大多喜町観光協会 サポーター

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小説 本多忠朝と伊三 21  (第ニ部はじまりました) 

2010年11月15日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想のたっぷり入った小説です 

第2部  忠朝と伊三 21

 

これまでのお話 (第1部)1~20話 はコチラ

 「ケンさん、ケンさん、ちょっと待っておくれやす。もっと、ゆっくり歩きませんか?」
「何言うてんねん、勝介さん、はよ行かんと、ロドリゴさんが待ちくたびれてはりますよ。」
「そないなこと言うたかて、息苦しくてかないませんわ。」
「あんたぁ、ちょっと太りすぎとちゃいますか?」
「ちょっと、、ちょっと、、休みましょう。」
「勝介さん、ロドリゴさんとの約束の時間からもう半時ばかりおくれてますよ。休んでる暇なんかありませんよ。」
 一六十一年の一月のある日、澄み切った深い青色の空に覆われたメヒコの町を二人の日本人が急ぎ足で歩いている。一人は去年、ドン・ロドリゴと供にヌエバ・エスパーニャにやってきたケン、もう一人は京の商人田中勝介である。田中勝介(しょうすけ)は記録に残る限り、初めて太平洋を横断した日本人である。
 小太りの田中勝介は身軽なケンにせかされながら、息を切らせてケンに追い付くのに必死である。ここ、メヒコの町は標高が高く気圧が低い。メヒコに到着してから三カ月ほどたっているが、勝介は未だにこの薄い空気に慣れていないようだ。
「後生です、ほんのちょっと、休ませて、、、、お願いします。」
「しゃあないなあ、ちょとだけやで。」
「おおきに、おおきに。」
「勝介さん、あんたぁ、メヒコに来てからちょいと食べ過ぎやで。そりゃ、珍しいものを食べたくなる気持ちわかるけど、自分の仕事を忘れたらいかん。」
 田中勝介は徳川家康の命令で帰国するドン・ロドリゴに同行してヌエバ・エスパーニャにやってきた。その使命とは、イスパニアとの通商を開くための調査と準備である。家康はキリスト教には懐疑的ながら、イスパニアとの貿易には興味を示していた。これまでも、フィリピンや明を通じて、交易はされていたが、ヌエバ・エスパーニャ経由の交易の道が開けないかと考え、勝介を派遣したのであった。
 メヒコに到着した当初、勝介はケンを通訳にメヒコの商人との商談を積極的に進めていたが、直接言葉が通じないので、思うように成果が上がらず、このところ少々嫌気がしてきていた。その成果が上がらないのはケンの通訳があてにならないからだと思っていた。
「ケンさん、そんな言い方はないやろ。私は大御所様のために、なんとかええ商売ができたらと、一所懸命にやっているのに、あんたの通訳があてにならんで。ちゃんと私の言うことを通訳してはりますか?」
「勝介さん、うちの事信用してないんかいな?」
「そんなことはあらへんけど、どうも腑に落ちん事もあるもんでな。」
「どういうことや?」
 ケンはむっとして、勝介に詰め寄った。
「そんな、こわい顔しなさんな。この前の、れろっほ(reloj = 時計)っちゅう時を計る仕掛け箱を見せてもらうって言う話、次の日の約束だったのに、相手は来なかったやないか。ちゃんと約束したんかいな。」
「勝介さん、あんときはあんたもちゃんと聞いていたやろ。相手もアスタマニャーナいうてはったやないか。」
「それが、あてにならん。アスタマニャーナがあしたまたなって言う意味やなんて、洒落みたいやないか。ほんまにそういう意味なんか?」
 勝介は商談の約束が守られなかったことを、ケンがしっかりと相手に約束を取り付けていなかったからだと思っている。しかし、それはケンの責任ではなかった。ここはメヒコ、日本とは違う時が流れているのである。アスタマニャーナ(Hasta mañana)というのは確かに明日また会おうというような意味ではあるが、ここメヒコの人の間では別れの挨拶以上の意味を持たない。同様にアスタ・ラ・ヴィスタ(Hasta la vista)、アスタ・ルエゴ(Hasta luego)という別れの挨拶も「また後で。」と言う意味だが、その「後で」と言う日がいつ訪れるかは神のみぞ知るである。
「ほんまやで。」
 ケンはそう言って、ふくれっ面をした。
「なんや、その顔。まだあるで。三日前に、ここの酒一升でなんぼや聞いたとき、ケンさん、えらい長い時間話し込んでいたけど、結局その値はわからずじまいだったやないか。」
 ケンは話好きで、勝介から聞かれた事以外の話をついつい、長々としゃべってしまうことは自分でもわかっている。それでも、ケンにはケンの考えがあってのことだった。直球で商売の話をするよりも、世間話を織り交ぜて相手の気持ちをこちらに引き付けるのも大切なことだと思っていた。三日前の話とはこんな具合であった。

 ケンと一緒にメヒコのめしやで食事をしているときに、勝介はワインの味が良いのでケンに仕入れは一升でいくらかを聞いてくれと言った。するとケンは店の若い女性にスペイン語でこう話しかけた。
「セニョリータ、ちょいと聞きたいことがあるんだけど。この酒、ワインって言うんでしょ。僕たちは日本と言う、太平洋の向こうの遠い国から来たんですけど、このブドウで造った酒がすっかり気に入ってね、日本に持って行って売りたいと思っているんですよ。日本の酒は米から作るんですけど、このワインはぶどうから作るんでしょ?そんな講釈つけて売ったら日本でも飛ぶように売れると思うんですよ。見た目は血みたいで、味も渋いけど、飲み付けるとやめられなくなる味ですよ。これ、仕入れは一升でいくらですか?」
 このインディオみたいな顔をした小柄な男にべらべらと話しかけられて、給仕の女性はこう答えた。
「日本?日本って何のこと?それに一升ってどういう意味ですか?」
「あちゃあ、そうか、日本も一升もわからないか。」
 それから、延々とケンはドン・ロドリゴの遭難の話から、自分たちがここにいる事情を説明した。
「ああ、日本ってフィリピンの近くにある国なのね。それであなたたちはそこからメヒコに来て、商売をしようとしている。でも、その一升っていうのが、どのくらいの量かわからないわね。」
「そうですか。まあ、国が変われば言葉も計り方も違う。しゃあないなあ。ねえ、セニョリータ、面白い事教えてあげましょうか。」
「なあに?」
「この店、こちらの言葉ではタベルナ(taverna=小料理屋)って言うでしょ。日本語でタベルナって、食べてはいけないと言う意味なんですよ。」
 ケンの話に、若い給仕の女性は大笑いをした。勝介は何を話しているのだろうと思っていたが、ケンからの返事はこうだった。
「勝介さん、残念やけどわからないそうや。」

 メヒコに向かうブエナヴェントゥーラ号で初めて顔を合わせた、ケンと田中勝介は同じ西国の生まれということもあり、すぐに打ち解けて、気の合う仲間となった。長く、大変な船旅もケンの陽気さで勝介の心も和んだ。
 ところが、メヒコに着くと言葉がわかるケンはメヒコの人々と気性があったのか、時に勝介をそっちのけで話が弾んでしまうことがある。勝介はメヒコ人と談笑するケンのそばでおいてきぼりにされた気持ちになることがしばしばであった。

「勝介さん、そないこわい顔しなさんな。うちも勝介さんの役に立ちたいと思って一所懸命なんやで。」
「それは、わかってますわ。はあ、それにしても、、、」
「それにしても?」
「日本に帰りたい…….」
 メヒコでの新商品開拓が思うように進んでいないので勝介はメヒコでの商談に嫌気がさしてきていた。なれない風習、通じない言葉。日本ではあんなに商売がうまくいっていたのに、ここではさっぱりである。ところが、ケンはその陽気さがメヒコの人情が通じ合ったのか、毎日毎日楽しそうだ。それがまた腹立たしくもあった。
「しかし、ロドリゴさんは何の用事やろなあ。」
 勝介が言うと、
「きっと、ええ商人でも紹介してくれるンとちゃいますか?」
とケンが答えて、勝介の肩をもみだした。
 ケンの笑顔を見ると勝介は思った。
(はあ、この人は腹は立つけど、憎めない人や。)

 そのころ、約束の時間になっても現れないケンと勝介の事を気にするでもなく、ドン・ロドリゴは屋敷である人物と話をしていた。
 一昨年、遭難したイスパニア人たちをヌエバ・エスパーニャに送り返してくれた徳川将軍家への答礼使として元フィリピン司令官のセバスティアン・ビスカイノが日本に行く事になり、その報告を兼ねてロドリゴの家を訪ねていたのであった。
 ビスカイノはロドリゴがフィリピンに赴任する前に司令官としてフィリピンに滞在したことがあった。二人はフィリピンでの思い出話をし、ビスカイノはロドリゴに日本がどんな国かをたずねた。
「日本の国民はまずしいが礼儀正しく、親切です。しかし、国中が長く戦争状態なので、その軍隊は恐ろしく強い。その戦争地帯は国内だけにとどまり、海を越えることはないので海軍は一部を除いては未熟ですが、陸軍の歩兵は強い。前の皇帝であったヒデヨシは朝鮮を攻めましたが失敗しました。海戦であれば、わがイスパニア軍の敵ではありませんが、上陸戦になるとどうでしょうか。仮に我が国が日本を征服しようとするならば、軍事力で攻めるよりも政治力を使った方が効果があると思われます。」
「なるほど。それで、力攻めではなく、友好的な手法を使った方が良いと思われるのですね。では、あなたならどのように日本を征服しますか?」
「はい。私なら、キリストの力で抑えたいと思います。日本は宗教的には未熟な国です。我々の様な絶対的な神と言う存在はありません。彼らが言うところの神と言うのは、我々が感じる精霊の様な存在です。例えるならばギリシャの神々の様なもの。もし、日本を征服するならばキリストの教えを広め、彼らの心を征服することが重要かと思います。しかしながら、彼らの神々を認めることも必要かと。例えば、ここメヒコでもキリストと土着の神が融合していますが、日本でも同じ様な状況になるのではないかと思います。」
 ビスカイノは日本を征服しに行くのではなく、ロドリゴ救助の答礼として派遣される友好的な使節ではある。しかしながら、この機会に日本との通商を強固にし、敵対するオランダやイギリスなどの新教徒の勢力を駆逐したいと考えている。
「そういえば、今日は日本から派遣されている商人がこちらに来るとのこと。その商人も一緒に日本につれて行くということでしたね。」
「そうです。徳川皇帝の命令で通商の調査に来たのですが、どうやらあまり成果が上がっていない様子。そこで我が国の銀の製錬法を手土産にできないかと持ちかけてみようと思うのですが。」
「そうですか。銀の製錬法を伝え、その産出された銀と我が国の物産を交換する。その商人も良い土産になるでしょう。」

 ロドリゴとビスカイノがそんな話をしているところに、ケンと田中勝介が現れた。勝介は時間に遅れたことを気にして、ロドリゴに詫びをしたが、ロドリゴはさして気にする風でもなく、笑顔で二人を迎えた。慇懃な態度の勝介とは対照的にケンはロドリゴと握手をして、早速スペイン語で談笑を始めた。
 ロドリゴからビスカイノが答礼使として、三月に日本に出発すること、田中勝介もその船で日本に帰ること、ビスカイノは日本に新しい銀の製錬法を伝えたいと言うことを聞くと、固かった勝介の表情が緩んだ。
(これで、私がここへ来た成果がやっとつかめた。)
 珍しい物産を手に入れることも良いが、新しい技術を手に入れることの方が家康も喜ぶのと思ったのである。
 一通り、日本行きの話が済むとロドリゴがケンにたずねた。
「ケンは日本に帰るのか?」
「私はここに残りたいと思います。もともと、フィリピンでドン・ロドリゴの船に乗ったのはメヒコに来ることを望んだからです。」
「そうか。残るのか。お前が日本に帰るのなら頼みたいことがあったのだが、、、」
「それは、どんなことでしょう?」
「ホルヘの事だ。」
 ロドリゴは日本に残ったホルヘが気になっていた。言葉も通じず、慣れない土地に一人残り、不自由をしているのではないかと心配だった。ケンが日本に帰るのなら、ホルヘへの手紙を託したかったのである。
 二人の話を聞いていたビスカイノがロドリゴに聞いた。
「そのホルヘと言うのは誰なんですか?」
「私の命の恩人だ。」
 ロドリゴは嵐の時にホルヘに助けられたこと、ホルヘはフィリピン人だが、父がイスパニア人であることなどを話した。話を聞いていたビスカイノは顔色が変わってきた。ロドリゴはその表情を見逃さなかった。
「ビスカイノ殿、まさか、ホルヘの父親について心当たりでもあるのですか?」
「いや、そのホルヘと言う青年の年齢からすると、彼が生まれたのはちょうど私がフィリピンに司令官として赴任していたころのこと。」
「まさか、あなたが、、」
「いや、勘違いされてはいかん。私は彼の父親ではないが、話からすると当時の私の部下の中にホルヘの父親がいる可能性があるのではないかと思ったので、、」
「ビスカイノ殿!やはり何か知っているのですか?ホルヘの父親の事を知っているのであれば、ホルヘに知らせてやりたい。」
 ビスカイノは腕組みをして考え込んだ。今更、ホルヘの父親を探してもメヒコと日本では、親子の再会はかなうまい。いたずらに知らせてやることがホルヘのために良いとも言えまいと考えた。
「別に心当たりがあるわけではないが。いいでしょう、昔の仲間にそれとなく探りを入れてみましょう。でも期待はしないで下さいよ。」
「ありがとうございます。よろしく頼みます。いずれにしても、ホルヘには手紙を書きますので何らかの方法でホルヘに届けていただきたい。」
 ロドリゴはビスカイノに頭を下げた。
「ケンさん、ケンさん。どないしたんや。二人とも難しい顔して、何かよくない事でもあるんかいな?」
 言葉がわからず、またもや蚊帳の外の勝介がケンにたずねた。
「いや、ええことや。気が変わった。うちも日本に帰ります。メヒコは性に合ってたけど、まだまだ日本で面白いことがありそうや。」

 その後。
 勝介は銀の製錬現場を視察したり、ビスカイノの紹介で有力商人と会見することができた。ケンは商談の時は通訳として勝介に着き従っていたが、帰国すること決めるとなぜか、一人でどこかに行くことが多くなった。勝介がケンにどこに行くのか聞いても決して教えてはくれなかった。
「さよか。また私はのけものか。」
 勝介はふてくされた。
 その年の三月、ビスカイノの答礼使節と勝介とケンたち日本人を載せた船が日本に向けて旅立っていた。
 その日もメヒコは雲ひとつない快晴だった。   

続く

*画像は城西国際大学様よりお借りいたしました。コチラ


小説 本多忠朝と伊三 第一部終了 なかがき

2010年11月10日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

『忠朝と伊三』 なかがき 

久我原さんの小説は→ コチラ

 

著者近影 (2010大多喜お城祭りにて)

普通は作品が完結した後に「あとがき」というものを書きますが、今回は第一部と第二部の間なので、「なかがき」ということにしました。なかがきを書いた理由は、一応話は続く予定ですが、あくまでも予定なのでとりあえずのけじめです。宴会の中締めのようなもの、要は一本締めで、お疲れの方はお帰りいただき、飲み足りない方は残ってくださいということです。(なんのこっちゃ)

 時代小説というのは、おおむね歴史的事実を踏まえて作者が想像で描く世界ですが、時に史実を歪めて世間の常識となってしまうこともあるようです。たとえば、真田幸村の本当の名前は信繁だったとか、水戸黄門は諸国漫遊をしていないとか、遠山の金さんは桜吹雪の入れ墨をしていなかった、などなど。それでも、有名な話は読者が創作とわかっていて楽しむことができますし、坂本龍馬を殺したのは誰だろうと想像を働かせて、意見を交わすのも楽しいことだと思います。
 ところで、今回の「忠朝と伊三」の話ですが、残念ながら本多忠朝公についての世間の認知度はあまり高くないと思います。それ故、この七割ほどが僕の想像である話がどこまでが事実でどこが想像かということをはっきりさせておく必要があると思いました。特に登場人物について、架空の人物と実在の人物の確認させていただきと思います。

 本多忠朝公についてはみなさん御承知の通り、徳川四天王の本多忠勝の二男で第二代大多喜城主です。兄の忠正よりも忠勝に似ていたらしく、戦の経験は少ないのですが、大将の資質を十分持っていたといわれています。ちょっと酒乱気味に描いてしまいましたが、酒の上での失敗を恥じていたということがあったらしいので大酒のみということにしてしまいました。忠勝の正妻がお久、側室が乙女として登場します。インターネット上で発見したのですが、実際はどうだったのでしょう?昔は女のひとの名前は記録に残らないことが多いということですが。
 さて、気になるのは中根忠古です。本多忠勝の家老であり、織田信長の弟であった中根忠実(織田信照)の子供に忠古という人物がいたのですが、詳細は全く確認できません。中根家は代々本多家に仕えたというので、忠古も本多家の家来であったと思いますが、果たして忠朝の家来だったか疑問です。大坂の陣の戦死者名簿に中根権兵衛という人がいますが、この人が忠古だったのかなと想像は膨らんでしまいます。冷静で物事に動じないが、意外と情が厚いというところはおじ、織田信長のイメージを少し変えてあらわしてみました。忠朝と対照的に酒は全く飲めないという設定も信長が酒に弱かったということからの想像です。
 大坂の陣の戦死者名簿に大原長五郎という人がいます。この人も実在の人物ですが、詳細は全くわかりません。小太りで汗っかきの面倒くさがりですが、忠朝にかわいがられているというちょっと憎めない存在で登場させてみました。鬼平犯科帳の木村忠吾的な役割をしてもらっています。実在の人物に詳細が分からないからといって、勝手なキャラクターを与えてしまったことは、当人にもご子孫の方にも申し訳なく、苦情があれば変更はしていきたいと思っています。
 その他、実在の人物としてはドン・ロドリゴ、三浦按針、行元寺の僧定賢(後の亮運)が登場しますが、そのキャラクターはほとんど僕の想像です。実在の人物はどこまで僕の想像で動いてもらっていいのやら、悩むところではあります。
 さて、一方架空の人物ですが、こちらは割と自由に動いてもらっています。以下の人々は架空の人物です。
岩和田村の人々 :伊三、サキ、名主の茂平、サキチ、タヘイ、大宮寺の和尚、平吉
ドンロドリゴ一行:ホリベエ(ホルヘ)、ケン
忠朝の家来   :長田とその妻

 伊三は赤井英和、サキは中村優、茂平は中村又五郎をイメージしました。馬鹿な伊三をまるで母親のように面倒をみるサキですが、ちょっと「男はつらいよ」の寅さんの面倒をみるさくらのような味わいを出してみました。
 サキは残留フィリピン人のホルヘと夫婦になるような気配ですが、実際に日本に残った乗組員もいたのでしょうか?大多喜で知り合った養老渓谷出身のジャンヌさんは「私の祖先はメキシコ人だ!」とおっしゃっていますが、ロドリゴ一行の子孫が房総にいるなんて想像するのも楽しいかも。
 伊三は岩和田生まれの漁師ですが、若いころに大多喜で町の普請をしたり、後に大多喜の新田開発に携わることになっています。しかしながら、こういう移動や職業の変更が自由にできたかはわかりません。ホリベエはフィリピンで農業をしていたという設定なので、伊三はホリベエを師匠と思っています。

 さてやっとこさ、ここで史実(と思われる部分)の復習です。
 慶長十四年九月、前フィリピン臨時総督、ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ(ドン・ロドリゴ)はメキシコへの帰国途中、台風にあい、岩和田で遭難。地元の漁師に助けられたのち、大多喜の領主である本多出雲守忠朝の援助を受け、江戸、駿河に向かう。翌年徳川家康の船でメキシコに帰国。
 本多忠朝は慶長十四年に国吉原の新田開発、慶長十六年に万喜原の新田開発を手掛ける。慶長十五年に父本多忠勝が伊勢桑名で死去。遺産について兄、本多忠政と争う。

 以上の史実に妄想を働かせてよくもまあ、ここまで長くづらづらと書けたものだと我ながら感心してしまいます。色々なエピソードはそれなりにあるヒントがあったのですが、ちょっとやりすぎかなと思うこともあります。
 前述の通り、忠朝は酒の失敗が多かったということでちょっと酒乱気味にしてしまいましたが、ロドリゴに「サルー!(スペイン語で乾杯)」といわれ、「誰が猿じゃ!」と絡むあたりは漫才みたいで調子に乗りすぎです。忠朝はロドリゴからワインを飲ませてもらいますが、これも僕の想像です。酒好きならたまたま積み荷にあったワインには興味があるんじゃないかと思いました。二日酔いで頭が痛いから朝の乗馬をやめにしたりしたのも僕のでっち上げです。
 ロドリゴと三浦按針が親友のように描いてしまいましたが、実際はどうだったのでしょうか?面識はあったようですが、スペイン人とイギリス人では仲が悪いような気がします。知っている方がいたら教えてください。
 僕が一番悩んだのは忠勝の臨終に忠朝が立ち会ったかどうかということです。忠勝は病の床に伏し、数日後に死去したということですから、桑名から大多喜に知らせが来ても忠勝の臨終に忠朝が間に合うのか?そもそも、忠朝は桑名に向かったのか?忠勝の辞世の句を忠朝が聞き取ったと書いている本もありますが、事実かどうかは確認できていません。悩みましたが、思い切って忠朝には桑名に行ってもらい、忠勝は家族に囲まれて穏やかな臨終を迎えたことにしました。そこでもう一つ疑問がわいてきました。忠朝と忠政の兄弟仲はどうだったのか?忠政より忠朝の方が忠勝に似ていて、忠勝も忠朝を愛し、周りも忠朝こそ忠勝の将器を継いだとほめたたえられたというエピソードをよく見ます。遺産の件で兄弟がもめたという話もありますが、その結末も忠朝が遺産を兄に譲ったという潔さが称賛されています。思うに、兄弟仲は悪くはなかったが、兄が弟に嫉妬したというところではなかったか?と、これも僕の妄想ですけど。
 長男よりも次男の方が体も大きくて活発だということがよくありますよね。例えば、芸人の中川家や千原兄弟も弟の方が目立っています。実は僕も長男で二人の弟の方が体も大きく、三人そろって神輿を担ぐと僕は弟たちの間で棒にぶら下がったような感じになってしまいます。別に僕は弟に嫉妬することは無いですけど、忠政にはちょっと感情移入してしまいました。

