、その内実は知らずとも、そのような生活が彼女にもたらしたもの――もはや、17歳の初代とはあまりに変わってしまった淪落した女の姿は、康成の想像の外にあったのである。

 川嶋至が、この堕天使との再会後、康成が大きく変貌したと力説しているのは、あながち川嶋の思いこみではないだろう。


古い恋の墓標

 伊藤初代の訪問を描いたのは、「父母への手紙」だけではない。
 前引の「姉の和解」も、この訪問を直接素材にした作品である。
 新吉は、妻の芳子と、その妹照子と3人で暮らしている。彼の収入が少ないので、妻の妹が女給に出て、家計を支えてくれているのが実情だ。
 そんなある日、妻の芳子があわただしく玄関を駈け上がって、鏡台の前にすわりこんでしまう。
 「変な人が来てゐたのよ」と芳子はいう。新吉がのんびり「物貰ひか、押売りだらう」と言うと、芳子は怒った調子で「女よ。」と答える。
 まもなく、玄関に、はばかるような女の声が聞こえる。幾分の好奇心も手伝って、新吉が玄関に出てみると、思いがけない、房子が立ってゐるのだった。

   芳子の怒つた理由が分つた。
   新吉も8年ぶりで見る房子だつた。
   夕闇を背に受けて、黒つぽい地味な着物で、顔の色もやつれて、肩を縮めながら、弱々しく微笑んでゐた。
   ずゐぶん御無沙汰致して居りました。ほんたうに伺えた義理ぢやございませんわ。何度もお宅の前を行つたり来たりしましたわ。」
   なるほど二人はこんな挨拶をしなければならぬ間柄になつてしまつたのかと、彼は房子の丁寧な言葉を幾らかくすぐつたく聞きながら、
  「まあ上り給へ。」

 新吉が茶の間に引っ込んで、「おい、房子だよ。」と妻にいうと、「なにしに来たんです。なんの用があるんです。」と言われ、新吉はぐっと言葉につまる。
 「昔あなたを苦しめて棄てた女を、家へ上げるなんて、そんな意気地のないこと、私は嫌いです。」
 芳子はそう言って、家を出てゆく。新吉は応接間に戻る。

   それとなく昔の裏切りを詫びる言葉には、あの頃の勝気な虚栄心は跡形もなく、あきらめに近い素直な悔恨の響きがあつた。それを聞くと、新吉は妙に寂しくなつた。
   房子の姿はもう全く古い恋の墓標としか、新吉の眼には写らなかつた。

 寧(むし)ろその墓標の前に房子と二人で立つて、はかない夢を追つてゐるやうな気持だつた。裏切られた時の血の涸れるやうだつた未練も、その前の息苦しいやうだつた恋心も、当の  相手の房子と今向ひ会つてみると、反つてひとごとのやうに遠ざかる思ひだつた。房子は新吉が変らないと言つたけれども、新吉は房子が変らないとは、義理にも言へなかつた。

 房子の帰っていったあと、妻は妹照子と一緒になって帰ってくる。もう機嫌は直っている。その妻に、新吉は、「僕も幻滅したから、来ない方がよかつたのにね。」と語るのである。
 房子は、やはり金の無心に来たのであった。

 この作品を書いた康成の、苦い顔が見えてくるようである。伊藤初代が実際に10年後の姿を彼の前に現わしたことによって、康成の長年にわたる「命の綱」であった「恋心」が、がらがらと崩落したのである。
 こののち、「命の綱」を失った康成は、どのように生きてゆくのであろうか。



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