これは、あのNHKドラマを医学部の生徒に見せるべきだろう。
それほど、このパオロマッキャリーニ医師の追い詰められる「狩り」のドキュメンタリーは、そっくりだ。
異種骨の移植で中年のおっさんを選んだが、同じ理由つまり「活きのいい元気な被験者」が必要だと言う事で女子高生が選ばれたのだ。
ドラマでは女子高生はOKだったのだが、それはドラマだからだ。実際、この現実では移植者は全員死亡した。
例えば、免疫的な動物実験を並進中で「人体実験」も進められた。
NHKのドラマでは、女子高生が成功したから糞医院長も昇進できたが、そうでないなら、ドラマと同じ事態となっただろう。
何しろ、免疫処理は殆されず、基本的には消毒滅菌だけなのである。
これは、実は手塚治虫のブラックジャックの免疫的考え方に似ている。
手塚治虫の免疫的見解は、皮膚移植のレベルで、体外基幹と言うか部位の免疫と体内の臓器では、ハードルが大分違う。
それはブラックジャックと並列していた人工心臓を見ていた筈の手塚治虫も知っていた筈だ。
ジャービック型の体外式人工心臓の荒っぽさは、蒸気機関で動かしているポンプを心臓として使っているようなものだった。
この辺は、岩波新書の人工心臓にも載っている。
私はそれを見て、免疫医学と言うものの空恐ろしさと、脳以外の全身指令の独立器官としての免疫の難解さに気づいたのである。
今私は「楽毅」を寝る前に読んでいるが、楽毅は功成りて、身を引いた孫武や范蠡を賞賛している。
武人としてだけでなく、国家の首脳にいて、賞賛を得た上に、その座に居続ける危険性を避けて身を全うした、人生の達人としてである。
そして楽毅自身もその列に並んでいる。
オカダーが大好きな諸葛亮孔明が呉起、楽毅を尊敬したが、呉起は、改革半ば、楚の孝王の死によって、楚の貴族に依って射殺された。
それは成功体験と言うもの、理論上の「理想」がナカナカ成立しないと言う問題である。
人工器官の人工心臓の問題は1980年代のものでした。
所が、このパオロマッキャリーニ医師の問題は2010年代です。
正直驚きました。
免疫問題を問われれば私の方が、まだマシでしょう。
何故なら、人工心臓とエイズによる血液の免疫機能を1980年台、マクロファージとT細胞、インターロイキンぐらいしか知られていなかった、エイズ問題初期から、B細胞、ヘルパーT細胞、キラーT細胞、好酸球、好塩基球、好中球などの新しい発見が3ヶ月毎にETV特集で見せられました。
そしてエイズの対策としてHPA23やAZTやライバビリンなどの抗ウイルス剤の適用をされていた、その現場をリアルタイムで見ていました。
そしてNHKの骨移植の話と、人工角膜の問題を知っていました。
私は医師免許は持っていません。
ですがパオロマッキャリーニ医師の問題を列挙する能力は、少なくとも彼の助手よりは遥かによく知っています。
そして、その気管という「細胞活性の高い器官」の移植というものに、この程度の免疫的治験で、ここまで酷い処置が進められていたとは、驚く外はない。
だから人工角膜の「恐ろしい程慎重な手順の積み重ね」に敬意を払うのです。
この、角膜移植が今も視力を維持しているか?知りませんが、少なくとも「限界を把握した上に於いて、能力の維持に限定した、移植は凄く立派なもの」と思います。
ですが気管は、感覚器官ではなく、生命維持の代謝器官です。
それが機能しないのは、耳が聞こえない、目が見えない、並行が保てないでは済まない問題です。
それをちょっとした成功に浮かれて「名声を前提として、その前の基礎的治験の問題を無視した馬鹿の集団」=島耕作的糞馬鹿文化系大学出の典型と見ています。
糞馬鹿文化系大学出に毛の生えた程度のクソ馬鹿は、コイケのボケ婆ぁの出来の悪い算数程度しか出来ない地上最低の低能集団なのです。
馬鹿は、成功した結果しか考えない。
それはNHKのドラマの中の医院長も同じです。
医療は最高の技術の実行者に対して、最低の倫理しか持ち得ない下衆が主導する、魔界です。
私は、色々な移植を知っていますが、フランスで行われた顔や手の移植とかは、本当に驚きました。
私は、あれよりは、マシな人工義肢の方が良いのかも知れない。
命とメカニズムの間の相克の意味を知らない馬鹿は、いとも簡単に、命を弄ぶ悪魔に変わると思い知る、そんな番組でした。
って、所でNHK!視聴率を稼ぐチャンスだっての!
さっさと、件の番組を放送しろよって!
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