詩を想うこと 生きていること
題は「つぶやき」 副題を「ためいき」と読んでみます。
「あ~あ」だったり、「やれやれ」だったり、「なんだこりゃ」だったり。
一行が、一作品ですよ。
あきれたり、笑ったり、していただけたら幸いです
穏やかな 生を望むも 腹は立つ
悲しみの夜半 グワシグワシグワシと 鍋洗う
迷うなと思う 迷っているからだ
ちっぽけな 自分が ちっぽけなことを病む
うつむくな 涙が落ちてしまうから
涙に頼る をんなを意識する
当たり前を 当たり前と思う難しさ
下手だな、と思う だってホントのことだもん。
いちお、せんりゅう。
俳句は季語とかに縛られますもので、とっつきやすいのは「今の気持ち」を詠う、せんりゅうかな、と。
作品を「あげる」には、こういうものを、この先さらに「推敲」します。
ひとつにつき、数時間~数日ほど。
あーでもない、これも違う、ここは「○(助詞)」でなくて「×(助詞)」なのか?とか。
もちろん、使っている「言葉」そのものが変更になる場合も、あります。
あとから、なんでこの句がこうなった?みたいな^^;
えんやこら、気が済むまでこねくりまわして、それで出来上がるのです。
言葉を口に出すことが、スタートです。
途中発表は、フライングですよね。
でも、こういうものでもいいんだよ~、っていう、みんなからも作ってほしいな、っていう
あたしからの「働きかけ」なのです。
作品は、裏側にある状況を推測できることが、ふくらみをもたせることに繋がります。
できるだけ、細かい状況は書かないこと。
書きすぎると、説明になっちまいますからね^^; 内容が「限定されてしまう」のです。
簡単に言うと「うすっぺらくなる」(ひどい・・・)
いうなれば「背骨」だけ。それだけのほうが、読む方の想像を刺激します。
その人なりの「さまざまな体験」から、さらに内容に深みが生まれます。
(ということは、作者よりも上級の方が目にしてくださった場合、作者の思惑よりも素晴らしい解釈も生まれてしまう、という^^;)
ひとつの句から、10~20個の派生句が生まれます。
興が乗ると、一晩で百句ほどできます。
モノになるのは、その中でみっつよっつ?(少なっ!!)ま、たまには10句ほど^^;
面白いですよ^^
本当は、ね。
本当に「佳い句」というものは、落ちてくる、あるいは降ってくる、んですけども。
それは、ある程度経験を重ねると、わかりますから^^
怖がらないで、やってみましょう♪
題は「つぶやき」 副題を「ためいき」と読んでみます。
「あ~あ」だったり、「やれやれ」だったり、「なんだこりゃ」だったり。
一行が、一作品ですよ。
あきれたり、笑ったり、していただけたら幸いです
穏やかな 生を望むも 腹は立つ
悲しみの夜半 グワシグワシグワシと 鍋洗う
迷うなと思う 迷っているからだ
ちっぽけな 自分が ちっぽけなことを病む
うつむくな 涙が落ちてしまうから
涙に頼る をんなを意識する
当たり前を 当たり前と思う難しさ
下手だな、と思う だってホントのことだもん。
いちお、せんりゅう。
俳句は季語とかに縛られますもので、とっつきやすいのは「今の気持ち」を詠う、せんりゅうかな、と。
作品を「あげる」には、こういうものを、この先さらに「推敲」します。
ひとつにつき、数時間~数日ほど。
あーでもない、これも違う、ここは「○(助詞)」でなくて「×(助詞)」なのか?とか。
もちろん、使っている「言葉」そのものが変更になる場合も、あります。
あとから、なんでこの句がこうなった?みたいな^^;
えんやこら、気が済むまでこねくりまわして、それで出来上がるのです。
言葉を口に出すことが、スタートです。
途中発表は、フライングですよね。
でも、こういうものでもいいんだよ~、っていう、みんなからも作ってほしいな、っていう
あたしからの「働きかけ」なのです。
作品は、裏側にある状況を推測できることが、ふくらみをもたせることに繋がります。
