日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

幼なじみが亡くなった

2024-08-19 10:24:39 | 非日常
アランドロンが亡くなった、のも悲しいけど、幼なじみが亡くなると、どっかに穴でも空いたかと思うような気持ちだ。
もはや、悲しいのか懐かしいのか、判別できない有様なのだ。

小学校までは、男女取り混ぜで、三角ベースや川遊び、ちっちゃな(子どもだけ10人くらいの)遠足、などなどしたよ。
遠足(山遊び)にサンドイッチ持ってったら、相手のお弁当はおにぎりで、半分とっかえっこしたり。
あたしが他の子にいじめられてべそをかくと、こっそり手を握って励ましてくれたこともあった。
学校に上がってからは、一緒に遊ぶとかもなくて、大雪の時に昇降口で箒を持って待っててくれて
ランドセルの雪をはたき落としてくれたりした、いっこ上の寡黙なお兄ちゃん。

大人になってから、青年団に誘われたら、亡父が「うちのは、おまえらとは遊ばせん!」と怒りまくって。
(ともかく、オトコと名のつく生き物は、しっしっ!!と言わんばかりに追い払ってた。男親ってば、んもう。。。考え過ぎだ、っちゅうの。)
その頃まではお隣だったよ。

でも、お互い結婚して、子どもたちの父兄会で再会し、それからは子供会の会長&副会長として、何年も過ごした。
個別に遊んだのは小学校の頃だけだが、大人になってから一緒に仕事していると、信頼できる働き者で、奉仕の気持ちの強い人だと感じた。

どういう暮らしぶりだったのか、全く知らない。私生活には立ち入らなかった。
でも、他の人たちとは一緒に飲み会したりとか、よくあったみたいだ。
他の人から、「たまには(飲み会に)来れば良いのに」と、言われた。
その頃、家族が老いてきて次々と介護が始まっていたあたしは、「つきあい」というものから遠ざかっていった。
親の面倒は子が看る、のが当たり前だった時代であった。
周囲の個人的な点までは踏み込まなかったけれど、きっと幸せな暮らしを育んだのだろうとは想像できる。
葬儀会場でわちゃわちゃ遊んでた幼子たちは、お孫さんたちなのだろう。
祭壇の写真の笑顔も、日常の感じで、とてもよかった。
満ち足りた笑顔、心から笑ってるのが伝わってきて、つられて笑顔が湧く。

大昔の小さかった頃の思い出なんかはもう覚えてないかも、だけど、あたしも忘れてたけど、
いつだったか、仕事のことでよその方と話した時に、どんな方ですかと尋ねられて
「とても仕事に真摯で、信頼できる人ですよ」と言ったことがあって。
そのあとしばらくして、たまたま出会ったときに、「(信頼できると言ってくれたこと)聞いたよ、・・・ありがとう。」と、言われた。
内心ビックリしたけど、ありがとうと言われるなんか思ってもいなかったから、あとからじわじわうれしかったんだ。
あの時は、仏頂面で『いや、ホントのこと言っただけ、だから。。。』と、もそもそ答えてしまったから、不機嫌にさせたと思われたかも。
素直に言えば良かったな、『だって、ホントでしょ?』って、かわいらしく小首かしげて笑顔で、とか。他の女性たちみたいに、さ。
  (うーーーー。考えただけでも背中がゾワゾワする。)
元々、おしゃべりする相手ではなかったから、むずかしいね、そこらへん。

いまさらだけど。
あたしからも、こっそり、ありがとう、を伝えたい。

生きること、よく頑張りました、おっきいはなまる!!あげましょう、ね^^



衷心よりお悔やみ申し上げます。
合掌。


8 コメント

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こんな時になんですが... (ZUYA)
2024-08-19 21:12:06
小生がブロ友が増えたきっかけは、大切な人を失った時の恐怖心からでした。

人は誰しも出逢いがあるのと同じように、別れも経験しないといけない。でもその経験って何の役に立つのでしょうかね?

来世で分かるのでしょうかね~


※“三角ベース”...この語を40年振りくらいに見ました(聞きました)
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ZUYAさん、おはようございます^^ (otikomi)
2024-08-20 05:23:31
>ZUYA さんへ
>こんな時になんですが...... への返信

三角ベース、ZUYAさんの時代には、もう無かったでしょ?^^;
あの頃はね、ボールも、芯に石ころ入れて、ぼろ布でぐるぐる巻きにしてね、最後は糸で丸く形を作って縛るの。
それを、バットのかわりの「そこらに落ちてた棒きれ」で打つ、のです。
まぁ、飛ばないんだ、これがまた。
甲子園なんか見てると、カッキーーーン、って、気持ちよく飛ぶもの、いいわね~~~、って思う。
男の子も女の子も、一生懸命走ったわよ^^テレビも携帯も無かった。家電すら、少なかった。
でも、今よりか充実してた気がします。