 本当はドン・ロドリゴの話にしようかと思って書き出したのですが、わき役だったはずの伊三が面白いキャラクターになってしまったので、いつの間にか忠朝と伊三の話になってしまい、ここまで長くなってしまいました。名編集長のジャンヌさんにおだてられて、書く気満々、どうせなら大坂の陣まで行ってやるかと!意気込んでいますが、ここからは史上有名な話なので今まで以上に気をつけて書かないと覚悟しています。(別に今までが気をつけて書いていたわけではありませんけど)

 最後に実在の人物に勝手なキャラクターをつけて、適当に書きすすめてしまいました。大多喜、岩和田、桑名の地元の方、登場人物のご子孫の方で不快な思いをされた方いらっしゃったらお詫びします。また、本多忠朝に関連する面白いエピソードを知っている方は教えていただけると嬉しいです。

いつか、どこかにつづく、、、、、(by 久我原さん)

 


小説 本多忠朝と伊三 20

2010年11月10日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

 市川市在住時代劇担当サポーター、久我原さんの小説です。

忠朝と伊三 20

これまでのお話 1~19 は コチラ

 忠朝は桑名への問い合わせの書状をしたためたものの、誰を使者にするかを迷っていた。忠勝に殉じた忠実の息子である忠古を使者にしようかとも思ったが、なぜか忠古は辞退した。忠朝は忠古に父の墓参りもさせてやろうと思ったのだが、忠古は
「殿のお心づかいはうれしいのですが、私にはその役目は務まりますまい。」
と言って、取り合わなかった。大原にしようか、いや奴は面倒がっていい顔はするまい。他にだれが良いかのう、、
 そんなことを考えていると、桑名から使者が来たという知らせがあった。
「はて、桑名からの使者?いったい何用であろう?」
 尊敬する父と信頼できる家老のじいが一度に無くしてまだ間もない。また、悪い知らせでなければよいが、、、
 応接の間に行くと、桑名の家老、松下河内が顔面を緊張させて座っている。
「おお、河内ではないか。桑名からの使者とは、まさかおぬしが来るとは思わなんだ。一体、家老自ら足を運ぶとはどうしたのだ?悪い知らせではあるまいの?」
「若様、いや大多喜の殿にはご機嫌うるわしゅう、、、」
「堅苦しい挨拶は良い。ところで、兄上はいかがお過ごしか?わしは早々にこちらに引き上げてしまったが、桑名では後のことでいろいろと大変だろう。」
「はい。先代の殿を慕う方々の弔問を受け、忙しい日々が続きましたが、今はもう落ち着きました。」
「そうか。ご苦労なことだ。」
 そう言って、忠朝がじっと見詰めると、河内は視線をそらした。忠朝はこの機会に松下河内に忠勝の遺産について尋ねてみようかと思ったが、河内の様子を見て躊躇した。やはり、何か良くないしらせではないのか?今ここで河内に尋ねるよりも、やはり兄に直接書状を送ったほうがよいだろう。そもそも河内は何をしに来たのか?
「河内、、、」
「はい。」
「用件とは一体どのようなことだ?」
「はっ、殿よりの忠朝様へお伝えするようにと、命を受けまして参りました。」
「何を伝えよと?」
「大殿の遺産のことでございます。」
「父上の遺産?」
 松下河内の話とは次のようなことであった。忠朝の兄、忠政は弔問客の足が途絶えると、松下に遺産についての相談を持ちかけた、というより決定事項を伝えたという方が良いだろう。それは忠勝が忠朝に残した金子一万五千両は自分が相続するべきだと言い出したのである。松下は大殿の遺言である以上、一万五千両は忠朝に渡すべきだと説いたが、忠政は首を立てにふらなかった。
「遺産は嫡子である私が全て相続するべきである。それに、忠朝は既に大多喜の領地を相続しているではないか。私は桑名を父上より相続したのだから、父上が桑名に残した遺金は私が相続するのは当然だ。」
と言って河内の言うことを聞こうとはしないということだ。
 一通り、説明を終えると、河内はひれ伏し、
「無理なこととは存じますが、何卒、ご承諾下さいますよう、お願い致します。」
と言った。
「ふ~む。」
 忠朝は考え込んだ。桑名で別れるときは、これからも兄弟で力を合わせて本多家を守っていこうという堅く誓ったはずなのに、兄上は何を考えているのか。
 忠朝が黙っていると同席していた中根忠古が松下に話しかけてきた。
「河内殿、これにはなにか理由があるのではないか?忠政様が理由も無く、そのような理にかなわないことを言うはずが無いと思うのだが。」
 忠古の冷たい視線に松下はたじろぎながら、
「特に、理由ということは申されませんでしたが、、、、」
「でしたが、、なにかあるのか?」
 松下は何かを言いかけたが再び口をつぐんで、下を向いてしまった。
「河内殿、黙っていてはわからんではないか。」
 忠古が問いただすと忠朝がそれを制した。
「忠古、まあ良い。松下にも言いづらいことはあるだろう。」
「大殿のご遺言に係わることでもございます。これは単に金の問題ではございません。」
「よくはわからんが、兄には兄の考えがあってのことだろう。」
「しかし、新田開発の資金にと考えていた金子でございます。それが当てに出来ないとなると、、」
 忠古が新田開発について触れると、松下が忠古にたずねた。
「中根殿、その新田開発とは何のことだ?」
 忠古に代わって、忠朝が国吉原と万喜原の新田開発のことを話した。
「左様でございますか。遺産については既に決定事項なれど、今の話は殿にお伝えしておきます。お考えが変わるやもしれません。」
「いや、河内、そのことは兄上には伝えないでよい。開発の費用は何とかしよう。今は苦しくても、開発が成功して収穫の石高が増えれば、その費用も回収することもできようからな。」
「しかし、殿、当座は金が必要ですぞ。」
 いつも冷静な忠古が珍しく興奮しながら食い下がっている。忠朝は意外であった。忠古がこれほどに食い下がるとは。いつもなら、一言で相手を納得させてしまう凄みがあるが、今日の忠古は少しおかしい。
「良いというのに。忠古!どうしたのだ。今日は、いつものお前らしくないぞ。」
 忠朝に一喝されて忠古はぴくりとした。
「河内、兄上にはご意向はよく分かったと伝えよ。余計なことは言わんでよいぞ。河内も大多喜は久しぶりであろう。まあ、ゆっくりして行け。」
 松下河内が部屋を去ると、忠朝が忠古に問いただした。
「忠古、どうしたのだ。今日のお前はおかしいぞ。」
「申し訳ありませんでした。忠政様のご意向に納得いかず、お見苦しいところお見せしました。」
「わしもちと驚いたが、兄の気持ちはなんとなく分かる。」
「私も分からないでもないですが、なにやら悔しくなりまして。」
 忠古は、父は忠勝に殉じる忠義を見せたというのに、松下河内は忠勝の遺言を否定する忠政の理不尽な命令に従って、大多喜までやってきた事が許せなかった。忠政に意見はしたようなことを言っているが、本当に忠義の心があれば、命をかけて忠政の考えを諌めるべきではないか。
「どう思う?兄上の欲と思ったか?」
「いえ。欲ではないと思います。それは、、、忠政様の殿に対する、、、」
「忠古!良い。それ以上は言わんでも良い。」
 言葉を続けようとした忠古を忠朝が制した。忠朝も忠古も同じことを考えていたのだ。おそらく忠政の決断を裏付けているのは嫉妬であろう。

 二人の思うように忠政は忠朝に嫉妬していた。父が自分より忠朝のことを可愛がっていて、それにゆえに本来自分が相続すべき金子を忠朝に与えると言い出したのだろうと思っている。父は死の淵で私情におぼれて判断を誤ったのだ。別に金が欲しいわけではないが、胸の奥で釈然としないものが忠朝に対する嫉妬として蠢き、忠朝への遺金に封をしてしまいこんでしまったのであった。
 松下河内は桑名に帰り、忠朝が忠政の決定をすんなりと了承したことを伝えた。松下は忠朝に言われたとおり、要点だけを簡単に忠政に伝えた。最初、忠政は案外上手くいったので内心ほくそえんでいたが、余りにも簡単にことが運んだので、また釈然としないものがこみ上げてきた。
「松下、忠朝がすんなり了承したのには何かあるのではないか?余りにも簡単に過ぎると思う。」
「いえ、何もないと思います。ただ、兄上は本多のご本家、家臣も多く、金もかかろうから大変であろうとおっしゃいました。」
「そうか。それだけか。」
 そのとき、再び忠政を嫉妬が襲った。
(忠朝のそういう潔さが父に愛されたのであろうか。)
 そう思った時、膨らんだ嫉妬がパチンとはじけたような気がした。忠政は顔面を紅潮させ、大きく目を見開いたと思うと、「ふ~~、、、」と大きく息を吐いた。
 忠政は目の前の霧がさあっと晴れていくような気がした。
「そうか、忠朝はそんなこと言っていたのか。河内、話は分かった。一万五千両は大多喜に送ってやれ。」
「殿!!」
 松下河内が叫んだ。
「なんじゃ、大声で。私の決定が不満か?」
「いや、滅相もありません。さすが、わが殿です。こうなることと信じていました。」
「なに?こうなると信じていた。」
「はい。殿は金品よりも義を重んじるお方と思っておりました。」
「そうか、しかし金は必要じゃぞ。これからは戦も無くなろうが、平和な世の中になれば、それなりに金は必要となるだろう。」
 松下はほっとした。敬愛する大殿、忠勝の遺言を忠政が嫉妬にかられて無視しようとしていることが残念でならなかった。正直言って、一万五千両がどうなろうとは余り関心は無かった。大多喜に比べれば桑名は豊かな町である。一万五千両があってもなくても忠政は難なく桑名を治めることが出来るだろう。
「はい。金が大切な世の中となりましょう。忠朝様もまつりごとで色々とお考えがあるようで、この一万五千両は有意義にお使いになることでしょう。」
「何、どういう意味だ。」
 松下河内はしまったと思った。新田開発のことはいうなと言われていたのだが、つい喜びのあまり口が滑ってしまった。松下は忠朝が新たな新田開発事業を計画し、それに資金が必要と考えていること、父の遺産を使おうと思ったが、兄が駄目だというならそれに従うということを話した。話しを聞き終えると忠政は
「忠朝め、、、」
と言ってにんまりと笑った。

 松下は早速大多喜に使者を送り、忠勝の遺金は忠朝に渡されることになったので近々大多喜に送られるであろうことを知らせた。ところが、大多喜からの返答は意外なことであった。
「兄上のお気持ちは嬉しいが、一度決めたこと、遺金は桑名のためにお使いください。」
 忠政は再び釈然としない塊が胸の奥から湧いてきた。
「忠朝は何を考えている!私の気持ちを踏みにじるつもりか!」
 松下になだめられ、怒りを鎮めると、
「それでは、金は私が預かるが、必要あるときにいつでも知らせるように伝えよ。」
と言った。
 その後の大多喜からの返事はこうであった。
「それでは、遺金の半分はいただきましょう。必要な時にお願いに参りますので、それまで兄上がお預かりください。」
 結局、忠勝の遺金は蔵にしまいこまれ、忠政も忠朝も手をつけなかったという。その遺金はどうなったのであろう?忠政はその後、あの壮麗な姫路城に移ることになるが、その時姫路に移されたことであろう。美しい白鷺城の維持、修復に使われたではないかと考えてしまうが、いかがであろう。

 年が明けて慶長十六年となった。忠朝は正月参賀のために江戸を訪れていた。ここは江戸城の将軍謁見の間である。
「出雲、今年も良い正月だ。めでたいことだ。」
「はは、上様もご機嫌麗しゅう。誠、めでたき新年でございます。」
 第二代将軍、徳川秀忠に声をかけられ、本多出雲守忠朝は慇懃に挨拶をした。
「出雲、聞いたぞ。忠勝の遺金について、お前の振る舞い潔い、兄より忠勝の血を濃く受けた将器があると、大御所様もおほめであるぞ。」
「いや、兄とのいさかい、お恥ずかしゅうございます。」
「ははは。今や、徳川の天下じゃ。戦の時代も終わりになろう。これからは力より頭を使う時代になろうが、お前のその心意気はいずれにしても役に立つ時が来る。」
「ありがたきお言葉でございます。」
と、言って忠朝は将軍の顔を見たが、その時秀忠の笑顔が妙にゆがんだのは気のせいだったのか?
「お前はきっと徳川の役に立つ男だ。そうそう、おととしのロドリゴの遭難の話、忠勝の臨終の様子など聞かせてくれぬか。」
「はい。この二年間は私にとって、忘れられぬ日々でございました。岩和田で異国船が遭難したことを聞いて、、、、、」
 忠朝が話し出すと、秀忠はにやにやしながら忠朝の言葉を聞きいっている。それにしても、この二代目将軍の笑顔は薄気味悪いと忠朝は思った。
 秀忠に請われてロドリゴとの出会い、父の死にざまを話しているうちに、様々な事が思いおこされてきた。
(この二年間はわしにとって忘れられない出来事が次々とおこったものだ。ロドリゴ殿との出会い、国吉の新田開発、父上との別れ、、、それにあの伊三との再会。おもしろかったな。これからどのようなことがおこるのか。しかし、わしには良き家臣、良き領民がいる。どんなことがおころうと、大多喜はわしが守り続ける、、、)

 江戸の正月はにぎやかだ。江戸屋敷に帰り、屋敷近くの駿河台から関東平野の向こうの富士山を見ながら忠朝は低い山をぬって夷隅川が流れる大多喜の豊かな田園風景を思っていた。

第一部 おわり    


小説 本多忠朝と伊三 19

2010年11月09日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住時代劇担当サポーター、久我原さんの小説です。

忠朝と伊三 19

これまでのお話 1~18話 は コチラ

 慶長十五年十月十八日、生涯無傷の戦鬼、本多忠勝の一生は終わった。激動の時代、その生涯のほとんどを戦場で過ごした猛将も老いと病には打ち勝つことができなかった。天下は大御所家康と二代将軍秀忠のもとに治められているように見えても、大坂の豊臣の勢力は不気味に温存されている。家康は将軍の座を息子秀忠に譲ったとはいえ、対豊臣の政治活動を精力的に行っていた時、まだまだ家康のために働きたかったであろう。さぞ無念であったとも思われる。

死にともな
まだ死にともな
死にともな
御恩を受けし
君を思えば

 忠勝の辞世にはまだ生きて働きたいと言う心情が素直に表されている。飾りのない気持ちを詠った辞世である。

 忠朝は父の無念を心に刻んだ。
(父上、安心してお眠りください。父上の遺志は私と兄上で立派に継ぎ、徳川を支えて天下の平安に力を尽くします。)
 人には必ず死が訪れる。それがわかっていても、やはり尊敬する父の死は悲しかった。父と家老の中根忠実の黄泉への旅立ちを見送り、憔悴しきって大多喜に戻ると、中根忠古を呼び出した。

「殿、お帰りなさいませ。このたびは残念なことでございました。さぞ、お疲れでございましょう。」
「忠古、、、」
 忠古に挨拶を受けると、忠朝は忠古の名を呼んで絶句した。主従は見つめあったまま、無言のうちに悲しみを分かち合っているようだ。
「知らせは来ていると思う。我が父の事もさることながら、お前の父、忠実もあの様な事になるとは、、、まことに、、、、まことに、我が父に命を持って仕えていただいた。こんな事を言うとお前には申し訳ないが、父はじいのような家臣を持って幸せだった。いまごろ二人、馬をそろえて三途の川を渡っているころだろう、、、、父の黄泉への旅路につき従ったじいは、じいは、、、」
 忠朝はそこまで言うと、涙をこぼした。兄の忠政よりも忠勝の血を濃く継いだといわれる忠朝は、豪快な性格だが、情にあついところがある。忠古はそんな主が好ましく思えた。父、忠実は、主忠勝の後を追ったのであり、自分も父も悔いは無いと思っていたが、忠朝は父のために泣いてくれる。自分も父の様にありたいと思った。
 そう思った時、忠朝は意外な事を言った。
「忠古、お前は死んではならん。わしに何があろうと、死んではならん。」
「と、殿。」
「わしの亡きあとも、本多を支えてくれ。頼むぞ。殉死ばかりが忠義ではないぞ。」
「何を縁起でもないことを。殿はまだお若い、私が先に逝くかもしれません。」
「いや、人の一生とは何が起こるかはわからない。本多は幸せだ。中根という臣を得た。幸せだ。」
「殿、、、、」
 中根忠古はひれ伏した。その肩がふるえている。普段の忠朝なら、
「ほお、石のような忠古にも涙と言うものがあるのかのう。」
とからかうところだが、この時は黙って、ただ忠古を見つめていた。

 しばらくの間、ひれ伏して泣いていた忠古が顔をあげると、忠朝が言った。
「死ぬなよ。わしが死んでもお前は死ぬなよ。」
「またそのような事を。殿が大殿のもとに参られのはまだまだ、先のことです。そんなことをおっしゃらないでください。」
「忠古よう、、二人ともててなしご(父無児)になってしまったなあ。そうじゃな。生きられるところまで供に生きよう。似たもの同士、父上たちのように老いても、供に生きていきたいものじゃ。」
 しかし、この時、二人にはそのわずか五年後の大坂の陣での運命は知る由もなかった。

 数日後、行元寺の僧定賢が伊三をつれて、大多喜城を訪れた。忠朝は居間で書物を読んでいたが、定賢と伊三の来訪を聞くと客間に向かった。
「忠朝様、お忙しいところをお邪魔しまして、申し訳ありませんが、一言お悔やみを申し上げに参りました。このたびは誠、御愁傷様でござる。」
「定賢殿、わざわざのお越し、いたみいる。」
「いやいや、なんの、死者の霊を慰めるのも我が仕事。知らせを受けて、私も伊三も先代の殿の霊をお慰め申した。」
「伊三、お前も父の死を悼んでくれるか。ありがたいぞ。」
「と、とんでもねえ。先代の殿は命の恩人ですから、、」
 伊三が忠勝を命の恩人と言ったのは、二十年前に忠朝に手を挙げた時に死を覚悟した伊三を助けてくれたことを言っているのであろう。
「まあ、そのことは言わんでくれ。今、思いだしてもわしの方が恥ずかしくなる。」
 忠朝は幼いころのわんぱくぶりを思い出し、顔が赤くなる事を感じた。そんな忠朝をかわいらしいと思いながら定賢が言った。
「忠朝様、伊三は先代の殿の死を聞いて、どうしても自分も直接殿にお悔やみを申し上げたいと申します。まあ、伊三も忠勝様には大きな恩を受けているのでその気持ちは良くわかるので、勝手につれてまいりました。しかし、伊三が忠朝様にお会いしたかったのは、他にも用事があってのことと思います。」
 今年の稲刈りも終わり、伊三が耕した田んぼでとれた新米は忠朝のもとに収められていたが、伊三の今後の沙汰はまだ下されていなかった。
「うん。わかっている。国吉原の開発も順調の様じゃな。伊三の作った米はうまかったぞ。」
「ありがとうござんす。」
 伊三はひれ伏した。
「そこでだ。今度は万喜原で新田開発を行いたいと思っている。伊三にはそちらで働いてもらおうと思っている。伊三も大分大人になったようだから、そろそろ家に帰してやっても良いと思っていたところだ。定賢殿はどう思われる?」
 伊三が十歳も年下の忠朝から大人になったと言われたので、定賢は思わずニンマリとして、答えた。
「はい。大分、大人になりました。やっと、大きな体にあった心持になってきたようでございます。」
 以前の伊三なら、こんな二人の会話を聞いてむっとした顔をするところであるが、神妙な顔つきで頭を下げた。
「新田の開発に伊三を使うのもよろしいかと思いますが、私は伊三を殿のそば近くで働かせた方が良いと思います。伊三には意外な能力があります。今まで自分でも気付かなかったようですが、一度会った人の事を長く記憶にとどめる力があります。」
「会った人の記憶をとどめる?別に珍しい力とも思えぬが、、、」
「いやいや、普通、人と言うものは、会ったその人の印象が強ければ覚えているものですが、伊三の場合は印象が薄くても顔と名前を覚えているようです。」
「どういうことだ?」
「例えば、顔は見ていなくても、ふすま越しに聞いた声を覚えていたり、後ろ姿や遠目に見た歩き方などでその人の事を覚えているのです。寺を訪れてくる人々のなかには、会ったことも無い伊三が自分の名前を知っていると気味悪がるものもいますが、遠くで野良仕事をしている人の会話を聞いて、顔はわからなくてもその時の聞いた名前と遠目に見た仕草を覚えてしまうのです。伊三に遠くから見られているとは知らずに、後で伊三に名前を呼ばれて驚くと言うこともありました。」
「ふうん。確かに、それは特別な力かもしれないが、それがなにか役にたつかの。」
「わかりません。」
「わからない?」
「はい。どんな役には立つかはわかりませんが、そばに置けば何かの折に役立つかと。」
「忍びでもさせてみるか?」
「ははは、それはむりでございましょう。ご存じのとおり、伊三は力はありますが、動きは緩慢ですから。」
「がははは、そうであったな。そうか。まあ、考えてみよう。しかし、とりあえずは家に帰してやれ。そして来年も国吉の田んぼで仕事をさせて、再来年には万喜原の新田開発に働いてもらおう。伊三、いいな?」
 以前の伊三なら、「いや、俺は殿さまの家来になりてえ。」というところだが、よほど定賢の教育が行き届いているのだろう。子どもの様に駄々をこねることはなく、
「わかりました。」
と言った。半年の間に伊三は大きく成長したと言っていいだろう。いや、体のことでは無く、心のことだが、、、半時ほど、三人で忠勝の死を偲んでから、定賢と伊三は国吉に帰って行った。