できるだけ、細かい状況は書かないこと。
書きすぎると、説明になっちまいますからね^^; 内容が「限定されてしまう」のです。
簡単に言うと「うすっぺらくなる」(ひどい・・・)
いうなれば「背骨」だけ。それだけのほうが、読む方の想像を刺激します。
その人なりの「さまざまな体験」から、さらに内容に深みが生まれます。
(ということは、作者よりも上級の方が目にしてくださった場合、作者の思惑よりも素晴らしい解釈も生まれてしまう、という^^;)
ひとつの句から、10~20個の派生句が生まれます。
興が乗ると、一晩で百句ほどできます。
モノになるのは、その中でみっつよっつ?(少なっ!!)ま、たまには10句ほど^^;
面白いですよ^^
本当は、ね。
本当に「佳い句」というものは、落ちてくる、あるいは降ってくる、んですけども。
それは、ある程度経験を重ねると、わかりますから^^
怖がらないで、やってみましょう♪
グワシグワシグワシと悲しみを、だれも知らないところで、胸いっぱいにこすり付ける。誰も見ていないからできる精一杯の抵抗。
おかげで鍋はきれいになるんですね。
そしたらなんだか心も少しきれいになったような気になるんです。何かそんな感じがしていいですね。
悲しみの 心の先に 咲いている一輪をみて・・・
句、ひねってもなかなか出てきません。難しいですね。
でも、そのことばを最初に書いておかないと、初心者にはわかりにくいので。
あ、いちおう、初心者対応ですから、ベテランの方々は、笑ってゆるしてくださいませ、と。^^;(大汗)
でも、まだ「種」の段階で、見抜いてくださって、とてもうれしいです^^♪
鍋を洗う、という動作は、大人の女性の「無になりたい」願望を、表してくれます。
経験があれば、なおさら共感をいただける、と。
できばえを決めるのは、なんでしょうか。
何かがあった、起きた、とき、そのことを真摯な目で心でみつめ、噛み砕き、自分のものにする。
その姿勢があるからか、歌人俳人の諸氏は、非常に長命な方が多いです。
精神の持って行きようを熟知してらっしゃる、というか。ストレスの吐き方を身を持って知ってらっしゃるというか。
いろんなことが起きたら、それを、どう表現したら、伝わるのか、を、じっくり経験しつつ、考えている。
句を詠んで、目指せ百二十歳!!です^^
三つ目の「迷っているから」なんか、もう、説明そのものなんですよ。ダメの見本。
ほんとはね、説明、要らないの。説明しなくても、たとえば瞳の動きひとつで、はっとするとき、って、ありますでしょ?
そういう風に、ストンと懐に飛び込んでくる、勝手にその句にとらえられてしまう、最終的にはそういう句を、作りたいんですよね。
「こねくりまわす」というのは、ごめんなさい、揶揄です。テレです。言葉遊びです。
作るとき、って「ひねり出そう」と思わず、何かを発見した、あるいは経験したとき、それを言葉にあらわしてみよう、とすると、いいみたいですよ^^。
(そちらに「言葉にしてしまうと、もう、嘘になる」ようなことが書かれてありました。
それを、なんとか真実に近づけようとしゃにむに努力する、のが、句作です。^^
無駄な努力、と言うなかれ。少しくらいは、報われるかも?というか、報われてほしいです^^)
その癖が、いつのまにか、句になってくれます^^
まず、「思い」ありき、なのです。
それと、最初はメモをとると、その先に進みやすいです^^
ナマで学ぶのは、とても楽しいです。刺激もありますし。
外に出て、お題を決めて詠む、ということも、ありです。
大事なのは、心を動かされるということ、それを表す言葉を学ぶ、ということ、その使い方に慣れる、ということ。
本音は、たまには真面目に、自分が知っていることを生きているうちに誰かに伝えておきたい。と。
滑っても転んでも、いいの。
それらの経験はすべて、その人の財産になるんだから。
と。自分に、いつも言い聞かせてますけど、言うは易く、ですけど、ね(-_-;)てへへ。
