映画なんだから…と言うのはそうですね。岩城光一も出ていてチョングソが義士?と思ってしまいましたが、それ以上に、映画の都合が見えすぎて、やっぱり面白くない。
「ビートたけしの忠臣蔵」が私的には一番面白かった。
無様・貧相・身も蓋もない等など、総じて格好が悪いし、体裁が悪い忠臣蔵だった。
特に、四十七士の困窮の有様は、史実を取り上げる際に決して無視できず、その内容は大石の出納帳にも書き残されている。
「ビートたけしの忠臣蔵」では「久々に米の飯が食える!」と手づから米を貪り食うシーンがあったが、多分正しいだろう。
この「四十七人の刺客」では今「相棒11」に出ている石坂浩二の若い頃の顔があったが柳沢吉保役である。
見栄えの良すぎる柳沢吉保だが、実際は、吉良上野介も、柳沢吉保も見た感じ人の良い、我を通さないタイプのちんまりとした爺さんという感じである。それはググってみると分かるでしょうが。
大石蔵之介は、亀有の両さんみたいな感じのおっさんで、この風貌は、上杉謙信にも似ている。これは実際に描かれている絵が、そうである。(これまたググってみれば分かるでしょうが)
また、徳川綱吉だが、元々未熟児で、部屋住みの三男で、これがまた貧相だった。徳川家の菩提寺が大樹寺と言うのだが、ここには歴代将軍の位牌がある。この位牌は、その時の将軍の背丈に合わせて作られており、参拝に行くと、その位牌が見られる。その位牌は綱吉のそれだけが異様に低いのである。
前のブログにも書いたが、この時には、武家の武張った気風が消え、また鎖国令が出ていた。この時には、外国との関係の問題や幕府を転覆しようとする大名家の動きが綺麗になくなった初めての時代で、その時に発生したのが、忠臣蔵の元となる、赤穂浪士の討ち入りである。
この頃、もう一つの状況としては、元禄時代と言う事で、経済の力が強くなった。そして、恐らくは大名家の経済や、江戸幕府も金銭的余裕がなくなり、金の論理を武家が制御できなくなっていた。
その事は、朧気に分かっていたのだが、より明白にしたのが、その後の徳川吉宗である。結局彼は米相場との戦いに破れた。
ビートたけしの忠臣蔵では、その辺もしっかり描かれており、武家の名門である旗本などの直参が立ち行かず、部屋住みなどをはじめとして、男色に耽り、身体を売る者も現れたとある。
この辺は、売春と言う向きがあるが、実は、売春はどこにでもあって、江戸が特別という訳ではない。また売春と言うと吉原などの幕府が特に認めたものばかりと言う向きもあるが、それも間違い。
時代劇では夜鷹と言う、吉原以外でも売春はしていた。その中でもタモリ倶楽部でも出てきたのだが、江戸の街では、今と違い仕事をしている女が極めて多く、その女は、仕事、主に物売り(行商)が多かったのだが、その物を売ると同時に身体も売っていた。中には比丘尼と、尼さんが身体を売っていたのだとのことで、それまた驚きだった。
また、江戸では、男女比が極端であったために、「東海道中膝栗毛」の弥次喜多のような、ホモが結構おり、別に珍しいことではなく、よくあったらしい。
これらを聞くと、この時代、金の亡者のような連中と極めて貧相な連中の集まりの様に聞こえるかもしれないが、江戸時代の江戸は、世界でも一番システマティックに動く都市だった。でなければ、江戸は住居不能な都市となった筈なのである。
何故か?この時代、ヨーロッパの都市は大体そうだった。ペストで人口の1/3が死亡したとの事だが、この様な事は、実は中国でも多いのである。
中国では主に戦乱であったが、人口の急変があったのだが、それは疫病によるものも多かった。その流れは、ヨーロッパではギリシアがそうだった。城塞暮らしでは、城塞の内部での衛生環境の悪化が常にあり、その結果疫病の蔓延が無視できず、その結果都市を放棄する事も一再ならず存在した。