 その夜、忠古が忠朝のもとに相談があるとやってきた。国吉原の新田開発は成功したが、思いのほか金がかかった。新田開発に従事した農民たちの年貢を免除したうえ、開発の費えは惜しまなかったから、先行投資のもとがとれるような状態ではない。まだ一年目だから、先を考えればそれでも良いのだが、新たな開発となると資金不足である。それに、今度の新田開発では種もみを貸し与えようと言う計画もある。忠古はその資金をどうするかで悩んでいた。
「そうか。新しい事を始めるには金がかかることよ。しかし、何としても再来年には開発を始めたいが、どうしたものか。」
 忠朝は腕を組んで考え込んだ。しばらく、目をつぶり考え込んでいた忠朝が目を開き、手をたたいた。
「そうだ。うん、そうしよう。父上もそれを望まれよう。」
「何か、名案でも?」
「そうか、父上は何もかもおわかりだったのだ。」
「殿、なんの事でしょう?」
「父上はわしに一万五千両という大金を残して下さった。初め、何に使うべきかを考えていたが、使い道がわかったぞ。」
 忠朝は父の遺産を新田開発の資金に使おうと考えているのである。
「早速、兄上に問い合わせてみよう。」
 忠古はほっとした。
(これで、万喜原のことはめどがついた。)  続く

 

*挿入の戦国画・本多忠朝は、福田殿よりお借りしています。福田さんの作品は大多喜城のロビーに来年3月31日まで展示されています。コチラ 


小説 本多忠朝と伊三 18

2010年11月08日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住時代劇担当サポーター、久我原さんの小説です。

忠朝と伊三 18

1~17話は コチラ (今までのお話が全部あります)

 桑名についた翌日、忠朝は兄の忠政と天守閣に登った。ここ桑名城は伊勢湾に流れ込む揖斐川のほとりにある水城である。幅広い堀に囲まれ、天守閣をはじめ、多くの櫓が立ち並び、まるで湖に浮かぶ島が点在しているようにも見える。忠朝は朝日に輝く伊勢湾を見つめていた。
「兄上、大多喜の山の中とは違い、桑名はまことに美しい町です。このような景色を毎日眺められるとはうらやましい。特にあの輝く海がすばらしい。」
「そうか。毎日、見慣れているから格別素晴らしいと思うことも無かったが、そう言われるとうれしいな。父上は入府以来、城の建築と町づくりに心血を注いでこられた。大多喜でもそうだったが、民が豊かに暮らせるように寝る間も惜しんで働いておられた。そういえば、大多喜の普請の時はお前は八つぐらいだったか。父上が一所懸命に城下の整備をされているのに、いたずらばかりしておったな。」
「それを言わんで下され。」
「そのいたずら坊主も今は立派な城主様だ。」
「思いもかけないことでした。私は当然兄上が父上の後を継ぎ大多喜を納め、私は兄上の家臣になるものと思っていましたが、、、」
「ところが、父上と私は桑名に移り、お前が大多喜を治めることになった。」
「はい。」
「私は、お前のような暴れ者がしっかりとまつりごとが行えるかどうか心配だったが、父上は心配するなと仰せられた。『若いころのわしも忠朝とそう変わりはなかったからのう。』とおっしゃった。うらやましかった。私から見ると、父上は私よりお前の方が可愛いがっていたように思えるのだが。」
「そんなことはありますまい。私は叱られてばかりでしたが、兄上は父上から多くの教えをうけていたではありませんか。」
「いや、私はお前がうらやましかった。馬場で父上と馬に乗ったり、槍の使い方を教えてもらったりしている忠朝が楽しそうに見えてな。」
 海を見つめながら、そう言う忠政の横顔を見て、忠朝は、
(そんなもんかのう。馬の扱いが悪いとののしられ、槍で叩きのめされ、ちっとも楽しいとは思わなかったがな。)
と思った。
 兄弟が思い出話をしていると中根忠実がやってきた。
「お話し中、恐れ入りますが、大殿さまが目を覚まされました。お二人ともお部屋においで下さるようにとのことでした。」
「そうか!目を覚まされたか!」
「はい。忠朝様が到着した事を伝えると、すぐにお会いしたいと。」
「わかった。忠朝、急ぎ参ろう。」
「はい。」
 三人は天守閣を降り、忠勝が臥せている部屋に向かった。

 倒れてからというもの、目覚めても体を起こすことはなかった忠勝がこの日は寝床の上で上半身を起こしていた。しかも、その顔はすがすがしい表情であった。そして、忠朝の顔を見ると、
「おお、忠朝、久しいな。そんなところに突っ立ていないで、もっと近くに参れ。」
と言って手招きをした。そして、忠朝が病床の横に座ると手をのばして、父は忠朝のほほをつまんだ。
「坊主、しっかりやっておるか?まだ、城下の民と一緒に遊んではおるまいな。サムライはサムライ、民は民。情けはかけても、けじめはつけろよ。」
「おやめ下さい。私も、もう子どもではありません。」
 忠朝はドキリとした。行元寺に預けた伊三は何かと用事を言いつけられて城にやってくるようになり、サキやホリベエ、その近在の農民に会うことが増え、少し近づきすぎたかなと思っているところへの父の言葉である。忠朝は中根忠実の顔を見た。
(ははあ、さては忠古め、じいに伊三の事を知らせたな。)
 忠実はどうして忠朝が振り返って自分の顔を見たのかわからなかった。
「父上、別に遊んでいるわけではありません。伊三は私の新田開発を手助けしてくれる大切な領民です。」
「伊三?なんの話だ?」
 忠朝が思っているような知らせは忠古からは届いていなかった。忠勝は伊三と聞いても、それが二十年近く前に、大多喜で忠朝を叱りつけて捕らえられた人夫とは結びつかなかった。
「ところで、あの島津との一戦はお前も良く戦った。あの時は刀がおれ曲がるほどの奮闘で上様にもおほめいただき、誇らしかったぞ。」
 忠勝は忠朝の膝を叩きながら、にこやかに笑った。忠朝は背筋がぞっとした。島津との一戦とは関ヶ原の戦いの時に西軍の負けを悟った島津軍が中央突破の退却戦を挑んできた時、本多隊と激突した戦いのことである。その時、忠朝は父に従い、無我夢中で戦い、家康に「流石は忠勝の息子だ。」と褒められた。しかしその時、父忠勝はぎょろりとした目玉で忠朝を睨みつけ、
「すでに勝った戦、こんなことは手柄でもなんでもない。おごってはいかんぞ。」
と言った。数十回の戦を生き抜いてきた忠勝の言葉には重みがあったが、今の忠勝は息子の手柄を素直に喜ぶ好々爺となってしまった。
「久しぶりにお前に会って少々しゃべりすぎたな。疲れたから横になる。」
 中根忠実に助けられて横になると、忠勝はすぐに眠りについてしまった。

 病床の間を出ると忠政が忠朝に言った。
「そらな。やはり、父上はお前が可愛いのだ。父上があんなにしゃべったのは久し振りだ。しかし、昔の話の繰り返しでな。私の事も子ども扱いで、年を取るとみなあのようになるのかな。」
「兄上、、、、父上は戦場で生きてきた人。ご隠居の身は退屈でさみしいのではありませんか?」
「そう思うか?しかし、やはり私はお前がうらやましい。」
「いやいや、久しぶりにお会いしたので、なつかしいだけでしょう。」
「いや、そうではない。関ヶ原での事だ。お前は決戦の場で父上と奮闘した。しかし、私は上田で信繁に翻弄されて、ついには決戦の場に立つことはできなかった。」
 関ヶ原の合戦の時、忠朝は父忠勝と家康に従って関ヶ原に戦ったが、忠政は徳川秀忠に従い、中山道を進み、上田に籠城する真田昌幸・信繁親子を攻めあぐねていた。上田を離れ決戦の場に向かう道中で関ヶ原の勝利の知らせを聞いた。
「私も父上と供に戦いたかった。」
 忠政はさびしそうに笑った。

 その後、忠勝は寝ては覚めを繰り返し、ある日相続の事について話し出した。
 忠勝の遺産のほとんどは兄、忠政に相続させるが、大多喜を納める費えにと一万五千両を忠朝に譲ると言い出した。忠政も忠朝も遺産の話をするとは、いよいよ父の命も短いと感じ、心が暗くなる思いだった。

 その晩、忠朝は忠実から忠古について問いかけられた。
「忠古はしっかりとお仕えしているのでしょうか。無口で無愛想な息子です。同僚とうまくやっているのが心配です。」
「うん、確かに仲間内での評判は良いとは言えんが、務めはきっちりと果たしている。物静かだが妙に迫力があるやつでな。確かに、何を考えているかわからない忠古を気味悪がっているものもおるが、本当は情けの深いサムライだということはわしがわかっている。」
「ありがとうございます。若様のもとで働けて、忠古は幸せでございます。」
「じい、その若様と言うのはやめてくれ。これでも父の後を受けて、今では大多喜の領主さまだぞ。」
「はい、そうでございました。立派な御領主さまで。」
 そこへ、中根忠実の息子忠晴が血相を変えてやってきた。
「忠朝様、大殿さまがお呼びです。目を覚まされ、苦しそうに忠政と忠朝を呼べとおっしゃっています。すぐにお部屋へ!」
 忠朝は走り出した。その後を中根親子が追い、三人が忠勝の部屋に入ると側室の乙女と忠政が忠勝の手を握っている。
「父上、しっかりしてください。」
「殿、殿、、、、」
 二人が忠勝に声をかけるが、忠勝は苦しそうにあえいでいた。
「父上!お気を確かに!」
 忠朝が忠勝の枕元に座り声をかけると、忠勝の目がぎょろりと動くと忠朝を見た。忠朝はぞくりとして、
「父上!」
と声をかけると、忠勝が言った。
「た、た、忠朝、、、、兄を助けて、、、、徳川のために、、、、忠政、、、、兄弟、、力をあわせて、、、ほ、本多を、本多を頼むぞ、、、、」
 か細い声である。忠朝は目頭が熱くなってきた。忠勝の手を握る忠政の手に忠朝が手の平を添えた。
「お任せ下さい。兄と力を合わせて、徳川に忠誠をつくします。。」
「父上、私と忠朝がいれば本多は安泰です。ご安心を。」
 二人に息子の声を聞くと忠勝は安心したように目を閉じた。
「父上!」
「殿!」
 その場に居合わせた者が同時に叫んだとき、忠勝の唇がわずかに動いた。
「死にともな、、、」
 忠朝は息を飲んだ。父上が死にたくないと言っている。戦場の鬼も死に臨んではやはり、恐ろしいのか?
「、、、まだ死にともな、、、、死にともな、、、御恩を受けし、、、、、君を、、思えば、、、、」
 振り絞るようにそう言うと、かすかにふるえていた忠勝の唇がぴたりと止まった。止まったかと思うと、忠勝の顔は見る見るうちに青白くなり死相が広がっていく。
「忠朝。」
「兄上。」
「これは、、、」
「はい。辞世、でございましょう。」

 死にともな
 まだ死にともな
 死にともな
 御恩を受けし
 君を思えば

 忠勝の辞世である。忠勝は死を恐れていたわけではなかった。恩を受けた主君家康のためにまだまだ働きたかったのにここで死ぬのは残念だという述懐であったのであろう。どうであろう、死に臨んだ気持ちを武骨ながら率直に詠った飾りのない、良い句だと思うのだが。

 本多兄弟と乙女の慟哭を聞きながら、中根忠実は深々と頭を下げると静かに部屋から出て行った。どれほどの時間が過ぎたろうか。長い時間が過ぎたと感じられたが、まだ二、三分しかたっていなかったろう。中根忠晴は父、忠実がいないことに気付き、本多家の人々を残して部屋を出ていった。
 忠勝の遺体のまわりで家族の静かな慟哭が続いていたが、半時(一時間)ほどすると廊下を静かに誰かがかけてくる気配がした。ふすまがさっと開くと中根忠晴が部屋に入ってきて、忠政に耳打ちをした。
「何?じいが?よし、すぐ行く。忠朝、お前も一緒に来い。」
 忠政、忠朝兄弟が忠晴につれられて城内の中根忠実の部屋に入ると、目を見張った。
 中根忠実は白装束で部屋の真ん中で正座をしたまま、前のめりに倒れている。部屋には血のにおいが充満していた。中根忠実は見事な作法で切腹して果てていた。忠政が忠晴に声をかけた。
「忠晴、これは、どうしたことじゃ?」
「は、ご、ご覧のとおりです。」
 忠晴の声は震えている。
「殉死か。じいよお、、じいまで私のもとから去ってしまったのか、、、」
 忠政はたったまま小刻みに震えている。忠朝はがっくりと膝つき、両手を床についた。
 この日、忠政忠朝兄弟は二人の父を失うと同時に、信頼するじいまでも失ってしまった。
 本多忠勝、享年六十三歳。中根忠実の享年は伝わっていないが、織田信長の弟であったことから忠勝と同世代であったろうことが想像される。慶長十五年十月十八日、現代の暦では十二月三日であるから、日に日に寒さが深まる初冬の晩であった。        続く

*挿入の戦国画・本多忠朝は、福田殿よりお借りしています。福田さんの作品は大多喜城のロビーに来年3月31日まで展示されています。コチラ 


小説 本多 忠朝と伊三 17

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 17/久我原

「ううむ、なかなか思うようにはいかんな。」
 桑名城の自分の部屋の縁側で本多忠勝は晩秋の陽だまりの中で左手に持った小さな木片を見て、つぶやいた。昨年の慶長十四年に長男の忠政に家督を譲り隠居の身になり、平穏な日々の無聊を慰めるために仏像を彫り始めたのは最近のことである。この日は小さな弥勒菩薩像を作るつもりだったが、出来上がってみるとお地蔵様になってしまっている。
「地蔵菩薩は弥勒菩薩が現れるまで、我々を守ってくださっているというが、まだまだ弥勒菩薩がお姿を見せるときではないということか。」
 雲ひとつない秋の青空を見ながら、忠勝はため息をついた。
「わしも年を取ったのう。」
 この時、忠勝は六十三歳。徳川の四天王と呼ばれた忠勝も今は隠居の身だが、将軍職を譲った家康はまだまだ対豊臣の政治活動を精力的に続けている。去年は忠朝が助けたドン・ロドリゴと会見をし、イスパニアの親交を勧めようとしているという話も聞いた。そのような家康についての話を聞くと、忠勝は胸の奥に何かがうごめいているのを感じる時がある。
(わしも、まだまだ働けると思うのだがな。)

「父上、今日は何をおつくりになりましたか。」
 ぼんやりとしている忠勝に長男の忠政が声をかけた。
「おお、忠政。今日はこんなものができた。」
 忠勝はできたばかりの木像を忠政に見せた。
「ほう、お地蔵様ですか。これはまた随分をかわいらしい。」
「そう見えるか。そうか。弥勒菩薩を作るつもりだったのだが、、、まだまだ修練がたりんな。」
「いいえ、私は良い出来栄えだと思います。いつ現れるかわからない弥勒菩薩を作るより、現世の民の幸せを願ったからこそ、お地蔵様ができたのでしょう。」
「忠政。」
「はい。」
「それは、ほめておるのか?」
「はい、そのつもりですが、、、」
「わしには先の事を考えず、今のことしか考えていないから地蔵しか作れなかったと聞こえるがのう。」
 忠政は唖然とした。現役を退き、無傷の鬼の武将であった父も気が弱くなったものだと思った。
「そ、そんなことはありません。父上の心に平穏が訪れているということでしょう。」
「そうか、、、、」
 忠勝はどことなくさびしそうである。
「わしももう、長くはあるまい。できることなら戦場で死にたかったが、そうはさせてもらえそうもないな。」
「父上、、、、」
 今日の父は少しおかしいと思った忠政は話題を変えた。
「そういえば、忠朝から知らせがありました。国吉原の新田開発は順調に進み、今年は豊作だったようです。これも父上から譲り受けた土地とその民のお陰だと感謝しているそうです。」
「そうか、順調か。この一年、異人の世話をしたり、新田開発と忙しそうだな。結構なことだ。後は徳川家のために戦場で手柄を、、と言ってももう大きな戦もあるまいか。」
「いえ、まだまだ豊臣の事で不穏の動きがあるとのこと。紀州の信繁も今はおとなしくしていますが、早まったことをしなければよいと願っています。」
「小松にも思わぬ苦労をかけることになったのう。」
 忠勝の娘、小松姫は真田昌幸の長男の信之に嫁いでいる。信繁とは、真田幸村として知られている信之の弟である。関ヶ原の戦の時に、父昌幸と供に徳川方から西軍に奔り、その敗戦のため、紀州九度山に流された。当初、家康は昌幸と信繁の親子を死罪にすると言ったが、忠勝が婿の信之と供に強烈な命乞いをしたため、罪を減じて九度山への流罪となった。この時、忠勝は真田親子の命を助けなければ、家康と一戦も辞しないと啖呵を切ったのである。その迫力に負けて家康はしぶしぶと真田親子の命を助けることにした。その時の迫力も今は大分しぼんでしまっている。
「父上、まだまだお働きになることもあるでしょう。お気を強くお持ちください。」
 忠政が去ると、忠勝はもう一度、手の中の木像を見つめて、
「気にいらんな。」
とつぶやき、小刀で木像を再び刻み始めた。
「ちっ!!!」
 ごつごつとした忠勝の手の中で小さな木片を削っていた小刀がつるっと滑ったかと思うと指にすっと触れた。指に小さな傷を負い、わずかに血が流れ始めた。忠勝はこの時、生まれて初めて自分の皮膚から流れ出る血を見た。
「乙女!!おーとーめー!」
 その傷をなめると大声で叫び、もう一度傷を負った指をくわえた。
「はい、はい。殿さま、何事ですか、大きな声で。」
 忠勝の側室の乙女がやってきて、子どもの様に指をくわえている忠勝を見ると、思わず笑いが漏れてしまった。
「なんですか、子どもみたいに指をしゃぶって。」
「笑いごとではない。今、しくじって小刀で指に傷をつけてしまった。」
 忠勝は怪我をした指を乙女に見せた。
「まあ、無傷の大将がついに負傷ですか。」
 乙女がからかうと忠勝は眉毛を吊り上げた。
「冗談を言っている場合ではない。このようなことで傷を負うとは、もうわしの命も長くはあるまい。」
「殿さま、そんな大げさな。」
「大げさではない。」
 乙女は心配になった。関ヶ原の後、大きな戦も無く、家督を忠政に譲り、その人生のほとんどを修羅場で過ごしてきた忠勝にやっと平穏な日々がやってきたかと思ったら、ここのところ元気がない。そんなところに指を切って、この弱気な態度だ。
「殿さま、お手を貸して下さい。」
 忠勝が怪我をした指を乙女の前に差し出すと、乙女はぺろりとその傷口をなめた。
「な、何をする。」
「大丈夫ですよ。このくらいの傷はすぐに治ります。ちょっとしばっておきましょう。」
 たまたま持っていた手ぬぐいで忠勝の指をしばってやると、
「四天王さまともあろう者が、このぐらいの傷がなんですか。」
と乙女は言った。乙女は側室であるが、忠勝が若いころから苦労をともにしてき、誰よりも心が通い合っている。忠勝は乙女にそう言われると、なんとなく安心をした。思えば、こんな小さな傷、生まれて初めての怪我とはいえ、うろたえた自分が恥ずかしかった。