なんちゃってますけど、のしてんてんさまのような「言葉の大ベテラン」さんから見たら、『なに、笑かしてくれちゃって~』だとしても、大恥覚悟で書いてますもので、なにとぞお許しを<(_ _;;)>
心をみつめる・・・いろいろの雑念がなくなって、本当の一心になったとき、降りてくるものがあるのでしょうね。
言葉の大ベテランではないですけど、ことだまというのでしょうか、たった一音だけでも、スーッと心が許すって感じ、ありますよね。めったにありませんけど・・・
たくさん教えていただいてありがとうございました。
雪くれに 闇拓く枝 鼻の上 (飛騨にて)
教えるつもりで書いているのではなくて、ずっとサボりすぎましたもので
思い出そうと、ひとつひとつ書いている、のです^^;
もしかしたら、あたしが思い出すのと一緒に、初心者さんたちも、同じように考えて、
作り出す楽しみを見出してくれたら楽しいなぁ、と。
そうなんです、雑念が、ふっと消えている時間、ありますよね^^
鍋を磨くとか、単純作業が続いたとき、そういう感覚が生まれやすいです。と、思います。
この句を作ったとき。
猫が赤ん坊を産みました、たった一匹だけ。
その母猫は、初心者で、子育てができなくて、ただただ子猫をくわえて、部屋中を走り回ってました。
やっと落ち着いたころに、見たら、まだ母乳を与えていない。乳は張っているんだけど、本猫、わけがわからぬ様子で。
ミルクをといてシリンジで与えたら、生まれたばかりの子猫は、シリンジを「じゅーっ!」と、吸いました。
4cc。たったそれだけでしたが、少し落ち着いて眠ってくれて。
母猫も、ようよう、懐に抱いて、なめてやってましたので、安心して。
あたしも、他の部屋など回って、戻ったら、子猫は寒い部屋の真ん中でひとりではいまわってまして。
もう、身体が冷たくなって、紫に変色してて。
マッサージしたり、温めたり、かなり頑張りましたが、ミルクも1ccも飲めず。
生まれた次の日に死んでしまったのでした。へその緒がかわかないままに。
きれいな子でした。
育ててやりたかった。というか、母猫からとりあげて、人工保育してあげたらよかった。
ずっと悔しくて泣いてました。鍋を磨きながら。
そのときの句です。
まだ、言葉が「なま」です。
もう少し落ち着いて考えられるようになったら、作り直します。
飛騨のお写真、拝見してました。
中があんなふうになってるなんて、新鮮な驚きです。
落ちないのか、こちらも心配になりました^^;
養蚕の場。。。なつかしい響きです、当地も、あたしが幼いころは、蚕を飼ってて、毎日母と一緒に桑の葉をとりに行くのが日課でした。
隣町にある畑のへりに植えてあるんですよ、桑の木。かごいっぱいにとって、背中に背負って。
繭になると、鍋で煮て、ついついつい、と端から糸を引いて、よって、伸ばしてって。
祖母と大叔母が絹糸を機織して、ちりめんとか布地をこさえて。
あぁ、もう、大昔のことですね^^
いつか、行ってみたいです、飛騨。雪の無い飛騨、っていうものを、初めて紹介いただけた、と思います。
雪に埋もれた景色ばかりで。
人が生きているんだから、春も夏もある、はずなのに、ねぇ。
いい思い出に、なりましたよね^^ステキステキ。
コメントいただいて、とてもうれしいです、ありがとうございます^^
小さなブドウの房のような実は甘酸っぱくキイチゴのようでした。きっとあの味を経験されているのだなーと思いました。
というのも、田舎を出てからは、桑の実、市場に出ていないので見たことも口に入れたこともなく、つい懐かしく思ってしまったものですから・・・・
指先まで染めて、食べてます^^
硬い部分を「ぺぺぺっ!」って、てへへ^^;
何箇所かある入り口のひとつに、前にまだ一本、大きい木が残ってまして。
もちろん、食べたいから残しておいたものです♪
あのねあのね。
今日の記事の、あの絵が、とても好きで。
ディスクトップ用に、いただいてもよろしいかしら?
というか、いただきたいです!