友人(同級生)を最初に亡くしたのは学生時代。自死でした。
悲しいんだか恐怖なんだかわからなかった。事情からか葬儀の出席者も少なく。
小学校しか一緒でなかったのに、ひどく混乱したこと、忘れられません。
その次は大学卒業してすぐ、それは病死で。泣けた。
それから、高校の同級生が幼子を残して病死した時は、ただただ呆然とした。
あとはもう、ね。伝え聞く、程度で。。。

>何の役に立つのか
そうですねぇ。。。考えたことなかったな。
己の心の浄化?
わかんないや。いろんなこと、思い出したり反省したり怒ったり悲しんだり。
もろもろ、心が動きますよね。
ちょっとなぁ、と思ったのは、あたしよりずっと故人と親しかったであろう人たちが葬儀の帰り道に大声で笑いながら
これからのショッピングと食事のお誘いなど話してたことが聞こえた、ことかな。
せめて自宅に戻ってから、にしたら?とか、もやっ、とした。
まぁ、生きるって、そういうことなのかも、なんですけどね。
切り替えの早い人は、きっと長生きしますよ。うん。うらやましい。
ということに、しときます^^;
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Unknown (ZUYA)
2024-08-20 06:44:19
追記

三角ベースは小学生の頃はありましたよ~😉
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あったのか~~~^^; (otikomi)
2024-08-20 13:45:35
>ZUYA さんへ
>追記... への返信

そうだったの。
遊びました?人数少なくてもできるから、狭い場所でも遊べるから、
けっこう重宝してましたよねぇ^^なつかし。
あたしは、ほぼほぼ「みそっかす」だったですけど。ま、お守りしてもらった、というか。
ありがたかったですよ、保育所や幼稚園なんか存在しなかったですから、ね。
あ。
あたし、ここでは八歳でした。おっとっとぉ。
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Unknown (クリン)
2024-08-22 17:13:19
「だって、ホントでしょ?✨」←これはお互いの小さいころの姿を知っているあいだがらでは、なかなか言えない女の子セリフですよね💦
でも、1つ年上のお兄ちゃん的存在✨しかも頼れる・信じられる相手、というのは・・とても貴重です💎⤴
さいごですから、がんばって練習して、かわいく「あ・り・が・と💛はなまる💮⤴✨」ってお伝えしたほうがいいかもしれません🍀(otikomiさま、ガンバ!🐻✨✨)
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クリンちゃん、いらっしゃ~~~い^^ (otikomi)
2024-08-22 19:56:57
いやいやいやいや^^;;
本当に、口数がめっちゃ少ないお兄ちゃんだったですよ。
その上のお兄さんが、ずっとお隣に暮らしてて、飼い犬のこととか、仲良しだったです。
町内の旅行とかでも、お互いに夫婦で参加したりしてて。
今回亡くなった方は弟さんなので、近くだけど違う区域にお家を建てて、そこで暮らしてたんでね。
お嫁さんも子どもたちも、知ってるけどそこまで親しいとまでは、言えないかな~~~^^;;
子どもたちは、お互いの子どもが同級生だから、父兄会では会ってたけど、ほぼ奥さんが来るし。
小さい頃は遊んだけど、本当にしゃべる事ができないんでないか、って思っちゃうくらい口数少なかった。下ばっかり向いてるし。
でも、他の人たちとはおしゃべりも大笑いもしてるから、ずっと、あたしは嫌われてるんだな、って思ってたわよ。
まじめな顔で「ありがとう」なんかいわれたの、たぶん、初めて。
とっても戸惑った。
その後も、何かで個人的におしゃべりは、しなかったなぁ。
病気したとか聞いたけど、痩せたな、って思って見てたけど、何かを尋ねる雰囲気では無かったわよ。
何年も一緒に組んで奉仕活動頑張った仲だから、人柄は分かるけど、微妙に苦手だった、かな。
分からんけど。でも、小さい頃、可愛がってもらった恩は、忘れないし、懐かしい。^^
女の子っぽく・・・・は、いっとう苦手。あは。
ぶっちゃけちゃった。
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Unknown (luffy000616)
2024-08-22 21:34:54
知人が亡くなるって
本当に寂しいですよね😞
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真衣さん、こんばんは^^ (otikomi)
2024-08-22 22:23:15
>知人が亡くなるって... への返信

ホントに、ねぇ。。。
真衣さんも、本当にたいへんでしたでしょ、頭が下がります。
無事改修できて、よかったですね、きっと成仏なさったと・・・ええ、ええ、思いますとも。

こちらは、幼かった頃には仲良しだった(?つもり、です)のですが
青年部に入ってよ、って家にお誘いに来て、玄関先で亡父に門前払いされて以来
ぎくしゃくどころか、まったく口をきかなくなってしまいまして、以後、そのまま、という。
さびしかったですよ、目も合わせてくれなくて。
声をかけたら叱られそうで、こちらからは声がけできませんでした。
そのまま亡くなるまでかわらないなんか、思ってもいなかったのに。
だけど、きっと幸せな人生だった、と、思います。
遠い昔の思い出に、あたしは感謝状を贈りたいくらいなのです。
真衣さんのお友達だって、きっと、真衣さんに感謝してますよ、すっごく。
あたしは、そう思います。
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