 しかし、その夜、忠勝は高熱を発して倒れてしまった。

 桑名で忠勝が倒れてから数日後、大多喜では、忠朝は中根忠古と相談をしていた。
 去年から始めた、国吉原の開墾がうまくいっているので、今度はその近くの万喜原の新田開発を始めようと言う相談だ。
「忠古、どうやら国吉の開墾もようやく先が見えはじめてきた。そろそろ、万喜原の事も始めても良いと思うが、お前はどう思う?」
「はい、人手が足りないのが少々不安ですが、国吉の成功を近在の民に知らしめ、開拓者の年貢や雑役の免除をし、種の貸し付けなどをすれば人は集まるかと。ただ、十分な準備をして、あまりあせらない方が良いとはおもいますが。」
「そうだな、来年はさらなる準備をして、再来年ごろから始めようと思っていたところだ。」
「それでよろしいかと。」
「それに、もうひとつ考えがある。」
「それは?」
「万喜といえば、父上が滅ぼした土岐氏の城があったところ。土岐氏の旧臣もいくらか本多でめしかかえ、そのほかの多くは帰農して本多家に反抗するということは今のところはないが、まだまだ恨みを持っているものいると聞く。そこでだ、万喜原の仕事にはできるだけ土岐の旧臣を登用したいと思っている。仕事を与え、生活が成り立つようにすれば、本多に対する恨みも時間と供になくなると思うのだが。」
「それは、良いお考えです。安房の里見も今はおとなしくしていますが、万が一事を構えるようなことになれば、領内の結束は大切なものとなりましょう。」

 忠朝の父、忠勝が大多喜を支配する前、房総は長く群雄割拠の時代が続いた。都からも遠く、袋小路になっている半島は、大勢力に飲みこまれることはなく、安房の里見氏とその家臣の正木氏、万喜の土岐氏、下総の千葉氏、真理谷の武田氏などが覇権を争い、長い間戦い続けてきたが、ついに房総を統一する勢力が現れる前に北条が豊臣・徳川に敗れ、徳川家が房総半島に侵入してきたのである。
 徳川が侵入してくる前、房総の大名たちは小田原の北条氏、古河公方や関東管領の上杉と同盟する形で、その関東の大勢力が争う事があれば、必然的に房総の諸勢力も争いを繰り返してきた。海を隔てているとはいえ、船を使えば、小田原の北条軍は容易に房総を攻めてくるので、里見氏にとって北条は脅威であった。
 忠朝の時代から約五十年前の永禄六年の暮れ、江戸城を守る太田氏が北条を裏切り上杉謙信に寝返った。この時、上杉の要請を受け太田氏の救援に向かった里見氏は房総の諸将とともに一万六千の軍を率いて出陣し、下総の国府台に入城したのは明けて永禄七年の正月であった。それを迎えた千葉氏は北条に救援を求めると、北条氏康は二万の兵を率いて国府台に向かった。こうして里見軍と北条軍は江戸川を挟みの対峙することになった。当初、北条軍と千葉軍の連携作戦の失敗から里見軍が優勢だったが、その勝利に浮かれて兵士に酒をふるまった後、北条の夜襲を受けて大混乱のうちに里見は敗走した。この機に乗じて北条軍は房総半島深く侵攻し、その時里見側だった土岐氏が里見を裏切り北条側に寝返った。北条が房総に進出すると北条と里見の争いは一進一退を続けたが、里見氏は上総からは大きく後退し、半島の南端の安房に押し込められる形となった。
 その後、徳川家康が豊臣秀吉とともに、北条家を倒した時、北条に従っていた土着の諸勢力は房総から一掃され徳川家の家臣の支配するところとなり、生き残ったのは徳川家に味方した里見家だけだった。

「殿、国府台合戦の折の里見の敗因は完全な勝利が確定する前に酒宴を持ったことだと聞いています。ですから、、、」
「わかっておる。酒はほどほどにせよと言いたいのであろう。」
 忠朝と忠古が万喜原の開墾の相談から、里見と北条の争いに話題が移ってくると、大原長五郎がやってきた。
「殿、一大事でございます。」
「どうした、大原。また、面倒なことか?秋も深まってきたというのに、相変わらず汗っかきな奴じゃのう。」
「冗談を言っている場合ではございません。今、桑名から使者が参り、大殿さまがお倒れになったとのことです。」
「何?父上が倒れた?何故じゃ。」
「詳しい事はわかりませんが、すぐに桑名においで下さるようにとのことでございます。」
「よし、わかった。忠古、聞いての通りだ。わしは支度ができ次第桑名に向かう。わしの留守の事は頼んだぞ。」
「はい、お任せ下さい。道中お気をつけて。」
 忠古は淡々と答えた。忠朝がその場を去ると大原は忠古を睨みつけた。
「中根殿、おぬしは相変わらず冷たいな。大殿の具合が心配だとか言うことが言えんのか?」
 忠古は黙って大原を見返して、その場を立ち去った。
「全く、相変わらず何を考えているのかわからんの。」
 一人残された大原は額の汗を拭いたが、日に日に日没が早まる晩秋の夕暮れの空気は冷たかった。

 数日後、急ぎに急いだ忠朝一行は桑名に到着し、旅装を解いた。
 落ち着いたところに忠古の父、中根忠実がやってきた。
「若様、遠路はるばるとお疲れ様でございました。」
「おお、じいか。久しいな。」
「若様、、御立派になられた。御幼少のころのいたずら坊主からは想像がつきません。」
「それをいうな。わしもいい年じゃ。いつまで鼻たれの小僧ではないぞ。」
「わかっております。わかっております。」
 忠実は涙ぐみ、御立派になられた、を繰り返した。息子の忠古と違ってこの忠実は感情をあらわにする性質の様だ。
「それよりも父上の具合はどうだ。大分悪いと聞いているが。」
「はい。この二、三日はほとんどお眠りになっていますが、目を覚ますと、忠朝はいつ来るのかとおっしゃいます。まだお着きにならないと申しますと、力が抜けたようにまた眠ってしまいます。」
 忠実はそう言って止まらない涙を拭き、忠朝を忠勝のもとに案内した。忠勝は眠り続けていた。忠朝は愕然とした。目の前に眠っているのは、あの無傷の猛将ではなく痩せこけた小さな老人であった。
「ち、父上、、、」
 思わず、忠朝が声をかけると忠勝の眉毛がピクリと動いたが、目を覚ます様子はなく眠り続けた。中根忠実は忠勝、忠朝の親子を残して部屋から出て行った。忠朝にはその後ろ姿が、何か悲壮な決意を固めているように思え嫌な予感がした。
 


小説 本多忠朝と伊三 16

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 16/久我原


 鶏の鳴く声でサキは目を覚ました。
(ここはどこだ?)
 一瞬、サキは自分がどこにいるかわからなかったが、すぐに昨日は忠朝の勧めで城に泊まったことを思い出した。城と言ってもここは家臣たちが住む城内の長屋である。
 サキは床から起き上がると、昨日大原から借りた着物を身につけたが、思いなおして自分の衣類に着替えなおした。今日は早く家に帰らないといけない。おとうがいなくなって、国吉の人たちには迷惑をかけているから、おとうの分まで働かなくては。
 外に出ると、一人の中年女性が井戸で水を汲んでいた。
「あら、おはよう。まだ、ゆっくりしていたら良かったのに。」
「おはようございます。そうゆっくりはしてられません。帰って仕事をしなくてはいけません。ホリベエさんはどこにいるんでしょう?」
「ホリベエさん?」
 この女性は夕べ屋敷からつれてこられたサキの世話をするようにと言われたが、サキがどういう娘で何故、城内に泊まることになったかは知らなかった。サキは簡単に事情を話すと、
「ああ、伊三さんの娘さんってあなたのことだったんですか。」
「おとうのこと知っているんですか?」
「いえ、お会いしたことはありませんが、主人から話を聞いていますので。」
「主人?」
 そこへ長田が現れた。
「おお、サキ、もう起きたか。今日はゆっくりしていてもいいぞ。」
「お頭さま。じゃあ、この方は?」
「わしの女房のきよだが。」
「あ、奥方様ですか。」
「はは、奥方様なんて偉そうなもんではないわ。」
 長田の妻のきよはにっこり笑うと、
「ご飯ができるまで休んでらっしゃい。後で呼びに行きますから。」
「いえ、とんでもねえ。おらも手伝います。」
「そうですか、じゃあ、お願いしましょうか。」
 井戸から汲んだ水桶を持って、サキはきよの後をついて台所に入って行った。
「良い娘だな。伊三にはもったいないのう。」
 そう呟いて長田は井戸から水を汲み、がらがらとうがいをした。

 そのころ、屋敷ではホリベエとロドリゴはまだ眠っていた。別れを惜しみ、昨夜遅くまで語り合っていたようである。一方、忠朝は城内の馬場で馬に乗っていた。しかし、今日の忠朝はいつもの様な元気はなかった。やはり、昨夜は飲みすぎて少し頭が痛いらしい。今朝もむりやり母に起こされて、日課の乗馬に来たのだが、力が入らない。
「大原、今日はもうしまいだ。」
「殿さま、元気がありませんね。」
「いや、元気がないということはないが、昨日もちと飲みすぎてな。」
「左様で。昨夜はロドリゴ殿と随分と楽しそうな様子でしたな。部屋の近くを通ると笑い声が良く聞こえました。」
「うん、伊三の娘からもおもしろい話がたくさん聞けてな。ついつい、飲みすぎた。」
「ついついですか。」
「ついついだ。」
「ついついねえ。うらやましい。」
 忠朝は大原が悔しそうな顔をしているのに気がついた。実は大原も酒飲みで食しん坊だ。
「大原、お前、妬いているな。」
「な、何をおっしゃいます。」
「わかっておる。酒の席にはいつも飲めない忠古が呼ばれることを妬いているのであろう。」
「そ、そんなことは、、、」
「考えても見よ。お前とわしの酒好きの二人がともに飲んでいたら、留まるところがあるまい。飲めない忠古がいるくらいがわしにはちょうど良いのじゃ。があ、はははは。それにしても、今日も暑いのう。しかもお前の顔を見ているとますます暑くなってくる。」
 小太りで丸い顔の大原は額に、今日も汗をびっしょりとかいている。

 朝食をすましたサキは長田につれられて、屋敷に向かっていた。今日のサキは饒舌だった。昨日、行元寺で会った伊三のよそよそしい態度、ロドリゴとホリベエが親子の様に思えたこと、あの忠古が意外と優しい人だと感じたことなど、サキは一人で喋っていた。そのサキの話を長田はいちいちうなずきながら聞いていた。
「長田様はお幸せです。」
 サキが唐突に言った。
「おれが幸せ?どうして?」
「あんなに良い奥方様いらっしゃる。」
「そうかな?特別に良い妻と思ったことも無いけどな。」
「いいえ、良い奥方様です。おらは今日、奥方様のお手伝いをしていて思いました。おらのことを、料理が上手だとほめてくだすった。うれしかったあ。おらのおかさんは死んじまったけど、お手伝いをしていておかさんのことを思い出しました。おらのおかさんもやさしい人だった。あんなバカなおとうに文句も言わず、いつもにこにことおとうの話を聞いていた。奥方様はおらのおかさんと少し似ている。あ、これは失礼かな。」
「そんなことはない。あれでも、おこると怖いぞ。」
「そうですか?奥方様でもおこることがあるんですか。信じられねえ。」
「サキ。」
「はい?」
「そんなにあいつが気にいったか?」
「いいえ、気にいるなんて、おこがましい。でも、おかさんが恋しくなりました。」
「じゃあ、うちの娘になるか?」
「え?また、冗談を。」
「そうだな。伊三に叱られるな。あいつは頭に血が上ると何をするかわからんからな。」
 ほおを赤らめて、長田は冗談だ、冗談だと繰り返した。長田夫妻には子供がいない。

 屋敷では大原がサキを待っていた。サキの姿を見るとふうと大きなため息をついて言った。
「サキ、なんじゃ、その格好は。昨日、貸した着物はどうした。」
「今日は国吉に帰ります。おとうの分まで働かないといけないから。」
「その必要はない。ロドリゴ殿が帰るまで、二人には城に留まれと殿がおっしゃっている。」
「いえ、おらは帰ります。でも、ホリベエさんは残して行きますから。」
 大原は額の汗を拭きながら、また、ふうとため息をついた。
「殿の仰せに従え。お前が帰るというとまた面倒なことになるからの。」
「何が面倒なことだと?」
「こ、これは殿さま。」
 大原とサキがいる部屋に現れた忠朝に突然声をかけられて、大原はあわてた。
「お前はすぐに、面倒だ、面倒だという。少しは忠古を見習え。あいつは文句も言わずに働くぞ。まあ、何を考えているかはわからんがな。」
「また、忠古ですか。」
 大原はぷうとふくれっ面をした。
「サキ、そう急がなくてもよいだろう。一日や二日休んでもどうということもあるまい。」
「いいえ、おらは帰ります。でも、ホリベエさんはロドリゴ様が帰るまでここにいさせて下さい。お願いします。」
「そうか。」
「はい。」
 忠朝はにたりとした。
「でも、ホリベエがいなくてさびしくないか?」
「大丈夫です。ホリベエさんが国には帰らないと言ってくれたので、国吉で待っています。」
「そうか。では、仕方がない。しかし、まあそう急がなくてもよい。ゆっくりして、適当な時に帰ればよい。」
「ありがとうございます。ホリベエさんのこと、よろしくお願いします。」
「ほほう。まるで女房のような言い方じゃな。」
 サキは赤くなってうつむいた。
「大原、サキが帰る時、お前が送ってやれ。」
「えっ、わたしがですか。」
「そうだ、お前がだ。」
「それは、、」
「面倒か?」
「・・・・・・」
 大原は黙って汗を拭き始めた。

 ホリベエを城に残し、その日の昼過ぎ、サキは大原と供に国吉に帰った。サキは国吉の仲間の農民に仕事に遅れたことを詫びながら、いつにもまして働いた。
 その日の夕方、サキは再び伊三を訪ねた。そして、お城での出来事を伊三に話したが、それを聞いている伊三は不機嫌な顔をしている。
「なんだ、おとう、しかめっつらして。具合でも悪いのか?」
「そんなんじゃねえ。」
「なら、どうした?」
「お前、殿さまと一緒にめし食ったのか?」
「そうだ。」
「長田様の長屋に泊めてもらって、奥方様と一緒に朝飯の支度をした。」
「そうだ。」
「お前、城に行くのは初めてだったな。」
「そうだ。」
「おれは二度お城に行ったことがある。」
「うん、それは聞いた。」
「でも、俺は部屋にあげてもらったことも無ければ、殿さまとめし食ったこともねえ。」
 サキはにやりと笑った。
「サキ、おめえはおれに自慢しに来たのか。」
「ははあ、おとう、悔しいんだな。」
「おお、悔しいわい。俺が城に行ったのは失敗して捕まった時だけだ。それなのに、おめえは、、、」
「くくく、、、」
「何がおかしい。」
「すまねえ。くくく、、、でもよ、おとう、おとうもそのうちお部屋に入れもらえるよ。」
「どうして。」
「殿さまは、今度は伊三と三人で城に遊びに来いと言ってくださった。」
「ほんとうか?」
 思わず、伊三は立ち上がった。そこへ参道を登ってきた老婆が声をかけてきた。
「あんのう、住職さまはいらっしゃるかね?」
 伊三は老婆の声を聞くと答えた。
「ああ、これはおせきさん、こんにちは。今、呼んできますので待って下さい。」
「あんた、誰かね?会ったことあるかい?」
「四、五日前にお参りに来てたろう。」
「うん。そんとき会ったかね?」
「帰り際に和尚様と話をしているのを隣の部屋で聞いていたもんで。」
 伊三はその老婆の声を覚えていたので、顔がわからなくてもその老婆がおせきだとわかったらしい。伊三は本堂の中に入って行った。老婆、せきは不思議そうな顔をして本堂に入っていく伊三の後ろ姿を見送った。サキが伊三に声をかけた。
「おとう、今日は帰るぞ。また来るからな。」
 伊三は振り返らずに片手をあげた。

 数日後、ロドリゴが江戸に帰る日、城内の馬場で忠朝とロドリゴは馬に乗っていた。
「ロドリゴ殿、今日でお別れじゃな。我らの友情の証しにその馬を差し上げよう。」
 ケンがロドリゴに通訳すると、ロドリゴは馬から降りて、片膝をついた。
「トノサマ、アリガトウゴザイマス。」
「そのような真似をされるな。」
 忠朝も馬から降りて、ロドリゴの手を取った。
「Mi amigo de corazon.(我が友よ)」
「もう、お会いすることもあるまいが、ロドリゴ殿のお国での活躍をお祈りしております。」
 ケンがそれを通訳するとロドリゴは忠朝と抱擁をした。その後、今度は忠古に握手を求め、やはり抱擁をした。
「タダフルサマ、アリガトウゴザイマス。」
 ロドリゴが言うと忠古も言葉を返した。
「お元気で、お元気で。」
 いつもは青白い忠古の顔が幾分、桃色に輝いて見えた。輝いてみえたのはなんと、一筋の涙だった。ロドリゴはホリベエに聞いた。
「ホルヘ、本当にここに残るのか?今なら、まだお前を連れて行ってやれるが、ここで別れたらもう二度と会えないぞ。」
「はい。もう決心したことですから。」
 ロドリゴは後ろ髪ひかれる思いで大多喜を去り、江戸に帰っていった。

 ロドリゴ一行が三浦按針が建造した「サンタ・ブエナ・ベントウーラ号」で江戸から故郷に向けて出航したのは八月一日のことだった。江戸湾を抜け、左手に見えた房総半島はやがて水平線の向こうに消えていった。
(ハポン(日本)よ。私は幸運だった。嵐にあったのは不運であったが、その嵐のお陰で忠朝殿と忠古殿という友人を得ることができた。まずしいながらも、おだやかですがすがしい人々に会うことができた。皇帝(家康の事)にも親しく会うことができた。できることなら、イスパニアの正式な使者としてまた訪れたいものだ。しかし、それはかなうまい。サキよ、ホルヘの事はよろしく頼むぞ。ホルヘはイスパニア人では無いが、いつかイスパニアと日本の交流の役に立つことを願っている。Adios, amigos. Adios, Japon. Ahora yo salgo de Japon y deje Jorge como mi corazon. (さらば友よ、さらば日本。私は日本を去るが、ホルヘを私の魂として残してきた。))

 ロドリゴが大多喜を去った日、ホリベエは国吉に帰ってきた。
「お帰り、ホリベエさん。」
 ホリベエを待っていたのはサキの笑顔であった。その笑顔を見た時、やはり自分は個々に残ることにして良かったとホリベエは思った。
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小説 本多忠朝と伊三 15

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 15/久我原

 ロドリゴはホリベエ、いや、今はホルへと呼ぶ事にしよう。
 ロドリゴはホルへにスペイン語で話しかけた。
「ホルへ、元気そうで安心したぞ。」
「ドン・ロドリゴ、お気にかけていただき光栄でございます。去年ご出発されたときは、もう二度とお目にかかることはないと思っていましたが、思いもかけず、うれしく思います。」
 ロドリゴは穏やかな顔つきでホルへを見つめた。
「お前を残した事は心配だった。言葉も通じない異国に取り残されて、さぞ不安なことであったろう。」
と、言ってロドリゴは「おや?」と思った。小さく首をふるホルへの顔が一瞬微笑んだような気がした。

 昨年、岩和田で遭難し岩和田の住民と本多忠朝に助けられたドン・ロドリゴ一行は江戸では将軍徳川秀忠、駿府では徳川家康と会見した。家康との会見でロドリゴはキリシタン(カトリック)の保護、イスパニア国王フェリペとの親交、オランダ人の追放を願い、家康はキリシタン保護とイスパニア殿との親交については快諾したが、オランダ人とはすでに保護を約束していたのでその追放は拒絶された。オランダ人追放はかなわなかったのは残念ではあったが、家康からは嬉しい申し出があった。ヌエバ・エスパーニャに帰国するためにあの三浦按針が建造した船を貸し与えると言うのである。
 家康は家康でイスパニアとの交易に魅力を感じていたという下心はあったであろうが、初対面の自分に船までよういするという便宜を図ってくれるとは、この日本の皇帝はなんという度量の大きな人物であろうと感激した。
 その後、京見物をし、大坂を経て豊後臼杵(大分県臼杵市)に向けて出発した。臼杵にはマニラをともに出港し、やはり嵐にあったサンタ・アナ号が漂着していた。ロドリゴのサン・フランシスコ号の乗員とサンタ・アナ号の乗員は再会を喜び合った。
 各地で歓迎を受け、再び江戸にもどってきたロドリゴは帰国の日程が決まると、もう一度、恩人であり友人である忠朝と忠古に会いたいと思って、再び大多喜を訪れていたのである。
 そして、ロドリゴにはもう一つの目的があった。それは、、、