なんか、見ていると、始まり、とか、希望、とか、いろんな感情が湧いてきて。
力をもらえる、そんな絵ですね。ステキです。
文章も、すごく好きです。コメント、書きづらいんですもので、じーーーっと眺めて、納得して、かえってきています^^;
いくじなしで、すみません<(_ _;;)>
なぜだったのか、よくわかりませんが、今も記憶にあるのは独特の、神秘的な感じなのです。そんなに量がなかったからかもしれないのですが。他の果物などにはない特別の感情を持ったのを覚えています。
私の絵、気に入って頂けた!うれしい!!です。
是非、是非、お使いください。0.5mmのシャーペンで描く鉛筆画ですが、布のキャンバスに描きますので手に乗る小さなものからふすま大のものまで、40年近く描いています。この作品は50センチほどの大きさです。
私のブログ、理解できるでしょうかどうしても理屈っぽくなってしまって・・・言葉で伝えるのは難しいですね。
絵描きは絵で表現しなさいと言われるのですが、しかし言葉でしかできない表現もありますものね。
otikomiさんの言葉の使い方好きです。この暖かさと柔らかさを学ばねばです。
桑の実は、輸送できませんもの、ね^^;
すぐつぶれるし。。。味も、もっとスマートな甘みの濃いものが、たくさん出回ってて。
でも、素朴で懐かしい味、ですよね^^
子どものころ、通学路にも大きな桑の木があって、よく食べたんですけど
隣に漆の木がありまして、ですね、その、たまに「かぶれて」(;´▽`lllA``)
もう切り倒されてしまいましたけど、近くを通ると、つい見上げてしまいます。
そちらのブログ。とてもわかりやすいです、あたしには。
噛み砕いて、「読まれる方のわかりやすさを念頭に」書いてらっしゃるのだ、と、すぐわかりました。
言葉と絵。二束のわらじ、素晴らしく活用なさってらっしゃる。
うらやましいです^^
あたしが見つけた最初の頃は、文字は少なくて、カラーの絵(抽象画)でしたよね。
いくつかのブログを併用されておられた、と記憶しておりますが。
最近になって、お名前を替えたのだ、と気がつきまして、あらためてリンクを直しました次第^^;
すぐにやらなくて、ごめんなさいね、抜け作なんです、あたし(-_-;)
言葉の使い方。
なんなんでしょうね、自分では、思ったまんま、時系列に沿って書いている、だけです。
きっと、あたしに最初に言葉を教えてくれた人(父母や祖父母)が、優しい暖かい気持ちで接してくれた。。。。からかな?
なんちゃって^^;
気に入っていただけたなら、とてもうれしいですヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ
頑張らなくちゃ♪
本当に、ありがとうございます<(_ _*)>
リンクもありがとうございます。私のほうも、やりますね。
これからもよろしくお願いいたします。
通学路のおなじような経験は、私はグミの木でした。桑の実より酸味が強いのですが、口の中が真っ赤になるほど、木の枝にしがみついて食べたものです。その木もなくなってしまいましたが、きっとおなじ気持でその場所をながめていらっしゃるのだろうか、そう思うと、とても近くに感じます。
ところで携帯の表示が小さいとのこと、ブログの文字サイズを変える機能を張り付けたのが、条件を変えた唯一の心当たりです。
ですので、一度もとに戻してどうなるか観るくらいしか方法を思いつきません。しばらく様子を見ていただいて、不具合を教えて頂ければ嬉しいです。
今朝、コートを着ずに出たら、寒かったです。
もうちょい、で、終わると思うのですが^^;;
いやいやいや、キモっ!とか言われなくて、よかったです^^
きゅん、するほどのものでもありませんけど^^;
最初、みつけたとき、昔同期で新入社員だった、仲良しの子かな、と思ったんですよ。
御茶ノ水の数学科を出た子だったですが。
彼女は数ヶ月で退社というか転職してしまって、あたしもその後退社したもので音信不通になって。
以来、転々としてましたもので、ね^^;
個人情報にふれますから、これ以上は書かれませんけど、そゆことでした^^;;
こちらは、いま、もっさもっさ降っていますよ。
大きな牡丹雪です、春ですねぇ^^