以前暮らしていた町で知り合った30年来の友達が青森へ引っ越すことになった。
連れ合いを亡くし、しばらく頑張っては居たが、郷里で母親も高齢であること等も考えて、郷里へ戻る事を決断したという事だ。
高齢になってからの引越しはいかに大変であるかを目のあたりにした。今迄の長い年月で、夫のご両親を引き取って暮らした時の荷物などもあり、いらないものいるものの仕分けだけでも、大変だ。
一人でこつこつと、整理を始めて、数か月経過、引っ越しを一週間後に控えた所にお邪魔して来た。ほとんど手伝いにはならない。手伝いのつもりであったが、本当に「お邪魔した」だけで終わった。処理に困る少しのいらないものを運んだのは少しはお役に立ったかな??
いずれにしても高齢者が独りになってから、必ずや迎える事なのだと、目のあたりにして初めてその事が具体的になって見えて来ました。
誰もが通る道でもあるのですが。未だ私には覚悟ができていません。身に迫らなければなかなかできない事なのでしょう。
世の中の高齢者の皆さまが、身体がお元気な頭脳にも変調をきたしていない時にこの時期を迎えた友人のようなケースなら・・未だ何とでも出来ると思うのですが、誰しもそうとはいかないでしょう。
先々の事を心配するようになってきました。心配してもどうにもならない事は考えない事に気を付けていますが、どうにでもなるような心配事は元気なうちに考えておかなければと感じてしまいました。
膨大な量の写真や、もう一度みることじたいが物理的に困難な録画・動画記録も膨大な量がありますが捨てられません!!
連れ合い様は還暦を過ぎてから捨て始めていますが、不要なモノは分かりますが、古くなって代用品もあるからはについては自分的感覚は『もったいない』モノが沢山あって、同等新品を購入してくるのには・・・???・・・でもあります!!
「勿体無い」が全てで・・・私も何十年も前の洋服が最近また復活して、以外にも最先端のファッションみたいだったり(苦笑)・・しますと・・またまた捨てられない状態に捉われて・・・・ダメです。
最近食器の縁が欠けているのが目立つようになりました。これらは捨てられますね。実は夫が食器を偶には洗うようになって、食器が傷傷状態です。言うとやってもらえないので、言わない事にしておりますが、棄てる気持ちになれるのはありがたいと考えるようにしています。(ストレスです・・ネ!)
わが家ではそのようなことが現実に必要になるかどうかは分かりませんが、ボクは物事を楽観的に考える方なので、案外、家の中の雑物を処分するいい機会になるではないかと考えたりもします。
実際、何か特別な理由でもない限り、いくら家中に無駄なものがあふれていると言っても、現に置く場所があるのなら、あえて処分する気にはなれません。
ボク自身が、万一ニョーボが先立ってしまっても、子どもが欲しいと言うもの以外には、ニョーボの残したものの大半は、まとめて処分してしまうことに何のためらいも持っていないので、自分が死んだ時も家族が同様にしてくれることを期待しているからです。
それもこれも、家にあるものといったら、ただのガラクタばかりだという自覚があるからなのですが、、、
夫には何やら海外からの頂き物(自分で選んだ品ならまだ良いのですが訳のわからない調度品)など(どう見ても値打ちなど無いと思われる)今のうちに処分してくださいと言っているのですが、聞いていないみたいです。たぶんダメですね。長い間それを保存してくるのは大変だったのですが・・・理解していないようです。(嵩張る物が大量なのです)
私も娘に適当に選んでもらって後は処分ですね。多分娘は何もいらないというでしょう(苦笑)
今度娘さんのすぐ近くに再度の引っ越しをしたとお手紙をもらったばかりです、
こちらではすごく大きな家に住んでらして引っ越すとこも大変だったのですが、
今度は2DKのマンションだそうです。
大きな螺鈿のどっしりしたリビングボードなどは処分したといってましたから
すべて想像できると思ってしまいました。
我が家も無駄に大きいのです。
少しずつ処分していかなくてはって彼女の手紙で思ってたところなんです。
想い出は残るものにとっては邪魔なだけですものね。
思いっきりよくどこかで処分しなくては…、ってまた思ってしまいました。
今度のところはやはり2DKのようです。お一人身には丁度良いのかもしれませんが、大量のたんすや本棚やカップボード等・・かなり片付け屋さんに持って行ってもらったそうです。荷物は運び終わったところへ駆けつけたのですが、しみじみバジルさんと同じように、我が家ももし独り身になったらとんでもないほど広くて持て余しますね。6部屋なのですが・・・・考えて暮らさないと老後にその苦労が待っていますね。