 ロドリゴは大多喜城で久し振りに再会したホルヘに聞いた。
「ところで、足の具合はどうだ?」
「はい、だいぶ良くなりました。走ったり、急ぎ足で歩くと力が入らないような感覚がありますが、普通に生活する分には不便はありません。それもこの娘、サキのおかげです。」
「おお、そうか。ん?確かあの漁村でお前を看病していた娘だな。」
 サキはホルへが自分の名前を言ったと思うと、今度はロドリゴが自分を見て、「Gracias, senorita.(ありがとう、おじょうさん。)」と言ったので思わず、「へえ。」と言って頭をさげた。しかし、サキは二人が何を話しているかは当然わからなかった。
「ところで、ホルへ、やっと帰国のめどがついたぞ。徳川様が三浦按針殿に命じて、ヌエバ・エスパーニャ行きの船を用意してくれることになった。徳川様も我国との通商を望んでいるらしい。一緒に帰ろう。帰国したら、お前を私の部下に取り立てて、働いてもらいたいと思っている。」
 ロドリゴはホルへの表情が曇ったのを見逃さなかった。
「どうした、ホルへ。あまりうれしくなさそうだな。それともフィリピンに帰りたいのか?私としては残念だが、それなら徳川様にお願いしてやってもいいぞ。」
「いいえ、私はここに残りたいのです。」
「何?残る?」
「はい。故郷のフィリピンには身寄りもいませんし、ヌエバ・エスパーニャも私にとっては異国です。もちろん、はじめはヌエバ・エスパーニャに行きたいと思って船に乗ったのですが、嵐に会い、もう船に乗るのは嫌だと思いました。それに、ここの人たちは親切です。最初は変な目で見られましたが、今では言葉も通じないのに〝ホリベエサン、ホリベエサン〟と声をかけてくれます。ここの人たちはJorge(ホルへ)と発音するのが難しいらしく、私の事をホリベエと呼んでいます。幸い、ここの王は新田開発に熱心な様で、私のフィリピンでの農民の経験が生かせそうですから。」
 王というのは忠朝の事であろう。その忠朝はロドリゴとホルヘの様子をじっと見守っていたが、ホルヘが渋い顔をしていることを不審に思った。忠朝は後ろに小柄な男が控えていたが、その男が忠朝になにやら耳打ちをしている。その言葉にうなずいていたが、話を聞き終わると忠朝はロドリゴに向かって言った。
「ロドリゴ殿、この男はここに残りたいと申すのか?」
「Si.(はい。)」
 その言葉を聞くと、サキの曇った顔が晴れてホルヘを見つめた。ホルヘ、いやここからはまた、ホリベエと呼ぶことにするか。ホリベエはサキの笑顔に、これもまた笑顔でうなずいた。二人の様子を見た忠朝は、なるほど、この男が大多喜にとどまりたいというのはこの娘のせいかと思った。
 ドン・ロドリゴがまた、ホリベエに何か話しかけたが、ホリベエは首を振るばかりである。そんな二人のやり取りを見ていたサキは思わず殿さまに声をかけてしまった。
「殿さま、二人は何をしゃべってんでしょうか?殿さまは言葉がわかるんですか?」
「まさか、わしにもロドリゴ殿の言葉はわからん。通辞がおるのでな。」
と、忠朝は後ろに控えている男を振り返った。
「サキさん、お久しぶりで。うちのこと覚えてはりますか?」
 サキは聞きなれないが、あの懐かしい西国言葉に驚いた。
「も、もしかして、ケンでねえか?」
「ああ、覚えていておいでで、おおきに、おおきに。」
 なんと、去年難破したロドリゴの船に偶然乗り合わせていた日本人のケンであった。
「まあ、そんな立派な格好しているからわからなかった。殿さまの家来かと思った。」
 ケンは遭難時、薄汚いシャツを着た下働きの水夫という格好だったが、今は髪をきれいに結い上げて、上等ではないが落ち着いた着物を着ていた。
「ホリベエさんがサキさんと一緒に大多喜にいるとは驚いた。やっぱ、二人は好きあってんやろ?うらやましいこって。」
「そ、そんな。お互い言葉が通じねえし、ホリベエさんもおらのことなんかなんとも思っちゃいねえべ。」
「でも、ドン・ロドリゴがヌエバ・エスパーニャに帰ろうと誘っても、ホリベエさんはここに残る言うてます。」
「えっ、本当に?」
「ほんま、ほんま。」
 と、サキとケンが話をしていると中根が咳払いをし、サキに向かって言った。
「サキ、控えよ。」
 中根に睨まれて、サキの顔がこわばった。サキの顔も中根のように白くなってきた。
「も、申し訳ありません。懐かしい人にお会いしたので、なれなれしくして、、、」
 サキは中根にひれ伏してあやまった後、ケンにも頭を下げた。
「ケンさん、懐かしくて失礼な物言い、お許し下せえ。こんなご出世されたのになれなれしくしちまった。」
 中根は忠朝の御前でサキとケンが勝手にはなしをしている事をしかったのだが、サキは殿様の通辞であるケンになれなれしい態度をとった事をとがめられたものと思った。中根はサキの様子を見て、口元がゆがんだ。口は笑っているようだが、目は笑っていない。
「サキ、勘違いするな。わしは、殿さまとロドリゴ殿の前で勝手に二人で話をするなと申したのだ。伊三も娘もあわてものじゃ。」
「忠古、まあ良いではないか。サキ、聞いての通りホリベエはここに留まりたいという。今は新田の開発に人手はいくらでもほしいところじゃ。伊三はまだ家には帰れないが、ホリベエと力を合わせて新田の開発の手伝いをしてくれ。のう、ロドリゴ殿、それで良いかな?」
と、問いかけられてもロドリゴには忠朝が何を言ったかわからなかった。
 サキの白い顔が今度は真っ赤になったかと思うと、今度は一筋の涙をこぼした。
「殿さま、、、ありがとうございます。おとうの言う通りだ。殿さまはおやさしい方だ。」
 ドン・ロドリゴはケンから忠朝の言った事を聞いて、腕を組むと小さく首を左右に振って、うなだれた。それを見て、忠古が忠朝に声をかけた。
「殿、今日はもう夜もふけました。今夜は二人とも、城に泊らせてはいかがでしょう?ロドリゴ殿もホリベエと過ごすことをお望みかと。」
「忠古、わしもそう思っていたところだ。ロドリゴ殿も国に帰れば、再び戻ってくることもあるまい。今宵はみなで酒でもくみかわしながら、、、」
「殿、御酒をめしあがるは結構ですが、、、」
「わかっておる。ほどほどにせいというのであろう。全く、母上の様な事を言うやつよ。」
 忠朝がむっとしてつぶやくと、サキは思わず噴き出した。
「サキ、何がおかしい。」
 忠古がサキを睨むと、
「も、申し訳ありません。殿さまがおとうと同じことを言うものですから。」
「何、どういうことだ?」
「殿さまもご存じでしょうが、うちのおとうはだらしなくて、挨拶もできねえ、庭でしょんべんはする、食べながらしゃべるで、おらがいちいち注意すると『ばあさんみてえな事言うな!』っておこるんです。」
「そうか、伊三もか。がははは。これはいい。わしに忠古がついているように、伊三にはサキがおるということか。がははは、こりゃ、おかしい。があははは。」
 どうやらサキが伊三を叱りつけてるところを想像し、忠朝の笑いのツボを捕えてしまったらしい。
「そうだ、サキ、伊三の話を聞かせてくれ。岩和田の漁師の仕事についても興味があるし。なあ、忠古。」
「………」
 忠古は返事をしなかった。それにしても、、、
 サキは忠古がその見た目とは違って、意外と情けが深いのには驚いた。あの日、伊三を城に連れて行った忠古は鬼のように見えたのだが、、、、

 一同は場所を移して、別れの宴を始めた。楽しそうなのは、忠朝、ロドリゴ、ケンの三人だけで、ホリベエとサキは緊張し、忠古は蒼白な表情で黙って三人の話を聞いていた。
 しかし、時間がたつにつれ、サキが話す伊三の話に場が和んでくると、サキもホリベエもようやくくつろいだ感じになってきた。そこで、サキは気になっている事を確かめたいと思い、忠朝に言った。
「殿さま、おら、ホリベエさんが言っている事はまだよくわからねえんだけど、気になることがあるんで、ケンさんに聞きたいことがあるんです。ケンさんと話して言いでしょうか?」
「気になること?ああ、かまわんとも。ケン聞いてやれ。」
「ありがとうございます。ケンさん、ホリベエさんがよくボニートとかボニータって言うんだけど、なんのことだ?」
 ケンはにたりと笑った。
「なんだ、いやな笑い方するな。どういう意味だ?」
「それはどんな時に言うんです?」
「そうだな、最初は猫を捕まえてきて、ボニート、ボニートって言っていたんで、猫の事を言うのかと思ってたんだけど、近所の子供を抱き上げてボニートって言うかと思ったら、ホタルを見てもボニートだ。」
「そうですか。サキさんにも言いますやろ?」
「うん、おらにはボニータって言うけどな。」
 すると、ホリベエがケンに言った。
「Si, ella es muy bonita. Me gusta mucho.」
「ケンさん、なんて言ったんだ。」
 ケンはまた、にやにやと笑った。ロドリゴもホリベエの肩をたたきながらにやにやしている。
「なんだ、みんな気持ち悪いな。教えてくれよう、ケンさん!」
「それはな、サキさんは可愛い、大好きだって言ったんですわ。」
「えっ?」
 サキは顔が赤くなってきた。ホリベエを見返すことができなかった。
「やっぱりね。去年、岩和田にいるときから、そうやないかと思ってたんや。Bonitoっていうのは可愛いらしいっていう意味です。女性にはbonitaって言いますけどね。」
「そ、そんな。おら、こんな図体でかいし、可愛いなんて言われたことはねえ、、」
 確かにサキは父親の伊三に似て、頑丈な体つきをしていて、岩和田の漁師や、大多喜の農民に交じって仕事をしていると姿を見ると女性とは思えないこともあるが、その顔だちは幼さが残り、かわいらしい印象を与える。体つきの小さい日本人から見れば、「大女」ということになろうが、スペイン人の血を引く大柄なホリベエと並んで座っているとサキもそれほどの大女には見えない。
「ふむ、確かに体は大きいが、見ようによっては整った顔だちをしているのう。」
 忠朝はうつむくサキの顔を覗き込んだ。その時、一人の女性が宴の部屋に現れた。忠朝の母、お久である。
「なにやら、楽しそうでございますねえ。」
「これは、母上。」
「忠朝殿、妙福寺からそうめんが届きましたので、みなさんに食べていただこうと思ってゆでてまいりました。」
「ああ、そうですか、妙福寺から。ロドリゴ殿、珍しいものが届きました。是非、めしあがってください。」
 お久についてきた待女が一同の前にそうめんを置いて行った。勧められて、まずロドリゴがぎこちない手つきで箸をつけて、忠朝に向かった。
「Oh, sabroso!」
「ロドリゴ殿、わしは三郎ではない、次男じゃからの。」
 すると、ケンが笑った。
「はは、殿さま、sabrosoっていうのはイスパニア語でおいしいって言う意味です。」
「そうか、ロドリゴ殿の国の言葉は我らの言葉と似たようなところがあるからややこしいのう。」

 こうしてロドリゴとホリベエのが再会した宴は和やかなうちにお開きとなった。ロドリゴのたっての希望でその夜はホリベエと枕を並べて眠ることになった。ホリベエは身分違いを理由に辞退したが、忠古が強く勧めるので恐縮しながら受けることになった。ロドリゴがホリベエの肩を抱いて寝所に向かう後ろ姿がサキにはまるで親子のように思えた。
(ホリベエさん、本当にここに残っていいのか?ロドリゴ様とお国に帰った方がいいんではないか?)
 そう、思いながら庭を見ると、青白い光が三つ点滅しているのを見つけた。三匹のホタルであった。サキにはそれがなぜか、伊三、ホリベエそしてサキが再び一緒に暮らしている姿に思えた。
(おとう、ホリベエさんは大多喜に残るんだってよ。おとうはいつ帰ってくるんだ?)
 サキは伊三とホリベエの先行きが心配だったが、なぜか胸の奥が心地よく暖かくなっている事を感じた。


小説 本多忠朝と伊三 14

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 14/久我原

 

 長田がサキの家を訪ねた日から、二十日ほど過ぎたある日、サキは行元寺を訪れた。サキが行元寺を訪ねてきたのは今日で二度目である。
 長田に伊三が行元寺に預けられ、伊三は家に帰ることは許されないが、サキが伊三に会いに行くことは禁じられていないと言われたので、翌日早速、行元寺に行ってみた。もうひと月以上も伊三に会っていない。伊三とこんなに長い時間離れて暮らしたことはなかった。世話の焼ける父だが、そこは二人きりの親子のこと、サキはさびしくもあり、父が心配でもあった。ところが、ひと月ぶりにサキが見た父の姿は、、、伊三は十歳ぐらいの小坊主に叱られて背中を丸めてうなだれた姿だった。
「伊三さん、昨日も言いましたが、本堂の前を通る時はご本尊様に会釈をしてください。それと、部屋にあがるときは脱いだ草履はきちっとそろえて下さいね。」
 サキは久し振りに見る父が子どもに小言を言われているのがおかしかった。サキが
「おとう、挨拶はちゃんとせえ。」
とか、
「食べながらしゃべるな、何言ってんだかわかんねえ。」
と注意しても、
「ばあさんみてえにうるさい事言うな。」
と言って聞かなかったが、その時は「へえ、へえ。」と言いながら小坊主にぺこぺこ頭を下げていた。サキは山門の陰からしばらく伊三の姿を見ていた。
(おとう、少し小さくなったようだな。)
 ひと月の牢暮らしで伊三はやせていた。背が縮んだわけではないが、伊三がひとまわり小さくなったようにみえたのは、小坊主に叱られてしょげているからかもしれなかった。最初は滑稽に見えた伊三の姿も哀れに思えてきて、サキは伊三に声をかけることをためらい、その日はそのまま家に帰った。
 あれから二十日ほどの日々が過ぎ、サキのもやもやとした心配は膨らむばかりである。この日仕事中にたまたま長田に出会い、伊三の様子はどうだと聞かれて行元寺で見た伊三の様子を感じたまま話すと、
「伊三もさびしいだろうな。殿さまからはうまい米を作れと言われているが、和尚様の許しがでるまで寺から出てはいけないと言われているらしい。励ましにいてやったらどうだ。」
と言われた。そこで再び行元寺を訪ねる気になったのである。

 日に日に暑さが増している。サキは大汗をかきながら参道の緩やかな坂を上って行った。運が良い事にちょうど山門のところで伊三が誰かと話をしているところだった。
「おーい、おとう!」
 サキは伊三に手を振った。それに気づいた伊三はサキに向かって深々と頭を下げた。ササキは違和感を感じた。
(?、、おとう、おらのことがわからないのか?おらのこと忘れちまったのか?)
 すると、伊三と話をしていた男が伊三の肩をたたき、サキを指さし笑った。
 サキはもう一度手を振った。
「おとう、おらだ。サキだ。」
 今度は伊三は右手をちょっと上げ、もう一人の男と一緒にサキの方に歩いてきた。近づいてみてわかったが、もう一人の男は平吉だった。
「あれ、平吉さんでねえか。久し振りです。」
「おお、サキちゃん、久し振りだな。おめえも伊三が心配で来たのか?」
 平吉は伊三が田んぼで暴れて捕えられ、行元寺に預けられていることを聞いて心配になり見舞いに来たようだ。平吉はサキに笑顔で話しかけてきたが、伊三は相変わらず固い表情でサキを見つめている。
(あれ、おとうはまさか本当におらのこと忘れちまったんじゃねえだろうな。)
と思った時、伊三がサキに話しかけた。
「久しぶりです。達者でいましたか。」
 伊三の他人行儀な態度にサキは心配が増した。
(お寺の修行で頭がおかしくなっちまったんじゃないだろうか?)
「伊三、自分の娘にそんなよそよそしい態度をとるんじゃない。サキちゃん、俺に対してもこんな調子なんだ。全くいやになるよ。」
「平吉さん、和尚様に人には丁寧に接するように教えられたんです。そんな言い方しないでください。」
 サキは唖然として、口をぽっかりと開けて、伊三を見た。
 久し振りの再会だったが、伊三の態度にサキと平吉は閉口し、重い沈黙が三人にのしかかってきた。そこへ山門をくぐって、一人の僧侶が現れた。年齢は五十歳ぐらいだろうか、満面の笑顔でゆったりと三人に近づいてくる。
「伊三、お客さんかい?」
「あ、これは和尚様。友達の平吉さんと娘のサキです。」
 サキは僧侶に頭を下げた。
「おお、伊三の娘さんか。住職の定賢じゃ。」
「伊三の娘のサキといいます。おとうがご迷惑おかけします。」
 定賢は噴き出した。普通は「お世話になります。」と言うところを「ご迷惑をおかけします。」とサキが言ったので、サキはよっぽど伊三に手を焼いているのだと思った。
「和尚様、おとうは大丈夫でしょうか?おらに頭を下げたり、薄気味悪い口のきき方をするんです。なれないお寺の暮らしで本当におかしくなっちまったんじゃないかと。」
「ははは、それはわしが礼儀正しくしろ言ったからだろう。これ、伊三、娘や友達にまでそんなにバカ丁寧にせんでもよろしい。」
 そういうと伊三は緊張が解けたのか、「ふう。」とため息をつくとサキのほっぺたに手を置いて、
「元気そうでよかった。」
と言ってひやりと笑った。笑ったが、その眼はうるんでいた。そして、サキを抱きしめた。
「会いたかった。会いたかった。」
 定賢は平吉を促し、山門の方に向かって歩き出した。
「おとう、やめろ。恥ずかしい。」
「恥ずかしいもんか。俺はうれしいんだ。お前にまた会うことができてうれしいんだ。」
(ああ、やっぱりおとうはおとうのままだ。)

 ちなみに、、、
 行元寺の和尚定賢は本多忠朝の信頼が厚く、後にあの天海僧正と供に徳川家康の講師を務め、名を「厳海」さらに「亮運」と改め、天海亡きあとは徳川家光の師となり、九十二歳の天寿を全うした。しかし、サキは定賢和尚がそんなに偉い僧だとは知らずに、やさしそうなお坊様で良かったと思った。

「おとう、あれがこのお寺の和尚様か?もっとおっかねえ人かと思ったが、にこにこしてやさしそうなおじいちゃんって感じだな。」
「ばかいえ、おっかねえ和尚様だ。俺はいっつも怒鳴られている。」
 そんなことはなかった。定賢は常に静かに、伊三にわかりやすいように丁寧に話をしていたが、伊三には厳しい口調に聞こえていた。やはり、ひと月の牢の生活が伊三の気をなえさせていたのだろうか。
 しばらくすると定賢がやってきた。
「サキさん、せっかく来たのだから、お参りをしていってください。それに今日はまた暑いですから、冷たい水でも差し上げましょう。」
 すると伊三は首をすくめてサキに耳打ちをした。
「な、おっかねえだろう。頭にガンガン響くようなおっきな声だ。」
「?」
 サキには、やはりやさしいおじいちゃんに思えたのだが、、、

 お参りをした後、伊三、平吉、サキの三人があの小坊主が持ってきた水を飲みながら本堂の前で話をしていると、参道の向こうで馬のいななきが聞こえた。しばらくすると、サムライが一人山門をくぐり三人の所にやってきた。
「サキというのはお前のことか?」
 サムライがサキに声をかけた。
「へえ、おらがサキですけど、おサムライさんは?」
「私は本多忠朝様の家来、大原長五郎と申す。本日は殿さまの言いつけでお前を迎えに来た。ホリベエと供に城に参れ。」
「えっ?おとうでなくて、おらがお城に?ホリベエさんも一緒に?」
「そうだ。」
 サキは不安そうに伊三の顔を見た。伊三が呼び出しを受けるのならわかるが、何故自分が呼び出されたのか。しかも、ホリベエも一緒に来いという。一体何の用事だろう?
「ふふふ、そう心配そうな顔をするな。本来は伊三に来させるべきところだが、今は謹慎の身である故に、代わりに娘を連れて来いと言うことだ。悪い知らせではないということだ。」
「でも、なんでホリベエさんも一緒に?」
「詳しい事はよくわからんが、、、、まあ、城に来ればわかることだ。ごちゃごちゃ言わないでついてこい。」
 大原は吹き出る汗を拭きながら、面倒くさそうに答えた。
「それにしても、よくここにいることがわかりましたね。」
「ああ、お前の家に行ったんだが、ホリベエしか居なくて大変だった。まさかホリベエが異人だとは思っていなかったからな。何を言っても話が通じなくて困っていたところに長田が現れて、サキが行元寺にいると聞いたのでこちらにまわってきたのだ。」

 サキとホリベエが大原に連れられて城に着くと、中根が迎えに出てきた。
「おお、大原殿、御苦労であった。その二人、殿に目通りするにはちとむさいのう。何か小ざっぱりしたものに着替えさせてやれ。」
「中根殿!私は殿さまに二人を迎えに行けと言われたが、着るものの面倒まで見ろとはいわれておらん。そなたに指図される言われない!」
「大原殿、頼みましたぞ。」
「中根殿、私は忙しいのだ。そんなことは、、、、」
 だれかほかの者に頼んでくれと言おうとしたところ、例の冷たい微笑みを見せて、中根は屋敷に向かって立ち去ってしまった。
 大原のひたいから汗が噴き出してきた。暑さのせいばかりではなく、中根に対する怒りから噴き出した汗であろう。
「あのう、、、おらたちどうしたら、、、」
 サキに問いかけられ、大原はサキをぎろりと睨んだ。サキが一歩後ずさりすると、その肩をホリベエが支えた。
「仕方がない、ついて参れ。私がお前たちをきれいに着飾ってやる!ああ、めんどうじゃのう、、」