ヨーロッパでは、王侯貴族は城に住んだが、その城の居住は3ヶ月を越えることは珍しかったらしい。何故か?城の内部が散らかって汚くなったので住むに値しなくなったらしい。その結果、3ヶ月過ぎると別の城に移り、清掃が行われたらしいのである。
特に、排泄、トイレの垂れ流しが横行し、それはそれは臭い汚い世界だった。
良く、エチケットと言うが、このエチケットは、よりフランス語的に言えばエ・ティッケッテで、小さな紙片の事を良いベルサイユ宮殿で見かけられた注意喚起の注意書きの事を言った。その多くが「ここにて立ちション、野グソするべからず」と言うものだった。
ベルサイユ宮殿では、この「立ちション・野グソ」は当たり前であったしフランス都市部では石造りの建物に舗装された道路と文化的に見えたのだが、その道路を主に埋めたのが「糞尿」であった。
排便をトイレでするのは、実は日本ぐらいなもので、それを肥料にするのも珍しい文化だった。学校の「きょういく」とやらでヨーロッパのすごいものの様に吹聴される三圃式農業は、毎年米を収穫できる田畑に比べると、生産効率が1/3と言う慶応が持て囃す愚劣な農業生産方式だった。
つまり江戸が百万都市として、生き残るのは極めて珍しい事で、往々にして、百万の都市を作れる程度の人員の集合は疫病で人口調整された。
実は江戸でも、疱瘡(天然痘)、チフス、疫痢(赤痢)、結核、感冒(インフルエンザ)などが多く、何度となく流行があった。
異国情緒溢れる長崎では、疱瘡の流行が多く、何度も人口を大きく変化する程の死亡があったのだ。
四十七士の討入りも、そんな社会の流れの中にあった。
戦乱の時代から、平和になり、経済が幅を聞かせたのに、時代に反するような、動きとして討入りがあったのだ。また討入りの事で毎度「ビートたけしの忠臣蔵」ではメインに出ていたのが「藩札の回収」である。この事を「四十七人の刺客」は描いていない。描いていたのはチョングソ浪士が出しゃばっていた「塩の相場」である。だが「ビートたけしの忠臣蔵」の方がもっと実感があった。
緒形拳が大石とは違う、キャリアの中途仕官の家老を演じており、諸事の採り仕切りをやっていた。その中で藩の財政を好転させたのは、緒形拳の側の家老で、赤穂藩の塩の流通を当時米以外の現金収入にする為に東奔西走したらしく、その結果赤穂藩は岡山のさほど大きい藩では無いのに豊かだった。
良く浅野内匠頭の「松の廊下」での刃傷沙汰は、何故か?と「四十七人の刺客」では言っていたが、裏が何かあるのだろうか?
元々吉良上野介は公家上がりの名家で、今の冷泉家に相当する行儀指南を生業とする(と言う表現は正しくないのだが)有力大名なのである。
一番の問題は、浅野家の教育が問題で、基本、名誉な役回りは、自分の努力と思い込んでいたのだろうか?往々にして、吉良上野介は、行儀作法の指南をやっているから、往々にして財政が悪かったのだ。これは「江戸時代の家計簿」だったか?の中にもアルが忠勤精励をすればするほど借金が増えるとは、当時の常識だった。その為、無い袖を振らせる為に金回りの良い大名が接待役を仰せつかるのである。
接待役といえば、豊臣秀吉が織田信長の時代に上手く取り計らって出世をした。その時に金に糸目はつけなかっただろう。その関係を教育していれば、金を接待役に「御礼」として「心づて」として渡すのは当たり前だった。浅野内匠頭は、この事について思いっきりが悪かった様である。
何れにしても、短慮である事を「ビートたけしの忠臣蔵」では、最初から緒形拳が指摘し「乱心」と言う「落とし所」を用意していた。
例えば高倉健の大石蔵之介は藩を渡す手続きをするように申しつける姿を見せたが、緒形拳は「この処理が上手く行けば、藩の再興の際に有利に働く」と言っている。また「諸事に手抜かりがあると、不行き届きをとられる」として藩札の回収を一番最初に言及した。その点、頭の悪いディレクターとは偉い違いだろう。