 サキとホリベエは着替えをすると、意外にも客間に通された。伊三でさえまだ屋敷にはあがったことがないのに。サキは緊張でかたかたと震えていたが、ホリベエは事情がわからず部屋の中を見回していた。日が暮れて、部屋が暗くなってくると、小間使いの者が明りと冷たいお茶を持ってきた。サキは冷たいお茶を一口すするとなんとなく心が落ち着いた。
 小半時ほど待たされたところで中根がやってきた。
「サキ、ホリベエ、殿さまのお出ましだ。頭をさげよ。」
 言われて、サキが畳に手をつき頭を下げ、ホリベエもそれをまねた。そうして待っていると、上座にだれかが座った気配を感じた。
(と、殿さまだ。)
 一度、解けた緊張が再びサキを押しつぶしそうになってきた時、忠朝がサキに声をかけた。
「伊三の娘、サキだな?わしが忠朝じゃ。」
 その声を聞くとサキは緊張で返事ができず、ひれ伏したまま、口をパクパクさせていた。
「はは、そんなに緊張せんでも良い。」
「へ、へえ、、」
 サキはやっとのことで返事をした。ははと笑った後に忠朝は意外なことを言った。
「さあ、ロドリゴ殿、この者がホリベエでござるか?」
「Si, si. Cuanto tiempo, Jorge. Como estas? (はい、そうです。ホルヘ久しぶりだな。元気だったか?)」
 サキとホリベエは驚きのあまり、同時に顔をあげた。
 目の前には、忠朝とロドリゴが座っていた。
「Don Rodorigo!!」
 ホリベエはそう言って絶句した。サキは嫌な予感がした。


小説 本多忠朝と伊三 13

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 13/久我原


「おい、伊三、どうした、いい年をして何を泣いているんだ。」
「いや、殿さまにご迷惑をおかけし、情けないやら、恥ずかしいやら、、、、、殿さまのお顔を見ていると今にもどなりつけられようで、おっかなくて、、、」
「なんだ、子どもみたいなやつじゃのう。」
 ううう、と唸ると伊三はひれ伏した。
 忠朝は笑いながら言った。
「はは、お前を見ているとわしも二十年前のいたずら小僧に戻ったような感じがする。あの時はお前に叱られたが、、、」
 忠朝はにたにたとした笑顔を引き締めた。
「今度はわしが叱る番じゃ。国吉の領民たちが汗水流して作った田んぼを荒らしまわったことは大変な罪だ。お前はわしに申し訳ないと言ったが、申し訳ないという相手が他にもいるのではないか?この罪を償うのは大変なことだ。」
「?」
「ボケっとした顔をしおって。わしはお前は見どころのある奴だと思っている。中根から伊三が国吉で暴れていたので連れてきたと聞いたとき、すぐに会いたいと思った。しかし、中根がお前は大勢の人間に迷惑をかけたから簡単に許してはならないという。そこでひと月の間牢に閉じ込めることを命じたのだ。」
「申し訳ないと思っています。あんときは夢中だったもんで、、、」
 しょんぼりと肩を落とし、相変わらず涙を流してぐちゃぐちゃの伊三の顔を見て、忠朝はため息をついた。
「ふーん。本当に反省しているのかの?お前、ひと月牢に入っていて何かわかったか?」
「何かって、何のことで?」
 忠朝は伊三の正直に自分の感情を隠そうとしないところが好ましく思っていたが、自分の行動がまわりにどんな影響を与えているかをあまり考えていないことにあきれてしまった。
 忠朝は一人、牢の中で伊三が自分の行動を反省し、忠朝自身だけでなく、国吉の農民に迷惑をかけていることはもちろん、残された娘のサキがどれほど心配しているかということに気がつくことを期待したが、それはむなしい期待であったか、、
「伊三、なんでも良い。思ったことを述べてみよ。」
 忠朝は静かにやさしく言ったつもりだったが、伊三には威圧的な命令に聞こえた。
「も、申し訳ありません。とんでも無い事をしてしまったおれは本当にバカだと思いました。それと、、そのう、、、」
 伊三は言おうか言うまいかと言い淀んでいると長田が声をかけてきた。
「伊三、思うことを申し上げろ。殿さまは慈悲のある方だ、反省していれば罰も軽くしてくださるに違いない。」
 長田がちらりと忠朝の顔を見ると、忠朝はわずかに首を振った。長田は伊三が哀れに思えた。なぜか二十年前に大多喜の町普請で懸命に働く伊三の姿、幼い殿さまが若い日の伊三にじゃれついてくる姿を思い出した。
 しばらく沈黙が続いた後、伊三がもそっと言った。
「めしがまずかった。」
 忠朝は思わず前のめりになって、伊三にどなりつけた。
「なに?めしがまずかっただと?」
 長田はもう駄目だと思った。
「伊三!何を言うんだ!反省しているのかと思ったら、めしがまずいとは何ということを!殿さま、申し訳ありません。長い間、牢に入れられ頭がおかしくなっているんです。こ奴の身は私にお預けください。殿さまのお心がわかるように鍛えなおしてやります。」
「長田、よい。こ奴の処分はわしが決める。伊三、残念だがわしはお前を許すことはできん。」
 忠朝は一言でも仲間にすまない、娘にすまない、今後も一緒懸命に田を耕すと言えば、条件付きで許すつもりでいたが、言うに事欠いてめしがまずいとは、、、、この時ばかりはこいつは一体何を考えているのだと、心の底から腹が立った。
「この男を牢に戻せ。めしも食わせんでいい。こいつの口には合わないようだからな。」
 忠朝は感情的になり、長田に命じた。すると、伊三がぽつりと言った。
「こんなまずいめしを殿さまも食っているのかと思うと、本当に申し訳ないと思いました。」
「何?」
 忠朝は怒りの表情を和らげた。
「どういうことだ?」
「おれは国吉の米を食ったとき、さすが御城下で作る米はうめえ。岩和田の米とは大違いだ。こんなうめえ米を作ることができたら、さぞ殿さまも喜ぶだろうと思いました。ところが、お城で出るめしは毎日毎日まずかった。殿さまはこんなまずいめしを食っているのか。昔、殿さまが下さった握り飯はあんなにうまかったのに、今は米がまずくなっちまった。それで殿さまは新しい田んぼを作ってうまいめしを食いたいと思ったんだろうに、その田んぼをめちゃめちゃにしちまって、俺は本当にとんでも無い事をした。」
 伊三は牢で食べためしがまずかったので、お城の人たちもまずいめしを食っているのだろうと思いこんでいた。忠朝の新田開発は収穫の石高をあげて国を富ませようという経済政策だが、伊三は単純に殿さまはうまいめしを食いたかったと思っていたようだ。
「伊三、お前そんなこと考えていたのか?あきれたな。」
「殿さまがこんなまずいめしを食ってるかとおもうとおかわいそうで、、、それで、、、」
「これ、伊三、失礼なことをいうな。殿さまが囚人と同じ飯を食っているわけないだろう。」
「へっ?」
 伊三は長田を振り返った。長田が忠朝に向かって言った。
「殿さま、こいつはこういうやつなんです。バカだけど心根はいいやつです。イライラするけど憎めないやつなんです。なにとぞお慈悲を。」
 忠朝は伊三に聞いた。
「それで、どうした。それから何を思ったんだ?」
「牢に閉じ込められていたら、殿さまのためにうまい米を作ることができなくなる。もしかしたらサキも岩和田に追い返されかも知れねえ。茂平さんに岩和田に住むことは許さんと言われたから、もしかしたらホリベエさんと異国に行ってしまうかもしれねえ。みんな、俺のせいだ。」
 伊三はまた泣き出した。話も取りとめのないものになってきたが、忠朝の心が揺れた。そして大声で笑い出した。
「があ、はははは、があ、ははは。長田、伊三の罰を申し渡す。今、決めた。」
 さっきまで怒りに満ちた顔をしていた忠朝が突然笑い出したので長田はびっくりしたが、これで伊三は助かったと感じた。
「伊三、娘の待つ家に帰ることは許さん、行元寺に預ける。そこに住み込み、わしのためにうまい米を作れ。そして、米の収穫ができたらその米をわしのところに持ってこい。それを伊三への罰とする。うまい米ができたらお前の罪を許してやろう。しかし、まずい米を持ってきたら、いつまでたっても娘には会えないぞ。わかったか?」
 伊三は相変わらず泣いているが、長田が忠朝に答えた。
「ありがとうございます。殿さまのご慈悲に答えるように、わたしが伊三をしっかりと面倒を見ます。これ、伊三、お前も礼をいわんか。」
 うながされて伊三は泣き顔のまま忠朝を見た。
「あぃがとう、、ごぜえます。おれはまた、殿さまに助けられた。本当にすまねぇぇぇ。ありがてぇぇぇぇ。」
「伊三!勘違いするな。わしはお前を許すとは言っておらんぞ。一人前に米が作れるようになるまではな。」

 こうして伊三は国吉原の北の山裾にある行元寺に預けられることになった。
 伊三が行元寺に預けられた晩、サキのもとに長田が伊三の処分を知らせに行った。
「そうか、おとうはお寺に預けられるのか。あの年になってお坊様の修行は辛かろうなあ。」
 伊三が寺に預けられると聞いたサキは伊三が坊主にされるものと勘違いをしているようだ。
「サキ、お前、勘違いをしているようだな。伊三は何も坊主になるわけではない。行元寺の住職に身を預け、大多喜の領民として恥ずかしくない人間になってもらいたいという殿さまのご慈悲だ。しかし、殿さまのお許しが出るまでここには戻れないぞ。わかったな?」
「へえ、そうですか。わかりました。お頭さま、あんなバカなおとうだけど、会えないと思うとやっぱりさびしい。」
 サキの頬を涙が一筋流れた。長田は少し哀れに思った。
「まあな、辛抱せい。今年の秋には戻ってこれる。それに行元寺はここから近いしな。」
「?」
 サキは長田が何を言わんとしているのかよくわからなかった。
「なんだ、サキ、目をぱちくりさせて、俺の言うことがわからんか?」
 サキの横に座っているホリベエは長田が何を言っているのかはわからなかったが、「伊三」という言葉とサキが泣いている姿を見て、とらわれた伊三の身に良くないことがおこっていることは感じ取っていた。
 沈黙する三人の間に薄緑色の光がゆらゆらと飛んできた。ホタルが三匹、サキの家に迷い込んできたようだ。三つの光は寄り添うように飛んでいたが、そのうちのひとつは仲間から離れて外に出て行ってしまった。家の中には残った二匹のホタルが壁に止まった。
「サキ、伊三はこの家には帰れないが、お前がどこに行ってはいけないとは殿さまは申されなかった。」
「はあ。えっ?では、お寺におとうに会いに行っていいのか?」
「さあて、俺はそんなことは言っていないが、、、、」
 サキは長田の、忠朝の気遣いがうれしかった。
「ありがとうございます。お頭さまも殿さまもお優しい方だ。」
 サキがぺこりと頭を下げると、ホリベエもそれにならって頭を下げた。
「さあて、礼を言われるおぼえはないがのう、、、」
 二人に頭を下げられた長田は照れながら言った。
 ふと、長田が壁に止まったホタルを見ると示し合わせたように二匹とも壁を離れて外に飛んで行った。先に外に飛んで行った仲間を追うように。長田にはそれが伊三の後を追うサキとホリベエのように思えた。
 しばらく長田は二十年前の殿さまと伊三の出会い、今回のお城での再会のことなど話した。サキは伊三から若いころ忠朝と出会ったことは聞いていたが、詳しい事は知らなかった。伊三が若様とは知らずに忠朝を叱りつけたということは初めて聞いたが、(おとうらしいことだ。)と思わず微笑みが漏れた。そんなサキを見て、長田は大柄だが愛嬌がある娘だと思った。
「さて、夜も更けた。明日も仕事だ、帰るとするか。ホリベエ、伊三の分まで働いてくれよ。」
 長田に声をかけられ、ホリベエは思わず「ハイ。」と答えた。サキはホリベエの顔を見て、(この人はどこまでわかっているんだろう?)と思った。
 長田を見送り、家の外に出ると近くの田んぼからカエルの鳴く声が聞こえる。長田が持つ明りが田んぼの中をゆらゆらと動いて遠ざかって行くのを二人はいつまでも見送った。
「Bonita.」
 ホリベエが闇を指さした。サキがその方向を見るとさっきのホタルだろうか、三つの緑の光が闇の中を揺れていた。
「ホリベエさん、ボニータってどういう意味だ?口癖みたいでよく言うけど、おらにはわかんねえ。ねえ、どういう意味だ?」
 サキの問いかけにホリベエはにっこり笑って、
「Bonita.」
ともう一度言った。サキはホリベエとの会話がまだまだ通じ合えないのがもどかしかった。いつの間にかホタルは林の中に消えていった。
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小説 本多忠朝と伊三 12

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 12/久我原

 慶長十五年の初夏。
 昨年、本多忠朝の命令で開発が始まった国吉原の新田開発は順調に進み、去年は荒地だった平原が、田植えも終わり、初夏の強い日差しに緑色に輝いている。
 そんな緑色の鏡のような新田を厳しい表情で眺めながら、騎乗の武士が徒歩の三人の供を従えて、ゆっくりと進んで行く。
(国吉原の新田開発も大分進んできたが、まだまだ開発できる土地はありそうだな。)
 すれ違う農民たちが騎乗の武士、中根忠古に丁寧に頭を下げるが、忠古はちらりと彼らを見るだけである。笑顔で忠古に挨拶をする農民たちの表情は新田開発の仕事と土地を与えてくださった本多家には感謝をしていると言っているようだった。

 この日、本多忠朝の家臣、中根忠古は国吉原での田植えがほぼ終わったとの報告を受け、その出来具合を視察に来たのである。忠古は城を出てから国吉原に到着するまで一言も口を利いていないが、それに従う徒歩のさむらい、長田正成は忠古の無愛想に閉口していた。新田開発の現場の指揮を取る役人の一人である長田は、仕事柄忠古と接する機会も多いが、無表情で黙っている忠古が何を考えているのかはわからなかった。
(おれの指揮のもとに働いた奴らをひいきするわけではないが、あいつらの苦労のお陰で短い時間でこれだけの新田を開いたんだ。少しはねぎらいの言葉でもかけてくれてもいいでねえか。)
 長田はそんなことを考えていた。
 むっつりした表情で口を利かない忠古に声をかけるべきかどうか迷っていたが、あまりにも自分にも農民にもそっけない態度なので、ちっとは何か言えという気持ちで長田は忠古に声をかけた。
「あのう、中根様、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ?」
 思い切って長田が忠古に声をかけると忠古は長田の方を見ずに答えた。
「これだけの新田を開くのに私どもも百姓もだいぶ苦労もしましたが、田植えも終わりここまでこぎつけました。出来上がりはいかがなものでございましょうか?」
 忠古は長田をじろりとにらむと、
「ふうむ。」
と言った。それきりまた前を見て黙って馬に揺られて行く。
 「ふうむ。」とはどういうことか?良いとも悪いともわからない返答の仕方だ。長田は続けて声をかける事をためらった。

 しばらく行くと今度は忠古が長田に声をかけた。
「長田、今何か聞こえなかったか。」
 何か聞こえなかったかと言っても、鳥の声、風の音、農民たちの声と色々なものが聞こえてくる。
「何かとは、どのような事でございましょう?」
「女の悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、、、」
「女の悲鳴、でございますか?」
「聞こえなかったか?」
「さて?」
 一行は立ち止まり、耳を澄ませた。
 長田は注意してあたりの様子をうかがっていたが、特に女の悲鳴が聞こえたとは思わなかった。
「中根様、私にはそのような声は聞こえませんでしたが、気のせいでは?」
 忠古は馬上から長田を見下ろした。その視線に長田は背筋に虫が這いまわるような薄気味悪さを感じ、
「いや、失礼いたしました。私には聞こえなかったものですから。」
と、言うと忠古は、
「そうか。気のせいかの。」
と答えた。長田はほっとしたが、その時、長田の耳にも遠くで男女が争うような声が聞こえてきた。
「中根様、今、私にも男女が争うような声が聞こえました。確かに、男の待て、待てと言うと声と、女が嫌がる声が聞こえてきました。」
「そうか。わしの気のせいではなかったか。」
 忠古と長田が緑色に輝く新田を眺め渡すと、男が女を追い回している姿が目に入った。
「中根様!あそこに、女が襲われています。昼日中から何ということだ。あの男ひっとらえてまいります。」
と言って、長田は一緒にいた二人の従者と供に、女を追いかける男の方に向かって走り始めた。忠古は「行け。」とも「うん。」とも言わずに長田たち三人が駆け出すのを黙って見送り、そのあとをゆっくりと追って行った。相変わらず、忠古は無表情だ。
「こら、待て、待てというのに。」
「いやだ。」
 女を追い回す男と追われる女の声がはっきり聞こえてきた。長田はその二人の声に向かって走っていたが、
「キャー!」
という、女の悲鳴とともに突然その視界から二人が消えた。男は女に飛びかかり、青々とした田んぼの中に転げ落ちてしまったのである。女は男の手から逃れると田んぼの中を逃げ回り始めた。すると、近くにいた農民が、
「この野郎何しやがる!」
と二人を追いかけて田んぼの中に入って行った。
「おい、お前ら、わしが苦労して作った田んぼを荒らしまわるとはどういうつもりだ!」
 後から追いかけていく農民はこの田んぼを開墾した農民であったのであろう。今度は三人で田んぼの中を駆けずりまわっている。
「何ということだ。おい、あの三人を捕まえろ!」
 長田は近くにいた農民たちに命じた。
 女を追い回していた大男は力が強く、取り押さえに来た農民たちは次々に殴り倒されていった。しばらく田んぼの中の格闘は続いたが、多勢に無勢で大男はついには捕えられて、田んぼから引きずりあげられた。
 泥にまみれた大男は「放せ、放せ!」とわめきながら、長田の前に連れてこられた。その大男の泥だらけの顔を見て、長田は「はて?」と思った。男は相変わらずじたばたしている。
「だれか、水を汲んできて、この男にぶっかけろ。」
 長田が農民に命じると一人が田んぼから水を汲み男の顔にぶっかけた。泥が落ちたその男の顔を見て長田は言った。
「お前、もしかして伊三ではないか?」
 その声を聞いておとなしくなった大男は岩和田から新田開発に来た伊三であった、ということは追われていたのは、、、、そう娘のサキであった。伊三は長田の声を聞くと視線が空中で凍りついたようにしばらく長田の顔を見つめていた。
「く、組頭?」
「そうだ、組頭の長田だ。」
 なんと二十年前に伊三が大多喜の町普請に仕事をしていた時の組頭が今、目の前にいるこの長田正成であったのである。
「あれから二十年もたつかのう?相変わらずバカなことしているな。それにしても昼日中から女を襲うとは何ということだ。バカな奴だとは思っていたが、こんなことをするとはついに気が狂ったか?」
「女を襲う?勘違いしねえでください。あれは俺の娘だ。」
「娘?本当か?しかしなぜ娘を追い回して、田んぼの中で暴れたんだ?」
「あいつがとんでもねえ事を言い出したからだ。」
「とんでもねえ事?」
 するとサキが伊三に向かって言った。
「何がとんでもねえ事だ。おとうだってホリベエさんのことをほめていたでねえか。ここで百姓ができるのはホリベエさんのおかげだと。」
「それとこれとは別のことだ。俺は絶対に許さねえ。お前は俺の娘だ、俺の言うことを聞け。」
「何言ってんだ。おとうだって、おかさんと惚れあって一緒になったって言っていたでねえか。」
「バカ野郎。おれとおかさんのことと、おめえとホリベエさんのことは全く別の話だ。」
「でも、おら、おかさんから聞いたことがある。おとうは親の決めた人を断っておかさんと一緒になったんだって。おとうもおかさんのことが好きで一緒になったんだろ。だったら、おらたちのことも許してくれていいでねえか。」
「この野郎、なんでお前は母親のことはおかさんと言うのに俺のことはおとうと呼び捨てなんだ。」
「おとうはさんをつけるほど偉くねえべ。おかさんは仲間を助けようとして死んだんだ。でもおとうはいつも自分のことばかりだ。おとさんって呼ばれたかったらおらとホリベエさんのことも考えてくれ。」
「何を考えるんだ!」
 伊三は取り押さえている農民の手を振りほどき、またサキにとびかかろうとした。
「待て、伊三。何の話かよくわからんが、ただの親子げんかでお前は大勢の人に迷惑をかけているんだぞ。お前の娘の言うとおりだ。自分のことばかり考えず、少し落ち着け。」
 長田が伊三に声をかけた。
「組頭、迷惑をかけたのはすまねえが、サキが、、、この娘があんまり突拍子もねえことをいうもんだから、、」
「突拍子もねえ事でねえ。」
と、再び親子げんかになろうとしたところ、それまで黙って成り行きを見ていた中根忠古が馬から降りて伊三の目の前に来ると伊三の頬を平手で打ちすえた。
「思いだしたぞ。お前岩和田の伊三だな。どこかで見たことがあると思っていた。」
 伊三も自分を叩いたサムライが去年、殿さまと一緒に岩和田に来た家臣だということに気がついた。
「あ、あなた様は、殿さまの、、、」
「本多家の家臣、中根忠古である。久しいのう。殿からお前の話は聞いて変わった奴だが、見どころのある男だと思っていたが、なんだこのざまは。みながせっかく苦労して作り上げた田んぼ荒らしまわりおって。長田、伊三に縄を打て。城に連れていく。」
 伊三はあぜんとしていたが、娘のサキが中根の前にひれ伏した。
「中根様、申し訳ねえ。おらが良く言い聞かせますんで、連れて行かねえでください。」
「駄目だ。殿さまと我ら家臣、そして領民が一所懸命に作った新田を荒らしまわるとは罪は重い。」
 長田の従者が伊三を縛り上げた。今度は伊三はおとなしくしている。やっと伊三も仲間に、そして殿さまに迷惑をかけてしまったということに気付いたのである。縄に打たれて自ら歩き出した。
「おとう!行かねえでくれ。」
「サキ、大丈夫だ。俺がいなくてもホリベエさんがいる。田んぼことはホリベエさんに任せれば大丈夫だ。でもな、だからと言っておれはお前の言うことを聞いたわけじゃねえからな。」
「おとう!」
 地面に座り込んで泣いているサキを残して、一行は大多喜城の方向に去って行ってしまった。城に向かう途中、長田が中根に話しかけた。
「中根様。先ほどのお話では、田んぼの出来は満足いくものと考えてよろしいので。」
「当たり前だ。お前がまとめ上げた仕事だ。殿も満足であろう。ただ一つのことを除いてな。」
と言って忠古はしょんぼりとしてついてくる伊三を振り返った。忠古の様子を見て、長田は伊三には悪いと思いながらつい笑顔になってしまった。
「なにがおかしい。田んぼの出来は良いがこいつの罪はお前の責任でもあるぞ。」
と忠古に睨まれて長田は冷や汗をかいた。

 伊三は城内の牢屋に閉じ込められた。毎日、番人が食事を運び、様子を見に来るだけで、伊三もほとんど口を利かない。長い、長い時間が流れ、もう何日牢に入れられているのかもわからなくなっていた、そんなある日、長田がやってきた。伊三にはわからなかったが、捕えられてからひと月近くの日にちがたっていた。
「出ろ、伊三。今日は御調べがある。それにしても臭いのう、それにひどい顔じゃ。」
 ひと月牢に入れられていた伊三は垢だらけのひげ面でよろよろと牢からはい出してきた。
「お頭、俺はどうなるんだ?」
「知らん。二十年前は先代の殿さまに助けていただいたようだが、今度はどうなるかわからんぞ。」
 伊三は、あの青白い、薄気味悪い中根の顔を思い浮かべ、まさか殺されはしないだろうが、もう二度サキには会えないかもしれないと思った。二十年前の様な恐怖は無かったが、厳しい仕置きは覚悟しなければ行けないだろうと思った。
 牢から出た伊三は意外にも行水をさせられ、ひげをそらされて、粗末ながら小ざっぱりした着物に着替えさせられた。そして、思いもよらず二十年前と同じように、あの懐かしい屋敷の庭に連れてこられた。一緒にいた長田に、
「お出ましだ、頭をさげよ。」
と言われて、障子を開け放った部屋に誰かがやってくる気配がした。きっと中根だろうと伊三は青白い中根の顔を思い浮かべていると、屋敷の中から声がかかった。
「伊三、また会ったな。があははは。お前は年を取っても変わらんのう。」
 伊三の肩がぴくりと動いた。
「と、殿さま?」
 伊三が顔をあげると、そこにはにたにたと笑っている忠朝の顔があった。
「まさか、お前が国吉原で百姓をしているとは思わなかったぞ。」
「殿さま、申し訳ねえ。」
 伊三の目には一筋の涙が流れた。伊三は自分でもうれしくて泣いているのか、悲しくて涙が出ているのかはわからなかった。
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小説 本多忠朝と伊三 11 

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 11/久我原

「ホリベエさん、ホリベエさん!!」
 伊三は家に着くと、いきなり大声でホリベエを呼んだ。普段はのっそりと家にあがりこんでくる伊三が目を吊り上げ走りこんできたので、サキもホリベエも驚きの表情で伊三を迎えた。
「アア、イゾウサン。コンニチワ。」
「なにが、こんにちはだ。家の者が帰ってきた時はお帰りなさいと言うもんだ。」
 最近、伊三がホリベエのことをだんだんと家族扱いするようになってきたので、サキは心をくすぐられるようなうれしさを感じた。
「?」
 ホリベエは伊三が何を言っているのかわからないので助けを求めるようにサキを見た。
「ホリベエさん、家族にはこんにちはでなくて、お帰りなさいって言うんだよ。」
 サキは伊三に向かって大げさにお辞儀をして「お帰りなさい。」と言った。それをまねてホリベエも頭を下げ、「オカエリナサイ。」と言った。
「おお、ただいま。」
 仰々しく頭を下げる二人に伊三は言った。
「おとう、どうしたんだ?血相変えて?ホリベエさんがどうかしたのか?」
 伊三はサキを無視するようにして、ホリベエの肩をつかんで言った。
「ホリベエさん、おめえ、国で百姓していたって本当か?」
「?」
 当然、ホリベエは伊三が何を言っているのかわからない。
「とぼけた顔をするな!おめえ、米の作り方知ってんだろ?」
「おとう、落ち着けよ。ホリベエさんはおらたちの言葉はまだよくわからないんだ。」
「おお、そうだな。サキ、お前、ホリベエさんが国で百姓していたって、知ってたか?」
「いんや、知らねえ。」
「サキも知らなかったか。大宮寺の和尚さんがケンから聞いたそうだが、ホリベエさんは国で百姓をしてたんだ。米を作ってたんだと。」
「ほう、それがどうかしたか?誰だって働かなきゃならねえべ。ふしぎなことはねえ。」
「サキ、お前はにぶいな。百姓だぞ、田んぼ耕して米作ってたんだぞ。」
 娘から見てもぼんやりとしたところのある伊三からにぶいと言われてサキはむっとした。
「さっきから、百姓、百姓ってわかったよ。だから、ホリベエさんが百姓だとどうなんだって聞いてんだ。」
「ホリベエさんを連れて、大多喜へ行く。国吉原で田んぼを作るんだ。とうとう、殿さまの役に立てる。やっと恩返しができるんだ。」
「は?」
 サキはあきれた。伊三はまだ大多喜行きをあきらめていないのだ。米作りの経験があるホリベエを連れて大多喜に行くだって?おらはどうなるんだ?そんなことを考えていると、
「サキ、お前も一緒に行こう。三人で新田開発をするんだ。」
と伊三が言った。
 ホリベエはよくわからないが、楽しそうにサキに話しかける伊三を微笑みながらみていた。
「よろしく頼むよ。今日からおめえは俺の師匠だ。」
 伊三はホリベエの手を握った。ホリベエ照れくさそうに、
「はい、はい。」
と言ったが、ホリベエはなんのことやらわからず、
(サキのことをよろしくとでもいっているのか?)
と勘違いした。男と女の愛情とまでは気持ちは動いていないが、姉妹に対する愛情の様なものを抱いていたホリベエは悪い気持はしなかった。

 翌日、正月二日、この日は伊三、ホリベエ、サキの三人で茂平の家を訪ねてきた。
「何だ、今日はホリベエさんも一緒か。ホリベエさん、あけましておめでとう。わしの言うことがわかるかね?」
 茂平に話しかけられてホリベエは
「アケマシテオメデトウゴザイマス。」
と答えた。
「茂平さん、俺はもう決めた。三人で大多喜で百姓になる。」
「かあ、伊三のバカはまだそんなことを言っているのか。サキ、よく言い聞かせてやれ。そんな無理なことができるわけねえ。」
「いんや、無理な話ではねえ。おらもいっしょに大多喜に行く。」
 伊三の大多喜行きには反対だと思っていたサキが大多喜に行くと言い出したので、茂平は驚いた。
「何言ってんだ。お前らは海で仕事をしてきたんだ。今更、百姓なんかできるわけねえだろう。」
「昨日、おとうと大宮寺に行って、和尚さんと平吉さんの話を聞いた。おらも最初は反対だったが、和尚さんの話を聞いて、おとうがホリベエさんと一緒に田んぼを作るならやれそうな気がしてきた。それに和尚さんはおとうをほめてくれた。新しい事を始める勇気、殿さまに奉公したいという気持ち、立派なもんだと言ってくれた。それに引き換え、茂平さんは“バカだ、バカだ、だめだ、だめだ”というだけでねえか。それに平吉さんも力になってくれるそうだ。」
「なに、平吉までそんなこと言っているのか。」
 茂平は腕を組んで考え込んでしまった。
「茂平さん、俺は茂平さんがだめだと言っても大多喜に行くぞ。今日はお許しをもらうために来たのではねえ。お別れの挨拶に来たんだ。茂平さんに縁を切られようが、もう決めたことだ。国吉原で田んぼを耕すものは殿さまが守ってくださるそうだ。なにも心配することはねえんだ。」
 そのことは茂平も昨日、平吉から聞いていた。大多喜周辺から人を集めて、土地を与えて新田開発をしたものの諸役は十年免除、年貢は三年免除という好条件だ。おふれが出たのは去年のことだが、まだまだ人が足りないので平吉は岩和田まで人を集めに来たのだと言う。
「和尚様まで、賛成か、、、」
 そして、茂平は思い切ったように言った。
「よし、わかった。三人とも大多喜に行くがええ。しかし、二度と岩和田に戻ってはなんねえぞ。」
 サキはその言葉にビクリとして、
「そうか、もう二度と岩和田には帰ってこれねえのか、、、」
 サキはそこまで考えていなかった。サキも体は大きいがまだ子どもだ。今まで一緒に働いてきた友達と別れなければ行けないということに今更、気がついて泣いた。
「サキ、泣くな。わしが戻るなっていうのは、岩和田での暮らしは捨てて、大多喜に根をおろす覚悟をしろということだ。二度と住むことは許さんが、平吉みたいに正月ぐらいは帰ってこい。」
 その言葉を聞くと伊三は土下座をした。
「ありがてえ。茂平さん、ありがとうございます。」
 サキも伊三にならって手をついた。
 ホリベエもわけがわからず手をついた。
 そんな三人に茂平が言った。
「だがな、伊三、ホリベエさんは預かり者だ。もしロドリゴさんが迎えに来たら、その時は国に帰してやんなきゃならねえぞ。わかっているな。」
 当然、伊三はそんなことは、、、、まあ、考えてはいなかったであろう。
「あ、当たり前だ。それまでに俺はホリベエさんを師匠として、一所懸命に米作りをする。」
「一所懸命か。その言葉通りに、途中で投げ出して帰ってくるなよ。そうだ、今度帰ってくるときはお前の作った米を持ってこい。うんめえ米ができるまで帰ってくるんじゃねえぞ。」
「はい、お約束します。」
 よほどうれしかったのか、伊三にしては丁寧な言葉使いだった。
 ホリベエはいまだに何が起きているのかわからない。三人の日本人の喜怒哀楽の百面相を見て、一体何の話だろうと思っていたが、サキが泣いているのが気になった。
 サキはいつかドン・ロドリゴがホリベエを迎えに来ることに思い当り、涙を流しているということは、当然ホリベエにはわからなかった。
 

 


小説 本多忠朝と伊三 10

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 10/久我原

「なんだ、藪から棒に、今度こそお許し下せえとは、何のことだ?」
 茂平の問いに平吉が答えた。
「今、大多喜では国吉原と言うところの新田開発が進んでいます。私は今度、その新田開発の手伝いをしてくれる近在の百姓を集めるようにと、組頭に命令されたもんで、茂平さんに人集めの相談に来たところです。そしたら、偶然伊三に出会って、どうやら伊三は新田開発の手伝いをしたいらしいんです。」
「なあに?伊三が新田開発の手伝い?ははは、そりゃ無理だ。こいつはバカだから何か理由をつけて殿さまのもとに行きたいだけだろう。」
 茂平がそう言うと伊三は真っ赤な顔して食ってかかった。
「茂平さんよう、どうせ俺はバカだけど、殿さまの手伝いをしたいというのは本気だ。あんたが考えているようないい加減な気持ちではねえ。」
「いい加減とは思っていないが、おめえ、自分の年を考えてみろ。」
「年が明けて、三十八だ。それがどうした?」
「かあ~。だからおめえはバカだと言うんだ。年を考えろって言ったのはな、なにも俺はおめえがいくつになったかと聞いているのではねえ。今更漁師から百姓になるには年をとりすぎたってことだ。」
「何言ってんだ、俺と平ちゃんは同い年だ。」
「とことんバカだな、おめえは。」
と、茂平が言ったとき、今度はサキが怒り出した。
「名主さん!いくらなんでも、そうおとうをバカだ、バカだというでねえ。確かにおらもおとうは賢くはねえと思うが、そんな風にバカだ、バカだと言われりゃ、娘のおらはあんまりいい気持はしねえ。」
「おお、すまん、すまん。」
 茂平はサキに謝った。伊三とサキの親子が真っ赤な顔して、茂平を睨みつけていると、茂平は少々たじろぎながら言った。
「いいか、伊三。平吉は二十年前、まだ若いころに漁師から百姓になったんだ。若い時って言うのはまだまだ体も頭も柔らかい。だから、仕事が変わっても新しいことを覚える力も時間もある。でも、今のおめえは魚をとることが得意でも、これから米を作る事を覚える頭も新しい仕事に慣れる力も無いってことだ。わかるか、言ってることが?」
「わかんねえ。平ちゃんにできて、なんで俺に出来ねえんだ?」
 茂平は伊三に仕事を変えるには年をとりすぎていることを教えようとしているが、伊三は同い年の平吉にできることが何故自分にできないかを理解をすることができなかった。茂平に「お前は平吉より劣っている。」と言われた気がしたのである。もちろん、茂平は伊三が劣っているとは思っていなかった。伊三の漁師としての仕事は評価しているし、逆のことを考えれば、平吉が今更漁師に戻ることはできないだろうと思っていた。
「そうか、茂平さんは平ちゃんが大多喜でうまくやっているようには俺はできねえ思っているんだな。そうか、そうか、わかったよ。もう、頼まねえ。俺は勝手にする。」
「バカ野郎!勝手にするってどういうことだ。大多喜に行って勝手に田んぼを作るのか?そんなことできるわけねえべ。」
「そうだよ、伊三。お前はここで漁師を続けろ。」
 平吉が茂平に続いて伊三を説得しようとしたが、もう伊三は聞き分けのない子どものようだった。
「おらあ、誰にも頼まねえ。俺は殿さまの力になりてえんだ。」
 伊三の頭には新田開発という仕事のことより、忠朝のもとに行きたいという気持ちが膨らみ始め、もはや自分が何をするべきかという判断を下せる状態ではなかった。これも初めて飲んだ酒に脳みそが惑乱されたためだろうか?
 伊三は真っ赤な顔ですっくと立ち上がると、
「みんな、世話になった!」
と言ってたちあがり、茂平の家から出て行ってしまった。
「おい、待て、伊三。」
「おとう、おらも帰る。」
と、平吉とサキが伊三を追いかけた。
 一人取り残された茂平は、
「やれ、やれ、伊三はいいやつだか、本当に手のつけられねえバカだ。」

 早足に先を歩く伊三に追いつくと、平吉は伊三の肩に手をかけた。
「おい、待てよ伊三。とりあえず、落ち着いて話を聞けって。」
「何の話だ?」
「お前、初めて酒を飲んで酔っているだろう。今日、俺は大宮寺に泊まりだ。そこでゆっくり話すべえ。」
 さっきは茂平にバカだ、バカだと言われ、ついカッとしてしまったが、平吉に肩を掴まれると伊三は少し落ち着いた。
「そうだな。久し振りに会ったんだ。ゆっくりするか。」
 伊三が落ち着きを取り戻したので、サキも安心して、
「平吉さん、おとうを頼みます。おら、先に帰ってます。」
と、伊三を平吉に任せて家に帰って行った。

 大宮寺に着くと、伊三と平吉は本堂でお参りをし、そのままそこで話し始めた。
 平吉は国吉原新田開発の概要を話し、この事業は忠朝が藩の行く末を考えての大切な仕事であり、中途半端な気持ちでは成し遂げられないということを伊三に告げた。
「そんなことはわかっている。だから、俺は殿さまの役に立ちたいんだ。」
 伊三が言うと平吉は聞いた。
「じゃあ、おめえは米を作ったことがあるか?」
「ない。」
「ないなら無理だ。」
「だって、平ちゃんが教えてくれるんだろう?」
「甘えたことを言うな。今、中途半端な気持ちではできないって言っただろう。」
「えっ?平ちゃんが教えてくれるんじゃねえのか?」
「当たり前だ。俺は今、自分の任されている田んぼがある。俺はただ人を集めるだけだ。やる気のある奴は自分の力で田んぼを耕し、稲を植えるんだ。きつい仕事だ。そんな苦労をしても秋の嵐にやられて稲がとれねえこともある。漁師は一年で一匹も魚が取れないときは無いだろう?でも、稲作りは一年の苦労が水の泡になることだってあるんだ。」
「ふうん。それは大変だな。」
 伊三は唸って考え込んでしまった。
「わかったら、あきらめろ。岩和田で漁をすることだって、立派に殿さまの役には立つ。」
「いやだ。」
「なに?」
「大変なことは覚悟のうえだ。」
「ふうん。」
と、今度は平吉が唸る番である。話は全く平行線でお互いに黙り込んでしまった。
 そこへ、大宮寺の和尚が餅をもってやってきた。
「なんじゃ二人とも難しい顔して。せっかく久し振りにあった正月だって言うのに。さあ、餅でも食って仲直りしろ。」
 和尚は二人がけんかでもしているのかと思った。
「和尚さん、俺たちは別にけんかをしてるわけじゃありません。この伊三のバカが大多喜で米作りをするっていうから、そいつは無理だって言い聞かせていたところです。」
 平吉はこれまでの話のあらましを和尚に語った。経験がない者が新田開発に来てもちゃんとやっていけることはできないと言った。すると、和尚は笑ってこう言った。
「ははは、なんじゃそんなことか。では、ホリベエさんを連れていけばよろしい。」
「えっ?」
「えっ?」
 伊三と平吉は和尚の言うことに同時に聞き返した。
「それはどういうことですか?」
 平吉が和尚に聞いた。
「ホリベエさんっていうのは、去年難破した異国船に乗っていて、怪我をして今、伊三の家で世話をしているんだが、、、」
「その話は聞きました。」
「そのホリベエさんは自分の国では米作りをしていたそうだ。」
 今度は伊三が和尚に聞いた。
「本当か?ホリベエさんはそんなこと言っていなかったぞ。」
「何言ってんだ、どうせホリベエさんの言うことなんかわからねえくせに。ほれ、西国生まれのケンって言うのがいたろう。ケンが言うにはホリベエさんは故郷で名主に雇われて田んぼ仕事をしていたそうじゃよ。」
 平吉は顔を曇らせた。
「和尚さん、余計なことを言わないでください。」
「何が余計なもんか。わしは伊三が恩あるお殿様に奉公したいという気持ちは立派だと思うがのう。」
「奉公って、別に殿さまの家来になるわけではありませんよ。」
「まあ、そうだろうが、わしは伊三の決心に感心しているんじゃ。こいつは若いころから薄らぼんやりしたところがあって、体は大きいくせに気のちっちゃい奴じゃった。それが、大多喜から戻ってきてからは、妙に芯がしっかりしたというか、意思が強くなったというか、相変わらずおとなしいが、少々大人になったような感じがした。後で聞けば、子どもの頃の殿さまを叱りつけてから自分に自信ができたらしいんだな。」
「ああ、その時は私も一緒でした。伊三がサムライの子供を叱りつけたのは驚きましたが、それが、殿さま、、いやその時の若様だと知った時は、もう伊三は生きて帰れねえと思いました。」
「確かに伊三はうすのろだが、まじめな奴だ。バカかもしれんが、新田開発の手伝いをするっていう気持ちは覚悟あってのことだと思う。それが、伊三のためになるかはわからんが、伊三が行きたいという気持ちがあるなら連れて行ってやれ。幼馴染だろ、平吉。お前も伊三を助けてやれ。」
「しかし、和尚様、、、、」
 平吉は伊三が真剣に大多喜行きを望んでいるのはわかるが、それが伊三にとっては良い事ではないと思っていた。無謀だと思った。尊敬する大宮寺の和尚は伊三の大多喜行きを勧めているのが、理解できなかった。
「和尚様、何故そこまで伊三の大多喜行きを勧めるんですか?」
「それはな、夢と言うやつじゃ。」
「夢?」
「何も、寝てみる夢ではないぞ。望みと言うことだな。わしもこんな田舎の寺の住職になっているが、若いころは野望もあったもんだ。しかし、一歩踏み出すことができなかった。」
「その野望って何ですか?」
「昔の話だ。もう忘れた。」
と、それまで黙っていた伊三が立ちあがると、二人を睨みつけると本堂から飛び出して行ってしまった。
「ど、どうしたんでしょう?」
「さあ?」
「和尚様がのろまだ、バカだって言うから怒ったんじゃありませんか?」
「そうかのう?」
 慶長十五年の正月、岩和田の海は穏やかな日の光に静かに凪いでいた。


小説 本多忠朝と伊三 9

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 9/久我原

 