また日銀の関係者や慶応以外のマネー経済の事を少しは知っていると、この頃、現代の紙幣に近い藩札の動きとして、興味を持っている事だろう。この頃、幕府は、勝手に発行される紙幣の様に価値を乱発する藩札の流通を止めるよう布令を下している。だが、その布令がほぼ唯一成功したのが赤穂藩なのである。この頃実にタイムリーな「成功例」を見せることでアピールしようとしたと言う内容であれば、マネー経済の「低能なクソバカ」が幅を聞かせる中、光彩を放つ内容である。
事程左様に、頭の悪いバカは、今の知識で色々ほざくのである。
何より中井貴一の「臨戦態勢」と言う文言は中村吉右衛門が昔見ていた時代劇のなかで「チャンスだ」と言うのがあったと笑っていたが、その台本並に馬鹿げている。吉右衛門さんは「所作」の中に「言葉回し」と言うものがあって、今慶応の適当に作った言葉が氾濫しており、教養が無いと今の言葉を使うものなのである。
もっとも、先ごろ亡くなった勘三郎も「てれすこ」のなかでは、包丁をやたらと研ぐシーンがあったが、それとは対照的なのが「和風総本家」の中での博多の鍛冶屋さんの台詞「鉄を無駄にするな」これが江戸時代の鍛冶で出来た品物(この「しなもの」と言う言葉も古い使い方である)に対する気遣いを表したものだ。
江戸時代、いや今の時代も古株の魚屋や漁師の家の包丁は、鑿(木工のノミ)並にチビるまで研いで使う。10年以上、場合によっては30年も1つの包丁を使う。良く研ぐのだが、その研ぐというのは「切実な事」である。
例えばマタギ(猟師)はマタギ刀と言う、今で言うとヤクザが何故か持っている「ドス」に似ているが、実は違う。高度なナイフの技によって扱われる実用的な刃物である。このマタギ刀は、チョングソのなれの果てのヤクザと違い、実に見事に使う。その際、刃についた獲物の血と油を落とすためとこぼれた刃を作る為に最低一回は解体の途中で研ぐのである。
この研ぎは、別にマタギだけが特別なのでは無い。欧米にしても、その他獣を獲って食べる民族は大体、この様な刃物の使い方が一般的であり、最後には必ず研いで刃を綺麗にする。そうではないと、血も油も付いて鞘に残り臭くなるからであり刃物も悪くなるからだ。
こういう視点は、伝統を吹聴する所がリードすべきものだ。歌舞伎の世界では、現代の常識を棒じているのだろうか?
大体噺家も見え透いた知ったかぶりを吹聴して荒稼ぎしているだけで、実は低能の集まりとなっている。江戸時代の風物を知れば知るほど、伝統芸能として芸事を吹聴している連中の「伝統のエリート面」している「バカの集まり」が透けて見える。
江戸時代の生活を知っている噺家がどのぐらいいるだろうか?薀蓄をひねり出せる奴がいるだろうか?連中は伝統芸能を今の時代に合わせているのではない。伝統芸能の方を今の時代に押し込めているだけで、昔の芸の本質を知らないから、今との違いを実感せず吹聴しているのだ。
昔の芸人は、バカの様に見せながら、実に良く知っており、それは大学の研究者のそれを勝っていた。だが今の時代大枚を掠め取る噺家で私を越える知識を持つ者は居ない様だ。だから、チンプンカンプンな古典を訳も分からず吹聴している様だ。それは変な事をやっている映画やドラマや小説を見ても別に変に思わず受け入れる「古典芸能」ではない「現代芸能」として実に軽い何かをしているだけで「芸」ではないのは確かな様だ。
だが分かっている人も居る。それは「四十七人の刺客」の脚本を書いたバカではなく「ビートたけしの忠臣蔵」の脚本家である。
貧相で、悪あがきで、実に貧相に死んでいく四十七士があった。だが、その姿に「リアリティー」を感じる。それは知れば知るほど、ますます募っていく。
もう20年以上も前の作品だが、本当に素晴らしかった。デジタルリマスター希望します。無いだろうけど。