「茂平さん、いるかね?茂平さん」
 岩和田の名主、茂平の家を伊三が訪ねてきた。
「茂平さん、いらっしゃらねえか?」
 伊三の問いかけに茂平の家の中からは返事がない。
「なんだ、留守か。どうするべえ、サキ。また出直してくるか?」
 この日、慶長十五年の正月、伊三とサキは名主の茂平に年賀のあいさつに来たのだが、茂平は留守のようだ。
「おとう、きっと茂平さんもどっか年始に挨拶にでも行ってんだべよ。また、来よう。」
「そうだな。ホリベエを一人残してきちまってるし、またでなおすか。」
 特に急ぎの用事があるわけでもないので、伊三とサキは茂平の家を後にして、自分たちの家へと帰って行った。
 昨年の九月に嵐で遭難し、足の怪我をしてしまったホリベエことホルヘはその怪我のためにドン・ロドリゴと供に江戸に旅立つことはできず、しばらくの間は収容先の大宮寺で静養していたが、足をひきずりながらどうやら自力で歩けるようになった。遭難の当初、村人はホリベエを気の毒がって親切に世話していたが、ロドリゴ一行が江戸へ去り、岩和田村に静かな生活が戻ってくると、ホリベエの存在は次第に村人からは忘れられていった。昨年の師走までは大宮寺で世話をしていたが、大宮寺の住職がホリベエら、村に残った数人の遭難者の扱いについて名主の茂平と相談しているところをサキが偶然聞いてしまい、サキがホリベエは自分の家に引き取ると言いだした。住職と茂平はサキがホリベエを親身に世話していることを知っていたので、サキの申し出を即座に受けたが、父の伊三は反対した。
 伊三はホリベエを嫌っているわけではないが、言葉の良く通じない異国人のことを娘のサキが親身に世話をしていることに不安を覚えた。どうやら、サキはホリベエに好意を抱いているようだ。娘が男を好くことは構わない。しかし相手は得体のしれない異人である。ホリベエが悪い人間ではないことは分かっているが、もしホリベエが自分の国に帰ることになったらどうなるか?サキもついて行ってしまうだろうか?
 伊三とサキは二人きりの親子である。去年、伊三が大多喜に行くと言い出した時、サキは「おらを一人置いていくのか?」と泣いた。サキの涙が伊三を引きとめた。伊三は今、その時のサキと同じ気持ちになっている。
(サキは俺を置いてホリベエと一緒に異国に行ってしまうんだろうか?)
 伊三はサキがホリベエと親しくなることを恐れて、ホリベエが自分の家に来ることを反対したが、口の重い伊三は結局大宮寺の住職と茂平に説得されて承知してしまった。
 あれから十日ほど過ぎ、ホリベエは伊三とサキの仕事を手伝い、と言っても怪我人では漁に出ることはできないので、家の中や漁の道具の整理をするぐらいだが、よく働いた。伊三もサキもホリベエがこんなに働き者とは思わなかった。言葉はよく通じないが、伊三は少しずつホリベエを認めるようになってきた。
 ドン・ロドリゴが岩和田を去った後も、大多喜からは残ったもののために量は減ったが救援物資が続いて届いている。茂平はその救援物資を大宮寺と遭難者を引き取っている家に分配した。その救援物資のためにホリベエの世話も物質的な大きな負担はない。ホリベエが雑用を片付けてくれるので、最近、伊三は「ホリベエがいることで、家のことが少し楽になってきた。」とも思っている。
 そんなわけで、伊三とサキは茂平にお礼と報告も兼ねて年賀のあいさつにきたのだが、茂平は留守だった。
 家に帰る途中、伊三に声をかけてきた男がいた。
「あれ、おめえ、伊三ではないかあ?」
 伊三はその男の顔を見た。
「ああ、俺は伊三だが、おめえは?おっ?もしかしたら平ちゃんでねえか?」
「そうだよ。平吉だよ。懐かしいな。」
 男は二十年前、伊三と供に大多喜で街づくりの仕事していた平吉であった。平吉は岩和田の出身だが、大多喜の町普請の仕事が終わった後も大多喜に残り新田開拓の仕事を続けていた。今ではすっかり大多喜の百姓になっている。
「平ちゃん、久し振りだ。平ちゃんが大多喜に残った後、一度岩和田に帰ってきたときに会ったけど、あれは何年前のことだろう?あんときはまだサキは小さかったから十年もたつだろうか?」
「そういえば、おめえには娘がいたな。もしかしたら、あんときのちびっこがこの娘か?」
「へえ、おらがサキですけど。」
 サキが不審そうに平吉を見下げた。平吉はあの時のちびの女の子がこの様な大女になっていようとは、少し驚いた。
「そうか、あんときのサキちゃんか。随分大きくなったな。いや、本当に大きいな。」
 小柄の平吉はサキを見上げた。
「それはそうと、伊三、おめえ今、茂平さんちの方から来たみたいだけど、茂平さんはいるかね?」
「いや、留守だった。」
「そうか。」
「なんだ、平ちゃんも年始の挨拶か?」
「ああ、それもあるんだが、頼みがあってきたんだ。」
「頼み?」
「去年、殿さまから国吉原ってところの新田開発のおふれがあってな、人を集めているんだが、まだまだ人がほしくてな。岩和田の百姓衆からも手伝いに来てくれる人がいないか、茂平さんに相談しようと思ってな。」
「新田開発?人を集めてる?殿さまって、忠朝様のことか?」
「ははは、伊三、大多喜で殿さまと言えば忠朝様のことに決まってんべえ。おめえは相変わらずバカだな。」
 伊三は即座に決心した。よし、大多喜に行って新田開発のお手伝いをしよう。殿さまが必要としているんだ、今度は茂平さんも反対はするめえ。そこへ茂平が現れた。
「おう、伊三、何してんだ?」
「何って、今、茂平さんの所に正月の挨拶に来たところだ。せっかく来たのに留守だからよう、どこ行っていたんだ。」
「おとう、そんな失礼な言い方するでねえ。茂平さん、あけましておめでとうございます。」
「おお、そうか、そうか、正月の挨拶か。あけましておめでとう。ホリベエさんのことでは世話かけるが、今年もよろしく頼むよ。」
 今年もよろしくって、いつまで世話させるつもりだと伊三は思っていると、サキにたしなめられた。
「ほれ、おとうも挨拶せえ。」
「お?ああ、おめでとうございます。」
 娘のサキがまるで女房の様な口の利き方をするので伊三はむっとした。
 茂平は伊三親子の挨拶を受けて、その後ろに見覚えのある男がいるのに今更のように気がついた。
「あれ、おめえは平吉でねえか。久し振りだなあ。前に会ったのは十年ぐれえ前だったかな?」
 茂平は平吉がいることに気が付き、少々驚いた様子だったが、平吉が大多喜で頑張っている岩和田の誇りだと思っているので、久し振りに会えたことがうれしかった。
「茂平さん、あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。」
 さすが、平吉、小さいころに大宮寺で住職の教育を受けていたことがあるだけあって、伊三よりも礼儀が正しい。
「まあ、立ち話もなんだから、わしの家で正月を祝おうでねえか。」
 茂平に誘われたが、サキは、
「ホリベエさんを一人置いてきちまったから、おら心配だ。おとうは茂平さんちへいってくれ。おらは先に帰ってるから。」
「サキが先に帰るってか。くっくく…..」
 サキは洒落を言ったつもりはないが、茂平は少し酒を飲んでいるらしく、そんなつまらないことで笑った。
「なんだ、茂平さん、何がおかしいんだ?」
「まあ、サキよう、お前も来い。ちょっとぐらい一人にしたってホリベエさんは困らねえよ。かえってうるさいのがいないと羽をのばしってかもしんねえぞ。」
「そんなことはねえよ。おら、帰る。」
「まあまあ、いいではないか。」
と、茂平はサキの後ろから両手で肩を掴んで歩きだしてしまった。
 四人は茂平の家に着くと改めて年始の挨拶を交わし、珍しく酒が出た。この当時、酒は高級品で、正月といえども岩和田の漁師などが飲めるようなものではなかったが、去年のイスパニア人救出の労をねぎらって、忠朝から茂平ら名主の家には祝いの酒が届けられていた。なんと、伊三はこの時生まれて初めて酒を飲んだ。伊三、年が明けて数えで三十八になっていた。
 年始の挨拶が済み、ささやかな乾杯をした後、去年のドン・ロドリゴの救援のことが話題になった。平吉も一度、大多喜で遠目にロドリゴ一行を見ていたが、伊三やサキたちの生々しい救援の話に真剣に耳を傾けた。そして、さっきから名前が出てくるホリベエというのが、その難破船の乗組員で今、伊三とサキが世話をしているということには驚いた。
「ところで、平吉、正月とはいえ、わざわざ大多喜からこっちに来たのは何か用事があったのか?」
「そうそう、茂平さん、今日は相談があってきたんだ。」
と平吉が言うと、いきなり伊三が
「茂平さん、今度こそ、お許しをくだせえ。」
と大声を出した。茂平はぎくりとして、伊三を見た。お許しをくだせえと言いながら、茂平を睨みつける伊三の目はとても人に頼みごとをするような顔ではなかった。
 


小説 本多忠朝と伊三 8

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 8/久我原

 忠古の憂鬱な宴の時間となった。
 殿様は父、忠勝公の後を継ぎ、立派に大多喜を治め、更なる新田開発を計画している。立派な殿様だと忠古は思っていた。ただ、酒癖が悪い。飲めない忠古にとってはこれが殿様の唯一、直して欲しいことであった。今日は、遭難者とはいえ、元フィリピン総督のドン・ロドリゴと幕臣、三浦按針の歓迎の会である。まずい事が起きなければ良いが、、、
「三浦殿、ロドリゴ殿、改めて、ようこそ大多喜へ。これをきっかけに徳川家とイスパニア国の絆が深まる事を祈っております。こんな田舎でたいした事は出来んが存分にお過ごしくだされ。では、乾杯。」
 忠朝の音頭で乾杯がされ、ロドリゴは初めて日本酒を飲んだ。見た目は白くにごって牛の乳のようだが、とろりとした舌ざわりにほんのりと甘みがあり、のど越しにアルコールを感じられる。按針がロドリゴに日本酒の感想を聞いた。
「ロドリゴ殿、日本酒の味わいはいかがかな?」
「はい、慣れ親しんだワインとは違い、このようなまろやかな味わいの酒は初めてです。」
「私は、アルコールのきついウィスキーに慣れていたので、最初は物足りなく思ったが、慣れてくるとこれが良くてな。ただ、口あたりの良さの割には、結構足に来る。ロドリゴ殿も気をつけられよ。ふぉふぉふぉ。」
「そうですか。なるほど、この口あたりがとても酒とは思えぬが、なるほどワインを飲むときと同じような酔い心地かな。」
 二人の楽しそうな様子を見て、酒好きの忠朝は興味を持った。
「なんじゃ、三浦殿。楽しそうだが、酒の話か?」
「本多殿、ロドリゴ殿は日本の酒が気に入ったようです。」
「そうか。我が領地で作る酒は自慢でのう。異人のお二人が気に入るかどうか心配していたところです。そいつは良かった。があ、はははは。」
 忠古は上機嫌の忠朝を見て、今日は早めにお開きした方がよさそうだと思った。機嫌よく酒が進み、失態を起こさなければ良いが。
 忠古の心配をよそに、酒は進み、忠朝も大分酔いが回ってきたようだ。小半時も過ぎた頃であろうか、三浦按針が忠朝に声を掛けた。
「本多殿、ロドリゴ殿が、本日のお礼にとイスパニアの酒をお持ちになっています。回収された積荷の中に残っていたとの事で、お酒を好まれるのであれば是非、本多殿にも飲んでいただきたいと。」
 忠古は眉間にしわを寄せて、忠朝を見つめている。
「三浦殿、私は飲みたいのは山々だが、見張りがダメだというております。」
「見張り?見張りとはなんのことで?」
「ほれ、あそこに。」
と、忠古を指さした。
「殿、お戯れを。」
 忠古は短く答えたのみであった。
「三浦殿、あの堅物はほうっておいて、せっかくのろろりこ殿の志。いたらこうれはないか。」
 忠古はぎくりとした。殿のろれつが回らなくなっている。何も無ければ良いが。
 忠朝はイスパニアの赤い酒、ワインを飲んだ。渋い。
(ロドリゴ殿は良く、こんなものをうまそうに飲むな。)
と忠朝が思っていると、ロドリゴが忠朝にスペイン語で何か話しかけてきた。
「ん?三浦殿、ろろりこ殿はなんと言われた?」
「ワインの味はいかがかと?」
「うん。ちと、渋いのう。それに、この赤い色は血の様でラんとなく気味が悪いが、、」
 ロドリコは忠朝がどんな感想を持っているかと、忠朝の顔を見ている。それに忠朝は気がつき、
「いや、せっかくのるろりこ殿の好意、ありがたく頂戴しましょう。」
と言うと、按針が小声で答えた。
「いや、実は私もワインよりもウイスキーの方が好きでございます。やはり、故郷の酒の味わいが一番でしょう。」
「うえすけー?」
「私の故郷の酒です。ウイスキーは日本の焼酎の様な強い酒です。これに比べれば日本の酒を初めて飲んだ時は少々物足りなく感じ、、、、」
「なに、私の酒が物足りない!?三浦殿、それは聞き捨てラらぬ!」
「あ、、、いや、これはご無礼しました。今では、私も、、」
「三浦殿、、、わしはなあ、、、」
 そこで忠古がさえぎった。
「殿、私はこのワインと言う酒は言い味わいだと思います。」
「フン、飲めぬ忠古が何を言うか。少しなめただけでいい加減なことを。」
 言っていることはわからないが、険悪な雰囲気を察したロドリゴが按針にスペイン語で声をかけた。
「按針殿、なにやら本多様にはお気に召さないようですが、ここは我ら三か国の友好を願って乾杯しませんか。」
 ロドリゴが申し訳なさそうに按針に話しかけているのを見て、忠朝はロドリゴには悪いことをしたと思った。酔いがまわり、少々言いすぎてしまった。
「三浦殿、これはご無礼いたしました。つい、日本の酒の悪口を言われたようで、これは言いすぎであった。許されよ。があははは。まあ、味は渋いがこのワインと申すもの、香りは良いレはないか。ところでるろりこ殿はなんともうされた?」
「我らの絆の深まることを願って乾杯しましょうと。」
「それは良ぇぇい。」
 忠朝の目配せで、三人が杯を挙げるとロドリゴは微笑み、忠朝に向かって言った。
「サルー。(Salud)」
 忠朝はぎろりとロドリゴをにらみ、
「なんラと。」
杯を飲み干して、たちあがった。
「今、猿と申したか?るろりこ殿、誰が猿じゃ?わしを愚弄する気か?」
 忠朝は上半身を左右にふらつかせながら、ロドリゴをにらみ付けている。ロドリゴは忠朝がいきなり怒りだしたわけがわからなかった。サルー(salud)とはスペイン語で乾杯と意味だが、忠朝はそれを自分のことを猿と言ったのと勘違いをしている。按針はあわてた。
「本多殿、落ち着かれよ。サルーとはロドリゴ殿の国の言葉で乾杯という意味です。」
 すると中根忠古が手を叩いて笑いだした。
「はっはっは。殿が猿とは面白い。太閤秀吉様も若いころは猿と呼ばれて天下をとったもの。これは、殿が天下を取るという暗示ではございませんか?」
 すると、今度は按針が気色ばんだ。
「中根殿、何を申される。今は徳川の世。本多殿が天下を取るなど、それは謀反を意味することではありませんか?」
 今度は真っ赤な顔をして立ち上がった忠朝があわてる番だった。
「忠古、なんてことを申すのじゃ。今の言葉取り消せ。わが父は命をかけて徳川家に仕えてき、また大恩もある。わしが謀反を起こすはずも無かろうに。」
 忠古がこの場を鎮めようとした冗談であることは平静の忠朝ならすぐにわかることだが、酔いがその判断力を鈍らせた。
「これは悪い冗談を、ご無礼しました。私も少々酔いが回ったようで。」
といっても、忠古はロドリゴの持ってきたワインを少しなめただけである。忠古の口元は笑っているが、目は相変わらず冷静だ。まるで顔の上半分と下半分が別人のように思える表情に、三人は薄気味の悪いものを感じた。忠朝も今日は珍しい客を迎えたのがうれしくて飲みすぎたことを自覚し始めた。
「忠古の悪い冗談で座が白けたのう。按針殿も、るろりこ殿もおつかれレあろう。この辺でお開きとするか。」
 忠古はその不気味な表情で忠朝を見つめた。
(お疲れなのは殿の方。それに、座をしらけたのは誰のせいじゃ。)
 忠古がそんな風に言っているような気がして、忠朝は酔いがさめていく気がし、按針とロドリコに向かって言った。
「三浦殿、ロドリコ殿。我ら、元をただせば三河気質の暴れ者だが、この戦国の世を戦いぬいて生き残ってきた誰にも負けないという自負がござる。故郷の酒自慢でついつい言葉が過ぎてしまった。酒の席とはいえお恥ずかしいところを見せてしまった。許されよ。」
と、話す忠朝の言葉も平静に戻ったようだ。

 翌朝。
 忠朝はのどの渇きを覚えて目覚めた。昨日は少々、いやだいぶ飲みすぎた。かすかに痛む頭を押さえながら、ふらふらと立ち上がり、手をたたいた。
「誰かおらぬか?」
「はい。」
 忠朝の呼びかけに障子の向こうで女の声が聞こえた。その声に忠朝はぎくりとして障子を開けた。廊下には年配の女性が座っていた。
「こ、これは母上。おはようございます。」
「おはようございます。夕べは随分と楽しそうで結構なことです。」
 忠朝の母、久(ひさ)であった。
「いや、そのような嫌味を言われますな。客人をもてなすのも主の勤めでございます。」
「ほほ、これはうらやましいお勤めで。私もそのようなお勤めなら代わって差し上げたいくらいです。」
「そのようにいじめないで下され。私も昨日のことは少々反省を、、、」
と言いかけた忠朝に久は茶碗を差し出した。
「きっとのどが渇いて、お目ざめになるであろうと白湯をお持ちしました。」
「こ、これは、ありがとうございます。」
 忠朝は茶碗を両手で丁寧に押し頂いて、ゆっくりと飲み干した。そのぎょうぎょうしさに久は思わず噴き出した。
「ほほ、三浦様たちはすでにお目覚めで中根が相手をしています。城下の様子を見てみたいとのことで忠朝殿のことお待ちです。さあ、早う支度をなされ。」
「はい。」
 忠朝の母、久は忠勝の正妻であるが、桑名に移った忠勝にはついて行かずにこの大多喜に忠朝と供に残った。桑名では側室の乙女が忠勝の世話をしている。徳川四天王の猛将も今は忠朝の兄、忠政に家督を譲り、乙女と供に静かに暮らしている。忠朝が父の忠勝の勇猛な血を引き継ぎ、関ヶ原でも家康から「流石に平八の息子。」と絶賛されたが、兄の忠政は忠朝に比べればおとなしい性格である。忠勝は忠政よりも忠朝の勇猛さを愛し、大多喜に残る愛息子のために実母を残したという説もあるが、実は正室の久よりも側室の乙女を愛していたのではないかというのは勝手な想像だろうか。
 ちなみにこの側室の乙女が生んだ娘が、家康の養女となり、真田信之に嫁いだ小松姫である。この小松姫は関ヶ原の戦いの時に信之と袂をわけた義父の真田昌幸が沼田城に立ち寄ったときに「父といえども、敵は一歩も城には入れぬ。」と薙刀を片手についには追い返してしまったという豪のものであった。さすがに忠勝の娘、忠朝の姉である。

 さてさて、本多家の家族の話はさておき、、

 支度を整えた忠朝はロドリゴと按針が待つ大手門へと向かった。忠古が按針と話し込んでいる。人当たりの良くない忠古が饒舌に客人と話し込むなど珍しいと忠朝は思った。どうやら、昨日の宴席の忠古の狂言のことを話しているようだ。按針もロドリゴもこの男の能面のような顔つきの裏には実は人情とひょうきんさを隠し持っていることを感じ始めているらしい。饒舌な忠古の表情は相変わらず冷たいが、昨夜のぶっきらぼうな口調とは違い、この二人の異人に心を開いているように忠朝は感じた。
 その後、忠朝自らが先頭に立ち大多喜の町を案内し、父から譲り受けたこの領地をもっと豊かにするために新田開発を考えていること、本多家は桑名の父、兄とともに徳川幕府の安泰に力を尽くしているなどという話をした。ロドリゴはその領民たちを慈しむ心と徳川家に対する忠誠心を知ると、大多喜藩主としての忠朝に感心をした。荒々しい性格ではあるが、キリストの教えを知らないこの若い領主が慈悲の心を持っていることがロドリゴには不思議に思えた。
 江戸への旅立ちの時、ロドリゴは言葉が通じないながら忠朝と忠古に友情を感じ、その別れを惜しんだ。こうして、静かだった岩和田と大多喜をさわがせたロドリゴ一行は按針と供に江戸へ旅立っていった。
 忠古はその後ろ姿を見送り、ほっとする半面、なんとなくさびしさを感じた。あのロドリゴの感謝の表情が忠古には忘れられなかった。